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◆『Darkness』

 


 夜半過ぎ。

 幼い頃の夢を見て、目が覚めた。

「っっ……!!」 
 目覚めた瞬間、悲鳴が零れる。
 抑えきれない呼吸が、激しく喉を突く。

 ……それでも、それらはすぐに部屋の闇に融けた。

「…………………」
 後に残るのは、沈黙だけ。
 どんな悪夢も、所詮はただの夢。
 目覚めた後まで、俺を苦しめに来はしない。

 俺も、もう昔とは違う。

 夢を夢と思えず錯乱し、目覚めた後も、ただひたすら震え続ける。

 そんな自分は、もういない。
 夢は夢とすぐに理解出来るし、悪夢の中の影に、怯えたりしない。

 ……それでも。

 今夜もまた、眠れない。

 夢は夢だけど、夢の中でそれは、現実だから。
 忘れたい過去を、生々しい現在に変える“夢”が怖くて。

 今夜も俺は、眠れない。

 心細くないよう、毛布でしっかり自分をくるんで。
 まんじりともせず、一人朝の光を待つ。


 ……その、筈だった。

 しかし。

「どうした」
 突然、闇の中に静かな男の声が響く。

 一瞬、びくりとしてしまったけど。
 それは当然、たった今、夢に出てきたばかりの俺の父親じゃなかった。


 つい最近、知り合ったばかりのセコンド。
 名前はクロエ。セコンドとして、しごく有能。

 ……それだけ。

 それ以外、知らない。それだけの、関係。
 なのに、こいつはいつの間にか、俺の住処に入り込んでいて。
 俺は、それを咎めもしない。

 変な……関係。
 

 黙ったままの俺に、不審を感じたのだろう。
「どうした、ケビン。何があった?」
 離れていた気配が、近づいてくる。

「いや……何でもない」
「そんなことはないだろう。声が聞こえたぞ」
 暗くて、相手の姿はよく見えなかったが。
 動く気になれず、横になったままでいた俺の額に、ぴたりと手が当てられる。
「それに、随分汗をかいている」
「何でもないんだ、本当に」

 ひんやりとした、体温の低い掌の感触が心地よく。
 それが、くすぐったくて。
 俺はちょっと微笑った。

「昔の夢を見たんだよ。それだけだ。気にせず眠っててくれ」

 
 夢は夢。現実の俺に、危害を加えたり出来ない。
 今夜は、もう眠れないだろうけど。
 それだけ。

 何でも、ない。ただ、一人で朝を待てばいい……


 そう思って、身構えていたのに。


 そんな俺の隣に。
 するりと。

「おい」

 唖然となった俺の肩が、ぽんぽんとあやすように軽く叩かれる。
 そして、横になった二人分の身体の上に、一枚の毛布。

「これでいい。さ、寝よう、ケビン」
「おい! お、お前……」
 このふざけた行動に焦った俺は、自分の方から寝床を抜け出そうとした。

 しかし。

「何でもないなんてことはない。夢を見たんだろう? 眠りを邪魔されるくらい、嫌な夢を。それは充分、重要なことだよ」

 優しく、抱き締められて。

「また、見てしまうかもしれない。だから、一緒に寝よう。お前が魘されるようなら、すぐに起こしてやる」

 闇の中、静かな口調が、あまりにも優しい。


 ……そのせいで、俺は。


「馬鹿。夢は、夢だ。別にどうってこと、ない……」


 口ではそんなことを言いながら。
 俺は……抱き締めてくる腕に、縋りついてしまった。



 他人の気配は、嫌いな筈なのに。
 何故だか、こいつには甘えてしまう。

 少し低いめの体温と。
 闇の中、姿は朧に。
 静かに落ちる、ロシア訛りの英語のせいだろうか?



「本当に…俺が魘されてたら、起こしてくれるのか…………?」
「ああ、ケビン。大丈夫だ。安心しておやすみ」


 背中を撫でる、手が優しい。
 あまりにも、優しくて。


 ほー、と全身の力が抜ける。


 大丈夫。こいつがいてくれれば、おかしな夢を見たりはしない。


 何故だか、無条件にそう信じてしまう。


 そうして俺は、瞼を閉じる。


 闇の中、優しい温もりに包まれながら。
 もう訪れることがないと思っていた、穏やかな闇の中へ。

 ゆっくりと、落ちていく。



 
                                    Fin.