「どうしても、嫌なわけ?」 「やだ」 こうなると、マルスは絶対にひとの云うことを聞いてくれない。 イヤといったら、イヤ。 理由など、何もない。 「こんな寒い部屋にいるより、外に出てクリスマスの気分を味わったほうが建設的だと思わないか?」 「俺は根っからの悪行超人だぜ。クリスマスなんか、カンケーねぇや」 …それはそうかも知れないけど。 「イルミネーションが綺麗なんだってさ。俺、一人でも見に行こうかな。せっかくのイブだし」 火の気のない部屋で、体感温度は限りなく氷点下に近い。 なのに、こいつは暑さ寒さも何のその、いつもと変わらない格好で、平然としている。 鍛え方が違うのだろうか? いや… 単に、鈍いだけだ。 「よし、決めた。俺、出かけてくるからな」 雨の日に墓場で再会して以来、俺のねぐらに転がり込んで来たマルスは、すっかり居候となってしまい、 いまではどっちがこの部屋の主だか、判らない状態となっていた。 このあいだなど、酒とつまみを持って、クリオネとデッドが遊びにくる始末だ。 どう考えても性格に難のあるもの同士、よほど気が合ったとしか思えない。 もう一人の『同期生』のことは…訊かなかった… 俺に正体を暴かれて、万太郎に負けて…居場所のなくなってしまったマルス。 俺と再会するまで、何処で何をしていたのか判らない。 復讐してやる…と、口ではそう云いながら、迷子のこどもみたいに俺にすがりついてきたマルスを…突き放すことなど、 出来なかった。 「いいのか?こんなところで一人っきり。お化けが出ても、知らないよ」 日本人に温泉…イギリス人にお化け。 どちらも不可分の名コンビ…と断言したら、何処からかクレームがくるだろうか。 かなり老朽化した木造の洋館は、戦後内部が作り変えられて、下宿屋…と云う、いまではほぼ絶滅してしまった商売に 使われていたそうだ。 現在は、入れ代わりたち代わり借り手の変わるアパートになっている。 四畳半一間に、押入れがついているだけ。 水まわりはすべて共同。 このあいだ、天井裏でねずみが運動会をしていた。 悪行超人とはぐれものの超人の棲家にしては、似合いすぎて笑ってしまう。 何が出たって、不思議はない。 「おまえな、いくらなんでもそういう子供だましはよせよな。 だいたいにおいて、日本の化け物がこんな冬場に出てくるもんか」 あれ…お化けは冬に出てくるものだよ。 「古来日本では、化け物と幽霊は夏場が稼ぎどきなんだよ」 暇つぶしに教えてやったナンバークロスが気に入ったらしく、鉛筆と消しゴムを傍らにクロスワードの雑誌を、 折りたたみ出来る座卓の上に広げていたマルスが、コートを羽織って出掛けようとする俺の手を、さりげなく掴まえた。 「一人で行ったって、つまらねえだろ?」 「この寒い場所にいるより、ましだよ」 あ… 引っ張られ、バランスを崩し、そのままマルスの膝の上に、抱き取られた。 「そんなに寒いかねぇ?」 「寒いよ!」 「寒がりだな」 羽織っただけのコートが肩から滑り落ちた。 「じゃ…あっためてやるよ」 まとめておかなかった髪を指で玩び、耳許で、囁く。 「だから。 布団、敷けよ…布団」 「ば…莫迦!」 どうして、マルスの科白はいつもこんなに殺風景なんだろう… 「そんな…そんな気に…」 「なるかならないか、試してみないか?」 云ったそばから、マルスの手が、上着のなかに滑り込んできた。 てのひらで、ざわり…撫で上げられて、背筋がかすかに、震えた。 探り当てたわずかな尖りに、中指が輪を描くように、触れてくる。 「…したい」 「ん…ぁ……莫迦」 窮屈な格好で、衣服のなかを探られる。 触れるか触れないかの絶妙は、妖しく皮膚の奥底に波紋を広げ、漣となる。 搦めとられる… 淫蕩は、おのれを流れる古い血によるものなのか。 マルスのあやつる指に幻惑されて、溺れていく。 この… 世間人並みを外れてしまった悦楽に、引きずり込まれ、何も考えられなくなる。 「…したい。 無茶苦茶に」 駄目…だめ…… 「こんな格好で…」 「だから、布団を敷け、と云ってるだろ」 深く響く、甘味のある声だ。 「寒い」 「肌を…合わせりゃ…あったかくなるさ」 夜の気配は、氷の冷たさ。 