今は伝説超人と呼ばれるようになったブロッケンJr. は、昔から日本を訪れることが多かった。 そのため、彼は本国ドイツだけでなく、日本にもささやかながら、定まった住処を用意していた。 その、小さな土地付きの家の、一室にて。 ケビンとジェイド。 新世代超人の二人が、真剣な顔で向かい合っていた。 ――ベッドの上で。おまけに、二人共素裸で。 何故か正座している彼らの傍には、白いビニール袋が一つ置いてある。その中にはたった今、買ってきたばかりのローションや… ゴム製品が、入っている。 しばしの、沈黙。 二人は、声を揃えた。 「「さあ、浮気をしよう!」」 …………事の起こりは、これから一時間程遡る。 ************************************************* ケビンとジェイドの二人が、時々揃って使うセルフサービスの喫茶店。 そこで、コーヒーカップを前に、ジェイドが落ち込んでいた。 彼、ジェイドの大好きな師匠ブロッケン。 師匠としてだけでなく、一人の人として、愛してしまった人。 それに応えて、ジェイドを愛してくれている筈の人。 その人が、実はジェイド自身ではなく、ジェイドの中にある、大切な人の面影を愛しているのだという。 黙って話を聞いていたケビンが、首を傾げる。 「レジェンド・ブロッケンは、とても誠実な方だと思う。あの方が……そんな代償行為をなさるものだろうか?」 「でも、でも、そうだったんだ……!!」 翡翠の色の瞳から、大粒の涙がぽろっと零れ落ちた。 「一週間前、師匠が、とっても大切なお客さんが見えるっておっしゃって……凄く素晴らしい、凄く素敵な方だから、 お前も是非会っておきなさいって……凄く…遠い、夢見ているような、目をして………」 一週間前。 ブロッケンが、客が来ると言ってしばらく。 玄関の扉が開いた。 入ってきたのは、HFでジェイドも見慣れたレジェンドのバッファローマンと、もう一人。 「ソルジャーキャプテン!!」 ブロッケンが叫んで、若者がするように、その男に飛びついた。 それを抱きとめて、男が笑う。 「おいおい…変らんな、ブロッケン」 「あ、悪りぃ。ソルジャーじゃなかったっけ」 「いや、それは良いんだがな。そう呼んでもらえるのはむしろ嬉しいくらいだが……」 抱きつかれたまま、男の笑いが苦笑に変わる。 傍で見ていたバッファローも、面白そうに、冷やかすように笑う。 「その犬コロみたいな懐きっぷり、変わってねぇな! ま、やるとは思ってたけどよ。ソルジャーが困ってるじゃねぇか」 「ぬかせ、この牛! 誰が犬だってんだ!」 まさに犬のように、ブロッケンが若者口調でキャンキャン吼える。 「ははは。まあ、そのくらいにしておけ。呆れられてるぞ?」 声を立てて笑った男の目が、普段と異なる師匠の様子に、唖然としていたジェイドに向けられる。 「初めまして」 「あ…は、初めまして!」 急に声を掛けられて、ジェイドは頬を赤くした。 「俺は、キン肉アタルという。人によっては、ソルジャーとも呼ぶがね」 「俺―いえ、僕は、ジェイドといいます!」 「聞いているよ」 男が、穏やかに微笑む。 息子を見つめる父親のような、慈しむ眼差しだった。 「ブロケッンJr.には、新世代超人の中でも、特に前途有望な弟子がいる、とね」 「そ、そんな……」 「正義超人として、これから色々と大変なことも多いと思う。しかし、どうか頑張って、この平和を守っていってほしい」 「はい……!」 その後、三人は思い出話を交えながらの夕食を取り、ジェイドも同席した。 その男、ソルジャーとは、直接的にはそれ程話せなかった。 しかし、それでも彼が、ブロッケンの言った通り、とても魅力のある素晴らしい人物であることは、良く分かった。素直に尊敬出来た。 まるで若者帰りしたかのような、威勢のいいブロッケンの様子も微笑ましかった。 ただ、この時、ジェイドはソルジャーの瞳を見て、何か引っかかるものを感じていた。 