赤い月が自分の後を追ってくる。 血を丸い盆の上にたらしたような赤くてまがまがしい月。 逃れても逃れても…付いてくる。まるで愚弄しているかのように。 今までの慣れた道のりは、まるで未知の世界に通じるみちのように変わっていた。封鎖しているバリケードをこじ開け、 下へ下って行くと、地底の奥深くにも関わらず、急に視界が開けた。 そこで立ち止まったスカーフェイスは、天を仰いだ。 あるべき天蓋がなく、あったのは自分を追っていた月……。 d.M.p崩壊の時、サンシャインたちがひそかに蓄えていた爆薬も一緒に炸裂した。1年後の今では、すっかりと その様相は変わってしまっていた。 それは予想していたことだった。強がりではなく、その破滅の瞬間に自分もここにいたのだから。 でも、これなら…いっそのこと真っ暗闇の方がいい……。 生命のあるものは自分しかいないような気がした。 人の子一人どころか、息を潜めて見守る獣の気配も無い。 死者の恨み言でさえも聞こえてきそうな静寂が辺りを包んでいた。 あるのは無数の墓標……。 真夜中過ぎて中天に達した月は、相変わらずその禍禍しさをたたえており、冷たい石が赤く照らされ、 まるで血を塗りたくったようだった。 手向けられた華もなく、墓碑名もない。 誰がそこに埋まっているのか分からない。 彼はその一つの前に跪き、手で土を掘った。 暫くすると固いものが手にあたった。掘り広げてみたところ、現れたのは棺だった。 彼はそこで墓を掘るのをやめた。 「そこがおまえが帰ろうとしていた場所か?」 崖の上から聞こえた声にスカーフェイスは顔を上げた。 その人物は誰だか名前を問わなくても分かっている。 立ち上がり彼の姿を認識したとき、スカーフェイスの体の中に言い知れない不快感がこみ上げてきた。 まるでえづくように、大きく肩を数回震わせたと後…彼はわずかな足かがりを使いあっという間にその崖の上まで 上り詰めた。 その人物は自分と目下の光景を見比べ、もう一度口を開いた。 「…誰かの墓なのか…?」 明らかに同情と哀悼の響きのある声に、スカーフェイスはさっき自分を襲った不快感が『嫌悪』だとわかった。 『嫌悪』…では何に? この地をにこいつが来たことがか? それとも同情されたのがイヤなのか? 「1年前ここにはちぎれた手や足や首がゴロゴロしてたんだ。誰の墓かなんか分かるか」 口をつぐんだ男の表情から、『悪いことをきいた…』というセリフが読んでとれる。それがまた自分の体で くすぶり始めていた憎悪を掻き立て、その人物をズタズタに引き裂きてやりたくなる。 あの夏の日のように…右腕だけでなく…。 いや、こいつ、ジェイドだけでなくこの場にあるもの全てを! この正義超人達の偽善を……全て破壊し尽くしてやりたい! スカーフェイスは不気味に底光りする眼差しをジェイドに向けた。 闇に巣食う死霊でさえも威圧するような厳しい眼差しだった。 「…おまえには誰だろうと関係のない。ここは『正義超人』に負けた『悪行超人』たちの墓場だ」 もうそれ以上の質問は受けたくなかったし、同情の言葉も要らなかった。 一切を拒絶したスカーフェイスは踵を返し、離れて行く。 ジェイドは暫く無言で赤く照り返される墓を見つめていたが、大きくため息をつくと、胸の前で十字を切り、 スカーフェイスの去った方向を目指した。 スカーフェイスは自分の入ってきたほうではなく、反対の富士山の北側にある出入り口を目指していた。 ジェイドがそこから入っていたということは、他の追っ手もいる可能性がある。 かつてd.M.pには富士山に刺さっている拳と別方向に、三ケ所出口があった。 彼が選んだのはその中で一番知られていない通路だった。 自分でもまだ一度も足を踏み入れたことのないその道は、出口からさしこんでくるわずかな光りでさえも微かなものだった。 もしかしたら、崩壊した時に道自体もなくなってしまったのかもしれない。 だが、オレは何故こっちへ行こうとしているんだろうか…。 d.M.pは崩壊した。再興と復讐をかけた戦いにも破れた。 そして、オレは「正義超人」の情けで生かされた。 まるで何かから逃げているみたいじゃねぇか……。 逃げている。確かに。 では何から? 脳裏に浮かんだのはさっきあの墓場で別れた男の顔だった。 舌打ちをして打ち消そうにもあの光景は頭の中から離れない。 「じゃあ、レーラァ…気を付けて…」 夕方になると、病院のロビーは見舞い客を見送る入院患者でごった返していた。 