☆Dialogue Act.1 ドアベルの音を聞いて、ケビンマスクはダンベルを上下する腕を止めた。 彼の住まうマンションの一室は、めったにドアベルを鳴らされることがない。群れることを嫌う一匹狼のケビンには、 わざわざ家を訪ねて来るような知人など、一人も居なかった。 再び、ドアベルが鳴らされる。 おそらく何かの訪問販売か宗教の勧誘だろう。出て行ってジロリと剣呑な一瞥をくれてやれば早々に立ち去ってくれると判ってはいたが、 億劫なので無視を決め込む。 数秒後、今度はベルではなく扉そのものがガツンと鳴った。腹立ち紛れに手だか足だか叩きつけたのだろう。 何やらその音が妙に気に障り、ケビンはダンベルを置くと苛立ちを滲ませながら玄関へ向かった。 勢い良くドアを開け放ったところ、 「遅ェんだよ、バカ」 馴染みのある声が足元から飛んできた。ドアベルの真下、蹲ってコンクリートの壁に寄りかかり、皮肉な笑みを浮かべて 自分を見上げる男は… 「…マルス!」 先だって行なわれたヘラクレス・ファクトリー一期生vs二期生の入れ替え戦において、その圧倒的な戦闘能力の程を全世界に 奈何なく見せつけた、スカーフェイスことマルスだった。 「お前、一体…」 「ぼけっとしてねえで手を貸せよ。オレは半病人なんだぜ」 慌ててケビンはマルスに肩を貸して立たせると、部屋の中に運び込んだ。ギプスと包帯で固定された身体は思うように動かないらしい。 ソファーに身を預けるように沈み、マルスはほっと息を吐いた。 そして物珍しそうにきょろきょろと部屋の中を見回す。 「ふうん、ここがお前のヤサか。結構広いじゃねえか。これならオレの寝場所もあるよな」 「“寝場所”ってお前、病院は…」 ケビンの言葉にマルスは鼻を鳴らした。 「あんな辛気臭ェとこ、居られるかよ」 「しかし、まだ治療途中じゃないのか?」 「まぁな。でも粗方は治ってる。こうして意識もはっきりしてるしな。…おかげでいろいろウルセエんだよ、委員会の奴らが」 確かにそうだろう。委員会としても、このままマルスを放っておくわけにはゆかない。早々に処分を決めたいところだが、 悪行超人のマルスであると同時にヘラクレス・ファクトリー二期生のスカーフェイスでもある男をどう扱ってよいやら決めかねて いるのだろう。まずは事情聴取という名の尋問でその思想と適正を判断し、更正可能かどうかを見極めるところから始めたらしい。 「鬱陶しいんで、おん出て来た。しばらくここで厄介になるからな」 さも当然のように言ったマルスに、ケビンは唖然とする。 「一体何だって、オレのところに?」 「お前のことだから、二度もオレを売る、なんてことはねえだろうと思ってよ」 瞬間、ケビンの面が凍りついたことに気付き、即座にマルスは言葉を付け加える。 「おい冗談だ。本気にすんな」 そして、まだ固い表情のケビンの首に太い腕をひっかけてぐいと抱え込むと、側に座らせた。 「さしあたって転がり込むとこが、お前の家しか思いつかなかっただけだ」 「…どうしてここが判った?」 「幕張のホテルでお前に会ったその晩に、ねぐらを調べておいたのさ。決勝戦で勝った後、顔でも見せてやろうと思ってよ」 にいっと笑ってマルスが答える。ケビンは溜息をついた。 「わかった。いつまででも好きなだけ居ろ。…しかし、治療はいいのか?完全に回復するまで、どうして病院に居なかったんだ」 「面倒臭ェからだって言ったろ。それにオレの身体のことはオレ自身が一番良く判ってる。テメエにどうこう言われるまでもねえ」 そう言ってマルスは急に身体を起こした。痛みのためか一瞬眉をひそめたものの、すぐにいつもの不敵な表情を浮かべて言った。 「…ちょっと寝るわ。どこを使えばいい?」 ケビンはマルスを寝室に連れて行った。マルスは戸口で立ち止まると、 「気配が気に障ると眠れねえんだ。悪いがケビン、お前、他で寝てくれねえか」 と言う。怪我のせいで神経質になっているのかと思い、ケビンは頷いた。 「ああ。ゆっくり休め、マルス」 居間のソファーに戻ったケビンは、そのままごろりと横になった。 頭の中は、不意に訪ねて来たマルスの真意がわからず混乱していた。 思い出されるのは入れ替え戦・決勝戦で自分が行なったこと。 告発したことに悔いはない。――だが、そのことで自分がマルスを傷付けてしまったという自覚が、今も心を離れない。 万太郎との一戦でマルスが敗れるきっかけとなったものは、d.M.pでの古傷だった。