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◆『What do I see?』

 

 俺は、超人オリンピックで優勝した。

 初めて俺の父、ロビンマスクを叩きのめし、その後も勝利を許さなかった男、キン肉スグル。
 その息子で、同じくK・K・Dを備えたキン肉万太郎を、俺は破った。
 そして、チャンピオンベルトは、二大会を経てイギリスに帰る。

 ……俺、ケビンマスクは、父ロビンマスクを超えた、筈だ。
 もう、大きく重い父の影に、怯えなくていい。


 そう思ったから、俺はダディと並んで、親子で会見することを承諾した。もう、大丈夫だと思ったから。

 それなのに。

 いざ、会見が始まってみると。
 俺は、間近に感じるダディの気配に、昔同様、怯んでしまう自分を知った。

 まともに、ダディの顔を見られない。

 それでも、固い表情をフルフェイスのマスクで隠して。
 傍目には平気そうな様子を作って、ほんの一瞬、ダディと向き合う。
 すると。
 同じフルフェイスのマスクの向こうで。
 ダディも、固く冷えた表情をしているのが分かった。
 昔、幼い俺を見たのと、同じように。

 俺は慌てて、視線を外し、正面の観衆に向き直った。
 情けなくも、全身が強ばっていくのを感じる。


 気持ちが、悪い………

 幼い日と何も変らず。
 ダディに、俺の全てを支配されているかのようだ。

 強くて完璧で誇り高い、ダディ。
 弱くて惨めで卑屈な、俺。

 
 鬱していく俺の思いとは関係なしに、会見は着々と進んでいく。

 お二人でベルトを掲げてください、と言われて。
 俺は顔を斜め前に向けたまま、ダディと二人、チャンピオンベルトを持つ。
 
 カメラのフラッシュの、白い嵐。

 ……視界の端。ベルトにかかる、ダディの指を見た。
 戦闘超人とは思えない程、長くて綺麗な形をしている。
 昔と……同じように。
 
 ベルトを支える俺の手が、小さくカタカタと震え出す。
 それを抑えようとする俺の額から、冷たい汗が伝い落ちる。


 欠点だらけの息子に失望し、嫌悪する父。
 それでも父に愛して欲しくて、その前に這い蹲る息子。

 そんな親子の間で、起こったこと。
 ……この世ならぬ、背徳。

 恐怖と悲鳴と。流血と汚濁。


 フラッシュバックしそうになる淫靡な記憶を、俺は必死に振り払おうとする。

 今、俺の顔は真っ青になってしまっていることだろう。
 完全に表情を隠してしまう、鉄仮面。
 フルフェイスのマスクを、心底ありがたいと思ったが。

 それでも、仮面の効果にも、限界がある。
 次第に全身に広がっていく震えは、その内、ここに集まる多数の観衆の目に留まる。
 コメントを求められた時、俺の喉は、一体どんな声を絞り出すというのだろう?

 ダディに怯え、竦み上がっている俺が、暴かれてしまう。

 それどころか、今この時点でさえも。
 俺の、すぐ隣にいるダディが。俺の不調に、気付いていない筈がない。

 共に支えるベルトから、目に見えない程小さな、腕の震えが伝わっているだろう。
 不自然に乱れた呼吸が、耳に届いているだろう。

 やはり弱い、愚かな息子と、軽蔑するのだろうか? 憎むのだろうか?
 それとも俺には、憎まれる自分を嫌って、一度逃げ出した俺には。
 もう、ダディが憎む程の価値すら、ないのだろうか?


 寒気が、する。強い嘔吐感が、突き上げてくる。身体が、震える。


 俺を憎むダディの仕打ちが恐ろしく。
 それすらあり得ない程、無価値かもしれない自分が、厭わしい。

 ダディの顔が、見られない。
 このまま、逃げ出してしまいたい。
 今の時期なら、決勝戦での負傷を理由に、逃げることも可能かもしれない。


 ああ、もう後も見ずに。ここから逃げ出してしまおうか……。


 俺が、そんなことを考え始めていた時。
 不意に、黄金の色をした鋭い視線が、俺に突き刺さった。
 俺は、ハッとする。
(マル、ス………?)

 いつの間にか、項垂れつつあった顔を上げ、俺は会場を見回した。
 何処か目立たない物陰に隠れて見ているのか。それともまた、変装しているのかもしれない。
 あの、逞しく派手な赤い姿は、何処にも見当たらない。
 しかし、確かにマルスだ。 

 黄金色の。
 皮肉っぽく、観察するような。
 やってみせろと突き放し。
 でも、しっかりやれよと、励ますような。

 冷ややかで温かい、マルスの視線が、この会場の何処かから。
 俺に向かって。

 マルスが、俺を見ている………!

