高いビルの屋上は、思ったよりもひっそりとしていた。下界の賑わいから遠く離れ、しんと静まりかえっているが、 ちらちらと反射する光が下界の騒がしさをここまで伝えている。強烈なネオンや店の照明が雑居ビルの壁に反射してうっすらと明るい。 ここはまるで、ぼんやりとした明かりの海に浮かんだ小島のようだった。 ジェイドは辺りを見回した。誰もいない。フェンス越しに下を見ると、キラキラしたネオンと明かりの中を、沢山の人々が、一人で、あるいはカップルで、 あるいは徒党を組んで歩いている。人の気配を遠くに感じるのに、ここは偉く静かだ。 ここの雰囲気が気に入って、スカーはよくここにいると聞いていた。だがまるで人気が無い。 ここにもいなかったかと一つ失望のため息をつき、何気なくジェイドが空を見上げた。ビルの屋上は殺風景なほど何も無く、 ジェイドが階段を上って出てきたドアと小さな踊り場が、外から見るとぽつんと置いてある箱のようだった。 ジェイドの目が見開かれた。 「スカー!」 ちょこんと置いてある箱のようなコンクリートの出っ張りの上に、探し人はいた。暗くてよく見えないが、寝転がって足を組んでいるらしい。 ジェイドから見えたのは、その特徴の有りすぎる足だけだ。だが、それだけで十分だった。ジェイドが相手を確信してそう声をかける。 期待に声が弾むのを必死で押さえた。 ジェイドの声にぴくりと大きな体が反応し、影がむくりと起き上がった。 「よく俺がここにいると判ったな」 スカーが建物の上から下にいるジェイドを見下ろし、意地の悪い愉快そうな笑みを顔に浮かべた。 「何となくだよ」 探しているものを見つけたという内心の喜びを押し隠し、スカーのその笑みに、ジェイドが少し照れたようにふてくされた顔をした。 「俺を探しに来たのか? 嬉しいねぇ」 「降りて来いよ、スカー」 ゆっくりとからかうように言ったスカーの言葉を無視して、ジェイドがそう言った。 スカーのいる位置は、ジェイドのいる所よりもっと高い。見下ろされているのはなんだか面白くなかった。 「……嫌だね」 だが、スカーはジェイドの声にあっさりとそう返した。 「なぜ?」 不満そうにジェイドが言うと、また上からちらとジェイドを見下ろす。 「焦らした方が燃えるだろ」 「……馬鹿言うな。俺はお前にそうやって見下ろされるのが嫌なんだ」 「チビなお前はいつもだろう」 そう言って、からからとスカーが笑った。身長差の事でからかわれ、超人としては華奢な部類に入るジェイドは、言い返せずに憮然とした。 ふざけた事を言うスカーに何か言い返してやりたかったが、口でスカーに敵うわけが無い。 スカーにくるりと背を向け、腕を組み、今度こそ何か言い返してやろうと考えを巡らせる。あの倣岸不遜な男に何とかぎゃふんと言わせてやりたい。 ただでさえ、こっちがスカーを探していたという不利な状況の中での逆転は困難なものだったが、負けず嫌いの性格から、 やられっぱなしなのは嫌だとなんとか考えをめぐらせる。いかにスカーをへこませるかについて熱心に考え込んでいるジェイドの肩が不意にとんとんと叩かれた。 「う……わっ!」 スカーの事で頭がいっぱいで、さしたる疑問も抱かず何気なく振り返り、腰を抜かすほど驚いた。 そこにあったのは、逆さになったスカーの顔のアップだったのだ。 端正な顔が、不敵な笑みを浮かべてジェイドを見ている。金色の瞳が薄闇の中で光ったような錯覚を覚えた。 まるで、闇の中の黒豹の瞳のように。 その瞳の美しさに射竦められ、動けない。 スカーの両手が、驚いた顔のままのジェイドの頬を包んだ。