SCAR FACE SITE

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◆ GAP & TRAP

携帯電話、というもの。
  日本滞在が初めての二期生全員を集め、ここでは生活に不可欠なものだからと渡してくれたのはバッファ先生である。
「最初に言っとくが、これは普通の携帯とは違うからな。」
「はあ?どういう事だよそれ」
聞き返したのはスカーフェイスだった。
「発信着信制御がついている。つまり」
「むやみやたらに、好き勝手に掛ける事はできないようにしてあるという事ですね。」
流石デッド。機械系超人なだけに察しが早い。
「そういう事だ。まず俺達との連絡用、あと非常時の為に何人かの教官、日本滞在組とつながるようにしてある。
それ以外の使用は不可だ」
あれ、とちょっとジェイドは思ったが、黙っていた。
  良く考えたら、師匠はこういう機械を身につけるのは余り好きそうにないし、多分バッファローマンにさえ連絡がつけば、
行き先は分かるようになっている筈だろう。
それに、師匠とならば、電波になど頼らなくてもきっとつながる。
そんな事を考えながら微笑んだ時、バッファローマンの豪快な笑い声がその思考を中断させた。
「そうでもしないと、下手すりゃ女どもからの呼び出しの電話だらけで繋がらなくなりそうな奴が一人いるんでな。」
何故か、全員の視線が一斉にスカーフェイスに向いた。
「……俺かい…」
嫌そうに呟いた本人の肩をばしっと叩いて、バッファローマンは呵呵大笑した。
「犬にさえ発信機付きの首輪がある国だからな。ま、悪く思うな」