あれは自分の命を救うため負った傷だと思うと ケビンはいたたまれなくなる。マルスは後で恩を売るために命を助けたのだと言ったが、嘘であることは明白だった。 あれは正体を暴露してマルスを裏切ったケビンへの報復。お前の命など自分にとって重要でも何でもなかったのだという、 故意にケビンを傷付けるための言葉だ。 だから余計、苦しい。あのマルスにそんなことを言わせてしまったのは、それだけ彼を傷付けたという証拠だから。 それなのに、あいつはここへ来た。平気な顔をして。それまでと同じ態度で話しかけてきた。 それがケビンを戸惑わせた。 つらつらと考えているうちに、ケビンはそのまま眠ってしまったらしい。 目を覚ますと、マルスはすでに起き出していて冷蔵庫の中を漁っていた。 「…マルス」 声をかけると、振り向いてにいっと笑った。 「よう、やっと起きたか」 牛乳パックを手に側にやって来る。 その身体からギプスも包帯も外されているのに気付いて、ケビンはぎょっとした。 動きにも昨日のようなぎこちなさは全くない。 「お前、大丈夫なのか?」 「ああ」 一体どういうことなんだ?いくらコイツがタフだからといって、一晩でここまで回復するものなのか?困惑しながらマルスを見ていた ケビンは、ふと違和感を覚えた。 僅かながらマルスの身体が大きくなっているような…。 「やっぱ、判るか?」 くすくす笑いながら、マルスは牛乳を喉に流し込む。 「…オーバーボディ、なのか?」 マルスは頷いた。 「こいつは元々身体の保護目的で使う物で、偽装はオマケみたいなものなんだ。これなら患部がきっちり固定出来るし、 それでいて動きは自由だからな。医者の治療よりこいつで治す方が早いし、オレに合ってる」 何てったって自前だからなあ、とマルスは笑ってみせる。 そういえば…とケビンは、d.M.pに入った頃に聞いた“不死身のマルス”の噂を思い出した。 “アイツはどんな酷い傷を受けても、どういうわけか次の日には治っちまう。傷跡一つない身体でケロッとした顔で歩いていやがるんだぜ。 化け物揃いのd.M.pの中でも、アイツが一番の化け物だ…” 回復力の早さを大袈裟に言い立てているだけと思っていたが、このオーバーボディを使っていたならあり得ることだ。 そう気がついてケビンはハッとした。 「お前、そんな治癒方法があるなら、どうして3年前のあの傷には使わなかった?!」 ああ、あれね…とマルスは事も無げに言った。 「あん時はホラ、責任感じたお前が四六時中側に付いてただろ。オーバーボディのことはオレにとっちゃトップシークレットだし、 造る為にはかなりの時間と集中力が必要なんでな。面倒になっちまってよ」 「それじゃ、あの傷が残ったのはオレのせい…」 「バカ、そうじゃねえ」 苛立ったようにスカーはケビンの頭を小突いた。 「お前、自意識過剰なヤローだな。つまんねえことをいちいち気に病むな。そういうのを被害…いや、加害妄想って言うんだよ。 オレがあの時オーバーボディを使わなかったのはオレ自身が決めたことだ。勝手にテメエのせいにするな」 「し、しかしどうして使わなかった?オレが邪魔だったのなら、追い払えば済むことだろう」 するとマルスは顔をしかめて横を向き、ぼそぼそと言った。 「…一生懸命オレの世話を焼いてくれるお前を見てたらな、こういう状態も悪くねえなって思っちまったんだよ…」 そして照れを誤魔化すように、がしがしと頭を掻いた。 「…ったく、今思えば、無理矢理お前を追い払ってきっちり治しときゃ良かったよな。 そしたら万太郎なんぞに負けやしなかったかもしれねえのによー」 どうしてこの男は、こんなにもあっさりと何でも言えてしまうのだろう。 だが、マルスらしいと思えた。 だから思い切って切り出してみる。 「マルス、どうしてオレのところに来た?オレはお前を…裏切ったのに」 「言われなくても、そいつはこのオレが一番良く知ってる」 やれやれ、と肩をすくめてマルスはソファーに座り直した。 「ケビン、お前、やたらそのことにこだわってるみてえだけどよ、悪行超人にとっちゃ、裏切りなんざ日常茶飯事だろうが。 済んだことをいつまでも気にすんな」 ホントにテメエは加害妄想なヤローだぜ、とマルスは笑い飛ばしてしまう。 「マルス…」 「あん時、結構ショックだったのは確かだけどなあ。でもまあ、あそこでバレちまったのは悪くねえタイミングだった。 そろそろ正義超人づらするのが辛くなってたとこだったんだ。 