SCAR FACE SITE

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  さて、どうやって宥めすかしてやろうか?
  一応禁足先に指定されているホテルに戻る道々、スカーフェイスはそんな思いを巡らせている。
  夜半過ぎ。気温は零度を下回っているだろう。吐き出す息が、街灯の光に白く輝きを放って散って行く。
  出歩いていた事に関して悪びれる気持ちなど欠片もない。逆に、仕方ない事じゃないのかと不思議に思うくらいだ。
肉体がある程度回復した彼ら『新世代超人』──言い方を変えたら、気力・体力ともに充溢しきっている青二才どもの
拘束先に、なんだって目と鼻の先に遊興街のある場所なんか指定するんだか。
 これはもう、『遊びに行きなさい。見なかった事にしてあげるから』と、超人委員会の皆さんが
おっしゃっているとしか考えられない。
 気が済むまで、手当たり次第にそこら辺のおねえちゃん達をしばき倒してこなかっただけ、誉めてもらいたいと、
本気で思う。
  もっとも、彼が『スカーフェイス』だと気付いた途端、据膳掲げて走り寄ってくるだろうお手軽・お気楽な
おねえちゃん達に構わずに戻ってきたのは、『自分が元悪行超人養成所にいたマルス≠ナあり、
今の所ブロッケンJr.の監督下で超人委員会の裁決を待つ身であるゆえの自重』なんて、
殊勝な心がけのなさしめるところではない。無論。
  実はつい今し方まで、かつての養成所仲間であり、彼が『マルス』だと言う事を衆人環視の中で暴露したケビンと
呑んでいたのだ。
  別に恨み言を言うつもりもなく、仲直りなんて馬鹿げた気持ちもない。ただ四六時中誰かの視線が絡み付いてくる
感触から逃れたくて、ふと街に出掛け、よさげな店に入って一人で酒を呑んでいた時に、どうしてもケビンに
聞かせてやりたい「音」が聞こえたから、彼を呼び出した─それだけの事。
  だのに。
  顔面蒼白になって自分を探しているだろう面影が頭を過ぎった時、ケビンに掛けた電話の直後にホテルのナンバーを
叩き、伝言を残した自分がいたりする。
「虐めがいがあるからな…」
独り言めかして呟き、ホテルのエントランスを入ったそこで、スカーフェイスの足はぎくりと凍り付いた。
VIP専用の人気のない広大な、金色の光に満たされたそこに、腕を組んで立ちはだかっている「威風堂々」なお姿と、
そしてその背後に実に良く見慣れた巨漢の姿。
その「威風堂々」な方の深いサファイヤのような藍色の瞳が、ぎらり、と底光りを放った。
抜き身の刃が光を反射したようなものだ。情け容赦のない殺気に─いや、これはもう「殺意」だ─
スカーフェイスの全身の筋肉が戦闘体勢に入ったまま硬直する。
  ─だめだ、勝てねえ。
瞬間的にそう悟った。なにせこの足場では自分にとって間合いが最悪だ。
そのうえ、この師匠の仕掛けのタイミングは──認めたくはないが最高に読み取りにくい。
それは、先の記者会見の席上で嫌と言うほど思い知らせていただいている。
「死ぬか、クソ餓鬼」
ブロッケンJr.の凍り付くような声がその薄い唇からこぼれる。
 ともあれ、話をさせる余裕があるらしい事に気付き、即死は免れられると踏んで、スカーフェイスは降参の証に両手を
軽く挙げた。
「冗談。」
「お前なあ、少しつつしめ、スカーフェイス」
Jr.の背後から呆れたような声を出したのは、ヘラクレス・ファクトリーで教鞭を執っているバッファローマンである。
ご多聞にもれず、スカーフェイスは教習生の時から教官泣かせの学生だったが、そんな彼に比較的好意的な目を
向けてくれた人物である事も良く分かっている。
「だってよお、バッファ先生。じゃあなんで徒歩数分で呑み屋街があるようなとこに宿決めたんだよ?そろそろ体も
いいかんじだってのに、簡単なトレーニング以外する事ない以上、なんかして気ぃ紛らわしたくなるのが当然だろ?」
両手を広げて主張してみれば、その言い分にバッファローマンは、思わず腕組みして唸ってしまった。
「う〜ん、確かに…」
「説得されてどうするこの馬鹿者が!」
ハリセンがあったら間違いなく一発入っているところだろう。
鋼鉄製──いや、しなりを求めるなら、やっぱりチタン製だろう。ひとつ何かの時にそいつを特注して
