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◆『機長の恋路・対決!女王対女王編』

 

朝から散々「よろしくて?」で始まる高飛車な物言いを聞かせられ続けて、イリューは少々頭痛がしてきた。
父が航空機会社の重役、兄は管制室長の生まれながらのエリートお嬢さん。この我侭っぷりはさぞかし甘やかされて育ったんだろうなと、
イリューは見つからない程度に肩をすくめた。
「―――で、高度1万ftで着陸許可が出た場合、着陸における滑走路への侵入角度の計器測定準備は何ftから…――――聞いてるの!?
イリューヒン操縦士長!イリュー!!」
…呼び捨てか?上司を…と、とがめることも出来ずイリューは怒り顔のジャクリーン副操縦士に向き直り、問いかけに丁寧に答えてやった。
「―――そう。よく分かりました」望む答えを手に入れると途端に機嫌良く微笑む。
その大輪の華のような美貌を横目で盗み見ながら、なんで研修員の分際でそんなに態度が大きいんだ?と、イリューはとがめる前に感心してしまう。
やれやれ…とんだはねっかえりのお嬢さんに当たったな。
イリューは隣に気付かれないようこっそりとため息ついた。
何泊かのフライト旅行でケビンに会えずイリューは寂しい(もちろんミートにも会えなくて寂しい)。
隣の席のお嬢さんはおっかないしで、いつになく疲れていた。しかしもう少しの辛抱、この旅客機が無事日本に着けば晴れて職務完了、
家に帰ってケビンに会える。
疲れてるから3人でゆっくりしたいな、風呂にでも入ってのんびりごろ寝、いや、でもケビンさんはいつも「一人退屈でヒマしてた」って
どこか行きたがるんだよな、ちょっと大変だけど喜ぶならそれでもいいか…。
「イリューヒン操縦士長!」
イリューの楽しい妄想はジャクリーンの鋭い声に邪魔され、慌ててイリューは隣へ目をやる。
「…管制室から交信が入っています」
ランプの点滅を見て、慌ててイリューは交信機のスイッチを入れた。
そして業務連絡の後に続く、楽しげな声での誘いに少し困る。
「歓迎会…?」
「そう♪ジャクリーンちゃんの歓迎会を開こうって盛り上がってるんですよ」
本人には了解取ってあるし、機長も参加してくれますよね〜?と明るく聞かれてイリューは返事を渋る。
「今日…?この疲れたフライトの後でなんて、彼女にも気の毒じゃないか?」
「あら、私は構いません。疲れなどありませんわ」
横から聞いていたジャクリーンに口をはさまれ、イリューはますます困った。
早く帰ると言ってある。日本に着いたらすぐに土産を持って家に帰ると約束してある手前、寄り道は出来なかった。
「俺は…すまない、今日は早くに帰ると伝えてあるから」
悪い、とジャクリーンに頭を下げた。
「さすがは愛妻家」と交信相手にからかわれる。隣でそのやりとりを聞いていたジャクリーンは不満げな表情を作った。
「嫌です、納得いかないわ」
責められてイリューは目を丸くした。
「……いや…申し訳ないとは思うが…急の話だし、こっちにも予定が」
「嫌です。全員参加、これが決まりです」
私が主役の会なのです参加は当たり前です、よろしくて?と指を突きつけられた。
―――…よろしくないぞ……このはねっかえりめ。
「――――…では、その…すまないが途中からの参加にして欲しい。一度家に帰って少し用を済ませてから行く」
必ず行くから、と彼女を待たせる男のような言い訳を口にする。
ようやく機嫌が直ったジャクリーンの笑みに、イリューはやれやれと肩を落とす。
どうもすべての関心が自分に向いていないとご不満らしい。…誰かに似ているようなとイリューは思う。
ジャクリーンをなんとかなだめながら、何故だかイリューはこの我侭お嬢さんをなんとなく憎めない。
無事空港に着陸し乗客をすべて降ろし終えフライトの記録も提出し、なんだかんだと雑務をこなしていると結構な時間が経っていく。
「お疲れさま〜Vvどうだった?ジャクリーンちゃん」「なにか飲み物入れようか?」と取り巻きに纏わりつかれているジャクリーンに見つからないよう、
