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◆EDGE OF TIME◆ (第二話)

 

1 黎明
 翌朝、病院の中はちょっとした騒ぎで始まった。
 ブロッケン一族の張り巡らした結界のお陰で、誰も昨夜の騒ぎに気が付かなかったのだ。だから、早朝の見回り時間に
宿直医が歩いて来て、いきなり出くわしたのが血みどろの壁と床、割れて散乱するガラス、無人の集中治療室だったのだから、
誤解するなという方が無理である。
『ジェイドが誰かに襲われて攫われた、ひょっとすると殺されたかもしれない』という急報に、およそ夜明けの一番眠りの
深い時間に叩き起こされて、関係者一同は病院に集結した。
 一体何があったんだ、俺が知るかよバカという逆上した会話が一区切りした頃夜が明けて。
 そして、彼らが奇跡のように一筋だけ朝日の射し込んできたその場所に見出したのは。
 左胸の、腋下大静脈に近い場所に巨大な裂傷を刻み、そこからの出血で血みどろになったスカーフェイスが腕の中にまだ
意識のないジェイドを抱え込むようにして蹲り、その金色の髪に頬を埋めたままこれも意識を無くしている姿だった。
 駆け寄る一同がもう少し落ち着いていたら、朝日の差し出す黄金の光の中、まさに一瞬の閃きでしかなかったけれど、
確かにスカーフェイスの体から滲み出す、流動する光の粒子のような金橙色の輝きがジェイドを包み込んでいるのを見る事が
出来た事だろう。
 まるで命を、力を分け与えているかのように。

 「しかし」
 ロビンは腕を組んで、呆れたように特別病室に備え付けになっているソファの上で足を組み替えた。
「お前という奴は実際信じがたい存在だな…」
左胸第四胸骨から肩近くまで引き裂かれているものだから、そこを固定材で固めて包帯でぐるぐる巻きにされている
スカーフェイスがベッドの上で顔を上げる。
「はぁ?なんで」
「あれだけの大怪我をして、しかも失血で意識混濁まで起こした挙句がそれか」
ベッドの上に座ったスカーフェイスの前には、病人食などではない、通常の健康体の人間並みのメニューのトレイが
置かれている。
で、当人は只今三回目のおかわりをまさに平らげようとしている矢先だった。
「バッカだねえ先生。出るもん出したら入れなきゃ仕方がねえでしょうが」
おっと、と右手だけで食事しているので危うくこぼしかけて、慌てて口へスプーンを運ぶ。
「それに失神したのは別に怪我のせいじゃねえと思うし」
「どういう意味だ?」
「いや?ちょっと他にもやる事があったからな。それだけ」
にやりと笑って誤魔化す彼に、大体こういう物言いになった時はこれ以上いくら突っ込んでも回答する気はない事が
最近良く分かって来ているので、話を変える事にする。
「で、何者だ?こんな所まで侵入し、しかもこの病院の設備を破壊できるような輩は」
言葉の裏側には、全て超人用に強化改造が施され、警備システムの根幹を探索・捜査系の能力に秀でた超人が負っている
この設備に入り込めるような者が人間である筈がないという確信がありありと見えている。
 スカーフェイスはちょっと考えるように天井の方に目を上げていたが、やがて皿の中にカチャンとスプーンを放り込み、
耳の後ろをがりがりと掻いた。
「俺が口で言うのも何となくアレだな…先生、結構鼻は利く方だったよなあ」
「…何が言いたいんだお前?」
「いや、って言うかコレよ」
パシ、と指を鳴らすとそこから零れたのは、昨夜彼の体を戒めていたプラチナ色の檻が砕けた際、彼の体にまつわった
煌きの欠片。
雪が融けるように空に溶け込んでいくそれを目で追っていたロビンは、それが消える一瞬、辺りに広がった酷く懐かしい
気配に、ぎょっとして目を見開いた。
「これは…Jr.…Jr.だったのか、昨夜の侵入者は!?」
「んな訳ねえだろ。俺はともかく、なんでオッサンがジェイドを襲ったりするんだよ」