すがりついてみたのは、マルスの言葉に甘えたかったから…かも、しれない。 このまま、包み込まれてしまったら。 恥知らずにも淫らごとを口走り、理性の届かないところに、心が行ってしまいそうだ。 「あしを…ひらけよ」 マルスの胸に、背中を預け、膝の裏側に差し入れられた手で、足を開かれた。 ひどく…みっともない、格好だ。 「さて」 首筋をくすぐる唇が、乾いている。 「俺は両手がふさがってるからな… おまえ、自分でキモチよくなれよ」 「や…」 「自分で自分を引きずり出してよ。 おまえが自分でするときみたいに、して見せろよ」 マルスに向き直ろうとするけど、マルスの両腕にホールドされた体は、身じろぎもできない。 ひとつ。 腰をつき上げられた。 あ…当たってる。 「はやく」 すう…っと、頭の中から血の気がひいていく。 目の前が暗くなるほど、いい気持ち。 何かが心の中ではじけた。 手を伸ばし、自分自身に指を沿わせた。 みずからあやなす指先に、それは形をなしてゆく。 きつく…きつく… 「おい…」 肩越しに、俺の手弄りを覗きこむようにしていたマルスが、耳元に囁きかける。 「…ん…?」 獣欲の先走る滴りを感じて、俺は指を輪にして掴み放していたのをやめ、 潤んだ暗い色あいの粘膜にてのひらを覆いかぶせた。 「スキモノ」 「莫迦!」 てのひらの下で粘膜は、それ自体の湿潤にたすけられて、ひきつれるような軋みかたをせず、 ゆるい摩擦に快楽のきっかけを探している。 「なるほどねぇ。ひとそれぞれってな、こういうことを云うんだな」 左手が伸び、脈打つものをじかに触れられた。 「…!」 「…どうだ? 少しはあったかく、なったか? 自分であっためてちゃ、世話ないけどよ」 「…少し、黙ってろよっ!」 けもの抱きに、抱きすくめられ、あらわになった皮膚が、重なり合った。 左手に捕らえられたものに、さらなる熱がこもり… 焦れている。 「な…」 「ん?」 息をするのも、もどかしい。 「イギリスの化け物ってのは、冬に出るのか?」 「…こういう場合に訊きたくなることなのか? もう少しほかに、云うことが、ないのか?」 「たとえば?」 「…ん… あいしてる、とか」 足のあいだを、マルスそのものが行き場を求めて蠢いている。 「そういや、俺、おまえを口説いたことなかったな」 「いつだっておまえは…むりやり…」 マルスが…俺を欲しがっている… 「人聞きの悪いこと、云うなよ。 俺は訊いた筈だぜ」 俺としたいか? したく、ないか? 舌先でしとらせた中指の一節がゆっくりと… マルスは、いつも、そうする。 俺が耐え切れずに悲鳴をあげる、その瞬間まで、ゆるゆると指先で玩弄する。 ただ、手首の返し方ひとつで、俺を、狂わせる。 「おまえが一番だぜ? ほんの少し、こうしただけで…」 「…!」 声に、ならない。 マルスの指を食い締める攣縮が、背筋を疾って閃いた。 「快がり涕く」 マルスの片方の腕の戒めに、身動きさえままならず、逃げようのない愉悦が、体中で響きあう。 「綺麗だよな。 おまえは…」 マルスが、俺の貝殻骨を舐め上げた。 そこ。 …弱い。 「あ…」 「ここに昔、羽根があった…って云われたら、信じちまうくらいに」 けものの形のままで、甘く、咬まれた。 「マルス…マルス…」 「いい…って、云えよ」 「たまらなく…いい」 寒さなど、もう、感じなかった。 言葉よりも、もっと。 その指は、饒舌。 注意深く引き伸ばされた悦楽に、極まりを手探りにする。 「…こんな格好…」 いやだ…の、音のつながりが、口の中で溶けた。 「ケビン」 古く、埃を吸い、擦り切れた畳の上に立てた爪。 手首をつかまれ、背中にひねり上げられるようにして、マルスの許に、導かれた。 「ほかの誰かにも、こんなことさせてる」 「おまえの方が、うまい」 「否定しないんだな」 「つくだけ無駄の嘘は、つかない」 手の中であやすそれは… 血のかよった、凶器。 「怪談は、冬にするんだ…」 締めては緩め…時折、指先でかすかに撫で上げる。 そうされるのが、好きだった。 五指に神経を集中させながら、俺は、閨の睦言にしては色気のないことを口にする。 