SCAR FACE SITE

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◆『What do you want?』

 


 それは、映画の一コマのようにかっこよく、しとしとと降る雨の公園に、しっくりと馴染んでいた。


 目を見張る程逞しい体躯の男と、肉感的な肢体の女。


 二人は、互いの体温を確かめ、愛の言葉を交そうとするかのように、しっかりと身体を絡め合わせる。



 トレーニング帰り、偶然に見えた光景。


 ケビンは、凍りついたようにその場に突っ立っていたが。こちらを振り向きそうな二人の気配に、見つからないよう、咄嗟に身を隠した。
 濡れた石柱の影に身を寄せながら、無意識にシャツの胸元を掴み締める。何故か、息苦しい。
 慄くように開いた唇から、呟きが零れ落ちる。
「マルス………」


 一時間程たって、マルスはケビンと同居しているマンションへと帰ってきた。
ちょうどその時、ケビンはシャワーを終えて、自室に戻ろうとしていたところで。
「……お帰り」
「ああ」

 すれ違った瞬間、微かに強ばったケビンの表情に、マルスは気付かない。

 実際、今日の彼はそれどころではなかった。行き着けの酒屋で、たまたま隣り合った女性と意気投合したまでは良かった。
いつも全力投球で愛を捧げているのに、なかなか本気にしてくれない、臆病でつれない互いの恋人の愚痴をこぼし合えたのも。
 問題は、たまたま帰る方向が一緒だった彼女を、途中まで送っていくことになって、その途中、急に酔いの回った彼女を
介抱しなくてはならなくなったことだった。
 マルスを恋人と間違え、もう絡むし責めるし、挙句は泣かれてしまって。公園のトイレで散々吐いて、ようやく落ち着いてくれた時には、
どれだけほっとしたことか。

 もう疲れ切っていたマルスは、そのまま何の疑問も抱かず、シャワーへ直行した。



 そして、浴室に熱い湯がタイルを叩く音が響き始める頃。

 
 ケビンは、自室のベッドの上に寝転がり、膝を抱えていた。
「あいつ……」

 先程すれ違った時、マルスの身体からは、甘い香りが漂ってきていた。強い酒の匂いと、雨の匂いにだいぶ打ち消されてしまっていたが。
 
 なまめかしく、気だるげな香水の香り。ちょうど、さっき見た女性に良く似合うような。


 よっぽど身体を密接に触れ合わせなければ、あんなに香りが移るものではない……。


 もう、それ以上は考えたくなくて。
 

 ケビンは更に強く膝を引き寄せ、かたく瞼を閉じた。



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 翌日。
 早々とマルスがどこかに出かけていった後も、ケビンは何だか胸がもやもやとして、トレーニングに赴く気になれなかった。
 分担の洗濯を済ませた後、迷った挙句……結局マスクを外し、普通の格好をして街に出た。



 特にすることもなく、街をぶらつく。
 しかし、人並み外れて大きな超人の身体は、何気なく人ごみに紛れるには不都合だ。おまけに、目立つマスクを外しているとはいえ、
代わりに反則的なまでに美麗な容貌を晒すことになるケビンにとっては、尚更のこと。
 通り過ぎる人間たちの目が、さり気なさを装いつつ、ケビンの後を追っている。
 普段は当然のこととして気にならない、周囲のそんな視線までが妙に気になって、ケビンはどうも落ち着かない。
 これなら、まだトレーニングをしていた方がましだったかも、などと彼が考え始めた時。
 不意に、背後から呼びかけられた。
「ケビンさん!」
「……!?」
 振り向くと、ドイツ人らしい淡い金髪を揺らした、少年が一人。その緑の上着の襟元には、髑髏の徽章が一つ。
「ジェイド……」
「やっぱりケビンさんだ! 素顔を見たのは初めてで、どうなんだろうって思ったんですけど」
 何やら興奮した様子に、彼は苦笑した。
「ケビンでいい。敬語もいらん。俺はお前の先輩ってわけでもないし」
「ああ、どうも。なら、これからはあんたのこと、ケビンって呼ぶね」
 にっこりと、懐っこく笑う。