光が消えた空間に目を据えたまま、スカーフェイスは顔を顰めた。
「まあ、オッサン絡みのお客さんだったのは間違いねえけどな…俺と先生の読みは大方当たってたって事だ」
ふ、とロビンの青い瞳が冷たい輝きを帯びた。
「ブロッケン一族か」
「ツラ見りゃパツイチで分かるだろ。何せ『プラチナの美貌』だぜ」
投げたスプーンで、もう食べる気はなさげに皿の中身を掻き回しながら言葉を継ぐ。
「俺が見るに、オッサンはまだ掴まってねえ。それにしても奴等はどうしたってオッサンの身柄が欲しい…だから
おびき出す為の餌に使おうとしてジェイドを攫いに来た。ついでに髑髏の徽章も回収しとこうってハラみたいだったが…」
そこで途切れた言葉に、スカーフェイスらしからぬ歯切れの悪さを感じてロビンは首を軽く傾げた。
「何か腑に落ちない事でも?」
皿の真ん中にスプーンを突き立てて、スカーフェイスは空を見据えたまま呟いた。
「別に?」
「んだテメエそのクソやる気のねえ返事は、んー?」
「痛痛痛痛痛!」
スカーフェイスの顔の判創膏を毟り取りながら登場したのはバッファローマンである。
「ジェイドの様子見てきたぜ。」
「お疲れさま。どうだった」
「ああ、一応反射テストはオールクリアだ。正確な所はわからねえが、こいつの出血から見て1時間以上は生命維持装置と
切り離されてた訳だろ?正直影響出てるんじゃねえかってひやひやものだったんだけどな…医療スタッフも首捻ってるよ。
奇跡だって」
いつもならここで俺様の顔になんてことしやがるこのバカ牛、と食いついてくる筈のスカーフェイスが無反応なのに気付いて
目をやれば、彼は長い髪を背中に無造作に流したまま、話を聞いているのかいないのか、白けたような目線を窓の外に向けている。
 その時、その独特の色合いの肌を持つ頬の上に一筋赤い線を描いている傷の異質さに二人の教師は気付いた。
「おいスカー、お前なんだその顔の傷?」
バッファローマンは確かめるように片目だけを眇めた。
「ガラスで引っかいたようには見えねえな。そこだけどしたよ?」
「ん…ああ」
スカーフェイスは頬の傷を忌々しそうに指でぐいと拭った。
「礼儀正しいお客さんでなあ。初対面のご挨拶代わりに一発張って下さったんだよ」
「指輪の台座か何かに引っ掛かったような切れ方だな。それとも印章か」
確かめるように覗き込んでくるロビンを手で押しやって、スカーフェイスはそのまま傷のある頬を支えるように肘を突いた。
「んで、お二人に相談なんですけどね」
「ああ、何だ?」
「俺、今日退院させて頂けませんかね?」
「…馬ッ…」
流石のバッファローマンが言葉を一瞬失った。
「阿呆かお前は!さっきまで血ィ足りなくて死にはぐってた奴が何言ってる!」
「まあそれに関してはレバー3人前食ったから、じきなんとかなんじゃねえかと」
「…そういう問題じゃないと思うぞスカー…」
「うん。確かに生き血啜るのが、実は一番手っ取り早いんだけどな」
にっと笑った顔に大御所二人は、いやだから俺達はそういう事を言ってるんじゃなくて、と思わず頭を抱えてしまう。
「最初に言っとくけど、あんたらの返事がどう転んでも俺は昨日の男を見つけて絶対にぶちのめす。この俺様に傷を負わせた
礼は倍返しでさせてもらうぜ」
激しい言葉とは裏腹に、瞳の色は穏やかに鎮まった琥珀色のままだ。
「でもまあそちらもお祭り騒ぎで手が足りなくて困ってるみたいだし?こんな時に保護観察付きの生徒に脱走だなんだの
問題起こされたくないんじゃねえ?」
「……」
「だから一応許可取っとこうと思ったんだけどどうよ」
唸り声を上げて天井を睨んだバッファローマンの傍らで、ロビンは組合せた指の影に顔の下半分を隠したままスカーフェイスを
見詰めた。そんな姿勢を取ると、その面差しは驚くほどケビンに生き写しになる。
「お前、何を掴んでいる?スカーフェイス」
