(探したぜ…こんなところに隠れてもムダだ…) リュセラム―――モナコからフランス領である内陸に向けて車で約一時間、険しい山間をぬってたどり着く小さな村だ。 1960年代まで電気も通っていなかったという、中世のまま時を止めたような、何も無い田舎だ。 そんな村のそのまた外れに、ひっそりとたたずむ小さな教会がある。教会とは名ばかりで、普段は訪れる者も無く、 谷を吹き渡る風だけがドアを揺らす、朽ちた佇まいだった。 しかし、最近になって密かに出入りの人影を見るようになった。寂れた風景には全くそぐわない高級リムジンが最初だった。 それから何度か体格の良い数人の男たちが、宵闇に紛れて密かにそこを訪れた。廃れた礼拝堂にはしっかり鍵が取り付けられ、 参道は綺麗に掃き清められた。口の堅い村の神父以外は、一般の者がそこに近寄るのを禁じられたので、誰もその朽ちた教会に 何があるのか知ることはなかった。 その白っぽい石造りの建物は、古いながらも簡素で品良い造形で、慎ましくも荘厳な夜の冷気に包まれていた。 今にも降り注いてくるような星の洪水で、星座が見分けにくい程に澄んだ夜空だった。中空に浮かぶ三日月の光が、 天井に空いた明かり取りの窓から降り注ぐ。月や星の光の角度を十分に計算した位置の窓は、爪ほどの月でも、 最大量の光を取り込み、ほの明るく礼拝堂の中心を照らし出していた。 円を描くように敷き詰められた灰白色の石床の中心に跪き祈り続ける人影は、あれから毎夜その姿を月明かりに浸していた。 キリスト受難の十字架の両脇に、二本の燭台があるだけの質素な祭壇に向かって、村人が寝静まる頃から、 明け方まで祈りは続いていた。 独特の紫の典礼帽、指輪、祝祭に纏うような紫と白の法衣、先端が独特の渦巻き型をした杖、胸に下がる銀の十字架… 聖職者なのは明らかで、かなり身分の高い司教(bishop)の正装だった。司教とは行政で言えば県知事に近いもので、 こんな寒村の礼拝堂に滞在しているなど、甚だ異質なことであった。なお異様なのは、両の肩に乗っている馬と城塞の奇妙な シンボルである。 ましてや、俯いて蔭になっているその端正な顔貌は、かなり若い。夜通し祈りの言葉を唱え続ける姿は、石像の静謐さでもって、 人ならぬ気配すら漂うような神秘性を月明かりに浮かび上がらせていた。今が21世紀というのを忘れてしまいそうな、 中世の幻想図であった。 ―――ふと、祈りの詠唱が止んだ。風の流れが変わったのを察したのだろう、殆どその横顔の表情に変わりは無かったが、 微妙に顎を上げ、周囲の気配を伺うように、一瞬息を沈めた。杖を持つ手が僅かに動き、固く握り直していた。 常人にはとても及ぶ術もない感覚で、それは闇に潜む殺気を読んだ。祈りが中断されたことで、やがて射抜くような激しい 視線が背後に注がれたのを知ってか、司教姿の若い男はゆっくり立ち上がった。緩やかな衣擦れの音だけが円形の礼拝堂に 複雑に木霊した。身を起こすときに一瞬よろけた。どこか身体を負傷していたのだった。 立位になって初めて月明かりに照らされたその表情は全く変わらないが、杖を持った手も下げ、何かを待つように、 全身の力を抜き、正面の祭壇に向けられながらも、どこを見つめているでもない端正な顔貌を仄明るい空気に浸していた。 息をのむ静寂の中で、突然、闇の奥から光閃が走るように跳び出してきた影が、頭上から降ってきた。 避ける素振りも無かったために、男はモロに打撃を受けてしまった。肩口から法衣が鋭く切り裂かれ、獣の爪痕に似た 数条の傷が斜めに走った。周囲に鮮血が飛び散り、青みがかった月光に鈍く溶けた血模様が、祭壇の十字架にもかかった。 尚も攻撃は容赦なかった。司教帽が飛ばされ、緩く結われた髪が解けて、虚空に流線を描いた。声もなく倒れかける その方向から、再び強烈な拳の打撃を返され、続けざまに繰り返される。礼拝堂の中心で舞い踊るような姿で、 無抵抗の身体が爪と拳に跳ね飛ばされ続けた。 呼吸が続く限り、気の済むまで加えられた暴虐の渦もやがて収束するが、最後にひときわ強烈な一撃が加えられる。 「スワロー・テール!」 「ぐァ…ッ…」 攻撃者は後ろ向きだったし、よろけた身体で狙いが外れてはいたが、それは獲物の右肩を真っ直ぐに貫いた。残酷な切尖は、 身体の向きを変えながら、すぐに引き抜かれた。捻るような勢いで、鋭い刃先が深く肉を抉り取る。 