「ジェイドさん、診察の時間です」 声の主は、ピンク色の制服に身を包んだ可愛い看護婦さんである。病院内にあるリハビリセンター──とは名ばかりの、 実際には殆どトレーニングルーム──の入り口から呼びかけられ、ランニングマシーンを使っていたジェイドはマシンを止め、 ヘッドガードを外した。 「はい。今行きます」 ふわっと乱れる蜂蜜のような色の髪の下、翡翠の色の瞳が優しく笑う。迎えに来た看護婦さん、ぽおっと頬を染めると、 他の連中の目さえなければジェイドの腕を取りかねない勢いで彼に寄り添うようにして出ていってしまった。 「ありゃあー、あの子もジェイド狙いかー」 かなり前に退院はしたものの、まだ定期検診を義務づけされているキッド─スカーフェイスとの戦いで、 一時は心臓停止まで行ったテリーの息子─がウェイトハングの手を止めて呟く。 「カワイイのになー。俺、タイプだったのに」 「先輩とジェイドじゃ勝負になんねえだろ」 くっくっと笑ったスカーフェイスに、キッドはむくれた。 「なんだよそれ。オマエに言われたかねえよ」 他愛のない言い合いが始まり掛けるそこに、ぴしっと鞭を手に打ち付ける音が割ってはいる。 「はいはい。ヒヨコ共。無駄話はそこまで」 全員のトレーニングメニューを組み、万全の回復を監督しているバッファローマンが指導用の鞭を振りながら二人の前に立った。 今ここにいるのは、新世代超人入れ替え戦で負傷した、キッド、スカーフェイス、クリオネ、ジェイドの4人である。 もう一人のデッドシグナルは、機械系超人専門の施設にいる為、ここにはいない。 そして、バッファ先生には色々な意味で気に掛かっているのが、その中のスカーフェイスとジェイドである。 一体この二人、どういう事になっているのか? 一見すると、普通の同期生としての距離をしっかり保っている。しかし、何だかそれだけではすまされない空気が、 二人の間に時々走るのを闘牛氏、見逃していない。 で、今回は罠を──失礼、かまを、掛けてみる事にした。 「ま、手を止めなきゃ別に構わんけどな」 と、バッファローマンは長椅子に腰を下ろして筋トレに励む3人を見ながら口を開いた。 「ジェイド狙いって言えば、そんな事もあったな」 「は?」 「何それ、バッファ先生」 スカーフェイスは無言でちらっと目を向けてきただけである。 三人が不思議がるのも無理はない。この話は、今までファクトリーの教務室で完璧クローズされてきた話なのだから。 しかしまあ、もう時効だろう。 「いやな、一期生の卒業直前に、7人ばかし大怪我していなくなった奴等がいただろう。キッド、覚えてないか」 「…え…ああ、そういやそんな事もありましたねえ」 だから何、とキッドは父親似の顔に素直に不思議そうな表情を浮かべる。 「あれ、ここだけの話、ジェイド狙いで夜這い掛けに行ってやられたらしいんだな」 「うっそお!?なにそれ、マジ!?」 絶叫はキッド。クリオネは口が開きっぱなしになり、ブレストプレスの手が止まっている。 「ほれ、手が止まるならこの話はここで終わりだ」 先生の指摘に、いそいそと訓練を再開しながら、キッドは先を促した。 「そりゃまあ、ジェイドはあのツラだから変な気起こす奴がいるのも分かるけど…7人って、多すぎないか、先生」 「そりゃまあ、卒業も近いって事で、行きがけの駄賃だと思った奴もいるだろうよ」 「先生、それ言うなら、『やり逃げのやったもん勝ち』だ」 何気なく突っ込んだのはスカーフェイス。 「何でもいいけどよ。とにかく、奴さんたち、大真面目にジェイドを…襲いに」 流石にここで声が小さくなる。本人がいたらとてもじゃないが出来る話ではない。 「…行ったらしいんだ。そこで返り討ちに遭ったってわけよ」 「でもそんな話、ジェイドから聞いた事ありませんけど」 と、クリオネがやっと茫然自失状態から戻ってきたらしく呟いた。 「天然ボケだから、自分が狙われたって自覚もなかったんじゃないの?」 「先輩。そういう意味じゃなくて、返り討ちにしてたらあいつならすぐ教官に報告するだろうって事ですって」 確かにその通りである。