SCAR FACE SITE

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◆ ONE NIGHT STAND(一夜芝居)

「で──」
シャワーも浴びた。雑談も(何とも言えなく、思いっきり不自然なムードではあったのだが)一応した。
ベッドルームへの扉を開けて、入り口を潜ると、まだその向こうに立ち尽くしている寝着姿のジェイドへ、
スカーフェイスは顎をしゃくった。
「遠慮しないでお入り下さーい。お客さんのお部屋ですんで」
 ちょっと硬い表情で入ってくるその姿に、なんだかなあ、と思わず呟いてしまう。
 なんかとてもとても同世代の男と純粋な意味で「寝る」って顔してない。
 言い古された表現を使わせてもらえるんなら、まさにそれは「借金のかたに売り飛ばされてきた娘が、
最初の客を取る」夜の表情が一番近いんではなかろうか。
 「あのなあ──」
手早く、まだ濡れている髪をまとめながら声を掛けると、ひくっと肩の辺りが震えた。
「そんなに怯えんなよ。」
ばっと緑色の瞳が上がった。
「別に怯えてなんか──」
ベッドカバーをそれとばかりに引き剥がしながら、わざと視線を合わせない様にしてスカーフェイスは続ける。
「ま、安心しろ。いくら俺様が極悪非道だって言っても、軒先貸してもらっといて、
前振りなしに母屋のご主人様になったりしねえよ。用意もねえし」
「…悪いスカー、言ってる事の意味が良く分からない」
一応形だけ手伝うジェイドの顔をスタンドの灯りで下から見上げながら、これもわざと根性悪な笑みを漂わせた。
「じゃ、はっきり言うぜ?そんなにビビった顔しなくても、いきなり欲情して、お前を引ん剥いて
犯したりしないから安心して横になれっていってんだよ」
「……」
「何だよ、自分で言えって言ったくせに」
多分、自分達のような破格の体型を持っている客の宿泊を想定してのことなのだろう。
通常より広い白いシーツの海がそこに広がる。
  で。
  なんだか知らないが、二人はそれを挟んで睨み合うように立ち尽くしてしまった。
「おめーなあ、ジェイド…」
いい加減うんざりした声を出すスカーフェイスに、ジェイドは慌てたように首を振った。
「…っ違う、誤解だ!そうじゃなくて」
「何が誤解?」
「つまりその…普通俺が先にベッドに入る事って、ない…から…なんか、不自然で」
「はあ?」
スカーフェイスは腕を組み、呆れたように顔を顰めた。
「要するに、お師匠が先にベッドに入ってあっためておいてくれるとこに、ゴロゴロ喉鳴らしながら
入っていくわけだね…お前って奴ぁ」
「そういう言い方するなよ!」
怒鳴ったものの、ジェイドの顔は真赤だ。
「仕方ないだろ!ベルリンの冬はな、家の中だって凍死する奴がいるくらい寒いんだよ!!子供の頃から、
俺が家の仕事とかすませて寝ようとすると、ほんとに布団とかも氷みたいで…だから、レーラァは俺の事、
小さい頃からとっても大切にして下さって」
だが、その時ふっとスカーフェイスの表情が一瞬だけ、まるで隠し撮りの為にたかれたフラッシュほどの間だけ、
酷く複雑なものに変わったのをジェイドは見逃さなかった。
「…スカー、どうした?」
「あ?」
が、それはすぐにいつもの表情の中に塗り込められ、消える。
「別になんでもねえよ。相変わらずの麗しい師弟愛に感動してただけ」
「……」
「はいはい、分かりましたよ。そんじゃ先に横にならしていただくとしますか」
スカーフェイスの重みでベッドが軋む。そのゆれが収まるのを待って、ジェイドは慎重にその傍らに体を