聴きなれた声と、「レーラァ」という言葉のした方向に目をやる。 数多くの入院患者と見舞い客の中でも、彼らは異彩を放っていた。 それはそうだろう。伝説超人とその弟子が二人揃っているのだから。 ブロッケンJr.は大きな手荷物を持っており、ニ、三言ジェイドに言葉を掛けた後、タクシーの中に姿を消した。 そういや…自分も明後日には退院だったけ。 ジェイドも見たところ、今日明日にでも退院できそうな様子だった。 自分が引き千切った手を大きく振り、師匠を見送っていた。 こいつは迷うことなくヘラクレスファクトリーに戻るのだろう。 じゃあ、オレは? 自分を見つけ、びっくりしたように歩み寄ってくるジェイドを冷ややかな目で迎えながらも、自分がひどく惨めな 思いをしているのをスカーフェイスは打ち消すことができなかった。 闇が一瞬切り裂かれたような気がした。 頭上から転げ落ちてきた岩をかわすのは大したことではなかった。 崖の先端を切り取ったのは、「ベルリンの赤い雨」 闇が切り裂かれたような錯覚がしたのは、ジェイドの気迫がピークに達したとき、手から噴出する『気』のためだ。 「何をしにきたんだ?」 その声音は地中で静かに移動するマグマのようだった。 平静さを保っているが、内には空恐ろしいほどのエネルギーがある響きだった。 「オマエを連れ戻すために来た」 オレと一緒に戻ろう…とジェイドは告げた。 「てめぇみたいなヤワじゃねぇ。オレにはもう治療はいらないんだよ!」 「病院じゃない。ヘラクレス・ファクトリーに、だ」 「どこにだって!!」 ジェイドの言葉をさえぎるように、スカーフェイスは叫んだ。 「バカも休み休み言え。こっちが付き合いきれねぇぜ!」 「だって、スカー…」 「いつ誰がヘラクレス・ファクトリーなんかに戻るって言った?このオレを誰だと思っているんだ! 悪行超人の『マルス』だ!二度と『スカーフェイス』なんて呼ぶんじゃねぇ!」 猛烈な剣幕でスカーフェイスはまくし立て、それだけ言うと静まった。 「だからってこれからどこへ行くつもりなんだ!」 「オマエには関係ねぇ」 それ以上の会話はなく、二人は無言で歩きつづけた。 「ついてくるなって言ってんだろが!!」 行けども行けどもまだ出口は見えてこない。 差し込んでくるわずかな光りさえも心細くなっていた。 ただ方角だけで進んで行くスカーにジェイドは一定の距離を置いて、しっかりとした足取りでついてきていた。 「そう言われてもオマエの後をついていくしか道は知らないんでね」 「そうやって外にいる連中にオレの位置を知らせてるんだな」 「ここに来たのはオレだけだ」 「はい、そうですか!といって信じるのはオマエくらいのもんだ。オレの気分が『最悪』にならないうちにとっと失せろ」 「いやだ」 先を行くスカーフェイスの足が止まった。 「…どこまでもおめでたいヤツなんだ…おまえは…悪行超人のオレがなんでヘラクレス・ファクトリーに戻らなければ ならないんだ?」 「おまえがここに来たのは…過去に決別するためじゃないのか?」 スカーフェイスは激高した。 「オレがここにきたのは、d.M.pが金塊やらを蓄えているっていうウワサがあってな。それを頂きにきたんだ。 もっとも、とっくに正義超人に押収されたのか元々なかったのか知らないが…そんなものはなかったぜ。そのかわりに あったのはあの墓だ」 自嘲するように口の端をゆがめて笑うスカーフェイスの横顔に、ジェイドは荒野こに敷き詰められた無数の名もなき 墓標のことを思い出した。 チェックメイトが万太郎に破れたのをきっかけに自壊したd.M.pだった。 それは自分たち正義超人に取っては「勝利」だった。 28年ぶりに超人達が立ちあがったのもd.M.pを倒すためだったのだから。 だが、目の前に広がる光景は…無数の死を象徴していた。 彼らは世界に破壊と殺戮をもたらす…故に悪行超人と呼ばれた。 「破壊と殺戮の果て」というタイトルがふさわしい場所に彼は何故戻ろうとしたのだろうか……。 何かに憑かれた様に土を掘っていた姿を見たときには、正直寒気がした。そして、ジェイドは確信した。彼は誰かが まだここに残っていると信じていたのだと…。 「…だけど…オマエはここに帰りたかったわけじゃないんだろ?」 それはわずか一瞬のことだった。 スカーフェイスの手が右肩にかかり、不意をつかれたジェイドはそのまま右腕をねじり上げられてしまった。 