SCAR FACE SITE

前画面へ



◆ FINAL CALL

 
夜が明けるのと同時に、全てが動き出した。
 それを、沢山の瞳が無言で見守っていた。
 ある者は、来るべき結末が訪れたのだと言う、無表情な眼差しで。
 ある者は、消す事の出来ない怒りを滲ませた眼差しで、そしてまた別のある者は、納得と言う言葉で誤魔化す事の出来ない
煩悶を押し隠した眼差しで。
 ただ、そこには柔らかい光を湛えた、翡翠の色の瞳だけが存在していなかった。

 「ジェイド!」
 トレーニングルームの入り口で絶叫が響いた。
「お前、何やってんだこんな所で!?」
キッドが上気した色白の顔に、玉のような汗を滲ませてそこに立っていた。ジェイドは、いつも通りのリハビリメニューを
こなしていた手を止めて、彼を振り返った。
「おはようございます先輩…どうしたんですか」
「どうしたもこうしたも…お前何でこんなところでトレーニングなんかやってんだよ!?」
「義務ですから」
きっぱりと応えたジェイドの、いっそ冷たいとさえ言える言葉にキッドは声を無くし──呟くように続けた。
「…あいつが行っちまうのに、お前、それで──」
ジェイドは全く何事もなかったかのようにタオルで汗を拭い、キッドに目をやった。
「俺は自分のするべき事をしているだけです。それ以上、何か?」
かあっとキッドの顔に朱が散った。
「何でお前等二期生ってのは、土壇場でそう変に気取るんだよ!
お前ほんとにいいのか!?このままスカーフェイスが生きたまま氷漬けにされても構わないってのか、ジェイド!?」
ぴくっ、と一瞬ジェイドの顔に痙攣のようなものが走った。
だが、彼は静かに首を横にふった。
「別に…俺に意見できる事ではありませんし」
「ジェイド!」
「あいつが選んだようにさせるしかないでしょう」
ジェイドの声は静かだった。
「大体今更、何が出来るって言うんですか?キッド先輩」
次の瞬間、キッドの拳の一撃が見事にジェイドの顔に決まっていた。
「最低だな、貴様と言う奴は」
吐き捨てるように言って、キッドは手を払った。
「見損なったぜ、ジェイド。もう少し根性のある奴だと思ってた。今からスカーフェイスをさらいに行くんなら、
手を貸しても良いと思ってたんだ」
「……」
「でも、お前はそれどころじゃないんだな。自分の体を作り直す事の方が大事なんだよな。
いいだろうよ。だったら、そのスカーフェイスに引き千切られた腕を後生大事に治してろよ。」
キッドの明るい青の瞳は心底の怒りに燃え滾って輝いている。
「予言してもいいぜ。その肩、絶対に治りゃしない。お前は一生、スカーフェイスの傷を背負っていくしかねえんだ。
その程度の男だったって事だ」
そのまま、トレーニングルームを後にするキッドの背中を見詰めていたジェイドは、ゆっくりと手を挙げると
キッドに殴られた頬を押えた。
 これでいい。
 これで、間違っていないのだ。
 …なあ、そうだろう?
ジェイドは唇を噛み締め、零れそうになる名前を喉の奥で噛み殺した。

