SCAR FACE SITE

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◆ Listen in your sound

  まさかこいつからの呼び出しがあるとは、流石に予想もしなかった。
思わず口の中でそう呟きながら、重厚な彫刻の施されている分厚い木の扉をケビンは押し開けて、
それと同時にカウンター席に当の呼び出しの主を見つけた。
「よう」
何もなかったかのように手を挙げ、自分の傍らの席を示す。
その瞳が、トップライトの光を受けて金色の琥珀のように輝いた。
  とりあえず、周囲の注目を浴びるのも嫌なのでその席に腰を落ち着け、そして堂々と酒を呷っている傍らの友人──
そう呼んで良いものかどうか、いまだに躊躇われたりもするのだが──の横顔に視線を当てたまま、ケビンは青い瞳を細めて言った。
「何の用だ、マルス」

  その言葉がまるで最高のジョークだったかのように、マルス──今は『スカーフェイス』と呼ばれている男は
さも可笑しそうに笑い声を立てた。
「なんだ?リザーヴがなくっちゃ、お目にかかれない方だったのかよケビン様は?」
しかし、自分で言ってから、まだケビンが何も言わないうちに首を捻った。
「いや、ある意味そうとも言えるよな。なにせ女王陛下直属のお貴族様の坊ちゃまだもんなあ。
ま、今日のところは特例ってことで勘弁しろ。こっちも監察処分真っ最中で、自由の身じゃないからよ」
思わずケビンは濃い金色の前髪をぐしゃぐしゃに掻き上げ、額を押えるように肘をついた。
相変わらずの『畳み掛けるように襲ってくる、一見理路整然とした反論の隙がない』トーク。
「会話」にならない彼との会話に、昔からどれだけ苦しんだかしれない。
「あのなあ、マルス」
「まあいいや、こいつにベルズのダブル、ロックで」
まあ良いかどうかを決めるのはこっちだと思うんだが。
しかも何時の間にか、呑む酒の銘柄まで勝手に指定されている。
それでも反論しなかったのは、それが彼の最も愛している酒のひとつだったからだ。
こういう事を一々覚えている辺りが、つくづくこいつだ、と傍らで頬杖を付いて目を閉じた顔を横目で見る。
  ここしばらくの闘病生活がその頬に少し影を落としたかもしれない。鋭利になった細面の頬骨の上に、
意外なくらいにしっかりした線を描く睫が影を落としている。
 丁度その時、ケビンの目の前に、半ばまで琥珀色の液体が満たされたバカラのグラスが置かれた。
「乾杯しようぜ」
ぱち、と目を開けたスカーフェイスが自分のグラスを取り上げ、正直ケビンは声をなくした。
乾杯。
今更俺達二人の間に、酒を捧げる何が存在すると言うのだろうか。
「まずはケビン様の根性悪さに」
にっと笑い、それから、と付け加える。
「それから?」
「俺様の運と生命力の強さに」
ケビンは思わず苦笑してしまった。
「殺されても死にそうにない奴が、良く言う…」
「馬鹿言うな。俺にだって、これはマジにやばいと思う瞬間くらいあるさ」
「でも『瞬間』だろ?」
くっとスカーフェイスは笑った。
「口がへらねえ男だ」
流し込まれると言う言葉より以上相応しい表現が見当たらないような流れで、グラスの中の透明な液体が彼の喉に消えていく。
「同じ物」
追加を頼んで、ケビンと手付かずのままのグラスに琥珀色の目が向いた。
「なんだよ。俺が持ってやるんだから潔く呑めよ」
「話があったんじゃないのか」
ケビンは静かに問い返した。
入れ替え戦の決勝戦が始まった直後、スカーフェイスの弾劾をやらかしたのは他ならぬ自分だ。
それをあの時、スカーフェイス──いや、マルスか──は、『裏切り』だと罵った。
その決着がいつか来ると、ずっと覚悟していた。
  しかし、スカーフェイスの方は新しいグラスを受け取り、一口呑んでからじっと動かない。
その沈黙にしばらくは付き合っていたケビンがついに痺れを切らして口を開く。
「おい、マル…」
「しっ」
思わぬ真剣な口調で制されて、ケビンはその先を呑み込む。
途端。
スカーフェイスの呑んでいる酒の満たされた、ケビンの前に置かれているバカラより遥かに薄手のグラスの中で、
本当に微かな音を立ててカラ…と氷が動いた。
「こいつが楽しくてさあ」
「は?」
思わずケビンは耳を疑った。しかし、スカーフェイスは至って平静な表情で続ける。
「この店の酒の美味い訳が分かったんだよ。この音だ。すげえよ。酒によって微妙にグラスの厚さ変えてんだ。
ベルズはバカラでくるだろ?この音とは違う音が聞けるぜ多分」
こいつは。
絶句したままケビンはスカーフェイスの顔に見入っていた。
「ああ、用事があったとしたら、あえて言や、それかな」
「え?」
「耳で酒呑んでるなんてハナシ、通じそうなヤツお前以外に思い付かなかったんでね」
…この男は…
ケビンの表情が、笑いとも泣き顔とも付かない表情で歪んだ。
…相変わらず強い奴だよお前は…
その一瞬。
バカラの美しいカットグラスの中で、カタン…と音を立てて氷の塊が揺れた。
二人の視線が同時にグラスに向く。
「ほらよ」
相変わらず頬杖のまま、スカーフェイスが顎を動かす。
「いい音だろ」
ケビンは思わずそのグラスを手に取った。
「ああ…」
唇をつけると、強い酒の香気が口の中に流れ込んでくる。
「こういう酒の呑み方があるとは思わなかった」
「『聴こえる』ってのも悪い事じゃねえってことだな」
そのまま、二人の視線が合った。
何故、と過去を問う言葉はない。
ただ、生き残ったと言う現実が今ここにある。
そして分かち合える『音』が聞こえる──
  だが。
その瞬間、スカーフェイスの瞳が異様な輝きを浮かべたのにケビンは気付いた。見る見るうちに琥珀色をした瞳が、
内側から発光しているような黄金に色を変えていく。
喩えて言うなら、犬が途轍もなく面白い『なにか』の接近に気付いて、その前兆である物音にぴくっと耳を動かした、
そんな感じだ。
ある意味見慣れた表情ではあるが、酷く嫌な予感がする。
「マルス」
言いかけた唇が指先で封じられた途端、入り口の扉が開いた。
店の中にいた客の視線が一斉に集まったほど、そこに立っていた少年──体格の割に幼い顔がどうしてもそう言わせてしまうのだが──
は明るく輝く蜂蜜のような金色の髪と澄んだ表情をしていた。
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