奇妙に、懐かしいような。どこかで、見たことがあるような。 老成した優しい眼差しが、ジェイドを見るいつものブロッケンに似ているのかとも思っていたのだが……。 卓上に酒が並び始めた所で、ジェイドは自室に下がった。ブロッケンは、未だ肉体的に成長過程にある弟子の飲酒を、あまり好んでいない。 しかしその後一度、ジェイドはこっそりと戻って、部屋の外で三人の様子を伺った。 妙にはしゃいでしまっているブロッケンの、酒量が心配だったのだ。 そこで、彼は聞いた。 「いーや、良く似てるぜ。そっくりじゃねえか、ジェイドのやつぁ!」 (え? 俺?) 豪快な笑いに混じったバッファローの言葉に、廊下のジェイドは首を傾げた。 そんな彼の耳に、続いて焦ったようなブロッケンの声が飛び込んでくる。 「だからって、関係ねえよ!! そりゃ……ちょっとは似てるかもしれんけどさ」 「おお! 認めたな? やっぱり、だから惚れたな?」 「なっっ!? 何言ってやがる! この馬鹿牛!!」 「んだとぉ!? ばかうしぃー!?」 「おお! そうだ!!」 「おいおい…落ち着け」 辟易したような、ソルジャーの声。 「お前も、言葉が過ぎる。弟子と師匠に対して、惚れたの何のと……」 (これって…俺と、レーラァのことだよな。ば、ばれてるの? つきあってること…) 別に隠すつもりもないのだが。あからさまに言われると、冷汗が出た。 ジェイドは、更に聞き耳を立てる。 「あっはっは!」 バッファローが、また笑った。 「けどよ、ソルジャーも似てると思うだろ? ブロッケン、図星指されたんで、怒ってんじゃねえのか?」 「ちがーう!!」 「いやいや、無理すんな。ジェイドのあの瞳、そっくりそのままだもんな!!」 (え……) そこまで聞いて、ジェイドは急に蒼褪めた。 いまいち分かりにくかった話の内容が、呑み込めたように思えたのだ。 その内容は、あまり心楽しいものではない。 ――というより、むしろ。 彼は、物音を立てないようにそっと足を引いた。 そして、自分の部屋に入って…飛びつくように、鏡を見る。 そこに映る、翠の瞳。 それは……今日会った、あのソルジャーの瞳と、そっくり同じ色をしていた……。 そこまで話して、ジェイドは俯いてしまった。 「だから…だから、きっとレーラァは……」 「そうか……」 頷きながら、ケビンは間を取るように、コーヒーを一口含む。 それから、正論を吐いた。 「だけど、ジェイド。だからって、あの方がお前にそのソルジャーさんの面影を見て、だから愛したってことには、ならないんじゃないか?」 「でも、あの時のレーラァ、焦ってた」 冷静に事実を指摘する言葉に、答える声は泣いている。 「絶対レーラァも、似てるって思ってる口調だった。それで…レーラァ、そのソルジャーさんのこと、すっごく、好き、みたいで…だから……」 「仮に、本当にそうだとしても、別にいいじゃないか。それが、ソルジャーさんの面影という形でも、 お前はお前の好きなあの方を喜ばせるものを、持っているってことだろ?」 「そんなのヤダ!!」 宥めるように、ケビンは言うが。 ジェイドはかえって、より大量の涙を落とす。 「レーラァが喜んでくださるのは嬉しいけど……でも、俺自身のことを好きになってもらわなきゃ、何の意味をないよ!!」 困ってしまったケビンを前に。 ジェイドはしばらく。ヤダヤダ!! と泣きながらだだを捏ねていたが。 不意に。 「……だから、俺も浮気するんだ………」 「ええっ?」 「俺、浮気する!!」 断固として、宣言した。 「俺のこと見てくれないレーラァなんて、嫌いだ!! 俺以外の人を見てるなんて、ずるい!! だから、俺だって、 俺だってレーラァ以外の相手、好きになってやる〜〜〜!!」 「そ、そんな、短絡的にならなくても……!」 「違うよ! この一週間、ずっと考えてたんだ。今日レーラァが出掛けて、二、三日帰って来ないから――いい機会だと思って、 わざわざ出てきたんだから!!」 