 その笑顔にふっと心が和んで。
 ケビンは、これまでそう親しくはしてこなかった彼を誘い、近くの喫茶店に入った。



 そこは、値段の割にそこそこ品物も良く、そこそこ落ち着いた雰囲気の店だった。

 セルフサービスのコーヒーを取って、二人は壁際の席に落ち着く。

 最初は取りとめもなく、当たり障りのない互いの近況を語り合うだけだったが。
 歳の近さや超人同士、外国人同士の気安さに加え、マルス、つまりスカーフェイスという共通の知人がいることも手伝って、二人はすぐに打ち解けた。
 だいぶ突っ込んだ話題も持ち出すようになって、やがてケビンは、昨日からの気がかりを、その経緯も含めて一切合切、ジェイドに喋ってしまった。
 普段なら、親しくなり始めたばかりのジェイドに、到底話す気になれないような内容だったが。
 自分で自覚する以上にその出来事が胸に迫っていて、どうしても一人で抱えていられなくなったのだ。



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 真剣に思い詰めた様子のケビンを眺めながら、ジェイドはやや呆れた表情を隠すように、カップを口に運ぶ。
(あの馬鹿燕が浮気ねえ……。俺にはどうしたってあいつ、ケビン一筋にしか見えないけど)
 一口、冷めかけたコーヒーを口に含んで。
「それで?」
「え?」
「それで、あんたはどうしたいの? そんな浮気するような奴、もう嫌? 別れたいとか?」
 ある意味無遠慮なジェイドの問いかけに、蜜色の長い睫が、困惑したように伏せられた。蒼い瞳に、煙るような影が落ちる。
「どうって…マルスは、俺ともう別れたいんじゃないかな。いい加減、俺にも飽きてるんだろうし……」

 薄い形のいい唇から躊躇うように漏れたのは、何とも気弱な台詞。

 繊細な、女でも見たことがない程美しい花の顔。すらりとしたしなやかな肢体、戦う者としての確かな実力。
 更には超人オリンピック優勝という最高の実績まで備えた、世の人気No.1青年の言葉とは到底思えない。

 傲慢とさえ見えるリングでの彼とのあまりのギャップに、ジェイドは、心中密かに呆れてしまう。

 おまけに、彼がそこまで気弱になってしまっている相手。
 それが、あの強さこそ充分あれど、粗暴でいい加減で時々万太郎たちとタメを張る程単純馬鹿な、ケビン命の赤燕だというのだから………。

 零れそうになる溜め息を抑え、俯くケビンを再度促す。
「だから。スカーじゃなくって、あんたはどうしたいの? 好きだから、d・M・p 時代も一緒にいたんだろ?」
「好き、というか。……あの時は、マルスが、俺と一緒にいたいって、言ってくれたから………」
「だからさぁ………」
 言いかけて、ジェイドはふと口を噤んだ。ちょっと意地悪そうな、悪戯っぽい笑みが、未だ少年の幼さを残したその口元を掠める。
「じゃあさ、俺がケビンと一緒にいたいって言ったら、いてくれる?」
「――え?」
「俺がそうしたいってお願いしたら、俺ともキスしたりしてくれるわけ?」
「え、ジェイド? ちょっ……!」
 テーブルに上半身を乗り出し、顔を寄せるジェイドに、ケビンは慌てた。拒むように、身を捩る。
 ジェイドは、構わず蜜色の髪を掴んで引き寄せた。テーブル上にある液体を満たしたカップのため、ケビンはそれ以上大きく動くことが出来ない。
 それをいいことに、ジェイドはケビンの肩に手をかける。
「おい! こ、こんな所で!!」
「いいじゃない。俺がしたいの。それとも、このままホテルとか行く?」
「そ、そんな問題じゃな…!! ……ぁ、や」
 ケビンはぎゅう、とかたく瞼を閉じた。その顔は、微かに蒼褪めている。
(……この人、俺より年上の筈だよね? 何でこんなに可愛いかなあ………)
 怯えたように小さく震えるケビンを見つめ、ジェイドは呑気にそんなことを考えながら。……白い額に、ちゅっと音を立てて口付けた
「…………?」
「あはは、冗談。しないよぉ」
 恋人のキスなんて、とジェイドは明るく笑った。
「だって俺、ちゃんと好きな人いるもん」

