その通達は余りにも早く、そしてそっけなくやってきた。 真っ白い封筒を渡され、それを開封したスカーフェイスは、独特の頬を歪めるような笑いを浮かべ、薄い一枚の紙片を目の前にかざして呟いた。 「…こりゃまあ…随分とまたあっさりしてるこって…」 「出発は3日後だ」 これ以上説明する事は何もないと言いたげに、その封筒を渡したロビンは短く言った。 「その間に、済ましておく事が有るなら、片づけておくように」 すると、スカーフェイスは声を立てて笑い、片目を閉じてみせた。 「何にもありゃしねえよ。なんならこのまま連行して下さってもこっちは全然構いやしねえぜ?ロビン先生様」 サファイヤアーマーに隠されたその下で、きらりと一瞬ロビンの瞳が何か言いた気に光る。 だが、彼は次の瞬間、目を逸らすと指先を軽く振った。 「輸送機の都合で、日程の変更はきかん。それまでは大人しくしていろ」 すっと両側から寄ってきた二人の工作員らしき人物が、スカーフェイスの両腕に細いリングを一本ずつ嵌める。 「パラライズワームだ。今後お前の、超人としての能力はそれで抑制される」 スカーフェイスは微かに鼻を鳴らしてその鈍い錆色をした腕輪──実際には、超人強度を著しく損なう強力な無機質系寄生生物──を見遣った。 「くっだらねえ…んなもん着けるほど、俺が恐いのかね、超人委員会の皆さんは」 「『マルスという超人は、全てにおいて規格外』──」 ロビンはまるで独り言のように呟く。 「行動が読めないという事が一番恐ろしいのだ」 すると、スカーフェイスはその一言が人生最高のジョークだったとでも言うかに声を立てて馬鹿笑いした。 「違えねえ。野生のケダモノの考えてることが、家畜に分かる訳ねえや」 「尚、お前の行動はこの3日、完全に監視される」 その嘲罵を聞き流し、ロビンはゆっくりと椅子の背もたれに寄り掛かった。 「逃げだそうなどと考えるなよ。全て無駄になる」 その一瞬だけ、スカーフェイスの目は酷く激しい黄金色の光を放った。 「…あんまり見くびらないで頂きたいねえ、ロビンさん。」 「それならば結構」 退室を促すように指先だけ外に払うと、両側を工作員に挟まれたまま扉に向かいかけたスカーフェイスは、肩越しにひょいと振り向いた。 「ああ。そういやひとつ、言いたい事があったんだよ、あんたに」 ロビンが怪訝そうに彼を見遣ると、スカーフェイスの琥珀色の瞳は酷く可笑しそうに歪んだ。 「…全く良く似た親子だな、あんたら。」 ぎくりとしたようにロビンの青い瞳が、アーマーの陰で見開かれた。それを確認したかのようにスカーフェイスはくっと 小さく笑いを零してそのまま歩き始める。 気後れも、悪びれた風もなく歩み去る彼の背中とロビンの間を永遠に隔てるかに、扉が重い音と共に閉ざされた。 一人静寂の中に取り残されたロビンは、しばらくその扉をじっと見詰めていたが、やがて長く吐息すると椅子の背凭れに深く体を沈めた。 それから、数時間後。 怒り狂ったブロッケンJr.がロビンの部屋に靴音も荒く向かっていた。握り締めた拳に青筋が浮かび上がり、顔には全く血の気がない。 それでなくても蒼白い顔の中に、深い藍色の瞳だけが激怒の唯一の出口になってぎらついている。 「ロビン!」 絶叫と共に叩き開けられたドアに、ロビンは静かに顔を向けた。 怒りに身を震わせたJr.の姿を見ても、その冷たいほどに鮮やかな青の眼差しにはどんな感情も動かない。 「ノックぐらいしたらどうだ。失礼な奴だな」 その言葉を無視してつかつかとロビンのデスクに歩み寄り、ブロッケンJr.は手にしていた超人委員会正式通達の封印が施された書状を 叩き付けた。 「…これが一体何なのか、俺に分かるように説明しろ!!」 ロビンは至って無感動にJr.の手の下で握り潰されている白い封筒──先程スカーフェイスに渡したものと、寸分違わず同じそれ──を 見遣った。 「説明の必要が有るとは思えんな。一目瞭然、マルスの処分通達だろう」 「俺が言っているのは、その内容の事だっ!!」 凄まじい音を立ててJr.の掌が机の表面を打った。その瞬間、慌ただしいノックと共にバッファローマンの巨体がドアを潜ってくる。 「Jr.!やっぱりここにいやがったか」 「お前の方がまだノックしただけましだな、バッファ。しかしいずれにせよ今日の私のスケジュールでは、今の時刻は 来客に当てる為の時間ではない」 ロビンは真っ直ぐに二人を見上げた。 「すまんが、引き取ってくれ。午後7時以降なら話を聞く」 「ロビン!」 そのままロビンに掴み掛かりかねない勢いのブロッケンJr.の体に腕をぶつけ、軽く持ち上げる様にしてその勢いを止めると、 バッファローマンはロビンを振り返った。 「これはこれはご多忙の所誠に申し訳ないがな、ロビン校長。」 「…なんだ」 「野郎の処分のウワサがガキ共に流れるのは時間の問題なんだよ。その時に、『午後7時にならないとロビン校長からの説明が 頂けない為、詳しい事は只今の所不明です』なんて、この俺に言えると思うか?」 「……」 「たとえ、百歩譲って俺がそう言った所で、『ハイそーですか』なあんて大人しく引き下がるかいね?あの熱血十代馬鹿ヤロー共がよ。 え?」 怒りの為、全身が痙攣を起こしているJr.