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◆ LIES & TRUTH

 
  まさか、こいつからまで呼び出しを食うとは思っても見なかった。
  いつかと同じセリフだと思いながらも、ケビンはその言葉を繰り返さざるを得ない。
「すみません、お待たせしましたか」
異様な礼儀正しさで息を切らせながら現れた相手に、ケビンは曖昧な笑みを浮かべた。
「別に待ったって程じゃない。俺が早く来たんだろう」
「すみません」
深々と一礼する相手に、周囲の視線が集まるのに気付いてケビンは思わずその肩を両手で押し上げた。
「…あの?」
「少しは目立たないように行動する事を考えてくれ」
午後7時の新宿駅構内は、仕事帰り、乗り継ぎの為に移動中、そしてこれから遊びに行く人間でごった返している。
 その中で、ブロンドの長身美形が二人、かたや最敬礼、かたや薄手のロングコートを羽織ってそれを受けていたら、
嫌でも人目が集まるだろう。
「…すみません」
と、今夜の呼び出し人であるジェイドは顔を上げざまに髪を掻きあげた。
「でもそもそも俺が、ケビンさんを呼び出す自体、分を超えた事だって思ってますから、
お詫びはきちんとしておきたかったんです」
ケビンはちょっと困った顔になった。
最初から分かっていた。こういう考え方をする人間らしいという事は。
そして、自分はこういうタイプが苦手だという事も。
だから、少しも嫌味を言ってみたくなる。
「随分態度が違うんだな」
ジェイドは目を見開いた。
「え?」
「見てたよ。ガゼルとの試合…あの時のお前の悪役ぶり、俺は本気でキツイ男だと思ったんだが、
今のでえらく印象が変わった。どっちが本当のお前の顔だ?」
すると、ジェイドは照れくさそうに俯いて笑った。
「いやあれは…言われていたんです、レーラァに。多少汚い言葉使ってでも先輩を煽って、先に動き回らせろって。
そうすれば、先輩は消耗が早いタイプだから、体格で劣る俺でもなんとか対抗できるチャンスがあるでしょう?」
「なるほど…」
「いつまでもガゼル先輩のスピードで引っ張り回されていたら、俺の方がばてちゃいますから」
確かに、とケビンは反論の仕様もなく、眉のあたりを綺麗に整えられた爪の先で軽く掻いた。
「…ま、いい」
その肩を押しやるように、東口改札に向かう。
「とにかく俺に話が在るんだろう。さっさと済ませてくれ」
全く普通の人間と同じように、自動改札を抜けて、地上に向かう階段を上る。
上り切ったそこには、ケビンの眼には既に見慣れたネオンサインの渦が広がった。
  と、その時。
  ぐっと肘のあたりに重さがついたのを感じて思わず振り返ると、背後にいたはずのジェイドが
自分の右肘に腕を絡ませている。
「ちょっと待て!」
「なんですか?」
「何でお前腕組んでるんだ!」
振りほどこうとするケビンに、ちょっと咎めるように眉を顰めた緑色の瞳が向く。
「だってこの人込みではぐれたら、俺、ケビンさん探し出す事なんかできませんから」
「とにかくやめろ」
ケビンは肩を振ってジェイドを振り払った。ジェイドは殆ど信じられないようなスピードで、その腕をもう一度捕らえる。
「なんでそんなに嫌がるんですか?」
「嫌とか、そういう以前に」
ケビンは頭痛がしたように額を左手で押えた。
「…この国では、普通同性同士で腕は組まない」
確かに、ヨーロッパではない事ではない。ごく自然に、親しい同士なら肩を抱き合ったり、腕を重ねて街を歩く事はある。
ケビンの育ったイギリスでも、ジェイドの育ったドイツでもそれは非常に自然な光景だ。
 しかし同時に、それがどれほど日本という国では不自然な光景かも、この国に数年暮らしているケビンには良く分かる。
ましてやここは新宿だ。ある意味、「おかしくはない」街だが、そうそうおおっぴらにしていい事ではない。
「そんな事ありませんよ、ほら」
指差す方を見れば、薄い春着に着替えた可愛らしい女性が二人、これから夜の街に繰り出す興奮を顔に浮かべ、
お互いにしなだれる様にして腕を組んでいる。
「…女は別だ…」
「どうして女性は良くて、男性はいけないんですか」
「…俺に聞くな」
そんな事を言っているうちに信号が青になる。結局ジェイドはケビンの腕につかまったまま歩き出した。
たちまち周りの好奇の目が二人に集中する。