常に『報告・連絡・相談』。その辺、限りなくきちんとしているのだ。ジェイドという人間は。 「そう。実は、ジェイド自身、自分がそんな目に遭い掛けてた事を全く知らん」 「なんすかそれ」 バッファローマンは足を組み、肘を突いて顎を支えた。 「つまりだよ。ジェイド狙いの一期生共を血祭りに上げたのは、ジェイドじゃねえ、別の誰かだったらしい」 ほおお〜、とキッドは感心したような声を上げた。 「すげー、王子様付きか、ジェイドの奴」 「それ、誰だか分かってるんですか?」 クリオネの質問に、バッファローマンは首を横に振った。 「分からん。ただ、物凄く切れの良い技持ちで、相当冷静な奴だろうって事だけは分かってる。あれなら、ファクトリーでも 主席クラスのはずなんだがなあ…」 「どういう事ですか」 「やられた奴等の傷だよ。その完璧さにロビンが唸ったくらいだからな。外傷一切なし。出血も殆どなし。 ピンポイントに『潰し』てあった」 そこで、バッファローマンはピシ、と鞭を鳴らして立ち上がった。 「はい、ここから口頭質問の時間」 三人は手を止めずにバッファローマンを見た。バッファローマンはゆっくり歩き回りながらこんな事を言った。 「そいつらの一人に聞いた所、そのジェイドの『壁』は、廊下の真ん中にいたそうだ。面識は全くなし。だから、 『どけ』と声を掛けたらしい。周囲に人気はなし。時間は夜中、一時ちょい過ぎ」 ファクトリーで良くやる、仮想戦闘シュミレートである。 「体格はほぼ互角。それでも相手が動こうとしなかったから、踏み込んで脚に行く、と見せかけて顔面にパンチを入れに行った …はい、ここまでどう思うスカーフェイス」 ベンチに仰向けになってバーベルを上げていたスカーフェイスは真顔で答えた。 「非常に正しい選択ですね。まず『どけ』ってのが、単純明解に目的を相手に伝達してます。こういう時は、色々喋る方が 威嚇の効果は下がります。更に、『脚』がフェイクで『顔』が狙いだったのも当たりでしょう。相手の戦意を喪失させるのに、 一番手っ取り早いのが鼻っ柱を叩き潰す事ですから。その上で、脾臓と肝臓狙いで蹴り入れまくって完了です。」 なんでここで「ですます調」なんですかアンタ、という顔で、クリオネとキッドがスカーフェイスを見ている。 「まあ、この場合本来の目的は『非合意の相手との性行為』なわけですから、その対象人物が現場にいれば更に効果的なんですけど。 血を見せれば反抗しようという意志が削げますから…あ、相手がジェイドじゃ意味ねえか」 「…性質の悪いチーマーかお前は…」 キッドのぼそっとした突っ込みは余所に、バッファローマンは肯いた。 「合格。そいつもな、そういう基本は考えていったらしいのよ。ところが、見事に全部外されたらしい」 「外された…?」 クリオネが呟くと、バッファローマンは肩を竦めた。 「パンチ入れに行った右手をこう、掴み込まれて、外側に捻じられた途端、手首が外れたんだと」 はあ!?とキッドが嘘だあ、という顔になる。 ファクトリーで強化訓練を受けた『超人』の肉体は、想像を超えたものになる。キッド自身、完全に「死亡」した所から、 極めて短期間でここまで回復しているのだから。 そんな彼らの体を、片手で破壊できる存在が、そうそういる訳はない。 「そう。そいつもびっくりしちまったらしい。でもその男はそれでやめちゃくれなかった。右腕の尺骨だけを狙って 突きを入れまくって、見事に『砂』にしちまいやがった」 「砂…」 『砂にする。』要するに袋叩きにする意味では良く使うけれど。 「砂だよ砂。ほんまもんの砂。つなぎようがねえほど、サラサラに砕かれちまってたよ。俺が見たときにはな」 「……」 「他のも似たような感じだったなあ。膝の上下ぴったり15センチだけぐちゃぐちゃに踏み潰してあったり、目のな、角膜だけ、 角膜だけだぞ。針みたいなもので引っかいたみたいに傷だらけにしてあったり」 なんだかクリオネが具合悪そうな顔になってきた。