ジェイドは、涙を拭った。少し、笑う。 「うん、ケビンにすっかり話して、すっきりした。これで、心置きなく浮気しに行けるよ。ありがとう」 凄いことを言って、そのまま出て行こうとするジェイドに。 「ちょ、ちょっと待て」 ケビンが、手を伸ばした。 「何? 止めたって――」 「いや……その、な」 ちょっと言い辛そうに、唇を噛んで。 「ジェイド。お前、どうしても浮気したいのか?」 「うん。したい。しようと思ってる」 真剣な彼の表情に、ケビンはもっともらしく頷く。 「確かに…ちょっと遊んで気が済むなら、それもいいのかもしれん」 そして、言い訳するように呟いて。 直後、殊更さらりと言ってのけた。 「その……浮気の相手な。俺じゃダメか?」 「ええ!?」 今度はジェイドが驚いた。 まじまじと、ケビンの顔を見つめる。 「だ、だって、ケビンにはスカーがいるじゃない!!」 HF二期生スカーフェイスこと、元d・M・p のマルス。 ジェイドの言うところの“あの馬鹿燕”は、この“難攻不落の鉄騎兵”の恋人で。 しかも、燕の方が一方的にケビンに惚れているのなら、ジェイドにもまだ理解出来るのだが。 ケビンの方もまた、何故か燕に惚れ抜いている事実を、彼は知っている。 それが……何故浮気など? 「俺…クリオネとか、チームAHOの先輩たちとか、恋人のいなさそうな人に、相手してくれないか、頼んでみようと思ってたんだけど……」 「なら、俺でもいいだろ? 俺も、誰かと浮気しようと思って……今日は出てきたんだ」 「ど、どうして……?」 「うん………」 当然といえば当然の、ジェイドの問いかけに。 ケビンは少し赤くなって、俯いた。 「あの、マルス、な……その、巧いん、だ」 真剣に語り始めたケビンに、咄嗟にジェイドは、その意味が理解出来ない。 「巧いって…何が?」 「…………………ベッドで、凄く」 「あ、ああ。そう…」 ジェイドも赤くなり、ケビンは更に、耳まで染める。 「うん。あいつ、d・M・p の頃から、遊び人だったから。でも、俺……下手で、さ………」 ベッドの上で、スカーフェイスは完全にケビンをリードしている。手馴れた仕草でケビンの身体を昂ぶらせ、 うろたえるしかないケビンに、一つ一つどうすればいいか、手取り足取り教えていく。 ケビンは、圧倒されるばかりだ。 「特に、前は…SEX自体が怖くて……」 挿入の寸前になって、嫌だ怖いと、泣いて逃げたことさえある。寸止め状態のスカーフェイスは、結局それでも、 それ以上ケビンに無理強いはせず、一人、トイレで処理してくれた。 さすがに、今はそんなことはなくなっていたが……身体を重ねる行為が苦手なのは、相変わらずだった。 そんなケビンは、もともと巧くて遊び慣れている男にとって、飽き足らない存在ではないか。 それが、ケビンの不安だった。 同居しているマンションからしばしば出かけ、そのまま帰って来ないことも多いスカーフェイス。 信じ切れない自分自身をあさましく、情けないとも思うが。 自分にそんな資格はないと、面と向かって確かめてみることすら、出来ないが。 他の、もっと同じレベルで、一緒に楽しめる相手と夜を共にしているのではないかと、時折……… そこまで聞いて、ジェイドはふと、気になって言った。 「あのさ、俺は、違うよ?」 「うん?」 「俺は、スカーと浮気なんて、してないからね!」 ジェイドとスカーフェイスは、HF二期生同士のケンカ仲間なのだが。 よくじゃれあっているので、時に、並々ならぬ仲と他人の眼に映ってしまうこともあった。 本命の恋人のいる本人たちにとっては、不本意な話だ。 「絶対誤解だから!!」 「ああ…分かってる。お前が好きなのは、あの方なんだものな」 懸命に主張する彼に、ケビンはとても淋しそうに微笑んだ。 「いいんだ、別に……。俺が勝手に、あいつを好きなだけだ。俺に、あいつを縛る権利なんてない。だから…お前が気にすることは無い」 一度や二度の遊びなんて、別に構わないからと。 