俺は、超人オリンピックで優勝した。 初めて俺の父、ロビンマスクを叩きのめし、その後も勝利を許さなかった男、キン肉スグル。 その息子で、同じくK・K・Dを備えたキン肉万太郎を、俺は破った。 そして、チャンピオンベルトは、二大会を経てイギリスに帰る。 ……俺、ケビンマスクは、父ロビンマスクを超えた、筈だ。 もう、大きく重い父の影に、怯えなくていい。 そう思ったから、俺はダディと並んで、親子で会見することを承諾した。もう、大丈夫だと思ったから。 それなのに。 いざ、会見が始まってみると。 俺は、間近に感じるダディの気配に、昔同様、怯んでしまう自分を知った。 まともに、ダディの顔を見られない。 それでも、固い表情をフルフェイスのマスクで隠して。 傍目には平気そうな様子を作って、ほんの一瞬、ダディと向き合う。 すると。 同じフルフェイスのマスクの向こうで。 ダディも、固く冷えた表情をしているのが分かった。 昔、幼い俺を見たのと、同じように。 俺は慌てて、視線を外し、正面の観衆に向き直った。 情けなくも、全身が強ばっていくのを感じる。 気持ちが、悪い……… 幼い日と何も変らず。 ダディに、俺の全てを支配されているかのようだ。 強くて完璧で誇り高い、ダディ。 弱くて惨めで卑屈な、俺。 鬱していく俺の思いとは関係なしに、会見は着々と進んでいく。 お二人でベルトを掲げてください、と言われて。 俺は顔を斜め前に向けたまま、ダディと二人、チャンピオンベルトを持つ。 カメラのフラッシュの、白い嵐。 ……視界の端。ベルトにかかる、ダディの指を見た。 戦闘超人とは思えない程、長くて綺麗な形をしている。 昔と……同じように。 ベルトを支える俺の手が、小さくカタカタと震え出す。 それを抑えようとする俺の額から、冷たい汗が伝い落ちる。 欠点だらけの息子に失望し、嫌悪する父。 それでも父に愛して欲しくて、その前に這い蹲る息子。 そんな親子の間で、起こったこと。 ……この世ならぬ、背徳。 恐怖と悲鳴と。流血と汚濁。 フラッシュバックしそうになる淫靡な記憶を、俺は必死に振り払おうとする。 今、俺の顔は真っ青になってしまっていることだろう。 完全に表情を隠してしまう、鉄仮面。 フルフェイスのマスクを、心底ありがたいと思ったが。 それでも、仮面の効果にも、限界がある。 次第に全身に広がっていく震えは、その内、ここに集まる多数の観衆の目に留まる。 コメントを求められた時、俺の喉は、一体どんな声を絞り出すというのだろう? ダディに怯え、竦み上がっている俺が、暴かれてしまう。 それどころか、今この時点でさえも。 俺の、すぐ隣にいるダディが。俺の不調に、気付いていない筈がない。 共に支えるベルトから、目に見えない程小さな、腕の震えが伝わっているだろう。 不自然に乱れた呼吸が、耳に届いているだろう。 やはり弱い、愚かな息子と、軽蔑するのだろうか? 憎むのだろうか? それとも俺には、憎まれる自分を嫌って、一度逃げ出した俺には。 もう、ダディが憎む程の価値すら、ないのだろうか? 寒気が、する。強い嘔吐感が、突き上げてくる。身体が、震える。 俺を憎むダディの仕打ちが恐ろしく。 それすらあり得ない程、無価値かもしれない自分が、厭わしい。 ダディの顔が、見られない。 このまま、逃げ出してしまいたい。 今の時期なら、決勝戦での負傷を理由に、逃げることも可能かもしれない。 ああ、もう後も見ずに。ここから逃げ出してしまおうか……。 俺が、そんなことを考え始めていた時。 不意に、黄金の色をした鋭い視線が、俺に突き刺さった。 俺は、ハッとする。 (マル、ス………?) いつの間にか、項垂れつつあった顔を上げ、俺は会場を見回した。 何処か目立たない物陰に隠れて見ているのか。それともまた、変装しているのかもしれない。 あの、逞しく派手な赤い姿は、何処にも見当たらない。 しかし、確かにマルスだ。 黄金色の。 皮肉っぽく、観察するような。 やってみせろと突き放し。 でも、しっかりやれよと、励ますような。 