  それはそうだろう。背中までかかる豪華な黄金の髪を黒いコートに掛からせた男の方は、
その辺のモデルが裸足で逃げ出しそうな美貌に、近寄りがたいほどの高貴さと「すさんでいる」というには
余りに繊細な翳りを同居させており、対照的にその肩あたりに寄り添う蜂蜜色の巻毛の主は、
いっそ「少年」といった方が正しいほどの柔らかい表情をその翡翠色の瞳に湛え、
緩く結ばれた唇は微笑んでいるかに柔らかい紅さを持っているのだから。
 そんな二人が腕を組んで歩いていたら、振り返るなという方が無理だ。
「…ところで」
軽く咳払いして、擦れ違ったOLらしき女性達の露骨な嬌声を払いのけながらケビンは口を開いた。
「どうして俺の連絡先が分かった?」
ジェイドがちょっと言いよどんだ。即問即答のこの子にしては珍しいな、とケビンが思わず見下ろすと、
ジェイドはちらっと上目使いにケビンを見つめ、長い睫を瞬いた。
 不覚にも、どきりとした自分がいる。
 こいつ、超人でなかったら、本当にヤバイ商売に入っていたかもしれない、と目を逸らしながら思った。
「…秘密にするって、約束してくれます?」
「一体俺が誰に話すって言うんだ?」
「うーん…」
困ったように引っ張った声に、ケビンはすぐその該当者に思い当たった。
「マルスか…」
ぴくっとジェイドの体に震えが走ったのが分かって、慌ててケビンは言い直した。
「あいつとは最近顔も合わせていない。それに、お前に会った話なんか、俺がわざわざあいつにすると思うか」
すると、ジェイドは思い切ったように一つ息を吐いてから、言った。
「携帯電話、持たされてるんです」
「お前達が?」
「ええ。でも、制限機能付きのなんですけど」
それとこれとが、どう繋がるのかまだケビンには分からない。
「それがなんだ」
「あいつ、同期のデッドにちょっと細工しろって言ったらしいんです」
一個所だけ。発信着信が出来るナンバーを一つだけ増やして、そしてそれが一切履歴には残らない様にシステムを
書き換えること。
「デッドはウォーズ先生の下でそういう分野やってましたから、軽くいいよって受けたらしいんですけど…
後になって、もしこれであいつがまた問題になるような事になったらって心配になったらしくて、
俺の所に相談しに来たんです」
「美しい友情だな」
無表情に言い放ったケビンに、ジェイドの強い言葉がぶつかった。
「それが、あなたの電話番号でした」
ぎゆっと腕を掴む手に力が篭ったのを感じて視線を戻せば、ジェイドの緑の瞳は真っ直ぐにケビンを見上げていた。
 雑踏の中で二人は思わず足を止めて見詰め合った。後ろから来た人間が、罵倒の言葉を残して追い越していく。
「…なるほどな…」
ケビンは降参の証に首を竦めた。
「で、俺に奴との付き合いを止めろと言いに来たのか?」
「……」
「だったら無駄だ。俺はもう、あいつに関わろうなんて思っていない。お前の言った通りさ。『マルス』なんて、
もうどこにもいやしない。あれは『スカーフェイス』だ」
ケビンはゆっくりとジェイドの指を自分の腕から剥がそうとした。
「だから、そういうセリフは俺じゃなくて本人に直に言ってやれ。いつまでも古傷に拘ってないで、
目の前にいる俺を見てくれ、ってな。」
しかし。
その瞬間、ジェイドは文字どおりケビンの腕にしがみつき、その肩に額を押し当てた。
「…ジェイド!?」
「違います、俺、そう言う事を言いに来たんじゃなくて」
その声はもう涙に曇り掛けている。
「ケビンさんにしか、聞けない事なんです。それが分からない限り、俺、もう自分でもどうすればいいか
分からなくなりそうなんです」
にぎにぎしい電気屋の店先で、半泣きの美少年に取り縋られた美青年など、晒し者以外のなにものでもない。
「わかったから…分かったから、泣くな」
無理矢理引き剥がして、ハンカチを押し付けると、ケビンは今まで来た方向とは反対に足を向けた。
「ケビンさん!」
必死に人を掻き分けて追いかけてくるジェイドの腕をぐいと掴み、覚悟を決めたように顔を顰めると、
ケビンはその首を抱えるように腕を回した。
「邪魔の入らない店がある。そこに着くまでにその泣きっ面をなんとかしてくれ。俺がいらぬ誤解を受ける」

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