雰囲気で、言外に告げているケビン。 ……思い込みの激しさは、一級品である。 (あぁ、もう違うって……! ケビン、絶対分かってないよ〜〜〜! だいたいあの馬鹿、絶対ケビン一筋だってばぁ〜〜〜!!) ジェイドは頭を抱えたが。 ケビンは構わず、話を続ける。 そう。浮気、遊びなら別にいいのだ。 辛いし淋しいが。 誰と寝ても、結局ケビンの所へ帰ってきてくれるなら…それでいい。 そう思って、仕方が無いと割り切ることも出来る。 しかし……その浮気が、浮気でなくなってしまったら……? 一から十まで教えてやらなければならないケビンに嫌気がさして、スカーフェイスが、他の相手に本気になってしまったら。 相手を満足させてやれないケビンに、止める権利など…………。 だから、そうなる前に、場数を踏んで、少しでも巧くなりたいのだと、ケビンは言う。 「でも、それなら、スカーとすれば?」 「ダメ、だ……。その、あいつ、…、…、…過ぎる、から。頭、真っ白になって………。他の奴とじゃないと……練習できない………」 暗い、泣きそうな顔になって俯いているケビンに。 自分のことは棚に上げ、凄い浮気理由だ、とジェイドは呆れ返る。 彼には、ケビンが完全に余計な心配をしているとしか、思えなかった。 だいたい、女房思う程亭主はモテず、である。 しかし、“巧くなりたい”というのも、一つの浮気理由になりえるとも思った。 それに、何も知らない相手を浮気に誘い込むより、多少の事情も気心も知れているケビンとする方が、気楽で、好都合である。 ケビンも、同じ思いなのだろう。 だから。 「じゃ、俺たち、利害関係一致してるよね」 ジェイドが頷けば。 ケビンも頷く。 「あ、ああ。だから……」 「うん。じゃ、そうしよっか」 「そうしよう」 二人は、真面目な顔で、合意した。 まだ、夕暮れ時、ろくに酒も出さない店内で。 凄い会話をされてしまった、不幸な喫茶店を後に。 ホテルより、誰もいないから、うちにおいでよと言う、ジェイドに従って。 途中の店で、色々必要そうなSEX用品を買ってから。 二人は、ジェイドとブロッケンの日本宅へとやって来た。 そして。 キングサイズのベッドを置いた寝室。 そこで二人、上着からパンツまで、互いに脱がせっこした。 ケビンがジェイドの柔らかな金髪を掻き混ぜ。 まるで仔犬を愛撫するかのように、ちゅ!ちゅ!と額に触れるだけのキスを繰り返せば。 ジェイドも、まるで本物の仔犬か何かのように。 赤い舌を伸ばし、ケビンの頬をぺろっと舐めて、高い鼻梁の先を甘噛みする。 「は、はは、止せよ、止せって……!」 「あんたこそ。ぁっ…あはっ……!」 くすぐったがって、小声で笑い合いながら。 ベッドにもつれ込む。 その上で、改めてきちんと二人は向き直った。 真面目な顔になって、宣言する。 「「さあ、浮気をしよう!」」 ************************************************* ……そうして、抱き合ったまでは良かったが。 そこで、彼ら二人の動きは止まってしまった。 「あ……俺が上、でいいか……?」 「う、うん。ケビンの方が、体格いいし……」 ぼそぼそと、ぎこちなく会話を交わす。 ……それ以上、動けない。 ジェイドは、ケビンに抱き締められながら。 身動き出来ずに固まっていた。 これまでの、ジェイドのケビンに対する印象というのは。 同じ正義超人の先達として尊敬出来る、でも、どこか可愛い年上の友人。 (そりゃあもう、うっとりするくらい、綺麗な人だっていうのは……分かってたけど) しかし、こうして間近に向き合ってみると。 ミルク色の肌、長い睫毛。 花弁の唇、澄んだ輪郭、通った鼻筋―― あまりに完璧に整ったその容貌に、凄みさえ感じてしまう。 それに。 (ええ、と……) それこそ、うっとりする程見事な、ケビンの裸体。 戦う者として一片の隙も無駄もなく、鍛え上げられた身体。 