滑り込ませ、ベッドの上に座り込むと、同じように片膝を立ててそこに座っているスカーフェイスの瞳の中を見つめた。
 酷く不思議な感覚だった。
 まさかこれほど近くで、お互いの顔を見る事があるとは思ってもみなかったから。
「うそつき」
唐突に呟かれた言葉に、スカーフェイスが目を見開く。
「は?」
「麗しい師弟愛がどうこう言ってたけど、あれ、嘘だよな。何考えてたんだ?」
ちょっと意表をつかれた顔になってスカーフェイスが黙り込む。ジェイドの緑色の瞳がその琥珀の色の瞳を
捕らえるように近づく。
「スカー?」
と、突然唇が塞がれた。抗議するようにばん、と左手で一発肩を殴ると、くっくっと笑いを零しながら
唇を離さずにスカーフェイスは囁いた。
「…だから、ウソつかせたくなきゃキスさせろって。」
「そういう事を言ってんじゃなく…」
そこから先は声にならない。呼吸を呑み込まれ、舌も声帯も自分の思う通りにならない。ただ、翻弄され、
滅茶苦茶に掻き回される──
  は、と息を吐いたジェイドの体がぐらりと後ろに倒れ掛けるのを軽く掴んで止め、仰向けにシーツの上に
横たえるとスカーフェイスはにやっと笑った。
「…お前、ほんと感度いいねえ。」
なにが?と朦朧とした頭で思っていると、彼はすいと首を垂れてジェイドの鎖国の間に口付けを落とした。
「今度おしおきする時は、意識がぶっ飛ぶようなキスしてやるから、楽しみにしてろな」
「…誰がいつ、お前にお仕置きされてるんだよ」
「腰抜かすなよ。その場に置いてくぞ」
話、通じてないし。
ジェイドが思いきり溜息を吐くと、スカーフェイスは肘で頭を支えて彼を見下ろした。
顔の前に一筋、濃い色の髪が長く零れた顔は、戦っている時のそれと違い、ともすれば端正に整い過ぎそうな
顔立ちを、わざと自分で持ち崩したような妙ななまめかしさを持っている。
 微かに、心臓が波打った。
 そのこちらを見下ろす瞳の色が、時を凝縮して封じ込めた琥珀の色だったからだろうか。
「傷…」
呟いて、バスローブのはだけた襟元を指で示すと、怪訝そうに眉を寄せる。
「ん?」
「俺が斬ったとこ、痕にならなかったんだな」
ああ、とスカーフェイスはジェイドが斬った肌を確認するように左肩を広げてみせる。
しなやかな、若い獣のような張りをもつ体には、もうあの時の傷痕はない。
「切れ味のいい刃物でさっくり切ったとこってのは、意外と傷になり難いんだよ。」
「それいったら、お前にやられた俺の傷も同じ筈なんだけど」
「バーカ。スワロウテイルは『斬る』んじゃねえ。『抉る』んだ。」
だから、ジェイドの体には、人工皮膚の移植が必要になった。どんなに完璧に張り合わせた所で、
生来の皮膚とは「微妙」な差が生まれる。
「いい記念だな。この傷を見る度にこの戦いの事を思い出すよ、きっと」
決して皮肉っている様子もなく微笑むジェイドの体へ、すっとスカーフェイスは指を走らせた。
第三胸骨から横隔膜の少し下で止め、腹腔を避けて、下腹部を鼠経部まで。
ぞくっ、と反応する体は覚えている。
そこが、彼によって傷を刻まれ、新しい皮膚を張り込まれた場所の一つだという事を。
「…ここ、だよなあ?」
呟くように言うと、寝衣の薄い布の上から、スカーフェイスは正確にその場所へ口付けを落とし始めた。
「ちょっ…スカー!」
まだ、完全に神経が行き渡っていないそこに触れられる事が、痺れるようなもどかしさとある種の屈折した感覚を
もたらして、ジェイドは奥歯をかんで声を飲み─やがて、悲鳴を上げた。
「やめろ…気持ち、悪い」
「痕は残るんだろ、新しい皮膚くっつけても。なんとなくカゲみたいなのが」
ジェイドの訴えを聞いているのかいないのか、ぼそっとスカーフェイスは呟いた。