見詰め返してくる琥珀色の瞳の中に、面白がっているような光が揺れる。
「先生が知ってる事と大差はねえ筈だけど?」
「信じてもいいのか?」
その問いに、スカーフェイスは顔の半分を手で覆うようにして笑い出す。
「卑怯だな先生。その顔でプレッシャー掛けないでくれよ…ダブルでやられてる気分だぜ」
ロビンは肩を竦めて指を外し、短く言った。
「ジェイドから離れて?」
その問いにだけ、一瞬凄むような金色の光がその目の中に走った。
「知らねえな。体治すのは奴自身の問題だろ。俺には関係ねえよ」
「お前、それは違うだろスカー」
バッファローマンの言葉を軽く左手を挙げて遮ったロビンに、スカーフェイスのどこか嘲るような響きを含んだ声が飛ぶ。
「あのなあ。何を誤解なさってるのか知りませんけど、俺は別にジェイドの看病する為にわざわざ日本くんだりまで
来た訳じゃねえ筈だぜ?そうだろ?」
キン、と音を立てんばかりの勢いで、その瞳が光を弾いた。
「俺は決定的な判断ミスを犯した。挙句がこのザマだ。このケツを合わせない事には俺自身が納得いかねえ。オッサンは
俺が必ず見つけ出して、ぶん殴ってでも連れ戻す。ついでにあの男にもお礼参りはきっちりくれてやる」
「お礼参り、ね…」
何か思わし気に呟いて、ロビンがこめかみを指先で支える。スカーフェイスは唇を引いて、底冷えのするような笑みを
その造作だけは整った顔の上に浮かべた。
「ああ。生きてる事を後悔するくらいのスペシャルメニューをな。」
「分かった。許可するよ」
「おいロビン、お前何言ってる!」
至近距離での怒鳴り声に顔を顰めながら、ロビンは応じた。
「だって仕方がないじゃないか。彼の指摘の通り、現実問題として私達には動きが取れない。そして事情は一刻の猶予も
ならないほど差し迫ったものになっている。結論、彼に予定通り動いてもらう事。これが最も効率が良い選択だ」
「流石ロビン先生、理路整然」
拍手の代わりにぱたぱたとシーツの上から膝を打ってみせるスカーフェイスに、バッファローマンは眉間を寄せて酷く
不安そうな眼差しを落す。
 ロビンは微笑みを口元に漂わせつつ、しかし一分の隙もない真剣な眼差しで続けた。
「ではお前が留守の間、ジェイドは我々が絶対に守り抜く。言えた義理ではないが、それだけは信じてくれ。」
「信じるもなにも」
最初っから心配してなんかいやしねえ、と手をひらつかせて苦笑するスカーフェイスへ、重ねるように柔らかく低い声が言う。
「行動制限解除、自由行動の許可は出すが、無茶な事は絶対にするなよ、スカー?」
「絶対の約束はできねえな。先の事までわかりやしねえよ」
が、にべもなく言い放ったその語尾を殆ど打ち消すように、ロビンの強い口調が重なった。
「お前一人の問題ではない。Jr.の上にお前まで行方知れずにでもなってみろ。」
これには流石に、スカーフェイスの口元が歪むように引き締められて沈黙する。
「意識を取り戻して全てを知った時、あの子が考えそうな事くらい想像が付くだろうお前なら」
「………」
「まあお前が、あの子が自分の喉首をかっさばいてブロッケンの城の前で倒れている姿を、どうしても見たいと言うなら
話は別だが。」
ちょっと間があって、胡散臭そうに鼻の頭に皺を寄せて考えていたスカーフェイスは、ふん、と短く息を吐くと右の側頭部を
掻きながら頷いた。
「…分かったよ。せいぜい努力してみますよ」
「期待している」
ロビンは立ち上がり、仮面を着けた。

  「おい、本気であいつをここから出すつもりなのか」
  多少慌てた口調で追いすがってくるバッファローマンに、ロビンは軽く左肩だけを上げて応じた。
「本気だよ。彼がそうしたいというんだ。引き止めたとしてもどうなるものでもなかろう」
「いやそれは正論なんだけどよぉ」
「以前ならとっくの昔に脱走して姿を晦ましていた所だよ。あれでどうして、少しは分かりやすく大人に気を遣う事を覚えて