こっそりと職場から離脱を狙ったイリューだったが「機長、もうお帰りですか?今日の歓迎会は?」と声がかかり結局見つかってしまった。
「どうして先に帰るの?イリューヒン操縦士長」
ハイヒールの音を響かせ傍に近寄ってきたジャクリーンに、イリューは本当に困ってしまい視線を自分の足元に落とす。
家の位置を聞かれて教えたら「あら、私と近いわ」と手を打たれた。
そして「どうせ同じ会に出るのだから一緒に帰りましょう」同じ車で行けばいいわ、と強引に決められてしまう。
「いや、その。取り込み中のようだから…」先に帰ろうかなーなんて、と背を向けて逃げ出そうとしたイリューは、勿論ジャクリーンに腕を捕まれ
逃げ切れなかった。
「逃しませんわよ」そうはっきり宣言しなくても…と慄くイリューを引き摺り、ジャクリーンは空港を後にした。

「イリューヒン、あなたが買った沢山の土産物、どれもそのケビンという人へのプレゼント?」
トルコ石やらペルシャ絨毯やら(イスタンブールにでも行ったらしい)、後部に積まれた土産物を指差してジャクリーンは運転席のイリューに笑いかけた。
ひょいと手を伸ばして宝石箱を手に取り、ジャクリーンはその指に青い石を摘み上げた。
「大きな石…付ける相手を選びそうね」
言いながら自分の胸に当ててみる。ほら、私ならこんなに似合うわと言いたげなジャクリーンをイリューは横目で見、腕を伸ばして宝石を取り返した。
ご心配なく、きっと似合うだろうから…と少し固い声でイリューが返したので、ジャクリーンは何か言いかけた口を閉じ前に向き直った。

ケビンとミートは「遅いなー」と待っていたイリューが女性、それも周囲を圧倒する美貌の女性を連れて帰ってきたので一瞬戸惑い戸口に佇んだ。
「………ただいま」疲れのにじんだ声でイリューが挨拶する。
先に送ろうとかなんとか言って巻きたかったジャクリーンを家まで連れてきてしまった。ああ、また嫌な予感がするとイリューは頭痛がしそうだ。
「―――お帰りなさいお父さん、…こちらはどなたですか?」
先に口を開いたのはミートだった。会社で研修中の部下…と説明しているイリューの後ろで、ジャクリーンは猫みたいに光る大きな瞳でケビンを見つめる。
その眼差しに浮かぶ色は、興味深げというか面白がっているというか。
「はじめまして、ジャクリーン・マッスルです」と、ジャクリーンはミートではなく後ろのケビンに挨拶した。
ケビンは僅かに顎を引き会釈を返す。
その無愛想な返礼にも顔色を変えずジャクリーンは、こちらも無遠慮にじろじろとケビンを全身眺める。
上から下まで値踏みするような視線をケビンは受け流し、同じように小馬鹿にした目で相手を見回してやった。
その目を笑いを含んだ瞳でジャクリーンは正面から受ける。
「…綺麗な人ね、イリュー」これなら石も似合うでしょうね、と豊かな栗毛を弄びながらジャクリーンは首を傾げて言う。
「フランス人形みたいに飾り付けたら楽しそう」
自分こそ人形のように整った顔で、ジャクリーンは目を細め笑った。
挑発か?とイリューは、ケビンの柳眉が僅かに吊り上ったことに青くなり、ジャクリーンの袖を引く。
「―――もう、行かないと。主役が遅くなっては示しがつかない」
ミートとケビンに向き直り、イリューは申し訳無さそうに歓迎会で今から出かける旨を伝えた。
「そうですか…いってらっしゃい、お気をつけて」と送り出したのは勿論ミートで、ケビンはイリューが手短に中身を説明しながら手渡した
贈り物の数々を受け取る時も無言のままだった。
まだケビンと話し足りないジャクリーンの背中を押すようにして、イリューは助手席に彼女を詰め込み逃げるように走り去っていった。
「―――…あ……ジャクリーン・マッスル。……やっと誰だか思い出した」とミートがしばらく経ってから手を打つ。
「何なんだ、あいつ」と、いつミートに振ろうかと思っていたケビンは「?」と素直に続きを促した。