 「護送カプセルの中で、第二次冷却処理を開始する。冷凍措置はシャトルに移してからになる。小惑星帯突入後、
木星の衛星イオからのナビゲートビームで方向を調整して、木星の重力場を利用して加速。冥王星プリズンまでは慣性飛行。」
淡々と説明して、ロビンは星図を指示するのに使っていたレーザーポイントのスイッチを切った。
「これらの作業は全てプログラム処理で進行する。マルスを封印するのは、グレタ・クロン大亀裂の中の第三クレバスになる。
深さは約三百メートル…まず、脱出は出来ない」
説明を受けているレジェンドの中で、ブロッケンJr.だけが腕を組み、全てを拒否するように目を閉じたまま沈黙している。
「彼の現在の能力は、パラライズワーム装着以前の4割に抑制されています。」
医療スタッフの誰かの声が響いた。
「現在は、第一次冷却処理の第三段階で、減圧剤の投薬を行っています。血圧は平均最高72、最低48。脈拍毎分37。
発声機能などは麻痺したようですが、電気的刺激に対する意識反応は明瞭。経過は順調です」
「土壇場で暴れ出すかもしれん。拘束具はそのまま着けておけ。それから──」
ちら、とロビンがJr.を見遣った。
「奴を奪い返しに来る者が有る事も十分に考えられる。警備を倍に増やせ」
それでも、ブロッケンJr.は目さえ上げなかった。
 それが、ジェイドの事を言っているなら、ロビンにはもう何も分からなくなっているのだと思った。
あの時、振り返る事もせず、涙も見せずに別れた二人が、どうして今更醜く時の流れに抗うだろう。
いや、悲鳴のようにお互いを呼び合っているからこそ、その声は閉じ込められ、胸の奥底に凍り付いて永久に融ける事のない
黒い氷の塊に変わっていくのではないのか──
 と、その時だった。
 凄まじい侵入者警告サイレンが鳴り響き、そこに集っていた人々の腰が一斉に宙に浮いた。その中のいくつかの視線が、
露骨にブロッケンJr.に向く。
それに気付いたバッファローマンが不愉快そうに──こちらは、椅子の背中にふんぞり返ったまま微動だにしていない──
声を上げた。
「監視カメラの画像、こっちに回させろよ、ロビン。ネズミの面皆で拝もうじゃねえか」
一瞬、逡巡するかにロビンが沈黙する。
  ジェイドでは、ない。
 強い呟きが藍色の瞳の輝きにそのまま現れ、Jr.は立ち上がった。
「その必要はない。侵入ポイントだけ教えろ。俺が始末してきてやる」
「Jr.、お前なあ」
言いかけたバッファローマンを手で制して、ブロッケンJr.はその頬に辺りの人間を切り裂くがごとき、
凄艶なほどの笑みを漂わせた。
「お心遣い恐縮だが、このネズミ、我が弟子(シューラァ)ではない。断じてな」
その表情に、バッファローマンさえごく、と喉を鳴らして呼吸を呑み込んだ。
「ならば、不法侵入者の一人や二人、血祭りに上げる事など造作もない話だ」
そのまま行こうとしたJr.の背中に、ロビンの声が掛かる。
「待て、ブロッケンJr.。映像が回ってきた」
振り返ったJr.の目が、驚愕に見開かれた。
そこに映っているのが、キッドとガゼルだったからだ。
「…うわー、こんなとこに出やがったか、こいつら…」
監視装置を滅茶苦茶に破壊しながら駆け抜けてくる生徒達の姿に、バッファローマンはあながち嫌がってもいなさそうな
声を上げた。
「なんで、一期生が…?」
呆然とした誰かの声に、バッファローマンは高笑いして腕を組んだ。
「知らねえよ。ガキにはガキの理屈があるんだろうよ。俺らには想像もつかねえような、神秘的にして単純明快な奴が」
バッファローマンは入り口付近に立っているJr.に向かって手を払った。
「早く行けJr.。これ以上ぶっ壊すと、あの二人を営巣に叩き込まなきゃならなくなる」
Jr.は肯き、一瞬だけロビンに突き刺さるような視線を投げるとそこを出ていった。
ざわつく会議場の中を横切り、バッファローマンはロビンの傍らに立ち、スクリーンを見上げた。
「…参ったねどうも。流石テリーの息子だ。心底バカだ。俺は好きだ」
ロビンは疲れたように目頭を押えるような仕草をした。
「…同感だ。」
その肩に腕を回し、慰めるように肩を叩いてバッファローマンは呟いた。
「もうじき終わる。もうちょっと我慢しろや、なあ、ロビン」