来たらしい」
「はあ?」
何を言ってるんだ、と言いたそうに反問したバッファローマンの声を聞きながら、ロビンは密かに仮面の下で眉を寄せ、
新緑の広がる窓外の景色を眺める。
 慌ただしい一日がやっと終り、そこに落ちる目映い春の終わりの日差しも、今は金色の夕方の光に変わりつつある。
「何かを隠している。また彼は、私達の知らない所で何かを片付けようとしている。」
「確かに」
バッファローマンも、髯の濃くなってきた顎先を指で捻りながらそれに同意した。
「変に開き直ったツラになってるからな…あんま見たくねえなあ、野郎のああいう顔は」
 一体何があったというのか、ブロッケンの襲撃者との間に。
 ただ分かるのは、彼が詳細を一切自分達に知らせず、その身一つでこれからの攻撃を食い止めようとしているという事。
 そしてそれが、この件に関わるあらゆる人々を危険から遠ざける為に為されているという事。
 恐らくは、最も、ジェイドを。
「…んな話ジェイドが聞いてみろ、『俺を馬鹿にするのもいい加減にしろ!』とか言って、それこそ手ェつけらんないくらい
怒り狂うと思うんだけどよ、俺は」
なんでそういう事やっちまうかなー、頼むから怒らせるなよあの手のタイプをよー、とぼやくバッファローマンに、
ロビンはかぶりを振った。
「それも承知で、自分がこれからどんな危険に晒されるかも十分に予測した上で、そこへ踏み込もうというのだから、
全く質の悪い子だよ。扱いにくい事この上ない。しかし頼りになる。信頼できる実力の持ち主であるのは、間違いがない訳だし」
「あーまあ…そうだけど」
「もう私達には、彼を信じる事しかしてやれないじゃないか。そうだろう」
 ちょっとだけバッファローマンは、傍らを歩く友人の懐の深さに感動した。
 が、そこまでを落ち着き払った緩やかな口調で言っておいて、ロビンはいきなり両手の指をぼきぼきっと一斉に鳴らしながら
笑いを滲ませた声で、こう呟いたのである。
「これが我が子なら、鎖付きの手枷足枷を食らわして、一週間も地下牢に閉じ込めてやる所だが。ははははは」
 思わずバッファローマンは横に飛びのきそうになる自分を抑えながらその横顔を見た。
  ……あんた今メチャクチャ怒ってんじゃん……
「何だバッファ。なんて顔して私を見ている」
「いやー?そんな別にナニって特に」
「どうした?少し顔色が悪いな。まあそうか、今日はお互いろくに寝ていないしな。よし、これから私の部屋に来い。
いいスコッチが入ったばかりだから、あれをお前の為に開けてやろう」
うわもう絶対できたらお断りしたい酒の席へのお誘い。
しかし、あははとか笑いながら問答無用で自分の肩口を掴んでいるロビンの手が緩む訳はなく。
 バッファローマンはバックに「ドナドナ」が流れている気分で拉致されて行った…。

 その夜。
 立ち上がったスカーフェイスは姿見の前に立つと、一思いに自分の体に巻きつけられた包帯を引き千切った。
固定材を毟り取って床に放り出せば、その下にある筈の、キルスの牙で引き裂かれた傷は痕跡ひとつなく癒着している。
「ふん」
くっと顔を歪めて笑うと、確かめるように左肩を一度、ぐるりと回した。
「カスリ傷だっつーの。バッカじゃねえの」
ぐっと拳を握りこむと、ミシリと音がしてみるみる戦闘用の筋肉が盛り上がってくる。
 その、驚異的な回復能力。
「大体俺が勝算のねえケンカ、する訳ねえだろうが」
呟いて、頬の上の赤い傷をぐいと指でなぞる。
 自分で治そうと思わなければ、傷は治らない。
 自分がいつだったかジェイドに言った言葉を思い出す。
「治すさ。倍返しした後でな」
鏡に手を付いて、傷のある自分の顔へ笑い掛け、呟いた。
「こーゆーのも案外悪くねえな…なあ、スカーフェイス≠ウん。」

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