冷ややかで温かい、マルスの視線が、この会場の何処かから。 俺に向かって。 マルスが、俺を見ている………! それを認識したからといって。 当然、すぐに震えや不快感が治まる訳でもなかったが。 俺は心の中で、自分をしゃん、と立て直すことが出来た。 そうだ。 俺は何のために、捨てた筈のロビン・ダイナスティの者として、このオリンピックに参加した? 父ロビンの呪縛を、断ち切るため。 ただ、そのためじゃないか。 忘れて逃げることでは、果たせなかった。 ダディのこともその仕打ちも、忘れられなかったから。 憎むことでは、果たせなかった。 ダディを憎み切ることが、どうしても出来なかったから。 だから、オリンピックに出て、ロビン・ダイナスティの者として、ダディを超えようとした。 愛してくれない父親でも、俺は好き。 そんな自分を認めてやれる、父親に傷つけられることの無い、父親よりも、強い自分。 そうなる以外に、方法が無いと分かったから。 それなのに。 ここでまた逃げて、俺はどうしようと言うのか。 ……吐き気が薄れ、震えが治まっていく。 浅く、速くなっていた呼吸を、俺はゆっくり整えた。 集まった記者たちから出される質問の数々に、どうにか普通の声音を作って、答えることが出来た。 相変わらずマルスの姿は見当たらないが。 やはり、その視線は感じる。 かつて。 マルスにかかった、d・M・pの呪縛を断ち切るよう求めたのは、俺だった。 マルスには、あんな小さな闇世界に留まり切れない、強い翼があった。彼自身それを知っていて、d・M・pという鳥篭の小ささを疎む所が確かにあった。 それなのに、いざその鳥篭が壊れてみると。 そこから飛び去ろうとはせず、むしろそこでの慣習に拘り、新たな鳥篭を作り出そうとさえ、していた。 ……d・M・pは、生みの親も知らないマルスの、唯一の故郷だったから。 そんなことに拘るな、呪縛を切って、自由に飛べ、と。 背後から蹴飛ばすようなやり方で、マルスを促したのは俺だ。 それが、間違っていたとは思わないが。 そんな俺が。 自分の番になったらあっさり逃げ出すなんて、出来る訳がない。 マルスも、笑っている。 今度はお前の番だ、お前が俺にやらせたこと。お前自身に出来るかどうか、やってみせろよ。見ていてやるよ。 そう言って………。 いつの間にか。 俺は会見が始まった直後と同じぐらいには、立ち直っていた。 何も知らない観衆からは、最初から何の変化も無かったようにしか、見えなかっただろう。 俺は、背筋を伸ばした。 まだ、微かに心が強ばる。それでも、酷い動揺は無い。 恐怖もそれを打ち消すための憎悪も。既に無い。 黄金の視線に、見てろよ、と仮面の中で呟いて。 会見が始まって初めて――いや、この十年間で初めて。 俺はダディと、まともに向き合った。 そして……… 俺は、戸惑う。 俺の知るダディは、常に冷たく、無表情な印象を持っていた。 俺を見る目は、特にそう。 しかし、今。 そんなダディが驚いて、それ以上に、ホッとしているのが分かった。 ――静かにダディを見つめる、俺を見て。 それは、何の安堵なのだろう? 息子の醜態に、自分の体面を傷つけられずに済んだことが嬉しいのか。 それとも……? 仮面の隙間、僅かにしか見えない双眸に。 涙の影が覗く程、俺を憎んでいる筈のダディは、何を安堵している……? …………心に、一雫の温もりが落ちる。 錯覚かもしれないと思う。 でも、もしかして。 息子である俺自身のことを、少しは気遣ってくれていた? まともに向き合えた俺のことを、喜んで、安心してくれている? ……そうであってくれたら、嬉しい。 まだとても、それを素直に信じられるような余裕はないけれど。 違ったと分かる瞬間が怖くて、確かめることは、まだ出来ないけれど。 あの、黄金の光と一緒に。 二人で、もう少し強くなってから。 もう一度、ダディに会いに来たいと。 この時俺は、そう思った。 ―――白いフラッシュの渦の中。 親子会見は、何の問題も起こらないまま、進んでいく。 Fin. |