極端に流血を嫌がる彼はこの手の話題に異常に神経質になる。 「あと凄かったのは、あれは可哀相だったなー、何せ今後…」 「先生、もう実例は良いから」 キッド、流石に一応先輩なのである。クリオネの様子が心配になってきてバッファローマンの言葉を遮った。 「それで…それ以来もうそういう事はなくなった訳?」 「まあな。やましい事考えてる奴等の中では、『ジェイドに手ェ出すと、死ねないけど終わっちゃうらしい』 って噂が流れたらしくて、幸い犠牲者は7人ですんだ」 「…こえー…」 ガシャン、とウェイトハンガーから腕を外したキッドを見ている振りで何げなく様子を覗えば、スカーフェイスは 何事もなかったようにベンチプレスを終了して起き上がった所だった。 ううむ、予想外。 この話題を振れば、多少は動揺するか、興味を示すかするかと思っていたのに。 そんな事を考えてるバッファ先生の思いとは裏腹に、スカーフェイスは汗を拭いながらたった半年前の事を思い出していた。 ジェイドに目を付けている奴がいる。それに気付いた時、結構結論は早く出た。 あれは、俺が戦う為に選んだ獲物だ。 それを訳の分からん理由で傷物にされてたまるか。 幸いファクトリーで日常生活を送っている時には、俺は皮膚の一部を変化させてオーバーボディを作り、 全く異なる外貌でいるから、その外道どもを叩き潰しに行く時は、素のまま行っても大丈夫だ。誰も俺が「スカーフェイス」だとは気がつかねえ。 そんな訳で、その慮外者を俺はいとも簡単に退治して、更に二度と「使い物にならないように」しっかりお仕置きをしておいた。 まあ確かに、処刑モードの度合いが回数を重ねるに連れて多少上がっていったのは認めましょう。しかしそれは勘弁して欲しい。 いい加減頭に来ていたのだ、俺だって。それでも、「超人たるもの常に紳士たるべし」とかいうロビン校長(あれがケビンの 親父だってんだから笑っちゃうんだけど)のお言葉通り、辺り一面血みどろにするようなやり方はしなかったんだから、 誉めてもらってもいいんじゃねえかね? で、初日の夜に話は戻る。 先輩を「砂」にした後、俺は振り返って、そのずっと向こうにあるジェイドの部屋の気配を伺った。 静かである。同期きっての優等生は、この夜中は爆睡あそばしているらしい。 俺はその部屋の前に立って、ドアのロック部分に指先を触れ、電位を変動させた。楽勝である。ロック機能が一時的に 麻痺したらしく、ごろりと重い音を立ててドアが動いた。 音をさせないようにそっと部屋の中に滑り込んだのは、自分でもどういうつもりだったのかあの時はさっぱり分からなかった。 多分、奴がどんな間抜けヅラして眠りこけてるのか眺めてやろうかとでも思ったんだろう。 部屋は真っ暗だ。でも、俺達は一様に夜目が利く。俺には、うつ伏せる様にして眠っているジェイドの顔がはっきり見えた。 これが、なんとも言いがたいほど、平和な顔をしていやがった。 自分に向けられる悪意も、歪んだ感情も、欲望も届かないほど静かな、微笑んでいるみたいにさえ見える顔をして、 熟睡しているのだ。 「…犯すぞコラ…」 苦笑混じりに呟いたその時、ふっと俺の中に悪戯心が動いた。 いいじゃねえか。こいつの為に俺はいらん労働をしてやったんだ。その証拠ぐらい残していっても罰は当たらないんじゃねえのか? 俺は奴を起こさない様に注意深くその背中を上に向かせ、纏っている寝衣の襟を引っ張って首筋を露わにさせると、金色の髪を掻きあげた。 人間の体には、自分では絶対に見る事の出来ないいくつかの場所がある。合わせ鏡を使っても見る事が出来ない場所が。 その一つがここ。首と肩の接合部にある突起状の骨のやや上、第6頚椎。 少し長めの髪の影で、見えるか見えないかぐらいにしか露出しないそこの、透き通るように白い肌に唇を当てると、 痛がって目を覚まさない程度に吸い上げる。 それでも、奴は夢の中でんっ、と小さく呻いて顔を顰めた。 顔を離した俺の目に映ったのは、鮮やかに赤い小さな皮下出血。OKOK。完璧である。俺は自分の仕事に満足して部屋を出た。 