耳に届くのは、蔑みと嘲りと……止め処ない憎しみに、充ち満ちた囁き。 投げられるのは、激しい拒絶と憤怒に満ちた拳。 隙を見せれば、最期。 何度も言い聞かせ、人から…… そして、街からも“隠れる”様にして生きる日々。 死を恐れ……それ以上に、生きる事へも恐れを抱いた毎日。 幸いだったのは、「超人」としての強靱な肉体。 自身をも忌み嫌って止まない「其れ」が、悪戯にも……生を長らえさせている。 生きろと命じ続ける。 思うたび、 感じるたび…… 何度、己の首を掻っ斬ってやろうと思った事か…… 何処より見付けた、小さな硝子の破片。 手首に押し付けては、何度も何度もきつく押し当て…… 幾筋もの筋を書き加えた。 求めたのは、全ての終焉。 でもそれは、どうしても出来なくて…… 両極の思いが、 硝子を握る手の力を弱め……また、強めさせた。 ------オレは、生きてちゃいけないの……?----- 疑問に対する答えも、 また……両極に別れた。 どちらが “ 正しく ” 、また…… “ 誤り ” だと明言するのか。 降りしきる雨も、 降り注ぐ陽光も、 吹き荒ぶ寒風も、 酒を呑み、口々に杯を掲げる男達も、 子を呼び、手中へと抱きかかえる女達も、 誰も、それを答えてはくれない。 いや…… “ 答え ” だとは思えない。 思いたくもない。 願う事はただひとつ。 ・ ・ ・ ・ “ 生きたい ” それすら口には出せず…… ただ、きつく噛み締めては飲み込むだけの日々。 そんな時だった。 「 彼 」 の事を知ったのは…… 今となっては、遠い……「 おとぎばなし 」 の様な過去。 そう思っていた主人公の1人が、此処……ドイツの何処かに居るというのだ!! 感じたのは…… 浮かんだのは…… 淡い、ひとすじの “ 希望 ” たった、それだけ。 でもそれは…… 何事にも代え難い、大きな 「 希望 」 であり 「 支え 」 になった。 「 彼 」 ならば、求めた問の “ 答え ” を持っている気がして…… 知らず、高鳴りを見せる胸が、嬉しさと苦しさで微かな痛みを訴え……涙が自然と頬を濡らした。 「おじさん、 “ 超人 ” なんだろ……」 外観とは裏腹に。 誰の手によるものか、見事なまでに荒らされた室内。 生活の後など微塵もなく…… ただ、すさみきった日々の跡だけが残る。 忍び込むにも。 余りに簡単すぎて……正直、拍子抜けした。 …………でも。 問い掛けた声へと返された視線で、そんな事は全て吹き飛んでしまった。 濃紺の瞳に灯る光は、溢れる酒気を帯びて、少し濁って見えたものの…… そこから伝わる “ 何か ” が、瞬間にしてオレを捕らえた。 俗的に言うなら。 “運命”とでも、称するべきなんだろう。 そんな無音の引力と衝撃が、脳裏を忙しく駆け回り……オレは、独り確信した。 -------オレは、この人と出逢う為生まれたのだ……と------- 「オレを、弟子にしてよ」 気付けば、吐き出していた言葉。 庇護してくれる相手を求めるだけだった自分は、何時しか……きれいに消え失せていた。 「帰れ」 掛けられたのは。 取り付く島もない、冷たい一言。 ……だが。 そんな言葉程度にくじける時間すら、惜しいと感じる自分が居た。 決して離れては行けないと。 理性や思考よりも先に、自らを奮い立たせる何かが、ひたすらに身体を突き動かしていた。 見せたのは、軽いパフォーマンス。 雑踏の中でひた隠し。 人気のない路地裏ですら、使うのを自ら禁じた超常の “ 力 ” を、ためらいすら浮かばないまま…… ただ、見せる為だけにふるった。 …………と。 そんなオレを、男は何も言わないまま……抱き上げた。 ずっと昔。 そう感じるまでに、遠く霞んですら見える頃。 オレを育ててくれた養父が、笑みを持ってしてくれたのと、寸分違わぬ仕草で。 懐かしさに、ともすれば零れそうになる涙を堪え。 突然の行動に付いていけず、ひたすらにまばたきを繰り返して居たオレへ、男は誇らしげに言い放った。 さっきまで、薄く……濁りを漂わせていた瞳へ。 天上の月を思わせる、静謐で居ながらも、暖かな光を宿して。 「お前は、今日からオレの弟子 ( シューラァ ) だっ!!」 部屋中に木霊したのは、高らかな宣言。 この瞬間。 オレは………… “ 生きる事 ” を、許された。 □■□■□■□■□■□■□■□■ 日課でもあるトレーニングの後。 反省会も兼ねた、ささやかな午後のひととき。 薫り高いアールグレイに、嬉しそうに目を細めていたJrの耳へ、小さく笑う声が聞こえた。 「何を笑っている、ジェイド」 ロッキングチェアに身を委ねる横。 暖炉前に敷かれたカーペットの上へ、たくましく成長した体躯を横たえているジェイドへ、叱るではなく視線を向ける。 「いえ……何でもありません」 少し儚げな微笑を浮かべ、短い謝意すら言葉に乗せるジェイドへ、Jrは訝しげに眉をしかめた。 気付けば。 随分と同じ時を共有しているにも関わらず、時折。 この幼い少年が見せる行動に、首を傾げる事も少なくない。 視線だけで説明を促してみれば…… 何故か、すこし照れくさそうな笑みを返してきた。 「………ちょっと、昔の事を思い出しただけです……」 レーラァに、初めてお逢いした頃の事を…… そう付け足し。 はにかんだ貌を見せるジェイドに、Jrは何とも複雑な笑みを浮かべるしか出来なかった。 戦いの無い、平穏で安穏とした日々。 その中。 己の存在理由を見いだせず…… ひたすら、酒に溺れる毎日を送っていた。 今となっては、 「 羞恥 」 としか認識出来ない 「 過去 」 ではあるものの…… その代償として、掛け替えのない者を得る事が出来た。 「 生き甲斐 」 とも言い切れる、自分の新たな 「 可能性 」 を見いだす事も。 「…………そうか」 短く、それだけ返し…… ジェイドにつられる様にしてJrも、過去へと思いを馳せる。 「Ja、レーラァ」 ……と。 心地よく、聞き慣れた響きを持って返される声に、うっすらと微笑すら浮かべて。 過去を懐かしむ……という。 弟子を得てから、初めて知った思考のひとつを、のんびりと楽しみながら。 一方。 ジェイドも、微かな笑みを湛えた瞳を細めていた。 発した言葉に返される、何気なく……それでいて、優しさと暖かさに満ちた言葉。 寒さや餓えに震えた夜は無く。 暖炉の中ではぜる火は、懐かしさすら伴って……ひたすらに、暖かい。 かつて。 自分の中で、幾度も繰り返された疑問と、数多の問い掛け。 死ぬ事も出来ず。 ただ。 “ 生かされていた ” 過去の自分へと、今なら告げられる。 こんな自分を愛し、育ててくれた養父母をはじめ。 かけがえのない、大切な人達が教えてくれたと……心から思える今なら。 -------オレは、生きてて……良いんだよ------- 遠く。 はるか……遠く。 薄汚れた服をまとい、痩せ細っていた幼いオレが。 冷たく、暗い闇の中で……泣いていた。 何度も、 安堵の息を吐くのと同時に。 そして…… 夜明けを告げる、陽光の眩しさと明るさに満ちた表情 ( かお ) で…… しあわせそうに…… うれしそうに…… ………………笑った。 〜Fin〜 |