SCAR FACE SITE

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◆ 傷、そして、奇跡。

 
SCENE  1

 思いもしなかった事から、結局そういうことになってしまった。
 考えてみたら、こういうのを「相手のペースに巻き込まれた」と言うのではなかろうか。
 言い訳がましくて恐縮なのだが、俺にはそのつもりは全くなかったのである。マジで『本当に』である。
 そりゃあ、あの時はそう言った。それは否定しない。
 でも、世の中にはもののイキオイとか、その場のノリ、と言うものがえてして存在するではないか。
それは、ご理解いただけると思う。
 本気で俺が冥王星くんだりまで飛ばされ、そこで冷凍保存されてしまうと思い込んで、泣いて泣いて──あのでかい目玉が
それこそ溶けてしまうのではないかと思うほど泣いているあいつと向かい合った時、俺は思わず口走ってしまったのだ。
 「生きて戻って、その時はお前を手加減なしで抱く」と。
 でも、だ。
 まさかそれを本気にしていたなんて誰が思うか。(いや、生きて帰ってくるってのは当たり前だとして、後半部分を、である。)
 あいつは確かに、生まれこそ定かではない。多分、奴の両親はまともな人間で─生まれたばかりの我が子がころころ
笑いながら空中に浮いてたりとか、階段からおっこちて頭をざっくり割るようなケガをしても、三分後にはその傷が綺麗に
治っていたりとか、はたまた物を部屋中にふっ飛ばしたり─いわゆる、ポルダーガイスト現象と言う奴だ─しているのを見て、
この赤ん坊が普通の人間ではなく、いわゆる『超人』だと言う事に気がついてそいつと付き合う勇気がなくて、
放り出してしまうような類の人間だったのだろう。
 しかし、その後の奴は、想像も出来ないほど恵まれていた。俺はそう思う。
 そんなぶっ飛んでる赤ん坊を拾い、ノーマルな人間と同じ扱いをして育てる神経の持ち主に拾われ(その育ての親を超人差別の
下衆共になぶり殺しにされるというきつい経験はしてしまったものの)、その直後にあの強烈に過保護な師匠──偉大なる
『レジェンド』のお一人、ブロッケンJr.に出逢い、その翼の下でそれこそ毒にも虫にも害されないように育てられたのだから。
 同じようなコースを辿り、野垂れ死にした『超人』の子供など掃いて捨てるほどいるだろうし、自分が『超人』だという事を
ひた隠しに隠して生きている奴もいるだろうし、その中で「人間に生まれなかった自分」と「世間」の間に挟まって、
歪むだけ歪んでしまい、いわゆる『悪行超人』になった奴なら嫌と言うほど実例を見てきた俺が言うのだから、間違いない。
あいつの頭の中には「歪み」も「濁り」もなかった。まっさらでストレート、加えて上に「バカ単」を付けたくなるほどに純な気性。
 なんでそんな奴が、俺と顔を突き合わせた途端に言うと思うか。
「約束は、忘れたのか?」
なんて。
 笑って誤魔化すつもりだった。冗談じゃねえと突っ放せばそれで済むと思っていた。
 お前、あんな事本当に自分ができると思ってるのか?と。
 しかし、運命の女神様は今回、祝福のキスどころか強烈な右ストレートを俺の横っ面に叩き込んできたのだ。
しかも、満面の笑顔で。
 奴にそう言われて、逃げを決めようと思った瞬間、俺の頭にはとんでもないことが閃いた。
 ロビン校長、なんか物凄い事さっき言ってなかったか?
 俺の個体データを書き直すのを忘れたとかなんとか?
 それって、昔の俺の部屋の鍵を、今の俺は開けられないと言う事になりませんかおい!
 そんでもって、それはそのまま、この巨大な建造物の全警報装置が、今だ俺に対して「未確認個体」とやらの判定を下して、
総攻撃をかけてくるのだという事も、ついでに意味しちゃいないか?
俺は思わず額を押えて呻いてしまいそうになった。
 これが、あの腹黒鉄仮面親父の差し金だとしたら、それは物凄い遠大な謀略である。
こんな生活を続けていたら絶対に自分が壊れてしまうと確信し、親父の手元から逃げ出したのだと、いつだったかケビンが
暗ーく呟いていたのが、なんだかちょっとだけ理解できてしまったような気がする。
 そんな俺のデリケートな混乱に委細かまわず、この無垢にして無邪気な──この言葉は絶対に「傍若無人」って言葉と
イコールに出来ると俺は最近思い始めている──ベルリンの天使様はこうのたまいやがった。
「─もう、待ちたくない。」
 …どなたか、俺に逃げ場があったと思うかね?
 試しに、あの澄んでいるのにうっすらと靄の掛かっているような色をしている目がまた潤みを帯び始めている有り様を、
そこに蜜色の、それこそ作り物の様に異様な精巧さで這え揃っている睫が柔らかい影を落としているのを思い描いて見て欲しい。
 そして、その緑色の瞳ででこちらの目の中をじいっと見詰められて、止めに、今にも崩れんばかりの表情を浮かべて
両手を差し出してるポーズで迫られてる状況を想像してみるといい。
 これは、…ホントに来る。頭が何か考えるより先に、もっと奥の方の…そう、大脳旧皮質とか、海馬の辺りが反応しちまうのである。
 動物なんですよ。結局。俺達だって。
 なんか、次の瞬間「あーもう知ったこっちゃねえ!」という気分に俺がなったのは、そういう経緯だった。
 …だから、くどいようだけど、最初からそういうつもりでいたわけじゃねえんだって。