 血の気の失せた頬が、一気に薔薇色に染まる。

 ケビンは、ジェイドの手を押しのけ、憤然と立ち上がった。
「おっ! お前なあ!!」
「あはははは! ごめんごめん」
 子供のようにからかわれ、あしらわれたという自覚に、ケビンは情けなさ半分、かなり頭に血を上らせていた。
 しかし、無邪気に笑うジェイドを見れば、それ以上真面目に怒っていることなど出来はしない。
 ケビンは拗ねたように、わざと荒っぽく椅子に腰を下ろした。
「でもさ、これで分かったんじゃない?」
 そんな彼に、ジェイドはまだ笑いの残る声で問いかける。
「何がだよ!」
「だから、自分の気持ち。相手が望んだから、じゃないだろ? あんたが望んでたんだよ。あんたが望んでたから、他の誰でもなくて、
スカーと一緒にいて、恋人のキスとかしてたんだろ?」

 物好きだとは思うけどね、というのは、ジェイドの心の声。

 ケビンが俯く。
「そう、だな……」
「で、どう?」
「ん?」
「今だよ。今でもやっぱり、ケビンはスカーと一緒にいたいんじゃない?」

 本当に、物好きだとは思うけどね、というのは、やっぱりジェイドの心の声。

 そんなことは知らず、ケビンは素直に顔を赤らめる。
「ん…たぶん」
「だったら、一緒にいたら?」
「けど……いい、のかな? マルスはもう俺のことうっとうしいのかもしれないのに。俺なんかがマルスの傍にいていいんだろうか」
 ふさわしくないかも、と言うケビンに。
(うん、ふさわしくないと俺も思うけど? スカーが、あんたにね。ケビンなら絶対もっといい相手、いっくらでも見つかると思うけどなあ〜〜〜)

 しかしまあ、蓼食う虫も好き好き。縁は異なもの味なもの。本人がいいと言うのに、他人が口を出すのは余計なお節介というものだ。

 ジェイドは明るく言った。
「そんなの、気にすることないよ。大切なのは自分の気持ちだって。本当に好きなら、もうぴったりべったりくっついてたらいいんだよ。
俺はそうしてるよ?」
「うん……」
「相手に嫌だって言われたっていいじゃない。その内、前言撤回させちゃえばいいんだもの」
「うん……」

 強気で、ある意味凄いジェイドの言葉を聞いて。

「うん、そうだな!」
 ようやく、ケビンは顔を上げた。
 “難攻不落の鉄騎兵”と呼ばれるリングの彼の自信が、仄かに蒼い瞳を漂う。
「俺は、あいつが好きなんだ。それは変えようがないんだから……逃げる前に、自分も好きになってもらえるように、努力しなけりゃな!!」
 ケビンは、立ち上がった。
「ありがとう、ジェイド。つまらない愚痴を聞かせてしまって、悪かったな」
「いいよいいよ。気にしないで。俺も片思い中だからさ、今度また、俺の愚痴を聞いてよね」
「ああ。俺に協力出来ることなら、何でもするぜ」

 そう言って晴れ晴れと笑ったケビンの顔は、下から見上げるジェイドが思わず息を呑んで見つめてしまう程、強烈な魅力に満ちていた。


 そして。
 足早に去って行くケビンを見送りながら。
(これからしばらく、スカーには存分に奢ってもらわなくっちゃな)
 ジェイドは、にやにやと笑っていた。



                                    Fin.