扉はオートロック、閉じると同時に今度は自動認識装置が作動する筈だ。後の心配はない。 さて、後何人馬鹿野郎がこの部屋を目指してやってくるのか。そして、幾つの「証拠」が、奴が決して自分で見る事の出来ない 場所に付けられて行く事になるのか─── こいつは悪くない暇つぶしが出来たもんだ。俺は可笑しくなって笑いを押えるのに苦労した。 「で、そのジェイドの『壁』、ファクトリーの人間だったんですか」 「そうだろうと踏んでたんだけどな。タッパ2メートルくらいの長髪野郎なんて、該当者があり過ぎるような無さ過ぎるような」 クリオネが首を捻る。 「同期にはいないですねえ…」 そこで、キッドはそこまで委細おかまいなしと言ったふうに黙っていたスカーフェイスを振り返った。 「まさかスカー、お前が夜な夜なフェイクボデイ取っ払って、ジェイドの王子様やってました、なあんて言わないだろうな」 すると、スカーフェイスは可笑しそうに笑い声を立てた。 「冗談キツイぜ先輩。だれがあのバカの為にそんな面倒くさいことするかよ」 確かにね、とキッドは肩を竦めた。 「お前そういうヤツだよね…」 「それに、俺ならただ働きなんかごめんだね」 ヘッドガードを外し、汗の滲んだ赤銅色の長い髪を指で掻きあげながらスカーフェイスは笑った。 「どうせやるなら皆勤賞のスタンプでも貰っとかないとよ」 「なんだそれ?」 「知らねえのか?なんか日本人の子供の間で流行ってるらしいぜ」 多少間違った認識を交えた会話を交わしつつ、スカーフェイスとクリオネがシャワールームの方に姿を消した時、 キッドとバッファローマンの脳裏にはある「もの」が再現されていた。 やはり、ファクトリーでの訓練の後。 シャワールームで汗を流し、Tシャツにスパッツ、という非常に軽装で髪の毛を乾かしていた時のジェイドの後ろ姿に見た「もの」とか。 丁度その騒ぎが起こっている真っ最中、一週間に一回の身体計測で、ふっと目が行った金色の髪がかかる首筋のあたり、とか── 二人は顔を見合わせた。そして、お互いの目の中に同じ表情を発見した途端、その脳裏には全く同時に同じ言葉が突き抜けていた。 ((やっぱりあいつなんじゃねえのか!?)) しかし、その次の瞬間、バッファローマンの大きな手がキッドの口を塞いでいた。 「キッド。言うな。命が惜しかったら絶対に今考えた事を誰にも言うな」 「……」 「どうしても言いたい時は地面に穴を掘って…うーんだめだ、この手はヤバそうだな。よし、お前の家の子牛相手にでも話すんだ。 いいな!」 それって、どうせいつかは売られていっちゃうから大丈夫だという事なんでしょうか、とキッドはちょっとだけ悲しく思った。 「でも、先生…」 「いいから俺の言う通りにしろってよ。さっき言いかけたけど、被害者の中にはなあ…」 ごにょごにょごにょ。 耳打ちされた内容にキッドはひーっともぎゃーっともつかない悲鳴を上げた。 「ま、マジっすか!?酷すぎませんかそれ!?だって未遂ですよ、未遂!」 「そういう男なんだよスカーは!とにかく、お前も俺もこの先男としての人生全うしたいんだったら今の事は忘れるしかねえ! 石になれ石に!!」 「…はい…」 丁度その時、可愛い看護婦さんとにこやかに会話しながら、腕の包帯を交換したらしいジェイドがきらきらするような笑顔で 戻ってきた。 「先生、戻りました。次、キッドせんぱ…」 と、その時、バッファローマンに両手で肩を掴まれ、口元で手を握り合せたキッドが半泣きになっている姿に、 ジェイドの声が止まった。 「なっ…」 ぱあっと色白の顔が真赤になる。 「な、何してるんですか先生!?」 「おい、どういう責め方だそりゃあ!」 「キッド先輩、まだ病人なんですよ!やめてください!!」 「ジェイド〜」 「泣いてるじゃないですか!何したんです、もうっ!!」 「…お前おかしなとこだけ、Jr.とスカーに似てくるのやめろジェイドっ!!」 ……十分すぎるほど元気な病人達であった……。 (お前等早く前線に帰れ!!) おわれ!! |