 正直なところを言えば、別に俺は男相手も初めてじゃない。だから、奴ほど緊張もしてなかったし、期待もしてなかったと
いうのが本音。
 女はいい。はっきり言って好きだ。柔らかくていい匂いがして、やってる最中ふっと自分が肉食獣になったような気分になる。
 そう、この柔らかい皮膚とか、あったかい肉を食いちぎって、吹き出してくる血を啜ったら、どれほど美味いだろうとか
思ってしまうのだ。
だから、することなすことついつい手荒になる。余り大きい声で言える事じゃないが、俺に本当に体を食いちぎられた女も
確か何人かいた筈だ。数なんか覚えてねえが。
 まあそういう訳で、流石に俺も相当気が立ってる時には、女相手にするのは避けるようになってた。
一応、「可哀相かな」と思うくらいの情は残ってる訳だよ、俺みたいな男の中にだってね。
 その点男は、特に超人ならどんなに手荒に扱おうと、血ィ吐くほど痛めつけようと、死にやしないから
こっちも気が楽といえば楽。別に殺人淫楽の気はないから、結果として「死んじゃった」場合は別として、
殺す事が目的のセックスはしない。
 だから、こいつもそんな程度で済ませばそれで良いだろうと思っていたのが本音である。
 少々手荒に可愛がって、恐い目を見させれば二度とこんな馬鹿は言い出さないだろうと。
 ここしばらくのどたばた続きでこいつと俺の距離は必要以上に近付いてしまった。ここらで少し距離を開けて、
良き同胞という関係に戻っておく方が何かといい。そう思っていたのだ。
 誰の為にも。こいつの為にも。
 俺の、為にも。