強引に引き寄せられて、噛み付くようなキスをされる。 さんざん翻弄され、気が付けば、ジェイドが見たのは、得意そうな表情で舌なめずりをしているスカーの顔だった。ジェイドの視線に気が付くと、 満足そうな顔をして、にやりと笑ってみせる。 スカーは、建物の縁に脚を引っ掛けて、上から逆さにぶら下がるというアクロバティックな体勢でジェイドのキスを奪ってきたのだ。 あまりの不意打ちにジェイドが呆然としていると、スカーは、よっ! と声を出し、腹筋の要領で軽く身を起こしてまた上に戻る。 形勢逆転どころか、なす術も無くスカーに良いようにされたジェイドの頬に朱が走る。 「……の野郎!!」 拳を振り上げて悔しがるジェイドに、またコンクリートの上からスカーが見下ろした。ククク……と喉の奥で笑って口を開く。 「ジャガーは獲物を捕まえたら木の上で貪り食うんだ。弱えー奴ってのはそうされるんだよ。そうされなかっただけでも感謝しな」 コンクリートの木の上で、スカーがフンと鼻で笑い、交差した両腕を枕にごろんと仰向けになった。足を組み、目を閉じると、 不意に腹の上にどすんと乗ってくるものがあった。 ぐえっと空気の塊を吐き、慌てて目を開けると、自分の腹の上に、ジェイドが跨っている。 「……っと」 驚きの声を上げると、いつかの試合のように、マウントを取ったジェイドが恐ろしく不機嫌なオーラを漂わせ、スカーの腹を両膝で締め上げた。 「俺は、ただ食われるだけの獲物じゃねえ」 スカーを睨みつけるようにジェイドがそう言い、両膝にぎりぎりと力を入れた。 「へーえ。なら証明してみせろよ」 「してやるよ」 言葉と共に、スカーの唇をジェイドの唇が塞いだ。先ほどスカーが仕掛けたキスより下手だったが、ジェイドらしいまっすぐなキス。 呼吸をするのも忘れたかのように激しく口付け、ジェイドが唇を離した。スカーの目を見て、「どうだ」というようにふふんと笑う。 「……そうみてぇだな」 まさか優等生のジェイドが、自分の挑発に乗ってそんな事をするとは夢にも思ってなかったので、少し毒気を抜かれてスカーがそう呟いた。 「弱い」という単語が気に触ったかな? とジェイドに気が付かれないように考えをめぐらせる。 「で、わざわざ食われに来たのか?」 すぐにスカーはふてぶてしい態度を取り戻し、ジェイドの腰を意味有りげに両手で掴んでそう言った。 「い、いや、そういう訳では……」 スカーの手が腰から上へ、敏感なわき腹へ動き、微妙な刺激をジェイドに与えてくる。先ほどまでの強気な態度から、 とたんに落ちつかなくなってもぞもぞとスカーの上で身を動かした。 「遅ぇよ」 我にかえった途端に逃げ腰になったジェイドを、スカーが強引に体勢を入れ替え、押し倒した。ジェイドの顔の上で、スカーが不敵に笑っている。 「スカー、こんな所でか!?」 「いいじゃねぇか、星空が綺麗だぜ」 「冗談だろう?」 引きつった顔をしてそう言ったジェイドの願いを、スカーはあっさりと打ち砕いた。 「自分から誘っておいて冗談もクソも有るか」 そう言ってジェイドの首筋にキスを落とす。 「やめろ、くすぐってぇ!」 「大人しくしやがれ!」 じたばたと暴れるジェイドをスカーが力任せに押さえつけ、ジェイドがまたスカーの腕から猫のように身をくねらせ逃げ出す。 そんなじゃれあいをしていると、ジェイドがふと暴れるのを止めてスカーの顔をじっと見た。ジェイドの変化にスカーの動きも止まり、ジェイドの顔を見返した。 「なぁ……」 「なんだよ?」 