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◆ EDGE OF TIME◆ (第一話)

 
1・失踪

 耳を、疑った。
 この商売(?)をやっているとこの表現を使う事は滅多にない。何故なら、敵と戦うに当たり、全て頼りになるのは自分の
五感+αになる事が殆どだからだ。特に彼の場合、綿密な計算を張り巡らした上で本能の選択を信じる傾向が強いので、
余計にそうである。
 だから、まさか自分が自分の耳を疑う事があるとは夢にも思わなかった。
だのに、どうも最近その傾向が強い。それも、『あの二人』と関わるようになってからだ。
「今、なんつった?先生」
思わず聞き返してしまった電話口で、バッファローマンの怒鳴り声が轟いた。
『だから、Jr.が行方不明になっちまったって言ってんだろうが!耳かっぽじって聞け!!』
咄嗟に受話器を耳から5センチばかり離してしまった。これは正解。
 超人オリンピック、ジェイドVSヒカルド戦が終了した直後である。
 実行委員やら世話役やら、はたまた参加者やらであらかたが出払ってしまうファクトリー内で一応最年長組、しかも後輩に対して
強大な抑止力となりえる実力の持ち主。
また、本人意志もさる事ながら、諸々の事情からオリンピック参加は不可能、という「好」条件が重なり、居残り監督組になった
スカーフェイスに凄まじく取り乱した声でバッファローマンから電話が掛かってきたのだった。
「あのなあ。落ち着け先生。」
思わずスカーフェイスは地球とのホットラインが引かれている校長室の机を拳で殴りながら応じてしまった。
「オッサンは年幾つだ?3つや4つのガキがいなくなった訳じゃあるめえし、いちいち頭に血ィ上らせて俺に電話してくるほどの
ことかよ」
『馬鹿野郎、今のこの状態だから、頭に血も上るんだよ!』
実行委員の一人として地球に入っているバッファローマンが、電話の向こうで拳を振り回しているのが目に浮かぶようである。
恐らく現在、彼の半径3メートル以内には、猫の子一匹いないに違いない。
『ジェイドの戦い見てなかった訳じゃねえだろう。あの子は今、集中治療室に入ってる。それをほっぽりだしていなくなったんだぞ、
Jr.が!あのJr.が!!』
本来ならばロビンだけが座る事のできる椅子に深く身を沈めて、スカーフェイスは思わず眉根を寄せていた。
 別段、重傷のジェイドを放り出してブロッケンJr.が消えた事に対して、バッファローマンのような闇雲な不安を覚えたからではない。
 ふと、いやな予感が頭の芯を針の先のように突き抜けていくのを感じたからだ。
 電話の向こうで、ちょっと代われバッファ、という低い声が聞こえて、会話の主役が代わった。
『スカーフェイス。聞いているか』
「ああロビン先生か。息子さんがお元気そうでなにより」
余りの如才ない挨拶に、思わずロビンが苦笑する。
『ありがとう。…いや、今それどころじゃないんだが』
「ああ、師匠が消えたんだってな。でも、あのオッサンなら有りそうな話じゃんかよ。放っといたって、ジェイドが意識戻って、
取り敢えず可愛い看護婦さんの手ェ借りて歩けるようになる頃にはお土産下げてきっちり帰ってくるんじゃねえの?」
と、左手の中指の爪を弾きながら顎の下に挟んだ電話に言い放つと、ロビンは少し考えるように沈黙してから、言った。
『やはり、お前もそう思うか』
「常識的な判断としてはね」
更に沈黙が落ち、ロビンは今度は非常にゆっくりと言葉を紡いだ。
『非常識な判断というのを聞かせてもらえると有難いな。何しろ私は極めて一般的な常識しか持ち合せていないものだから』
「そのセリフ、決勝戦の時にでもケビンの耳元で言ってみな。怒り狂って相手瞬殺、優勝決定確実」
混ぜっ返してんじゃねえバカタレ、と向こうで怒っているバッファローマンの声が聞こえてくる。どうやらあちらの電話は
モニターモードになっているらしい。
思わず舌を出したスカーフェイスの耳元で、ロビンが静かに続けた。
『お前が何を知っていて、何を考えているのか、聞かせて欲しい』
スカーフェイスは目を閉じたまま、短く言い放った。