 いきなり行く手にふうっと影のようなものが立ち上がった事に気付いて、ガゼルは飛びつく様にして前を走っていた
キッドの体を後ろに引き倒した。
 その直後、二人の首が有ったはずの空間を蒼白い衝撃波が走り、背後の壁がギャッ、と金属音を上げてひび割れる。
「よく避けた…大したものだ」
コツ…と堅い靴音と共にそこに立った人の姿に、キッドが呻くような呟きを漏らす。
「ブロッケンJr.…!」
「何をしに来た」
細められた藍色の瞳の光は冬の湖のような冷たさを湛えている。
「勝手に持ち場を離れて、こんなところでお前達は一体何をしているのだ」
その肩から、削げたように蒼白い頬の辺りへ、蒼い炎のような揺らめきが見え始めたのに気付いて、ガゼルは超人内でも
最高と言われる自分の視力を一瞬疑った。
しかしそれは錯覚ではなく、その炎が輝きを強めるにつれ、ブロッケンJr.の外貌が変わって行く。
 いつもの、影法師のようにどこか不安定な闇を沈めた長身が、まさにプラチナの放つ、冷たく華やかな輝きを纏い始めたのだ。
ガゼルはぞっと寒気を覚えた。
ブロッケン一族の異名、『プラチナの美貌』の真の姿が、今目の前にある。
深い藍色の瞳は、まさに冷え切ったサファイアに映し出された、白刃の輝きを秘め──
 その視線に、皮膚の表面がちりちりと焦げるように─いや、凍り付くように震えるのが、自分で分かる。
次に一撃が来たら、今度こそ避ける事など不可能だと、『肌』がはっきりと理解してしまっているのだ。
それほどの圧倒的な力の違いが、今目の前に立った蒼白い陽炎をさながら輝く八枚の翼の如く身に纏った人物の体から
吹き上がっている。
次にやってくる攻撃の瞬間に向けてその力の全てが一点へと上り詰めていくのが分かるのだ。
 と、その時。
「スカーフェイスはどこにいるんですか」
 その異常な緊張は、キッドのきっぱりとした強い声によって破られた。おもわずはっと息を吐いて、ガゼルは傍らの友人を見た。
 ブロッケンJr.へと真っ直ぐに向いている、生まれ故郷の空をそのまま映したようなキッドの明るい青の瞳には、
迷いも恐れも欠片ほども見られない。
生きとし生ける全てのものに畏怖をもたらす『プラチナの美貌』さえ、その眼差しにはどんな曇りも落とす事は出来ないのだ。
思わず深く呼吸しながら、ガゼルはキッドが一緒だった事に心底感謝して、再びブロッケンJr.に向かい合った。
「貴様等には関係のない事だろう」
そしてまた、ブロッケンJr.もその気後れしない青い眼差しに、懐かしい面影をはっきりと見出していた。
 あの底無しの大らかさと明るい優しさに、大分困惑もしたし、振り回されもした。時には無神経だと苛立ちさえしたのだが
──今目の前にあの時の彼の面影をはっきりと伝える少年が、同じスカイブルーの瞳を輝かせて立てば、
それは、全て懐かしさに変わる。
「関係なくなんてありませんよ!俺達──俺は、奴への処分が納得できません!」
細められたJr.の瞳を威嚇と取ったか、すっとガゼルがキッドの前に半身出た。
「で、実力行使か─」
ふ、とJr.が唐突に微笑み、ガゼルはその体を覆っていた蒼銀色の闘気がゆるやかに鎮まっていくのを見た。
「全く、お前等親子は揃いも揃って」
「は?」
「ちょっと来い。殺す気が失せた」
そう言い捨てると、Jr.はさっさと先に立って歩き始めた。慌てて追いかける二人に、気が抜けたような笑みが肩越しに向いた。
「あそこじゃ、どれだけ監視カメラが仕掛けられているか分からんからな。こっちへ来い」

NEXT