「冬の夜は、長いから… 暖炉のそばで、揺らめく炎を眺めながら、怖い話を、する」 イギリスの、古い屋敷には、たいてい何かの因縁話が付きまとっている。 たとえば… 「俺の大叔父が、古老に聞いた話なんだけど」 締めつけると、わかる。 脈打っている。 「ある貴族が、新参のメイドに手をつけた。 よく気のつく、明るくて陰日向のない娘だったそうだ」 貴族には、奥方がいた。 持参金目当てで結婚した、ただ、妻と名のついているだけの女だった。 「その女が、嫉妬深くてメイドを殺しちまった…って話だろ」 「そう。 メイドの死骸は裏庭の薔薇の木の下に埋められた」 白かった薔薇は、いつのまにか真紅に変わり、ある日奥方がその薔薇にはさみを入れると…切り口から血が滴った。 「よく聞く怪談だぜ。 怖くない」 「続きがあるんだよ」 じわり… 暗い色の粘膜に、透明な雫がにじんだ。 「メイドは仕事熱心だったから…」 自分を養分にして育った赤い薔薇を抱えて、屋敷の中をうろつくそうだ。 赤い薔薇がよく映える、メイドが気に入っていた花瓶を探して、屋敷の中を。 真夜中に。 廊下の床板を軋ませて。 ぎい… はたはたと、靴音をさせながら。 青ざめた顔をしたメイドが、月夜の晩に屋敷を歩く。 花を活けてあげるわ。 あの花瓶…何処だったかしら…… ここ…? それとも…… このお部屋? 床板の軋みと足音は、メイドが殺された晩になると、一晩中続くそうだ。 誰もいないのに一部屋ごとにドアが開き、メイドの声が繰り返す。 …ここじゃないわ。 「何年もたったある夜のこと」 誰かが廊下をやってくる。 足音に、奥方が目を醒ました。 ドアが開き、閉まり、ここじゃない… ここ、じゃ、な、い。 遠いその音は、だんだんと近くなり、奥方の寝室の隣のドアが開く音がした。 次は… ぎ、い… ゆっくりとノブが回り、外開きのドアの陰から白い服を着た女。 …ここだ! 「朝になって、目を見開いたまま奥方は亡くなっていたそうだよ」 「……か、怪談どころじゃ…なくなって…きた…」 潤みを溶き延ばし、暗い色に脈打つそれを湿らせてゆく俺の指先を払い、マルスが両膝のあいだに俺を抱え込んだ。 「力を…抜けよ」 「あ…マルス。 イルミネーション、見に行こう」 「わかったよ。おまえもたいがい、執念深いヤツだよ」 「二人で、見たかった」 マルスに、甘えたかった。 マルスが、俺のものだと、自分に言い聞かせたかった。 これは、情痴。 世の中の枠を、遠く越えてしまった… いい… 「おい、ケビン」 頭の中が、真っ白になっていくほど、いい、気持… 浸されていく。 「聞こえないか?」 「何が…?」 「足音」 マルスが、俺の体の中に浮き沈みする、淫娃のほかには、何も聞こえていなかった耳を澄ませる。 確かに… 乾ききって隙間のあいた階段を、誰かが上ってくる音がする。 まさか… ここに住んでいるのは、いまは俺たちのほかに居ないのに。 この真夜中に、誰が? 「古い家には、何かとり憑いてるんだったよな」 「よせよ…そんなの、迷信…」 マルスの、急に速度を落とした動きに、焦れてしまう。 淫らに、ねだってしまう。 …ここじゃない。 はっきりと、声が聞こえた。 ぎい…… 床板の、軋み。 近づいてくる。 …ここ、じゃ、な、い。 昔、このあたりも戦争でずいぶん焼け出され、たくさんの人が死んだ…と、大家の老女が云っていた… もしも、生きながら焼かれて死んだものの幽霊がさまようとしたら、その姿は? はたはたと、足音。 「ここじゃない」 そのとき感じたのは、恐怖か、快楽か? たぶん、そのどちらも。 素通しの窓ガラスに映った夜は、墨を流したような、漆黒。 足音が止まる。 ノブがゆっくり… 「メリークリスマス! スカー!」 あ。 驚愕の衝撃に引き攣れた内奥が、マルスを捉え、しだくのが、わかった。 それに鋭く反応したマルスが、2度3度ふるえ… 爆ぜた。 「スカー?」 外開きのドアの陰に、翡翠の瞳。 俺とマルスを見つめてる。 禽獣のようにつがう俺たちを。 「ジェイド。どうして、ここが…?」 「クリオネが教えてくれて…それで…」 あとはしらない。 That’s all over. |