それに…裏切りといえば、先に裏切ったのはオレの方だしよ」 「え?」 「幕張のホテルでお前に責められた時、オレは自分が悪行超人のマルスであることを否定しただろ。お前とd.M.pに居たことを認めなかった。 正義超人のスカーフェイスとして入れ替え戦を闘ってる以上、オレはお前との縁を認めるわけにはいかなかった。 悪行超人のオレが新世代超人二期生をやってたんだ。お前にしてみりゃ、ひでえ裏切りに見えたはずだ。違うか?」 確かに…確かにあのオーバーボディの“スカーフェイス”の中から、よく知る本体の形態でマルスが現れた時“何故だ?!”と思った。 そこで真っ先に突き上げた驚きと混乱に先立つ思いは…マルスの言葉通りかもしれない。 あのd.M.pのアジトが崩壊した時死んだものと思っていたマルスが生きていたというのに、再会を喜び合うことも出来ない状況だった。 d.M.pのことも自分のことも素知らぬ顔をして正義超人のふりをしている“スカーフェイス”が許せなかった。その思いが、 あそこまで執拗に彼を追わせたのだ。 「だからな、裏切りはお互い様ってことで、チャラだチャラ」 「チャラってお前…」 そんな軽く言うヤツがあるか、と呆れるケビンに、マルスは笑って言った。 「いいじゃねえか、そういうことでよ。 そんなことより、オレ、腹減ってんだ。お前、何か作れよ」 本当にこいつは…あっさり物を言う。 ふいにケビンは可笑しくなって、笑い出した。 やっとこだわりなく笑うことが出来た。そのことに気付いて嬉しくなった。 二週間後――。 食料を買いに出かけていたケビンの留守中に、マルスは姿を消していた。 身体が治ったので出て行ったのだろう。崩れたオーバーボディの破片が部屋の中に散らばっていた。 黙って出て行かれるのは覚悟していた。ふいにやって来たり居なくなったりするのは、昔からのことだ。 ケビンはオーバーボディの欠片を手に取って苦笑した。 「少しは片付けてから出て行けってんだ…」 全く、最後まで気を遣わないヤツだ。そう呟いてケビンは欠片を潰さないようにそっと握りしめた。 (END) ☆Dialogue Act.2 久しく鳴ることのなかったドアベルの音を聞いて、ケビンマスクは横になっていたソファから身を起こすと急いで玄関口へ走って行く。 「マルス?」 声をかけて開いたドアの向こうに期待した相手の姿はなく、代わりに立っていたのは全く予想外の人物。 「お前…ジェイド?」 「やっぱり…」 面食らうケビンを正面から見据えてジェイドは言った。 「やっぱりあいつは…、スカーは、ここに居るんだな」 名前と同じ色の瞳は緊張と安堵と恐れと困惑と…様々な想いで揺れている。 「一体何の用だ?」 「会わせてほしいんだ、スカーフェイスに」 何だってコイツがマルスに?戸惑いながらもケビンはそっけなく返す。 「無理だな。奴は居ない」 途端に猜疑の視線を寄越され、肩を竦めた。 「嘘じゃない。10日前だったか、身体が治ったので出て行っちまった。それっきり音沙汰なしだ。疑うなら家捜ししたっていいぜ」 大きくドアを開けてやったその時、ふいに、ゆらりとジェイドの身体が傾いた。よく見ると顔色も悪い。まだ本調子ではないのだろう。 ケビンはジェイドの左腕を引っ張り上げると、肩を貸して家の中へ入れた。 玄関からすぐのリビングでソファに座らせ、ミネラルウォーターをコップに注いで渡してやる。水を飲んでひとごこちついたのか、 ジェイドはきちんと座り直して礼を言った。師匠の躾が行き届いているらしい。 「マルスを捜したけりゃ、部屋中どこでも勝手に見ていけ」 向かいのソファーにどかりと座ってケビンは顎をしゃくった。ジェイドは視線をあちこちに走らせたが、ふと、 極めて物の少ない殺風景な部屋の一隅で不自然に盛られた赤い破片の山に留めた。 「…あれは、スカーの?」 目の早い奴だと心中で思う。 「ああ。マルスのオーバーボディだ」 「どうしてあんなものが、ここに?」 「うちに居た時、ギプス代わりに使ってたのさ。要らなくなったから置いてったんだろ」 「10日前に出て行った、って言わなかったか?捨てもせずにずっとあのままなのか?」 ケビンは肩をそびやかした。 「奴が出したゴミだ。オレが片付けるいわれはない」 下手な言い訳だと自分でも思う。本当は捨てられないだけだ。あの欠片はマルスが確かにここに居たという証なのだから。 「判ったろ。奴はもう居ない。病院を抜け出した後、身体を治すためにオレの家を使ってただけだ。 …それにしても、どうして奴がオレのところに居ると思ったんだ?ジェイド」 「あいつの…d.M.pの仲間は、あんただけだ」 「オレは裏切ったんだぜ、あいつを」 「でも実際、スカーはあんたを頼って来たわけだろ」 ジェイドの言葉に頷くことなく、ケビンは尋ねた。 「…一体何の用があって奴に会いに来た?もがれた腕の意趣返しか?」 途端にジェイドが気色ばむ。 「そんなんじゃない。…ただ話がしたかった」 「話?」 「スカーが入院してる時から、意識が戻ったら聞きたいことがいくつもあった。どうしてわざわざファクトリーに入学したのか、 同じ二期生のオレたちのことをどう思ってたのか。本当のところを知りたいと思った」 ケビンはやや呆れながらジェイドの顔を見つめた。 「アイツは悪行超人だぞ。そんなことは聞くだけ無駄だ」 「オレはそうは思わない。たとえ本音を語ってくれなくても、アイツがどんな男か知ることは出来るはずだ」 即座に否定され、ケビンは苦笑を漏らした。 「いやにマルスにこだわるものだな、ジェイド。奴との闘いで重傷を負ったってのに…」 スカーフェイスvsジェイドの試合は、あの入れ替え戦において一番残虐で苛酷な闘いだった。 スカーフェイスの獣性は決勝戦よりもはるかに勝っていた。もっとも万太郎との試合の時は明らかにマルスには余裕がなかったのだが。 スカーフェイスが一番“楽しんだ”のは、おそらく準決勝戦のジェイドとの一戦だったろうと思う。 初戦のテリー・ザ・キッドとの闘いでは、あっという間に相手を戦意喪失に追い込んでしまったが、 ジェイドの場合はそう簡単にはいかなかった為あのような惨い展開を招いたと言えよう。 そこまで過酷な闘いを強いられたジェイドが、その当事者たるスカーフェイスにリベンジとは全く別の意味でこだわる理由――。 それは一つしかない。ケビンも同じだったから本当はよく解っていた。 灼熱の如き闘いで魅入られたのだ。あの圧倒的パワーと自信を持つ不動の男に――。 今まで自分が理解していたものとは真逆の力を持つ男。 それは単に邪悪と言い切るにはあまりに眩しく、かといって正義の輝きとは全く趣を異にする。 ぎらぎらと熱い灼熱のパワー。氷のような冷静さで緻密な計算を働かせ相手を追い込むやり口。 一体あの男は何者なのか――。 あの男の本質は何なのか。その力、その思考、その感情――。 それに触れたいと思う焦がれるような気持ち。…ケビンにも覚えがある。 「オレにもよくわからない。どうしてこんな気持ちになるのか」 ジェイドは困惑の表情を浮かべながら言う。 「多分、スカーのことを自分の中でどう位置付ければいいのか判らないからだと思う。 あいつの正体は悪行超人だったけれどファクトリーの二期生でもあった。…オレが知っているのは同期の仲間としてのスカーフェイスで、 他のことは伝聞で知っただけのことだ。自分ではまだ何も判断出来ていない。 だから直接会いたい。会って確かめたいんだ。 彼が何者なのかを、自分の目で、耳で――」 そして心で――。 そう続くであろうジェイドの言葉を読みとって、ケビンは静かに言った。 「アイツは何者でもない」 ジェイドがはっと息を呑む。 「マルスはマルスだ。あんな男はどこにも居ない。特別な男だ」 それはケビンの本音だった。 「…それは、何となく解る気がする」 ふとジェイドは微笑んだ。 「だからこそ知りたいのかもな」 そう言って急に立ち上がり、ここで問答していてもスカー本人が居ないんじゃ仕方ないので帰る、と言った。そして、 「スカーに会ったらオレのことを伝えておいてくれないか。どうしても直接会いたいってこと」 ケビンの返事を待たずにジェイドは部屋を出て行った。 「勝手な奴だ…」 ケビンはごろりと横になった。 スカーフェイスのことを知りたい、そう望むジェイドのまっすぐで強い眼差しを思い出しながらケビンは考える。 “オレはアイツほど素直にはなれない…” おそらくジェイドなら何のためらいもなくマルスに気持ちをぶつけるだろう。裏のないストレートな言葉で。 その時マルスはどうするだろう?あれほど手玉に取りやすい相手はない。さんざん嬲って一蹴するのか、それとも――。 ケビンは首を振って起き上がった。 伝言を伝えたところでマルスがジェイドに会いに行くとは限らない。いや、そもそもマルスがまたここに来るかどうかも定かではないのだ。 だが一度心に生じたざわめきは、なかなか消えてはくれなかった。 (END) |