をそっと床に下ろしながらバッファローマンは腰に手を当ててロビンを見下ろした。 「10分くれてやる。ざくっと説明しな。ざくっとよ」 その言い草に思わずロビンは苦笑を浮かべかけ──ふっと真顔に戻った。 「スカー…いや、超人マルスの処分方法が、昨日委員会の最終議決で決定した。」 今、何を考え、なにを見つめているのだろう、あの金色の瞳は。 この結末を知った瞬間にさえ、微塵の動揺も浮かばなかった精悍な面差しが蘇る。 「内容は…冥王星プリズンでの、永久凍結刑」 さしものバッファローマンが、口を開けたまま絶句した。 「何故だ!何故そこまでの極刑を持って望む必要が有る!?」 ブロッケンJr.が殆ど悲鳴のような叫びを上げた。 「それは無抵抗の一般人を、明らかな意図を持って虐殺した者に対する刑罰の筈だ!スカーフェイスがいつそんな事を…」 「スカーフェイスではない。『マルス』だ。」 ロビンは指を組み合せた。マスクに隠された彼の顔に、表情を伺う事は出来ない。 「彼は明らかに『無差別殺戮』の意図を持って、ファクトリーに侵入したものと判断された。その証拠の一つに上げられたのが、Jr.、 お前の弟子との一戦だ」 はっと息を呑んだJr.に、ロビンの低い声が事実を突き付けるように響いた。 「ジェイドに対する彼の行為は明らかに限界を超えていた。少なくとも委員会はそう判断した。これ以上同じような輩を増やさぬ為にも、 マルスには見せしめになってもらわねばならん、そういう事だ」 「…見せしめってなんだよ」 やっと言葉を回復したらしいバッファローマンが呟くと、ロビンは応えた。 「…彼を殺す訳ではない。あくまでも『凍結刑』…死刑では、ない」 ブロッケンJr.の目が見開かれる。その言葉の意味を理解したが故に。 「信じられん!貴様正気か!?本気でそんな事を承認したのか、ロビン!」 ロビンの沈黙を肯定と受け取った彼の形相が変わり、同時にその右手が凄まじい速度で振られた。止める間など有ろう筈もない。 「蒼い稲妻」と異名を取ったその手から生まれる衝撃波が、容赦なくロビンに襲い掛かる。 次の瞬間、辺りはロビンの全身から吹き上がる鮮血で紅に染まっている筈、だった──。 しかし。 コンマ数秒の間の後、パン、という空気が破裂するような音と共に、ロビンの周囲に存在した物質全てが粉々に粉砕されて散る。 数ミリの空隙を残し、ブロッケンJr.の拳はロビンの肉体以外のあらゆる物を破壊し尽くしていた。 だが、その残骸を踏みつけ、肩を震わせながら憤怒の形相で自分を睨み付けているブロッケンJr.に、ロビンが返したのは酷く 平板な低い声だった。 「約束の10分だ。二人とも出ていってくれ」 Jr.の藍色の瞳が歪んだように見開かれ、次の瞬間、血を吐くような叫びがその唇を衝いた。 「…できれば貴様も同じ目に合わせてやりたいぐらいだ!」 そのままばっと身を返して部屋を飛び出して行く彼を見つめ──ふ、と吐息してロビンは呟く。 「遠慮なくやってくれても構わなかったんだがな…」 バッファローマンがぎょっとしたようにロビンを見遣る。その視線に気付いて、ロビンは苦笑しながら手を振った。 「冗談だ。そんな顔するな」 その手の甲に、一筋の出血を見つけて、バッファローマンはハンカチを取り出すとその傷を押える。 「あーあー、年食って攻撃の目測精度下がりやがった、あのバカ…」 そんな彼にロビンは苦笑を交えた声を零した。 「すまんがバッファ…後を頼みたい」 「あぁ?」 その言葉が自分に、飛び出していったブロッケンJr.の後を追ってくれと言っているのに気付いて、バッファローマンは頭を掻いた。 「やれやれ…結局ご機嫌ナナメのおひいさまのお守りは、俺に回ってくるんだな」 「私が何を言っても今は逆に彼の神経を逆なでするだけだからだ。…それに、後一人」 その後に伏せられた言葉を察して、バッファローマンは肩を竦めた。 「はいはい、分かったよ。…全くよ、高く付くぜ?ロビン」 「承知している」 ロビンはありがとう、と止血のすんだ自分の手を見ながら呟いた。 「我ながら気違い沙汰だというのは百も承知さ…とんだドン・キホーテだ」 「お前ねえ。スペインの国民的英雄をバカにした言い方するな。それは俺の役所だよ。てめえは悲劇の英雄、 円卓の騎士ランスロットでも気取ってろ」 「馬鹿を言え、あれはフランス人だ」 「んじゃ、竪琴の騎士トリスタンだな。お誂え向きに、ご機嫌とらなきゃならんイゾルデ姫もちょうど二人いるじゃねえか」 さて、とバッファローマンはぽきぽきと首を鳴らしながら流石に深刻そうに眉を寄せた。 「とにかく、この一件でガキ共が群なして暴走するのだけは、何がなんでも食い止めるぜ。あのバカ共、頭に血が上ると 何おっぱじめるかわからん。もう何かかぎつけて動き出したのが2匹ばかりいるしな」 これにはロビンもちらりと驚いたような目をしたが、軽く頭を下げるような仕草をした。 「…すまんな」 「構わんよ。それが仕事だからな。ただし、お前自身ももうちょっと器用に生きる事を覚えてくれると、俺は大助かりだ」 ん、と言葉に詰まるロビンへ、茶目っ気たっぷりのウィンクを一つ投げてバッファローマンは背中を返し、大股に部屋を出ていった。 |