「髑髏の徽章≠ネんてのは、どう?」
虚を衝かれたように黙り込んだのは、ロビンの方だった。スカーフェイスは体を起こし、机上に肘を突いて受話器を握り直した。
「見てたさ、ジェイドの試合はな。野郎はあの程度で生き死にの境目見ちまうような事はねえよ。だから師匠が消えたところで、
まあそのうち帰ってくんだろうよって見通し明るい台詞も言える。ただな」
濃い睫が細く開かれて、その下の瞳が黄金色に光を放つ。
「Jr.のオッサンに帰る気があっても、帰れるかどうかは別だって話もあるわな。」
『…どういう意味だ』
「あんたなら気が付いてるかと思ってたけど、やっぱ見えてなかったかい?」
再びロビンが沈黙する。
だが、今回の沈黙が明らかに先程の当惑に満ちたものとは質を異ならせている事にスカーフェイスは気付いていた。
だから、額に手を当てたまま、ロビンの次の言葉を待った。
『…薔薇の継承≠ゥ』
かなりして、まるでその言葉を口に出す事を忌むように呟いたロビンの声に、スカーフェイスは空間へ人差し指を一本突き出した。
「ビンゴ。」
『おい、何の事だ?俺にはさっぱり話が見えねえぞ』
バッファローマンの声に、ロビンの声が被さる。今度は三者通話にモードが切り替わったらしい。
『詳しい話は後で俺がする。それはともかく、スカーフェイス、何故お前がブロッケン一族の内情をそこまで詳しく知っているんだ?』
「それこそ後でいい話なんじゃねえの?ロビン先生」
スカーフェイスは立ち上がった。
「で。俺に言いたい事はご意見参考、それだけかい?だったら言う事は言ったからな。切るぜ。こちとら明日のカリキュラム
びっちり詰まってる身分だからよ」
が、ロビンの声もスカーフェイスに劣らずきっぱりと言い切った。
『明日一番で特別機をそちらに向かわせる。それで地球に来てくれ。お前に、じかに動いてもらった方が話が早いかも知れん』


 凛子の病院通いはほぼ日参状態になっている。お陰で、看護婦から看護士からすっかり顔なじみなってしまった。
 無論、集中治療室に横たわるジェイドの傍に寄れる訳ではない。ガラス越しに眠っている彼を見るのが精一杯だ。それでも、
ジェイドの心臓が規則正しい鼓動を刻んでいる事を示すモニタの数値を見るだけで、安定した波を描く脳波のグラフを見るだけで
安心する。
 少なくとも、ジェイドは生きている。
 もう少ししたら、あのきれいな緑色の瞳を細めて、気遣うような優しい笑顔を必ず見せてくれる筈だ。そう、信じている。
 それにしても、気になるのはジェイドの師匠の事だ。
 あれほどジェイドを愛して、守ろうとしていた優しい人が、ついぞ姿を見せないのはどうした事なのだろう。
一度だけ食事の時に母にそのことを訊ねてみた。すると、母はちょっと首を傾げて微笑み、超人という人たちは、ほんの少しだけ
私達普通の人間とは物の感じ方や、考え方が違うからかもね、となんだか曖昧な答えしか返してくれなかった。
 でも、ジェイドがこんなに大変な時だって言うのに。
 一番ジェイドが傍にいて欲しい筈の人が、ここにいないなんて酷すぎる。
そう思ってガラスに手を当てた時、真横に酷く長身の人影がふっと寄ったのに気が付いた。
が、はっと顔を輝かせて見上げた倫子の視界に映ったのは、期待した蒼白い肌を持つ横顔ではなかった。
 何よりもまず目を引いたのは、その燃えるような深紅の長い髪だ。日に焼けてはいるが、微かに金色の光沢さえ感じさせる
不思議な色の肌にそれが長く落ちかかり、険の強い面に、酷く微妙な色の陰を作り出している。
 軽く倫子のウエスト近くあるだろう腕を組んで、じっとジェイドを見詰めている眼差しは、長い時間を掛けて磨き出された
琥珀のようにどこか深く、静かで。
細かく瞬かれている濃い睫さえやはり深い紅をしていて、いい加減超人慣れしている筈の倫子ですら、こんな、一遍見たら
絶対忘れないような顔の人いたかしらん、と本気で悩んでしまった。
 と、その視線に気付いたらしく、その人物は倫子を振り返ってにやっと笑った。
「よお、お嬢ちゃん。ジェイドの見舞いに来て、俺に見惚れてて良いのか」
「なっ」
倫子は耳まで真赤になった。