「この前テレビに出ていたんですよ、あの人のお父さんだったかお兄さんだったか」
近々某国の王子と婚約発表も執り行われるという噂まである、どうも本格的にセレブなお嬢と聞いてケビンは鼻で笑った。
「道理で。派手な面下げて高圧的な態度を取りやがる」
「…似た者同士けなし合うのは止めなさい」
負けずに派手な家柄と高慢な男が言うことか、とミートは厳しく切り返す。
「それよりお父さんが出かけてしまったんだから、ケビンさんと2人分夕食どうしましょう」
「―――んー…メンドイから外メシ。飲みがてら遊びたい」
「たまには作るくらいしたらどうなんですか?もう。だからいつまで経っても美味しい料理が出来ないんですよ!」
イリューには見せたことのないような厳しい物言いでケビンを叱るミートだったが、ケビンは「煩せーな」と首を振りながら先に家に戻っていく。
追いついたミートに口煩く言われながら、ケビンは聞き流している。ミートも半分は惰性で文句を言っている。
2人共、旅行やらなにやらで仲良くまでは行かなくても、好き勝手に文句を言い合えるようになっていた。(これは進展なのか)
「……でも、…どうしてあの人お父さんに付いて来たんでしょうね」
思い出したように呟くミートに、ケビンの表情は一瞬かげる。
「―――…言ってたじゃないか。家がこっちの方向だったって」
ミートに乱暴に返すケビンはしかし、自分のセリフをあまり信じていないようだった。

セレブなお嬢さまとお近付きになりたい輩が山と居て、歓迎会は盛況だった。
しかし彼女の兄が会場で目を光らせているので、そう図々しい行動に出れる者はいなかった。
第一、ジャクリーン自身が相手を選り好みする。
そのジャクリーンに追い掛け回されて、イリューは本気で困って逃げ惑っていた。
珍しくスチュワーデスの一団の中に潜り込んでみたり、色々とかわそうと試みて逆に「あーイリュー機長だーVv一緒に飲みましょー♪」と捕まって
墓穴を掘ったりしている。
「……ジャクリーンよ、どうも…あの機長お前が苦手のように見受けられるぞ…?」
そう付け回してやるなと兄にたしなめられ、ジャクリーンは腰に手を当て威張って立つ。
「この私が話をしたがっているというのに、意気地の無い男!何の不満があるというのかしら」
「……色々だろう…あ、いや」イケメンは慌てて誤魔化す。お前に傍に来られると、お前の後ろに居る取り巻き達の気色ばんだ様子に腰が引けるんじゃないかと、
イケメンは密かに推測した。
「それにしても、あの機長をえらくお気に入りだな?ジャクリーン」
「あら、そう見える?」大きな目を細めて悪戯に笑う。
「あれよりも、あれの人形に興味があるの」
あれ…って、と兄は妹の口の聞き方に恐れ入りながら、それを咎められない。
「ジャクリーン、お前小さい頃から人形遊びなんて女の子らしいことには興味無かったはずじゃないか…」
困惑する兄に笑って「乗馬、ばかりして遊んだわねお兄さま」と返す。
馬にされた嫌な思い出に青くなるイケメンに、「今でも好きよ、乗馬。でも人形遊びも好きになったの…」馬も、人形も、欲しいわねと巻き髪を触りながら
呟くジャクリーンの目は、獲物でも見つけた猫のように輝いていた。

「もう、帰らなければ…」と言うイリューの手を引いて、「まだいいじゃありませんかVv」と女性陣は頑張る。
「いや、家に用事を残してきているから…」と腕をかわし逃げる体勢に入ったイリューの首元に、手がかかった。
そのままグイ、と後ろに引き下げられイリューは喉が詰る。
―――…誰だ!?と振り向き、そして恐いものを見たように慌てて目を背けた。
「帰るの?イリュー」と横柄に聞くのはジャクリーン。
いや…まぁ、と言葉を濁すイリューにジャクリーンは「ケビン?ケビンに会いに戻るのね?」と叫ぶ。
「私も帰る!一緒に帰る!」
妙に幼い物言いで勢いよくジャクリーンに宣言され、イリューも青ざめたが回りの者も口を大きく開けた。
「……そ…そんなジャクリーンちゃん、まだ始まったばかりじゃない」「君が帰っちゃったらつまらないよ〜」と嘆く野郎どもには目もくれず、