 基本的に、いきなり手荒な真似をするのは趣味じゃない。
 とりわけ今俺が抱き上げているこいつのように、体の芯までガチガチになってる奴にレイプまがいの事を強行してみろ、
下手すりゃ痛い目を見るのはこっちの方だ。
 とにかく、相手が余裕を取り戻せるだけの時間を掛けて、危険な事は何もないんだと思い込ませるまで優しく丁寧に
撫で回して抱き締めて舐め回して、一度極上の天国を見せてやって、蹴落とすのはそこから。
その落差を創り出すテクニックにははっきり言って自信がある。俺ほどそれが上手い奴はそうそういる筈がない。
 だから、いきなりベッドに引っ張り込むような真似はしないし、ましてや素っ裸にするような事は絶対にしない。
逃げようと思えばいつでも逃げられる。その状態で始めてやるのが、『獲物』にとっちゃ一番安心できる状況だからだ。
 で、その定石通り俺はジェイドをベッドの横に立たせると、固く目を閉ざしたままの奴へ、宥めるように額をすり寄せながら
上着の前を開いて、胸を緩くはだけさせ、その首筋に羽毛で触れる程度のキスを軽く何度も落としながら、指先で脇腹を
すくいあげるように撫でた。
ひくっと体全体が震えるのが伝わってくる。首を仰け反らせるように顎を上げ、目を閉じたままの顔がその感触を堪えて
歪むのが見えるようで、俺は可笑しくなりながらその金色の髪を鼻先で掻き分けて耳朶を柔らかく噛んだ。
 鉄則その2。決してきわどいところに直撃を食らわさない事。
意表を突いて、一気に持ち込んでもいいのは相当馴らした相手か、さもなきゃ使い捨てでこの先を考えなくてもいい時だけなのである。
残念な事に、俺にとってこいつはそのどっちでもない。
 でもまあ、あの狂牛オヤジにも言われた通り、結構手間暇かけて仕込んでいくのは嫌いじゃないから、これはこれで楽しい……って、
仕込んでる訳じゃねえだろうがよ、今回は!
 その時だった。
あいつが、逃げるように首を引いて、微かに囁いたのだ。
「…ちょっと、待ってくれ、スカー」
「やだね」
その耳を舌で嬲りながら言うと、叩かれた小犬みたいな甲高い声を上げて拳で俺の胸を押しのけようとする。
 あのなあ、そういう事をすると、そこが弱点だと相手に教えているのと同じなんだけどね、ジェイド君。
そうすると、もっと泣かせて苛め倒したくなるじゃねえの。
普段は一糸乱れずきちんと真っ直ぐなカオしか見せないお前の、いい加減自分を見失い始めてるその「顔」が、
どれほどそそるか、自分で分かってねえだろう。
「今更、恐くなったから止めてくださいなんて言ったら、俺何するかわかんねえぞ」
両腕で腰を締め上げながら囁けば、ジェイドは逆に俺の背中に腕を回し、指先を食い込ませながらかぶりを振った。
「そんな事、言う訳ないだろ…馬鹿に、するな」
鎖を外してくれ、と俺の胸に額を付けて、言う。
「鎖?」
「首に掛かってる。それを、外してくれよ」
いつからペンダントなんかつける趣味が出来たんだろうねこいつは、と思いながらその鎖を奴の首から外した時、
チャリッと澄んだ金属音を立てて何かが床に落ちた。
 ジェイドは体を屈めてそれを拾い上げると、俺の手を取って、何か重いものを俺の掌の上に載せた。
「これ、返すぜ。スカー」
思わず目をやったそこに俺が見出したのは、あのケビンの最強パトロンがジェイドに寄越したと言う、涙型のアクアマリンだった。
「俺、お前が帰ってくるまで、絶対に体から離さないで持ってようって決めてたんだ」
もう一方を自分の手に握り締めて、ジェイドは微笑んだ。
「綺麗なままだよ。傷一つついてない。」
そして、もう一度俺の背中に両腕を緩く回して、体全部を預ける様にして寄り掛かってくる。
「よかった。」
 ……何とでも言ってくれ。
 俺の頭の中でこの時もう一回何かがぶっ飛んだのである。
 俺はジェイドの顔を両手ですくい上げるように持ち上げると、思いきり深く唇を重ねていた。
流石のジェイドもこれには驚いたらしい。それはそうだ。今まで幾度となくじゃれあいみたいなキスをしたとはいえ、
前振りなしにここまで激しい事はした事がない。
 それでも、奴の鼻の奥から切れ切れに聞こえてくる声は、もう抗議でもなければ呼吸を妨げられている苦しさからでも
なくなっていた。
 その甘い鳴き声が俺に拍車を掛けたらしい。音を立ててあいつの口の中を荒らし、掌で胸を、背中を愛撫している内に、
だんだん苛々してきたのだ。
 俺は一度ジェイドの体を離すと軽くベッドの方に突き落としておいて、自分のヘッドガードを外し、荒っぽく頭を振った。
 いい加減肘を越し始めた赤い髪が落ちかかってくる。続けて上着を脱ぎ捨てると、両手で髪を背中の方に掻き上げる。
そんな俺をなんだか呆然としたような目でジェイドが見上げている。俺はさっき突き落とされた姿勢のままベッドの端に
座っている奴の傍らに腰を下ろした。
少し尻込みするように後退る体を追いかけて、その腰の両側に手をつく。そして、俺はあいつの目をまともに覗き込んだ。
 …これで、また俺はやられた。
この状況に少しは怯えているのかと思ったら、その緑色の目は、どうにも表現しようのない柔らかさで俺を見返してきたのだ。
 おまけに、両手で俺の顔の両側に落ちかかって来る半端な長さの髪をすき上げるようにして、頭を挟んで呟きやがった。
「…スカー…!」
語尾が熱っぽく掠れた、微かではあるがはっきりした強い呼び声は、もう間違いなく「来い」と言っている。
 思わず、目眩がした。
 滅茶苦茶誘ってんじゃねえかお前…!
 絶対、自分のやっている事の恐さが分かってないのだ。こいつに、計算してこんな真似が出来る訳がない。
 恐ろしいほどの「天然無自覚誘い受け」。
 誰彼なしにこんなもの発動されたらたまったもんじゃねえ。そう思ってからぞっとした。
こいつ、やりかねない。そもそもやっている事に気がついてないのだから。
 …くそが…!
 俺はもう誰を罵っていいのか良く分からなくなりながら腹の中で罵倒し倒した。
 おいおいおいどうすんだよ、これからこの、核爆弾並みに危険な馬鹿野郎を!?
 大体何だって俺は、直肌でこいつを抱きたいなんて、青臭いガキみたいな事を考えるほど熱くなってんだ!?
 鉄則その3。絶対に自分は必要以上に衣服を脱がない事。出来るなら、必要な瞬間まで一切乱さないくらいでちょうどいい。
 これは、俺の方が立場が上だという事を獲物に分からせる意味もあるし、まさに「一枚隔てを置く」事で、
下手な馴れ合いを生まない為でもある。
 だがその腕で首を引き寄せられ、指が髪に絡んでくるのを感じ、まだまだぎこちない動きでそっと舌を絡められた時、
俺は完全におかしくなってしまった。
 安心させる為の言葉を並べ立てる事さえ忘れて柔らかい唇を貪りながら、ジェイドの体を夜気の中に晒して行く俺の頭の中には、
もう「定石」とか「鉄則」という言葉は、一欠片も浮かんでこなかったのだ…。
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