それはまるで、銀の刃のようで。 これまで、同じように“静か”の一括りにしていた、師匠ブロッケンの、がっしりと根を張った大木のような落ち着きとは…… 実は、随分違う。 静かでありながら、何処か生々しい。血潮の熱さを彷彿とさせるような――― どくん……と、奇妙に鼓動が跳ね上がりそうになる。 (ど、どうしよう………?) 少し、ケビンが怖い。でも、嫌ではない。 こちらを圧倒するような雰囲気を身体に絡みつけながら。 何だか心細そうな、不安定な瞳をしているケビンを、抱き締めたいような…気もする。 だから、嫌ではない。少し怖いが、嫌ではなくて、むしろ……… (ああ、もう逃げ出したい……!!) 今更、とジェイド自身呆れるが。 想像ではない、生のケビンを前にして。実際に肉体の変化を感じてみると。 それに身を委ねてしまうことが、とんでもない過ちに思えてきたのだ。 しかし、現実に、眼の前にケビンがいるのに。そんな、今更! 一方のケビンも、戸惑っていた。 これまでの、ケビンのジェイドに対する印象と言えば。 同じ超人として注目すべき素質を持った、ちょっと生意気だが可愛い年下の友人。 (いや、性格だけでなく、顔も可愛いってことだって、分かってはいたが……) しかし、それだけではなかった。 19歳のケビンより、ジェイドは幾つか年下で。 当然、どんなに厳しく鍛えていても、その身体はまだどこか滑らか。 少年の柔らかさを色濃く残している。 かといって、子供っぽさや、か弱い印象は既にない。 青年の精悍さが、そこここに仄めく。 少年と青年との端境期真っ只中。 少年でも青年でもない身体の、微妙なライン。 それに。 (……………) 白い、白い肌。 こちらはまだ少年っぽさが強く、熟れきらない青い果実を見るような。 それは本当に、透けるように白くて。 ドイツ人の肌はここまで白いのか…と、指を滑らせれば。 きめ細かな雪白の肌は、淡く血の色を浮かばせる。 ケビンは、ごくっと喉を鳴らした。 (ど、どうしたらいい………?) 出来ない、という訳ではない。むしろ、出来そう……だと思う。 生まれたままの姿で、彼の腕の中にいるジェイド。 どこか頼りなげにも見えるその様子に、何か…熱いものを感じる。 ……出来そう、だ。たぶん、ジェイドとすることが出来る。 (しかし……やっていいのか?!) 今更、とケビン自身呆れるが。 想像ではない、生のジェイドを前にして。実際に肉体の変化を感じてみると。 それに身を委ねてしまうことが、とんでもない過ちに思えてきたのだ。 しかし、現実に、眼の前にジェイドがいるのに。そんな、今更! 二人は、ちょっと気まずそうに、視線をさ迷わせた。 ためらい、咳払いして。 「じゃ、じゃあ…」 「う、うん……」 そっと、唇を重ねた。 ……思いがけない程、柔らかな感触………… 微かに濡れた音を立て。 おずおずと、遠慮がちに舌をつつき合う。 そして。 ケビンは、いつも自分がされていることを懸命に思い出しながら。 滑らかな首筋から、小さな薄紅の飾りがある胸元へ、愛撫を下ろしていく。 ジェイドは、いつもと違って酷くたどたどしい手と唇の動きに、かえってぞくっと産毛を逆立てる。 普通に普通に、と念じつつ、固い仕草で相手の肩に、手を回す。 ……互いの身体が半端に熱を帯び、洩れる吐息が微妙に甘く、せつない。 あっさりやめてしまうには、相手があまりにいじらしく思えて。 一思いにやってしまうには、予想外に惹き付けられてしまった心に、罪悪感が募る。 ((こんなこと、そもそも始めなければ良かった……)) 湧き上がってくる無意識の後悔を、必死に押し殺しながら。 「ケビン……」 「ジェイ、ド……」 二人が潤んだ瞳で、最後の一線を踏み越えようと、心を決めた時。 ガチャリ、と。 突然、扉を開けて入ってきた大男。 「よーし。そこまでにしておくんだな」 「「ぎゃあああああ!!」」 その瞬間、二人は文字通り飛び上がり。 