ジャクリーンはイリューに「送っていってイリュー」と手を差し出す。
どよめく周囲、慄く兄、イリューは「勘弁してくれ」と背を向け逃げ出そうとするが、ジャクリーンは逃さない。
首に腕を回しぶら下がった。イリューは驚いて体をくの字に曲げる。その広い背中に乗り上げるようにしてジャクリーンは、イリューにしっかり抱きつくと
「ふふふっ、乗馬みたい」と無邪気に笑った。
がっくり…と、本当に馬のように崩れ落ち両手をついてイリューはうなだれる。
その背で、ジャクリーンは勝ち誇ったように高く朗らかに笑い続けた。

そのころケビンは「家で食べましょう」と頑張るミートを置いて、一人で飲みに出かけていた。
どうせ、追って後からかかってきたイリューの「すぐに戻る」なんて電話は信用していない。
いつも行く店々をふらふら渡り歩きながら、一人で胃を満たしていた。
次の店へと歩きながら、ケビンは少し酔った頭を振ってみる。
心地良い、気もする。実はそんなに機嫌は悪くないケビンだった。
ひどく苛付いて手がつけられない時にも、こんな風に飛び出して飲み歩いたりする。
が、今がそんなに気分が最悪かというとそうでもない。
携帯が鳴り、ケビンはその夜何度目かの電話を煩そうに取る。
「あ、ケビンさん今どこにいますか?俺はもう外にいて…迎えに行きますから場所を、」
予測した通りの相手から、また同じ内容の連絡。ケビンはうんざりした口調でぞんざいに返答しながら、それでも酔った耳にイリューの懸命な声が心地良い。
「3人で食事、美味しい物でも食べましょう。食べたいものを迎えに行くまでに考えておいて下さい」
「飲みながらつまんでもう腹一杯」
「それなら家で…俺達はなにか作って食べよう、ケビンさんは晩酌付き合って下さい」
「もう結構飲んだからそんなに飲みたくない」
「―――…そう言わずに」
久しぶりに会えたのだからよく顔を見せて下さい、そう言われケビンは唇を尖らす。
怒っているような照れているような声で「来なくていい」と重ねて言いながら、ケビンはちゃんと居場所を教えた。
迎えに来るだろうな。
来るなって言ってもあいつ、しつこいから。
勝手に迎えに来るだろうな…ケビンは一人呟いてみる。自分が、誰よりも求められている気にさせられて、その強引さはそんなに…嫌いじゃない。

もうそろそろ、と見当をつけた時間きっかりにイリューはちゃんとケビンの前に現れた。
ただ、ケビンが予想していたよりもげっそりとやつれてしまっている。
不審に思い眉を寄せるケビンの耳に「やっぱり!ケビン、また会えたわね!」と、よく通る声が響いた。
ケビンの目に、イリューの車の後ろに止まったタクシーの窓から覗く、勝気な美貌が映る。
「―――――イリュー…!」
キッとケビンに睨まれて、イリューはますますうなだれた。
「―――………すみません…」撒けませんでした、と消え入りそうな声に被せて、「ケビン、また会いたかったのよ。今から付き合ってちょうだい」と
こちらは元気一杯な声がする。
「あなたお勧めのお店に連れて行って」と手を打ち高飛車な調子で言われ、「嫌だ」とケビンは即座に返す。
フォローが効かないその返答もジャクリーンは軽く聞き流し、「じゃあ私のお店に連れて行ってあげる」と顎を上げて宣言した。
「嫌だ」ともう一度繰り返し、「イリュー帰るぞ!」と声を荒げてジャクリーンに背を向ける。
「逃げるの?」
追ってかかるそのセリフに、ケビンはカッとなって振り向き再度目を合わせてしまった。
何なんだその物言いは、お前一体何様のつもりだ!?と、いつも上からものを言うケビンが自分を棚に上げて憤る。
低く唸ったケビンにイリューは青くなり、慌てて間に割って入った。
「―――ジャクリーン…皆で食事はまた今度の機会にしよう。今日は皆疲れているから、大人しく家に帰って…」とイリューがジャクリーンの肩に手をかけ
タクシーへ誘導しようとするが、即座にその手は払われた。