 それを認識したからといって。
 当然、すぐに震えや不快感が治まる訳でもなかったが。
 俺は心の中で、自分をしゃん、と立て直すことが出来た。


 そうだ。
 俺は何のために、捨てた筈のロビン・ダイナスティの者として、このオリンピックに参加した?
 父ロビンの呪縛を、断ち切るため。
 ただ、そのためじゃないか。

 忘れて逃げることでは、果たせなかった。
 ダディのこともその仕打ちも、忘れられなかったから。
 憎むことでは、果たせなかった。
 ダディを憎み切ることが、どうしても出来なかったから。

 だから、オリンピックに出て、ロビン・ダイナスティの者として、ダディを超えようとした。

 愛してくれない父親でも、俺は好き。
 そんな自分を認めてやれる、父親に傷つけられることの無い、父親よりも、強い自分。

 そうなる以外に、方法が無いと分かったから。
 それなのに。
 ここでまた逃げて、俺はどうしようと言うのか。


 ……吐き気が薄れ、震えが治まっていく。
 浅く、速くなっていた呼吸を、俺はゆっくり整えた。
 集まった記者たちから出される質問の数々に、どうにか普通の声音を作って、答えることが出来た。
 相変わらずマルスの姿は見当たらないが。
 やはり、その視線は感じる。


 かつて。
 マルスにかかった、d・M・pの呪縛を断ち切るよう求めたのは、俺だった。
 マルスには、あんな小さな闇世界に留まり切れない、強い翼があった。彼自身それを知っていて、d・M・pという鳥篭の小ささを疎む所が確かにあった。
 それなのに、いざその鳥篭が壊れてみると。
 そこから飛び去ろうとはせず、むしろそこでの慣習に拘り、新たな鳥篭を作り出そうとさえ、していた。
 ……d・M・pは、生みの親も知らないマルスの、唯一の故郷だったから。

 そんなことに拘るな、呪縛を切って、自由に飛べ、と。
 背後から蹴飛ばすようなやり方で、マルスを促したのは俺だ。
 それが、間違っていたとは思わないが。
 
 そんな俺が。
 自分の番になったらあっさり逃げ出すなんて、出来る訳がない。

 マルスも、笑っている。
 今度はお前の番だ、お前が俺にやらせたこと。お前自身に出来るかどうか、やってみせろよ。見ていてやるよ。
 そう言って………。


 いつの間にか。
 俺は会見が始まった直後と同じぐらいには、立ち直っていた。
 何も知らない観衆からは、最初から何の変化も無かったようにしか、見えなかっただろう。

 俺は、背筋を伸ばした。
 まだ、微かに心が強ばる。それでも、酷い動揺は無い。
 恐怖もそれを打ち消すための憎悪も。既に無い。


 黄金の視線に、見てろよ、と仮面の中で呟いて。

 会見が始まって初めて――いや、この十年間で初めて。
 俺はダディと、まともに向き合った。
 
 そして………

 俺は、戸惑う。

 俺の知るダディは、常に冷たく、無表情な印象を持っていた。
 俺を見る目は、特にそう。

 しかし、今。
 そんなダディが驚いて、それ以上に、ホッとしているのが分かった。

 ――静かにダディを見つめる、俺を見て。

 それは、何の安堵なのだろう?
 息子の醜態に、自分の体面を傷つけられずに済んだことが嬉しいのか。
 それとも……?

 仮面の隙間、僅かにしか見えない双眸に。
 涙の影が覗く程、俺を憎んでいる筈のダディは、何を安堵している……?


 …………心に、一雫の温もりが落ちる。


 錯覚かもしれないと思う。
 でも、もしかして。


 息子である俺自身のことを、少しは気遣ってくれていた?
 まともに向き合えた俺のことを、喜んで、安心してくれている?


 ……そうであってくれたら、嬉しい。
 まだとても、それを素直に信じられるような余裕はないけれど。
 違ったと分かる瞬間が怖くて、確かめることは、まだ出来ないけれど。

 あの、黄金の光と一緒に。
 二人で、もう少し強くなってから。
 もう一度、ダディに会いに来たいと。

 この時俺は、そう思った。


 ―――白いフラッシュの渦の中。
 親子会見は、何の問題も起こらないまま、進んでいく。


                             Fin.