咄嗟に侵入者に向かって、ベル赤とローリング・ソバットをお見舞いしていた………。 ************************************************* 「……でな、預かりっぱなしだった鍵をブロッケンに返しに来たら、留守中だった訳だ。まあ、勝手知ったる旧友の家だ。 せっかくだから上がらせてもらって、待ってる内に、眠っちまってだな。気がついてみたら、隣の部屋で妙なことが始まってた」 突然の侵入者、バッファローマンは、淡々と語る。 半ば予期していたこととはいえ、間髪入れずに襲ってきた二つの凶器を無傷でかわせたのは、さすが伝説超人の一員といえるだろう。 その後彼は、茫然自失している裸の二人に服を着させ、場所を移して、とりあえず自分の事情を説明していた。 「……お前らが本当に“浮気”をするつもりでしてるなら、まあ、野暮は言いっこなし。今日のところは、 気配殺して出て行くつもりだったが……。どうも、そんな感じじゃなかったからな。いい加減な所で、止めに入った」 バッファローは、一旦言葉を切った。 「で? 今度はお前らの話を聞かせてもらおう。どうしてお前ら、こんなことしようと思ったんだ?」 悩める青少年の相談役など、自分の柄ではないとバッファローは思っていたが。 この場合は仕方が無かった。 放っておくことは、さすがに出来ない。 自分の子供でもおかしくないような年頃の彼らは、ただでさえ気にかかる存在なのに。 それに加えて、HFでの教え子と教え子の恋人で。 自分たちの後を継ぐ、新世代超人の期待の星で。 更には、自分の親友たちの息子と弟子兼恋人という存在なのだから……。 とりあえず、ケビンもジェイドも、自分たちの行為が馬鹿げたもので、何かが間違っていたということだけは理解していた。 止めてもらえて安堵もしていたが、だからといって、じゃあどうすれば良いのかなど、さっぱり分からず。 えぐえぐっ…と、滂沱の涙を流し、ひたすら泣きじゃくっているジェイドと。 溢れそうになる涙を、そのまま雫として睫毛に溜めて。どよどよどよ〜〜んと静かに深ーく落ち込んでいるケビン。 バッファローは、そんな二人並べてそれぞれの事情を聞いた。 そして。 聞き終わったバッファローは、がしがしと頭を掻きながら、大きく溜め息を吐いた。 「お前らな〜〜〜……」 正しく、青少年の恋のお悩み。 他人から見れば、正直微笑ましくも、馬鹿らしい。 しかし、当事者からすれば、そんなことでは済まない…というのも分かる。 分かるから、些細なことと、笑いとばすわけにもいかない。 こんなことは、既婚のロビンとかテリーとか。それが無理なら、せめて教師が板に付いたラーメンマンとか。 そこら辺相手に相談して欲しい、と思ったが。 この場合は仕方が無い。 放っておくことは出来ない。 特にジェイドの方には、バッファロー自身の軽口が影響しているのだ。 バッファローは、腹を括った。 一つ咳払いして、話し出す。 「まず、ケビン」 「はい……」 地の底を這うような、暗い声。 「その、な。まあ…心配すんな?」 慰めなんて欲しくない、とケビンは更に固く、自分の殻に閉じこもりそうになる。 そんな彼に、バッファローは何やら、照れくさそうな顔を見せた。 「男ってのはなぁ、その、何だ? まぁ、好きな相手を、な。ちょっとずつ……自分の色に染めていくのが、案外好きなもんなんだ。 その、何にも知らない……ただ自分にすがってくる奴をぉ、仕込んでくってのはぁ、うん。ある意味、男の……夢だぞ?」 けっこう凄いこと言ってんなぁ、俺、などと思いつつ。 余計な心配はいらん、スカーは今のお前に充分満足してる筈だ、と断言してやると。 ケビンは、いまいち要領を得ない様子だったが。 おずおずと口を開く。 「そ、そうでしょうか?」 「ああ、そうなんだよ。だから…ま、おかしな色は付けずにいてやれや。奴は、それを一番喜ぶと思うぜ。な?」 「は、はい……!」 