「そんな、嫌よ!私あんまり食べてないのに、家まで帰ってたらお腹空き過ぎちゃう!」
小さな子のように頬を膨らまして、ジャクリーンはそう駄々をこねる。
知るか、とケビンは怒鳴りそうになるが、イリューが「ねぇなにか食べさせて!私と食事するのはそんなに嫌!?」と詰め寄られ困り顔で
上手く言い返せないのを見ると、余計苛々してくる。
勝気だが無邪気にも見えるその目の色にイリューが呑まれかけている。それが見てとれて、ケビンの苛々はとうとう爆発した。
「――――…イリュー、……お嬢さんの我侭聞くのが得意なのか、お前?」
ケビンの不自然に笑みの浮かぶ口元、寄せられた眉間にイリューは青くなる。
俺は、帰る。お前が居たいなら好きにしろとの冷たい口調に恐れ入って、イリューが返答する前にジャクリーンが笑った。
「それは、得意かもね。お人形さんの我侭ばかり聞いてそうだから」
「――――…」久しぶりに見た、とイリューが思うほどにケビンは表情の無い冷たい顔をする。
「あなたもたまには、我侭を聞いてみたら?私、3人で遊びたいの。あなたも付き合ってくれなきゃ」
「――――…」
「これだけ言ってもやっぱり帰るの?…恐い顔して」
「――――…」
「ふふふっ、負ける戦はしない性質なのね」
ケビンの眉が引き攣れたように跳ね上がった。つかつかとジャクリーンに歩み寄ると、その腕を乱暴に掴む。
「―――ケ…ケビン、落ち着いて!」とイリューが止めに入ろうとするが、ケビンは鋭く睨みつけて黙らせた。
ジャクリーンの腕を引っぱるようにして、ケビンは足早に歩き始める。
最初戸惑った表情を浮かべていたジャクリーンも、すぐに合点がいって勝ち誇った笑みを見せた。
「―――ケビンお勧めの所?私に任せてくれてもいいのよ?」
大きな目を親しげに細めるジャクリーンを勝ち誇るのはまだ早いと言いたげに一瞥すると、おろおろしているイリューを後ろに従えてケビンは無言で歩いていった。

妙な、そして嫌な展開になったとイリューは青い顔でグラスを傾ける。
ケビンの左隣に座っているが、殺気立った横顔を見るのは正直疲れる。
この雰囲気は良くない危険だ、早くケビンさんを連れてここから出なければと、イリューは先程から何度も店を出ようと口実を付けては提案しているが、
ジャクリーンは勿論ケビンにも聞き入れてもらえない。
ケビンはどうやら本気で、ジャクリーンをへこましてやろうと怒っている様子だった。
(――――ああ…ケビンさん…)とイリューは頭を抱えたくなる。
そのイリューの悩みの元凶ジャクリーンは、ケビンの右隣で楽しそうに杯を空けていた。
時々ちらっとイリューを見る目は、悪戯なだけでなくどことなく意地も悪い。
強引な勧めで仕方なく飲んだアルコールに逆に飲まれながら、イリューは頭の隅でやっぱりこの2人どこか似ているような、と考えた。
「―――イリュー。どうした?グラスがまだ空かないのか?…お前俺と酒を飲みたがってたんじゃなかったのか」
「イリュー、私の注いだ酒が飲めないの?駄目、早くグラスを空けて!」
牽制し合う2人から、イリューにもとばっちりのように声がかかる。
「はい、はい」と促されるままに喉に流し込んだ酒は、しだいに苦味もよく分からなくなっていき。…イリューは、なんとかしなければとの思いも叶わず、
一人早々に脱落沈没してしまった。
「―――ふふふっ、付き人はあなたを置いて寝たようね」だらしない、とジャクリーンのからかいにもケビンは無言で返さない。
ただ、ジャクリーンが面白半分で自分の飲みかけのグラスをイリューの頬に当てようとすると、その腕を掴んで止めさせた。
「つまんない。ビックリする顔が見たかったのに」
「―――…」止めろ、と睨むケビンをジャクリーンはなおも挑発する。
「じゃあ、あなたが私の相手をして。ちゃんと。最後まで」
ケビンが何か言い返す前にジャクリーンはグラスを持ち上げク…ッと一息に飲み干した。
ケビンの手もグラスに伸びる。負けずにグラスを空にすると、どうだと言わんばかりにジャクリーンを横目で睨みつける。
