夜は、やさしを読んで


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Posted by 通りすがりの一言居士 on 2001/09/19 01:40:58:

     おもしろかった、という表現では語弊があるかもしれませんが、素直な感想として面白くなおかつ続きが読みたくなりました。
    どうして、語弊があるかというと、先ず第一にこの文章は完結していないのでその文全体を評価することはまだできない(最近のゲーム全般でも小説でもラストをはずして作品が死んでしまうことが多々あることから)。
    次に第四章までの文章は並であって(まあ、2次作品としては妥当なレベルでしょうが)暇つぶし程度にしかならない。
    であるにもかかわらず、ほとんど、いやまったくと言っていいほど人様の掲示板に書きこんだ経験の無い私がここに書きこむ気になったのはこの文章がただ「おもしろい」と表現するにはもったいない文章であったことです。
    四章以降の文、特に真名がいつから自分に人とは異なる力があったのか尋ねられたシーンからです。この後の展開、特に時雨の文章から推測される二人に訪れた崩壊の序曲を聞き、「もうやめてくれ、単なる同人小説なんだからラブラブハッピーエンドで終わればいいだろう」と心の中で叫びながら読み進めていました。
    特にとらハシリーズはお気に入りの作品の一つで、特にとらハ2にで最もおきにいりの薫の幸せの消滅にはこころが悲鳴を上げていました。しかし、最後まで読んで(まだ途中ですが)やはり感じるのは深い満足感と次に章への期待感でした。
     ここからは私の持論になります。面白い文章を書くことは物書きの義務だと思いますが、それだけではいけないと思います。面白い文章には2種類あります。一つは娯楽としての文章。面白いと言う感覚を得ることができるがそれだけで終わってしまうもの。巷にあふれている「面白い」と呼ばれるもの。
    もう一つは、面白いかつ読んだ人を動かす文章。これが文章にとって一番大事なものです。「元気の出る文章」とでも言えばいいのでしょうか、人をなにかの行動に駆り立てる文章、文章に限らず、映画、音楽、ゲーム、スポーツの試合など人に感動を超えて働きかける力を持つものに共通するものがこの文章にはありました。(とらハシリーズがいい例でしょう。このような作品をつくるきっかけとなったのですから)
    事実、このごろ物書きとして(あまり大した物は書きません。雑文程度です)スランプだった私になにか書きたいという意志を呼び起こさせてくれました。
    ながながとくだらない事を書きましたが、ようはこの文章を書いた人にお礼を言いたかったのです。
    「面白い文章を書いてくれてありがとう」と
    なんか、まとまりのない文章ですいません。とらハシリーズ作品は全部読みましたが、「夜は、やさし」はその中でも白眉でした。はじめての書きこみでまずい文章かつ生意気という読む方が大変不快になるものとなり本当にすいません。そう思いながらもつい書きこんでしまう作品であったと思いますし、これからもそうあってほしいです。時間的な都合等多々あるかもしれませんが次章も楽しみにしています。
    無責任ながらこれからもがんばってください。
    ではこのへんで、さようなら。


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