「誰があんたに見惚れてるよ!チョーシくれてんじゃないよこの!」
その台詞にぷっと可笑しそうに吹き出しておいて、口元に当てた拳で笑いを噛み殺していた男は、そこで初めて気が付いたように
眉を上げて倫子を見遣った。
「はあ…どっかで見た顔だと思ったら…そうか、お前最近ジェイドにくっついてる女だな」
「べ、別にくっついてる訳じゃないわよ」
「そうかあ?あのタオル投げ込みなんかめっちゃ泣かせるシーンだったぜ?惚れてなきゃ出来ねえ芸当じゃん、ああいうのはよ」
うう、と唸って倫子が二言三言言い返してやろうとした瞬間、長い廊下の向こうから、ロビンとバッファローマンが現れた。
「すまん、迎えが遅くなったな」
「いや、こっちも今着いたとこだ」
ふと、ガラスの向こうのジェイドに目をやって、バッファローマンが何か言いたそうに眉を寄せる。だが、その言葉は琥珀の瞳の
凝視に封じ込まれた。
「んじゃ、行きますか。時間が惜しい」
「そうだな」
先に背を返し、車に戻るロビンに続き掛けて、その琥珀色の瞳はふと気付いたように振り返り、ぽんと大きな手が倫子の肩を叩いた。
その手の力が意外なくらいに優しくて、倫子の大きな目がきょとんと見開かれる。
「え?」
「ジェイドが目ェ覚ました時、絶対に傍にいろよお嬢ちゃん」
肩越しに、軽く片目を瞑ってみせてそんな事を言う。
「結構こいつ、そういうのに弱いから、グラッと来るかもしれねえぜ?」
「…大きなお世話よ!」
倫子の怒鳴り声を背中に聞きながら笑い声を上げ、スカーフェイスはジェイドの眠るガラス張りの部屋を後する。
 だが、歩みを進めるに連れて次第にその顔から笑いが消えて、酷く厳しいものに変わって行き、やがて吐き出すような声になった。
「なんだありゃ。回復が遅すぎやしねえか」
「それもある」
隣りを歩いていたバッファローマンの眉間から、深い皺が消える事がない理由が分かった。
「確かに、お前等ニュージェネレーション組は、俺らみてえにケガだ傷だの回復がバカっ速いってのが薄くなってるんだが…
あ、お前は超例外」
「うっせえよ」
「それにしても今回のジェイドの状態は少々異常だ」
引き継いだのはロビンである。彼は、リムジンの中へ二人を誘うと自分も車内に体を滑り込ませた。殆ど発車の衝撃もなく、
滑るように車が走り出す。
「まあ、医師の見立てでは、ああやって深い昏睡状態に陥る事で、体の中の傷を修復する事に全てのエネルギーを振っているのだろうと
いう事だから、そう心配する事はないのだろうが」
「おめえさん相手の時には、そんな事なかったのにな。手術が終ったらピンピンしてた」
ぽつ、とバッファローマンが溜息のように呟いて窓の外を見た。スカーフェイスは腕を組んだまま無言である。ロビンが初めて
可笑しそうに軽く鼻を鳴らした。
「…馬鹿だなバッファ。こいつは、ジェイドの『中』に傷を付けるような真似はしなかったじゃないか。右腕以外は」
「…んー、ああ、まあそう言われみりゃそうか」
「もっとも、眠っていてくれて有難いというのも、正直なところ本音だ」
ロビンはスカーフェイスに肩を竦めてみせた。
「目が覚めて、Jr.が失踪したなどと知れば、這いずってでも探しに行きかねない子だから」
「バカだからな」
呟いて流した視線の先には、随分久しぶりに見るような気がする、雑多な人波と背後に飛び去っていく建物の群。
 あれだけ目立つ容姿を持っていながら、ジェイドの師匠にはこの雑然とした流れの中にふいと紛れ込んでしまうような所が
実際ある。それは彼が半分人間だからとか、そういう問題ではない。
そう、まるで薄く翳った日差しの中に、影がその形を曖昧に溶かし込んでしまうように。
ブロッケンJr.は自分の存在をどこまでも希薄にして、完全に消し去ってしまいかねない。そんな所が確かにあるのだ。
「甘えてんじゃねえっつーの、いい年こいて」
チッと舌打ちして呟いた独白が誰に向けられた物だったのかを察して、教師二人は顔を見合わせた。
 丁度その時、車はホテルに到着した。

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