  部屋に戻って暫らくすると、件の携帯電話が鳴った。
  全て非通知で着信されてくるので、出てみるまで誰か分からない。これまた、「誰かさん」に居留守を使われない為の
対策なのかもしれない。
「はい?」
『あ、ジェイド?』
「そうですけど、どなたですか」
『あ、ごめんごめん。俺、クリオネ』
面白いものだ。音声を電波に変える為にいくつかのフィルターを通すと、こんなに耳馴染んだ声が違って聞こえるものだろうか?
  もっとも、それが自分の異常に鋭敏な聴覚のゆえであるとは、ジェイドは気付いていない。通常の人間はもちろん、
いや『超人』でも、もしかしたら気付かないかもしれない。変換され、再合成された微妙な波形の「ずれ」までは。
「ああ、クリオネだったんだ。」
ジェイドはベッドの上に読み掛けの本を放り出して座り直した。
「どうした?何か用か」
『いや、ほんとに通じるのかどうか試してみたくてな。』
「どうして?」
『オレの貰ったヤツ、水中仕様なんだ』
「へえ!?」
そうなのだ。良く考えたら、クリオネは地上と水中で生活する事が半々の、水棲超人である。まして、療養中の今は傷の回復を
促す為に、氷点下の海水に体を浸しておく必要があるのだ。その彼に渡した携帯電話が、耐水性を持っていなかったら
使い物にはならない。
  しかし…
「日本の技術力ってやっぱり凄いんだな」
『こういう国が真剣に軍事開発に乗り出したら、って考えたらぞっとするよな』
だから、日本滞在の超人には、ことさらに優れた能力と強靭な精神力が要求されるのかもしれないな、
とジェイドは一期生の顔を思い出しながら呟いた。
  決して認められるファイトスタイルの持ち主ばかりではない。しかし、最近彼は「強さ」の意味を少しずつ、考え始めている。
  「一人」で立ち上がる事が出来る力だけでもなく、精神力だけでもないもの。
  それを、あの人達は持っているのかもしれない。それが、「強くなる」為に不可欠なものなのだとしたら、
自分にはまだそれがない──
  こんな事を考えるようになってしまったのは、あの夜からだった。
  金色の瞳に見据えられ、『もっともっと強くなれ』といわれた、夜。
  俺と手加減抜きで命のやり取りが出来るように、と。
  そして──声を出す間もなく与え続けられた口付け。
  リング上では、彼の体を痛めつける為だけに存在する凶器のようだった両腕が、信じられないほど優しく、
それでも逃げ出す事など出来ない強さで彼を抱き締めたあの夜。
  お前に惚れちまってるんだよ──
低い声が耳の中に蘇って、ごくっと思わず息を呑んでしまった。
  いい加減気がつけよ。
騙すような囁きは、本気で言われたものだったのかどうかも、今となっては危うい。
繰り返されたキスが、腹の中の嘘を隠す為のものだと知っているから、尚更──
『ジェイド?』
怪訝そうなクリオネの声にはっと我に返る。何を考えてるんだ俺は、と思わず自分で自分を罵倒しながら平常の声を取り繕う。
「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
『いや。俺も、一度試しに使ってみたかっただけだから。それに、これ、使える先のナンバーは全部メモリに入ってるから、
すごく便利だ』
「え、そうなのか?」
『なんてな。デッドがさっき電話くれて教えてくれたんだけど』
そうだろうな。ジェイドは声を立てて笑った。何にせよ、得意分野がバラバラの友人がいるというのは心強いものである。
「わざわざありがとう。じゃ、またな」
電話を切った後で、ジェイドはその銀色の機体をじっと眺めたまま考え込んだ。
  メモリに入っている、ナンバー。
  デッドがクリオネに、そしてクリオネが自分に掛けてきたという事は、多分入っているだろうもう一人のナンバー。
  あれ以来、何事もなく──本当に何も変わらず、まるであの日の事がジェイドの記憶違いだったかのように
──なにせ、翌朝ジェイドが目を覚ました時には、ベッドの半分には皺一つなく、まるで彼は「いなかった」かのように
綺麗さっぱり跡形もなく姿を消していたのだ──毎日が過ぎていく。
  話さなければいけない事は沢山あるはずなのに。
  もうじきクリオネと自分の治療が終われば、自分達はファクトリーへ戻されるだろう。問題は、「彼」だ。
  二期生「スカーフェイス」として、ファクトリーへ戻る事が許可されるのか。
それとも、d.M.pの生き残り「マルス」に対する処罰が待っているのか。
  時間がないのに。もしかしたら、もう会えなくなるかもしれないのに。
  そして──もう、自分の中に在る事をはっきり自覚してしまったこの「しこり」のような、重い感情の行方も、
曖昧なまま放り出されているのに。
  そんな焦りつく気持ちを冷やすかのように、掌に収まる銀色の小さな機械。
  思い切ったように、ジェイドの手は透明なボタンに掛かっていた。
  表示される、数字の羅列。
  短い電子音。
  呼び出し音がなる。一回、二回。
  七回目、だろうか。
もう諦めようと切断ボタンに指を掛けたジェイドの耳に、低い声が聞こえた。
『──もしもし?』
明らかに訝しがっている、少し険のある声。
思わず声が出なかった。「ずれ」のある音波。良く似ているのに、別人のような声。
その微かな「ずれ」が、胸の中を不安で一杯にして行く──
『おい、黙ってたらわかんねえだろ、誰だてめえは』
苛立った声に、縋り付くように呟きが落ちる。
「あ…ごめ…」
『…ジェイド?』
疑っているような声だった。じっとり汗を吹き出した手を無意識にシーツで拭った。
『ジェイドだな?』
後ろが騒がしいのは、街にいるからだろうか?
「よく…分かるな」
からからの喉からようやく声を吐き出すと、電話の向こうの人は低く笑った。
『俺がお前の声がわからねえとでも?』
思わず、言葉に詰まった。
こんな事はさらさらと口にするくせに──
「だって…ずれがあるだろ?」
『は?ずれ?』
「ずれがあるんだよ。いつも聞いてるお前の声と、今の声、全然違うんだよ」
話しているうちに無闇に感情が昂ぶってきた。
自分にしか分からない「ずれ」。どうすれば良いのか全く分からない、食い違い。
そして広がっていく「隙間(ギャップ)」──
なのに、そこを埋める代わりのものが、もう何も見つからない。
『そりゃ、お前の耳は半端じゃなく敏感だからな。俺らには分からん合成音波のずれが聞き取れるんだろうよ。
だから、ヘッドギアにもイヤマフついてんだろ?』
そんな、極々当たり前の回答を返してくるスカーフェイスの落ち着いた口調に、体の中で何かのバランスが崩れるように狂った。
「…俺だけかよ!」
『はあ!?』
「俺だけしか分からないのかよ!そんなもんなのかよ!」
叫んだ途端、何故か目から涙がどっと溢れ出したのが分かったが、どうする事も出来ない。
「もういい!どうせ俺なんか──」
『おい、どうしたんだお前!?おかしい─』
皆まで聞かないうちにぶつ、と通信を切るとジェイドは部屋を飛び出した。
携帯電話をベッドの上に放り出したままで。