フン…! ひときわ激しく迸った生温かい流れを浴びて立つ、祭壇の血染めの十字架に向けて、ワザと跳ねとばすように、 もう一度強烈な蹴りが、ズタズタのボディに食い込んだ。 祭壇をめちゃめちゃに破壊して、無惨な残骸の上に崩れ落ちるように、少しずつ床に沈んでいく―――そんな無様な姿を 見下ろす影が、天井から差し込んで床に円を描く月明かりに踏み込んでその姿を浮かび上がらせた。 顔の下半分は包帯で覆われて、全貌を判別できないが、闇の中でも金色にギラギラ輝く獣の眸を持った若い男であった。 青みがかった月の光で不思議な色合いに染まった真紅の戦闘仕様のコスチューム、少し前にTVを見たことのある者なら、 その姿や偽りの名を知っていた。スカー・フェイス、真の名をマルス―――少し前のVSキン肉万太郎戦で負傷敗退し、 病院からそのまま姿を消したd.M.p.の悪行超人の一人である。まだ傷が治りきっていないのか、顔の他にも胴体の一部や膝上など、 包帯が残っている。激しい動きで、顔などの包帯が解けかけて、ダラリと垂れ下がり、呼吸に合わせて揺れている。 マルスは無言のまま、尚も獲物の手首を掴み、強くねじり上げた。相手は全く受身をとらず、まるごとダメージを受けて、 半分失神しかけていた。彼にとってはそれはなお屈辱である。 「チッ! ちったぁ反撃のひとつもしてみやがれ!!」 ぐっと力を込めた掌が高熱を発し、その手首の皮膚を灼いた。肉の灼けるイヤな臭いの中で、相手の固く結ばれていた口元から、 血泡に混じった息が漏れるのを聞き届けると、残骸の中から引き出した身体を、再び礼拝堂の中央に引きずるように投げ出させた。 「てめェらダケは、どうしても許すワケにはいかねぇ…落とし前だけはキッチリつけさせてもらうぜ!」 怒りの感情にまかせて、彼はその胸ぐらを掴み上げ、口汚く呪詛の言葉を吐いた。 「コレはケジメだ…サンシャインはどこだ!」 頭からの流血で髪が濡れて蒼白の頬に半分貼り付いている。強く揺さぶると、ゴフッと重く咳をして口の端から赤いものを 垂らした。何本か肋骨をヤッたようだ。スワロー・テールの刺し傷からも出血が続いている。裂かれた法衣が染み込んだ 血の重さで半分千切れ、揺さぶるとズルリと垂れ下がった。前からの傷が癒えかけた上に、新たな赤い模様を幾筋もつけた 肌の白さが、彼の目を射た。 「あ…あ…マルス…わたしにはもうわかりません。サンシャイン・ヘッドが今どこにおられるのかは…」 「うそつけ! 信じられるかよ!」 「―――すみません、私とサンシャイン・ヘッドはもう…わたしは、ここで元悪行超人として裁きを待つ身です。 もうすぐ…超人カウンシルから決定が…」 「うるせぇ! 質問にだけ答えろ!」 「ここにいては危険です…早く逃げてください―――」 もう一発殴ろうとして振りかぶった時に、腰の痛みが響いて相手の重みを支えきれず、思わず自分もよろけた。 中途半端な力と角度で相手の顔を拳が撫でた。そのまま縺れるように二人の影が倒れ込んだ。 相手の身体に覆い被さる形のまま、彼は荒い息を吐き続け、暫く動かなかった。 圧迫された胸を伝わる瀕死の鼓動が きこえてくるようだ。伏せた自分の顔のすぐ横に相手の顔があるのに、何もできない。相手も彼が動くのを待っているのか、 じっと、なすがままの風で身体を投げ出している。 「クソッ…!」 「―――マルス…」 「ああ…分かってる…分かってるさッ! これは八つ当たりだ! オレだって敗けちまった! 惨めな負け犬なんだ…ッ!!」 更に震える拳を一発床に叩き付けて、畜生…と呟いた。 「いいえ、わたしは…」 「うるせぇ…黙ってろ!」 暫くずっとそのまま横たわっていた。身体の痛みは一瞬で大したことはなかったが、込み上げる激情が全身を軋ませる。 このやりきれない思いをどこにぶつけるか、決めあぐねていた。 それを促すように、奴の手が静かに彼の背に廻された。 「…サンシャイン・ヘッドを許してください…その代わり、私はどうなってもかまいません―――」 「ん…?」 羽のような優しさで撫でてくる掌だった。それが触れているところから、嘘のように痛みが退いていく。 「な、なんだ…?」 「ホワイト・ビショップの力です。去り際にサンシャイン・ヘッドが私にピースを返してくれました。これから光か闇か、 どちらのモードでゆくか、自分の目で確かめろと…ゲームマスターを決めろと言って…そのまま私を置いて行ってしまわれた―――」 「チェック…」 彼は少し身体を起こして、胸の下で語り続ける奴を見下ろした。 