再びの断言に頷いて、それでも相変わらず、ケビンは俯いたまま。 しかし。 薔薇色に上気した頬。微かに緩んだ口元を見れば。 彼が見事に浮上を果たしたことが分かる。 これはこれで良し。次は…… バッファローはもう一度咳払いして、未だ落ち込み中の一人に向き直る。 「ジェイド」 「はい……」 嗚咽を堪え、目元を擦って返事をする少年の顔を、彼はしげしげと見つめた。 ちょっと不思議そうに、小首を傾げて見返すジェイド。 その、瞳。 「ああ、確かに似てるよな…ソルジャーの色とそっくりだ」 途端、ふにゃ〜とまた泣きかけるジェイドに。 バッファローは低く笑う。 「何で、たった今まで気付かなかったのか、不思議なくらいだぜ。きっとあれだな。色以外が全然違うから……分からなったんだな」 「?」 「あの時、お前と似てるって話してた相手は……ソルジャーキャプテンじゃないぜ?」 「???」 不思議そうなジェイドに、バッファローは更に笑う。 「ブロッケンだよ。若い頃のブロッケンJr. に、お前が似てるって話してたんだ」 「え………」 荒削りで熱くてがむしゃらで。 何でも全力投球の一途さがある反面、感情の起伏が激しくて。 大人っぽく振舞おうとするくせに、けっこうボーヤ。 「お前は、俺たちと戦ってた頃のブロッケンにそっくりなんだ。特に、瞳が。それを、からかってたんだ」 ――案外ナルシストなんじゃないのか? ブロッケンよぉ…… ――違う! ――だってあんな、自分そっくりな奴に惚れ込むなんてよ。キャプテンもそう思わねえ? ――違ぁう!! 違うってばよ!! 似てねえだろうが、俺となんて!! ――いーや、良く似てるぜ。そっくりじゃねえか、ジェイドのやつぁ! ――だからって、関係…………… 「そう、だったんですか……」 「ああ。…確かに、お前の瞳、色はソルジャーと同じだけどな。あんまり似てる感じしないぜ? ソルジャーは昔っから、 “あんた本当に二十代かよ!?”ってくらい、大人だったし。変に超越してるところ、あったしなぁ……」 お前らと正反対。むしろ今のブロッケンに少し似てたかもしれん、と。 「それにあの人、お前らと違って、完璧にノーマルだぜ?」 それでも、周囲からモテまくってたこととか。 必要以上に包容力があって、男同士の恋愛感情は全く理解できなくても、周囲から求められれば一夜のベッドくらい、 平気で共にしたこととか。 ……そんな“周囲”の中に、バッファロー自身や…ブロッケンも、含まれていたこととか。 そんな余計なことは、言わないでおく。 「そう…なんですか」 「そうなんだよ」 考え込むジェイドの頭を、彼はぽんぽんっと叩いた。 「だからな、大丈夫だよ。あいつはお前自身を見て、ちゃんとお前自身を好きになったんだよ」 「…………」 「それとも何か? お前、本気であいつがナルシストだと思うのか?」 「そっっ、そんなこと!!!」 ジェイドは飛び上がって叫んだ。 そして。 懸命に大事なレーラァを弁護しながら、何だか酷く嬉しそうな少年の姿に。 豪快に笑ってみせながら、バッファローも密かに胸を撫で下ろしていた。 ……本音を言えば、ジェイドの翠は、あのソルジャーの翠にとても良く似ていると思う。 表にはあまり現れなかったが、ソルジャーも実は、彼らと同じ、熱い一途な側面を持っていたから。 とことん冷静沈着と見える中にあるそれが、彼の大きな魅力の一つだったのだから。 かつて求めても得られず、求めたことの意味すら理解されなかった翠。 その面影を、ブロッケンがジェイドの瞳の中に、垣間見たことが一度もなかったかどうか。 それは、分からない。 しかし。 そんな朧な幻を理由に、弟子を取ったり恋愛をしてしまったりする程、ブロッケンは愚かではない。 だから、これでいい。 しみじみ、ほのぼの…… うきうき〜 にこにこ〜 それぞれに喜びを表現する二人の若人たちを前に。 バッファローも、上手く面倒事を片付けて、自分なりの満足を噛み締めていた。 Fin. |