「俺たち、いつまでこんな馬鹿やっていられるのかな?」 ぽつりと呟いたジェイドの言葉に、スカーの表情が変った。 気が変ったのか、ジェイドを組み伏せていたのをやめ、身を起す。ジェイドの側でどっかとあぐらをかき、まいったという風に頭を掻いた。 「あーあ、俺もヘタレになったもんだぜ」 そう言って大げさにため息をつき、きょとんとしているジェイドを横目でじっと見た。 「……お前みたいな甘ちゃんに会っちまって、このスカーフェイスさまも考えるわけだ、少し未来の幸せってやつについてな」 いつまでこうしていられる? 次またいつ会える? 前はそんな事考えもしなかった。今を生きることだけで精一杯だった。そんなぬるい感情は馬鹿にしていたはずなのに。 今は違う。 一匹狼でいる事には変りは無いが、ジェイドといる事を求めている。その感情は、無駄だと切り捨てるにはあまりにもスカーの心に大きく居座っている。 少し未来の、さらにその先はどうなっているだろうか? そうスカーが思った瞬間、隣のジェイドが口を開いた。 「未来、か。どうなってるんだろうな、俺たち」 ちょうどスカーと同じことを考え、一抹の不安がジェイドの心を占めた。固いコンクリートの上に寝転がり、スモッグによどんで星が見えない空を見上げる。 スカーの奴、何が星空が綺麗だ、だ。とジェイドが心の中で毒付いた。強気にそう思っていても、心を覆うかすかな影は消えない。 星と同じようには自分の未来もよく見えない。 今が楽しすぎるから、ふと不安になる時がある。若さゆえに、未来は広すぎて見当もつかない。大きな希望とかすかな恐れは若さの持つ特権。 スカーが、そんなジェイドの顔を上から覗き込む。 「お前が前からぎゃーぎゃー言ってる『立派な正義超人』になってだな、俺は俺の帝国を作る」 「帝国?」 「他人のもの作り直すのは止めた。俺は自分で俺の居場所を作る。そこでD・M・Pにいたみたいなどうしようもねえ奴らを集めて、 死んじまった奴らへの供養とするさ」 そこでスカーは一旦言葉を切り、ジェイドのほうへ向き直った。 「たとえその為にお前と戦わなくちゃならねぇ事になったら、俺はお前を本気で叩き潰すぜ」 「何?」 スカーの言葉を聞きながら、ジェイドが身を起した。 「お前は俺が本気を出す相手だって事だよ」 スカーが言っているのは、悪行超人となって正義超人のジェイドと戦うという意味ではない。 お互いの夢のためなら、今ある関係を壊すのも怖くない。 どんな形になろうとも、絆は固く結ばれているから。 おまえは俺にとって特別な存在だと。そうスカーは言いたいのだ。 思えば、入れ替え戦の最初からいがみ合っていた。ぶつかり合っていたのも、相手が気になっていたからだ。 「未来のことなんてよく判んねぇが、そういう気だけする」 そう言って、スカーは肩を竦めた。そのまま、自分の言葉に照れたようにそっぽを向く。何言ってるんだ俺は。と思うが、それが確かな本心なのだ。 「へぇ」 スカーの言葉に、いつもはきつく結ばれているジェイドの口元がほころんだ。 「なんかいいな、それ」 心底嬉しそうに微笑みながら、ジェイドがスカーの体にもたれて座った。俺もそうだと態度で伝える。 「俺も、お前が悪行超人に逆戻りでもしたら、全力でお前を止めるぜ。腕の一つや二つ、くれてやる」 スカーの大きな体は、ジェイドがもたれてもびくともしない。 ジェイドだって一人でいられる。スカーもそうだ。 だが、スカーにもたれ、その体温を感じるのが好きなんだと、そう思う。 スカーの背中は、とても温かくて心地よいから。 ENDE |