「そして私は万太郎たちと共に闘うことに決めました…正義というものの力がどれほど強いか確かめたくて… 光の側を選びましたから、私はいつかはヘッドとも戦わねばならないでしょう」 すっかり痛みの無くなった腰から離れた手が、今度は半分緩んで外れかけている包帯姿の顔を撫でる。 「でも、あなたとは戦えない…ああ、マルス…私たちは貴男から何もかも…全て奪ってしまった―――」 手を上に向けているだけでも、声の端々に苦痛を耐える軽い呻きが入っている。思わずその手を払いのけて叫んだ。 「よ、余計なコトすんじゃねぇ!」 「大丈夫です…私なら…。私は痛みを知らない怪物ですから…」 「うそつけ! 知ってるんだぜ! “痛み”が戻ってるって…」 「少しだけです…それに私は白のビショップの力で回復できます…貴男の心の苦痛に比べれば―――」 言っているそばから、石床に仰臥した青ざめた顔貌の脇を、新しい血だまりが拡がっていく。 「―――もう“白”じゃねぇじゃん…真っ赤だもんよ―――」 彼は、もう一度畜生…と呟いて、奴の顔を掌で包むように挟み、唇をぶつけた。 「…ッ!」 青ざめた冷たい唇に自分の熱さを分けてやるかのように、何度も口づけを繰り返した。 「余計なことしやがって、てめぇ…まずは自分をなんとかしろ」 彼にも本当は分かっていた。 悪魔超人軍の全員追放という裏切りがあってもなくても、サンシャインはそうするしかなかった。弟子たち、 特に愛弟子チェック・メイトの身を案ずるならば、そうする以外なかったのだ。 d.M.p.の幹部の間で取り交わされた約束―――正義超人との闘いに敗れれば、悪魔超人軍は解散。首領であるサンシャインは 死をもって自らの責を負う。軍団メンバーは他軍団の配下となって吸収される…支配下になるといえば聞こえはいいが、 テイのいい奴隷みたいなものだ。 そうだ、本当は他軍団連中の間では、悪魔超人軍の敗北を願うムードさえあった。そう…誰もが―――オレでさえも、 一瞬思った。一匹狼のオレですら…オマエを配下にしてみたかったと。オマエの全てを支配し、思いのままにしたかったと。 ナイトメアズが万太郎に敗れ、サンシャインが制裁された時を狙って、彼も速攻でコトを起こす筈だった。 老いぼれの幹部どもを殺し、d.M.p.を手中に収めるために、彼は第三波としての出撃をせずに残り、チャンスをうかがった。 それも叶わず、d.M.p.は爆破され、崩壊してしまった。サンシャインは結果的に愛する弟子の身の安全を守ったのだ。 生き残った彼はヘラクレス・ファクトリーに潜入し、万太郎と戦うも敗れた。傷が癒えた頃、ノーリスペクトと万太郎の 闘いを見守る中に、オマエの姿を見た。そしてd.M.p.を捨て、ヌケヌケと正義超人面して、モナコ入りするオマエがどうしても 許せなかった。彼にとって生まれ育ったd.M.p.は故郷であり、自分そのものだった。奴に自分のすべてを否定されてしまった ようで、それがなおのこと腹だたしかった。 「ああ…マルス…許してください…」 「殉教者ぶってんじゃねえ!」 「すみません…」 半分失神しかけているような虚ろな動きの唇に、もう一度深く口づけると、彼は想いを振り切って身体を起こした。 このまま怒りと憎しみにまかせて奴を引き裂き、ズタズタに犯して、殺してしまえれば…何度もそう思ったが、彼は立ち上がった。 チクショウ!と傍らに唾を吐き捨てて、ぐったり横たわる奴に言葉を投げかけた。 「オレはd.M.p.を必ず再興させ、あの盟約を受け継ぐ! 万太郎を倒し、オマエを配下にして世界を手に入れる…」 「マル…ス…?」 仰向く透明な双眸が、自分が流した血に染まって見下ろす様を映して静かに瞬いた。 「全ての頂点に立つのはこのオレさまだ!―――忘れるな!」 「ふふ……」 それは自分ですと言わんばかりに鼻で笑った奴にホッとして、彼は別れを告げた。 「ケッ…今度会う時までイカしたアダ名考えときな!」 すっかり回復し、軽くなった身体は、一蹴りで礼拝堂を跳び出すことが可能になった。 明け方の冷気が肌に気持ちいい。谷底を走る道の彼方に、例のリムジンのライトが遠く向かって来るのが見えた。 東の空の端が白くなっている。 そろそろ目覚めかける鳥たちの姿を思わせる跳躍の姿は、獲物の流す血に染まった、まさしく天を自由に駆ける真紅の猛禽だった。 written by HIKO 2002.03.29 |