  一方、いきなり電話を切られたスカーフェイスは、往来の真ん中で赤銅色の髪を掻きあげ、呟いた。
「…なに泣いてんだ、あいつは…」


  ジェイドがいなくなった。
  困惑しきった顔を突き合わせているのは、この所の騒ぎの為、日本に詰め切りになっている『レジェンド』の、
バッファローマン、ウルフマン、そして、ジェシー。
  その御一同の前で、ジェイドの携帯電話を手にした人物は物凄い形相でリダイヤルボタンを叩き、そして、
ある番号を見つけるや回線を開いた。
  呼び出し音、二回。
『もしもし?』
待ち構えていたように電話に出た人物の耳を、ブロッケンJr.の怒号が襲った。
「ジェイドをどこへやった!?」
思わず耳から電話を離したほどの、物凄い怒鳴り声である。
『どこへやったって…べつに隠しも連れ出したりもしてねえよ』
「嘘をつけ!お前の携帯のナンバーが最後の通信記録だ!!お前が知らなかったら誰が知っているというんだ!吐け、クソガキ!!」
完全に逆上しているブロッケンJr.の手から、ああああ、という表情でバッファローマンが電話を取り上げた。
「もしもし?スカーフェイスか。俺、バッファだ」
『先生かよ…ジェイドがどうしたんだ?』
「ちょっと真面目に聞いてくれるか。いいか、ジェイドが消えた。いなくなっちまったんだ」
電話の向こうに沈黙と、街のざわめきだけが流れた。バッファローマンは続けた。
「今日の4時に診察とリハビリの予定が入ってたんだが、そいつに顔を見せなかった。あの子らしくない話だと思うじゃねえか?
それで、Jr.が探しに来たら、部屋にもいない。それでな、通信記録を片っ端から当たって──」
そこでいきなりブロッケンJr.が伸び上がるようにしてバッファローマンの手から電話を取り上げた。
「貴様、ジェイドに何をしたっ!?」
『何もしてねえよ!』
「次はない、今度は殺すと予告してやった筈だな確か…これ以上俺を舐めるとただではすまさんぞ!」
『わかんねえオッサンだな。何もしてねえって言ってんだろ。そんなに心配ならなんでジェイドの携帯に電話して
居所確かめねえんだよ。その為にはめた首輪だろうが、あぁ!?』
そのスカーフェイスの言葉に、ブロッケンJr.の血の気のない顔が一段と青白くなった。
「馬鹿者!ジェイドが携帯を置きっぱなしにしていったから、そいつで貴様とこんな話をしているんだろうが、この能無し!」
その会話を傍らで見ていたジェシーが呟いた。
「見事な夫婦漫才だな…」
バッファローマンは手を振って訂正する。
「ジェシー。それ言うなら、親子漫才」
「というより、夫婦喧嘩の挙げ句、家出した娘を巡ってもめている父親と婿の図にも見えるんだがな、俺は」
流石、日本人。嫁姑の確執には慣れているウルフの発言に、残りの二人は手を打ち合せた。
「あ、それ正解。」
「とにかく探せ、ジェイドを探せ!!」
殆どこめかみの血管が切れそうになりながら、Jr.は怒鳴った。
「あの子に何かあったら、俺は絶対に貴様を殺す!!」
スカーフェイスは怒鳴り返した。
『言われなくたって探してやらぁ、このクソ親父!!』

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