プレゼントしてやろうか、と二人のやり取りを聞きながら一瞬本気でスカーフェイスは思う。
「それに…まあ、黙って消えた事は謝るよ。でも俺、別にアンタ等に叱られるような事は何もしてないぜ?」
ちゃんとこうしてお昼前には帰ってきてるんだし、と問い掛けるように眉を上げたスカーフェイスに、
バッファローマンは怪訝そうに尋ねた。
「こんな時間まで一人で大人しく酒呑んでたのか?お前が?」
「一人じゃねえよ。ケビンと一緒」
その言葉に、思わずバッファローマンとブロッケンJr.が目を見交わした。スカーフェイスは肩越しに今し方潜ってきた
ドアの方を見遣るような仕草をした。
「やっと落ち着いて酒呑める状況になったんだよ。あいつ、俺に対して相当逃げ腰ってたからよ…ま、潰れるまで
呑んだらすっきりしたんじゃねえか」
「潰したあ!?」
声がひっくり返ったのは、もちろんバッファローマンの方だ。
「そ、それでお前まさか、ケビンを置き去りにして来たんじゃなかろうな!?」
「んな事できっかよ。夜はこれからって時間帯の酒場にあんな綺麗なツラしたにーちゃん転がしといたら、
御姐様がたの良いエジキだぜ。俺だってそこまで薄情じゃねえやな」
なんだかんだ言って、愛しい息子さんに影に日向に張り付いている御父上の放ったエージェントの一人をひっつかまえて、
お坊ちゃまを無事に「お宅」まで送り届ける旨、にっこり笑顔で丁重にお願いしたと言う。
「ロビンの奴、まだ息子にお守り付けてるのか…」
げんなりしているバッファローマンに、スカーフェイスはさらっと答えた。
「先生の趣味じゃねえのかねえ、あそこまで行くと?写真も相当撮らせてるし、付き合ってる女の裏も片っ端から
洗わせてるみたいだし」
「お前、そんな事に気付いて良く黙っていられるな」
「別に俺がケビンと付き合ってる訳じゃねえから、俺の腹は探られたって痛かねえしな。他人の家の内情まで
口出しできねえでしょう?」
こういう奴なんだけど、どうするよ、と言いた気な眼差しでバッファローマンがブロッケンJr.を見下ろした。
 ブロッケンJr.は一瞬目を閉じ──そして、その吸い込まれそうなほど青い瞳をスカーフェイスに向けた。
「人ん家の内情は引っ掻き回していやがる癖に…」
「はあ?」
「うるせえよクソ餓鬼。二度も三度も言わせるな」
この人、どうにも弟子とその他の人間とに見せる人格に落差があり過ぎるような気がする。
びしっと音を立てて顔の前に叩き付けられたクラッシックな形の鍵を思わずスカーフェイスが掌で止めると、
ブロッケンJr.は凍り付くような低い声で呟いた。
「あんな顔を二度とさせるな。今度こそ殺すぞ」
声のないスカーフェイスの隣りを通り過ぎながら、ブロッケンJr.は肩越しに尋ねる。
「おい、お前とケビンが呑んでた店ってのはまだ開いているのか」
「…ああ。確か4時か5時までやってた筈だぜ」
スカーフェイスは握った鍵を顔の横で振りながら付け加えた。
「ヴォストークもシュタインヘーガーもご用意されてますよ、レーラァ師匠」
その一言に、Jr.の青白い程の顔は火を噴いたように赤くなった。
「…貴様のような弟子を取った覚えはない!馬鹿者!!」
靴音も荒く歩み去るブロッケンJr.の背中を見詰め、やれやれおひいさまのご機嫌取りは結局俺かよ、
と呟いたバッファローマンはどん、とスカーフェイスの横腹を肘で小突いた。
「お前なあ…分かってて煽ってるだろ、あいつの事」
さあ?と首を捻るスカーフェイスに、精悍な面立ちは苦笑を刻んだ。
「ありがたく思えよ。『帰ってきたら膾にしてやる』って息巻いてたのを宥めたのは俺だぞ」
「それはどうもお手数掛けまして」
一応慇懃に頭を下げると、バッファローマンは今までの教師然とした表情をくるりと脱ぎ捨て、
冷やかし笑いのようなものを満面に浮かべながら耳打ちしてきた。
「後で首尾聞かせろよな。」
その言葉にスカーフェイスはにいっと凄んだような笑みで答えた。
「聞きたいって言った事、絶対に後悔しないって誓えるか、先生?」
「…う…」
  ─…コイツ一体これから何するつもりなんだろう…
物凄く恐い想像が頭の中を駆け巡ったが、それはとても口には出来なかった。
「…ま、あれだ…」
思わず咳払いなんかを無意味にして、さらにぼそぼそと耳打ちする。
「手荒に扱って、壊すなよ」
すると、スカーフェイスはぷっと吹き出した。