「…今の技術じゃ…仕方ないって…」
「そっか」
腹の辺りを安心させるように撫でながら、その手の動きとはまるで裏腹な顔でふんと笑うと、
彼はこんなことを言った。
「って事は、ジェイド君には一生消えない俺のマーキングが刻まれたって事だ。いいじゃねえか。
男なら潔く諦めて俺のオモチャになりな」
「おっ…」
ばあっと顔に火を散らせたものの、ジェイドは突然体の力を抜き、小さく吐息した。
これにはスカーフェイスの方が拍子抜けしたような顔になる。
「…なに?何でシカトするかねそこで?」
「だってどうせお前、そうやって俺をからかって面白がってるだけだから。真面目に聞く俺が馬鹿みたいじゃないか」
顔を背けるジェイドの上に体を傾け、耳にキスを落としながら囁く。
「んなことねえって…」
「聞かない。俺はもう寝るから黙れ」
スカーフェイスに背を向け、眼を閉じようとした、その時。
「…このバカ!」
いきなり左腕をつかまれ、引きずり起こされた。気が付くとスカーフェイスの胸に放り込まれ、
その、露骨に怒りを滲ませた顔を見上げる体勢になっている。
その余りの怒気に、ジェイドは呆気に取られ、呟いた。
「…スカー?…」
「右肩と体の前面に負担がかかる姿勢、絶対に取るんじゃねえ!何考えてんだお前は!」
 確かに。
 スワロウテイルで抉りまくられた体の前面は今だ人工皮膚が安定せず、もぎ取られた右腕など、
繋いだばかりの動脈と靭帯がいつ分解しても不思議ではない。
スカーフェイスはがりがりと頭を掻いた。
「俺が言えた義理じゃねえんだけどよ、お前、少し考えなさすぎなんだよ。あ?優等生のはずだろうが。
一体何勉強してたんだ?」
いかにも苛々した口調で言われ、思わずしゅんとしてしまうジェイドの頭がそっと抱き寄せられ、
改めてベッドの上に横たえられる。
しかも今度は、スカーフェイスの右腕の中に。
「左肩を俺の脇に付けろ。そう。そこでいい。」
 落ち着かされた先は、ひどく楽な姿勢で横になる事が出来る場所だった。ジェイドは思わずほっと息を吐いた。
「これなら楽だろ?」
スカーフェイスの指先が、くすぐるように髪を撫でる。その腕が、絶対自分に右へ寝返りを打たせない為の
防波堤だとジェイドは気付いた。
「右腕もな、疲れて来るようなら、少しこっち向きに体向けて、俺の上に載せろ。それだけで血流が良くなって、
かなり楽なはずだ」
琥珀色の瞳は穏やかにすら見える色のまま、見下ろしてくる。
「傷なんて…てめえが治したいと思わないと、ちゃんと治りゃしねえんだからな」
そして、ぎりぎり視界が保てる程度に枕元のスタンドの灯りを落として囁く。
「もう寝ろ。」
素直に肯き、引き上げてくれるシーツと毛布に顔を埋めながらジェイドはふと思っていた。
  傷なんて、自分が治したいと思わない限り治らない。
  じゃあ、じゃあ、スカー。
  お前の腰に刻み込まれていたあの傷──ケビンさんを助ける為にお前が受けた古い傷痕──
  あれをお前は、治したいと──消したいと思わなかったって事なのか…?
  それは、どういう意味を持っているのだろう。
「スカー…あのな、お前の…」
闇の中で呟くと、すっと顎が持ち上げられ、無言のまま唇を塞がれ、深く探られた。
  ……お前今、嘘を吐きそうだから、キスしてるのか?
  そうなのかよ?
走り始めた感情は止まらない。ジェイドは初めて、自分に被さってきているスカーフェイスの首に腕を伸ばし、
その頬を、顎を捕らえ、食いつくような激しさでその口付けに応える事を覚えた。

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