それでもケビンの目は、すでに酔いが回り始めているのか、どこか潤んでいた。

もう、ヤバイ。
気付きながらも負けん気で引けないケビンが、なんとか手にしたグラスを空けてため息と共にテーブルに置く。
頭を抱えたい、いやいっそ机に突っ伏し床に倒れこみたい。ケビンはこんなに正体無く酔ったのは久方ぶりだと自分の姿を情けなく思った。
うつむく顔を覗き込むようにして、隣のジャクリーンが高い声で笑っている。
どこか金属を弾くような声音にケビンは「煩い」と頭を振る。―――お前の声で余計目が回る。
「――――まぁヒドイ。…ケビン、もう飲まないの?」
ジャクリーンが挑発的に自分の杯を空にしても、ケビンはもう乗る元気が無かった。
「ふふふっ…私の勝ち」それでも、ジャクリーンの喉を反らせた楽しげな姿にケビンは「こいつ」と癪に障る。
本当に、何から何まで気に障る女だった。
額を指で押さえ眼を閉じる辛そうなケビンの横顔を、ジャクリーンは観察する。無邪気にもとれる微笑のままジャクリーンは、ついっとケビンの額に
手を伸ばし前髪を一掴み摘み取る。
「―――放せ…」とのケビンの声を無視して、ジャクリーンは柔らかい金髪を手の内で弄び、思いついたように額までかき上げてみたりした。
こんな女に好きにされている。それがどうにも屈辱的で、ケビンは乱暴に首を振りジャクリーンの指を払いのけようとしたが、逆に顎先をしっかりと
押さえ込まれてしまう。
細いくせに意外にも力強いジャクリーンの指は、ケビンの顔を無理矢理向き合わせる。
「放せよ馬鹿…殴るぞ」
ケビンのかすれた牽制にも耳を貸さずに、ジャクリーンは空いた手の平でケビンの頬を何度も撫ぜた。
宥めるように何度も指が往復し、ケビンはどこかその懐柔するかのような感触に身震いする。
やだ、止めろ、と口を開く前に頬を撫ぜていた指先が動き唇を押さえた。
「シ―――ッ…静かに」
お人形さんは、可愛く黙っているものよ。そんなからかいにケビンの頬は赤く染まる。
湧き上がる羞恥にケビン自身がうろたえて、弱気にもジャクリーンから目をそらせてしまった。
そらせた視線の先に酔いつぶれて役に立たないイリューを見て、何故か余計に居た堪れなくなりケビンは、長いまつげを何度か瞬かせた。
ジャクリーンの目もイリューに向く。小さく鼻で笑った。ケビンの肩がピクッと揺れるがジャクリーンは気にしない。イリューを横目に悪戯な笑みのまま
ケビンに顔を寄せた。
「――――……」頬に当たった柔らかい唇の感触にケビンは一瞬固まり、次に感情も露わに頬に手をやる。
何事か悪態を口走りながら頬を押さえ、ようやくジャクリーンの手から逃れると、不愉快を前面に出して顔を背けた。
同じ悪戯を、冗談半分人に仕掛けるのは良くても、仕掛けられ自由にされるのは、ケビンは大嫌いだった。
横でジャクリーンは可笑しそうにケビンを観察している。
辱められている。そんな口惜しさにケビンは熱くなる。
笑いながらジャクリーンが再度自分の頬に指をかけてくると、嫌、とケビンは横にうつ伏せているイリューに思わず助けを求め声を上げてしまった。
窮地のケビンを救ったのはイリューではなく、「―――ジャクリーンさま…お電話が入っております」と告げたバーテンダーの声だった。
「誰?」と未だケビンの顎から指を外さず、無粋な邪魔に不機嫌に返す。
「―――それが…お父さまのお知り合いとしか…」
不可解さに眉を寄せたジャクリーンは、それでも席を立つ。
解放されたケビンはふらつきながらも席を立つ。
いつもは逃げ出す真似は絶対しないケビンが、崩れそうな足取りで、イリューを店に残したまま出て行ってしまった。
「―――もう!何なのあの電話!出た途端切れるなんてどこの誰の嫌がらせよ!」
怒りながら席に戻ってきたジャクリーンは、席にケビンの姿は無くただイリューが突っ伏していることに顔をしかめた。
「―――もう!…こっちも自分勝手に置いていって」
預かってる間に馬の調教するわよ、と怒った口調で呟いたのだった。