「先生じゃあるまいし…んな下手するかよ」
「なんだあ!?お前幾らなんでも言って良い事と悪い事が…!」
「なにやってるバッファ!」
回転ドアの所でJr.が怒鳴っている。
「ぐずぐずするな、置いていくぞ!」
「ほら、カワイイお姫様がカンカンだぜ。さっさといきなよ」
茶化すように指で示したスカーフェイスに、バッファローマンは顔を顰めてみせた。
「半分はお前の所為だ」
「じゃあ、そっちも頑張ってご機嫌取りしちゃってください」
「お前もせいぜい小猫にひっかかれてくれ」
そんな訳で二人はお互いの健闘を祈って別れたのだった。


  気のせいかもしれないが、ジェイドの師匠──ブロッケンJr.は、ここの所確実に『見た目』まで変わってきていると
スカーフェイスは思う。
簡単に言えば、『若返って』きているのだ。『プラチナの美貌』と異名を取ったブロッケン一族特有の、
底冷えのするような面差しがはっきりと蘇ってきている。
元々、「人間」と「超人」の境目を、精神力で越える事が出来る一族である。「後継者」ジェイドを手に入れた事で
一応気力を取り戻したとは言え、やはり『自分の時代は終わった』と思っていた事が、「人間」ブロッケンJr.の肉体と
精神を著しく損なっていた事は疑う余地はない。それが、この騒動で昔の仲間と再会し、今だ自分を愛してくれる人々に
囲まれて、彼の『超人』としての力が蘇ってきていると言う事なのだろう。
  超人は、通常の人間とは違う時を生きる。愛したものが人間なら、その死を見取って尚、生き続ける覚悟を
しなければならない。
  目の前で冷厳かつ尊慕の象徴であった『超人』のはずの父親の死を見た事が、ブロッケンJr.の神経に、
再起不能なトラウマを刻み込んだのだろう。
  そして彼は、自分のプライドと存在価値の全てを賭けて挑み、そして敗れ去ったコンクリートデスマッチを
数十年の歳月を経た今となってもあれほど忌み嫌い、スカーフェイスがジェイドとの戦いにそれを指定した時には、
恐怖のどん底に落ちさえした。
  その彼を再び『超人』として蘇らせたのはやはり弟子であるジェイドが、独り立ちして戦い続ける姿だったのだろう。
  そんな、寄り掛かり合うことでお互いを支え合う姿を、あの時の自分は弱さだと思った。
  弱者は嫌いだ。戦う価値さえない。
──俺は、ジェイドがそんな『弱さ』を後生大事に守っている事が、どうしても許せなかったんだろうな。
  たった一人。とうとう見つけたと思った、まともに戦う価値がある唯一の存在。
  だのに、その向こうにはあの男の影があった。それが嫌で嫌で堪らなかった。
  嫉妬、だろうか、これは?
「ダッセエ…」
呟いて、渡された鍵を掌で転がす。
このホテルのオーナーは、何を隠そう『レジェンド』の一人、ロビンである。彼の配慮で、このホテルの殆どの階層は、
彼ら超人の鋭敏すぎる感覚を保護し、人間ばなれした身体機能に耐えられるよう、改装されている。
  ジェイドとブロッケンJr.の部屋は、その最上階から2階層下がったところにあった。
  その部屋の鍵を投げつけていったと言う事は、今夜のジェイドの扱いを、自分に任せると言う事なのだろう。
  と、言うより、責任を取れと言うところか。
  師匠までさじを投げるようなへその曲げ方をしている金色の小猫が閉じこもる部屋のドアを、
音をさせないように慎重に、スカーフェイスは開いた。
  で、最初に思った事は全く場違いな、というか今までの思考とは全く無関係な一言だった。
  ──げ、スイートじゃねえかここ…
  入り口のドアの向こうに、もう一つ瀟洒な、ラリック工房のものと思しき、翼を広げた少女の浮き彫りのされた
一枚ガラスのドア─それだって十分に防音と耐衝撃性を持っている事が予測される─がある。
しかしそこから漏れてくる光はない。部屋の中は、無人であるかのように薄暗い。
少し違和感を感じながら、そのドアを開けた瞬間、薄暗さの正体が分かった。
どっしりしたカーテンが開け放たれ、その向こうにはまださんざめくような光を輝かせる夜の街と港の風景が広がっている。
部屋の中が完全な真闇でなかったのはそのせいだ。
  その窓に向かって、立ち尽くしている人影がある。
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