「もう一回腕をもぎ取られたいらしいなァ、ジェイド!」 怒気をはらんだその声に、ジェイドは彼が威嚇ではなく本気で自分の右腕をもごうとしていると感じ取った。 ねじりあげるスカーに足払いをかけ、普段ならなんということはないが、足場が悪いためスカーがひるんだところで 彼から逃れ、二人のの間に再び距離が開いた。 「オレが、ここに誰もいなくて寂しいからって、そっちに行くとでも思っていたのかよ!」 「…すくなくともここには帰ってきたくなかったんだろう?他に行くところがあるのか?」 「分かった口ききやがって……てめぇに何がわかるっていうんだ!」 「それも子供のダダにしか聞こえない」 「てめぇ!!」 襲いかかってきたスカーフェイスの拳を正面でがっちりとガードした。 気を抜くとあっというまに谷底に突き落とされてしまいそうだ。 「おまえは万太郎との戦いの後に…何も得なかったのか?」 「正義超人のセオリーなんか知ったことかよ!」 「ウソつけ……!あの戦いは一部始終ビデオで見た。おまえは絶対何かを掴んだはず…」 「うるさい!!」 気迫で勝ったスカーフェイスに軍配があがった。 ジェイドはしたたかに地に打ちつけられた。 体勢を立て直す間もなく、スカーフェイスが馬乗りになってきた。 彼を退けようともがくうちに、ジェイドは次第にずり上がって行く。だが、暫くして、彼は自分の後頭部に空間が あるのに気づいた。 チラリと横目で見ると…下に広がっているのは真っ暗な闇…。 動きを止めたジェイドの首を、スカーフェイス締め上げ始めた。 「正義超人の仲間入り?冗談じゃねぇ!人間のために平和を守る?そんなおめでたい連中の仲間になんざなるもんか!!」 窒息死するよりも、首をねじりきられそうだ…とジェイドは思った。 早いところこの手を外さないと、コイツならホンキでやりかねない。 「おまえも捨て子だったんだろうが!だったら何故自分が捨てられたのかギモンに思ったことはないのか!」 全てを飲み込もうとする濁流のように、スカーフェイスの言葉はジェイドに襲いかかる。 「地球上には捨てられた超人の子供はウヨウヨいるぜ。オマエのように拾われて、養子になれたヤツはホンの一握りだ! 他のヤツはどうなったか知っているか?孤児院に入れられたとかいうなよ…それもホンのわずかだ。 誰にも受け入れられなかった超人の子供の行き先はな……」 不意に喉にかけられた手が緩んだ。 いや、わざと外したのかもしれない。 ようやく開かれた気道を最大限に開いて、ジェイドは大きく息を吸いこんだ。 「…辺境惑星の開拓団に連れて行かれたヤツはまだいいほうだ。女はガキを相手にする変態に買われていく。 人体実験に使われたやつもいる。超人の強さと生命力は人間にとって驚異的だからな…それを解明するために、 悪行超人でさえも舌を巻くような実験をしている組織もある…」 ジェイドはスカーフェイスを、そっと押しのけた。 「ここでは…『いきる』ことを勝ち取ることができた…オレは『実験体』でも…厄介者でもなく…超人として『生きて』 いたんだ…」 スカーフェイスの首はそれ以上曲がらないというところまでジェイドから背けられていた。 彼はジェイドが立ちあがった時も、ジェイドの方を見向きもしなかった。 ただ一言…吐き捨てるようにいっただけだった。 「もう二度とオレの目の前に現れるな……」 これほどまでにかたくなで、強い拒絶はみたことがなかった。 いや、まだ自分の存在を認識されているだけマシなのかもしれない。 だが、その認識も目の前から自分が消えたときに…二度と戻らなくなる。 ジェイドはおもむろにスカーフェイスの腕を掴んだ。 「離せ!!」 「離さない」 立ち上がり、噛みつかんばかりに顔を寄せてにらみつけてもジェイドは怯まなかった。 それどころか、何にも臆することなく、まっすぐに頭を上げ、真正面からスカーフェイスを見ていた。 「オレがヘラクレス・ファクトリーに帰らない理由がまだ分からないのか!」 「分かっているからつれて帰るんだ」 「馬鹿馬鹿しい!!洗脳でもするのかよ!それともカウンセリングでもして…慰めでもしてくれるのか」 「おまえが望むならしてやる」 「ああそうかい。じゃあ『慰めて』もらおうじゃないか」 正面から見据えていたジェイドに初めて怪訝そうな表情が浮かんだ。 次第に近づいてくるスカーフェイスの顔から目をそらさなくても、顰められた眉がその戸惑いを語っていた。 「無粋なヤツだ…キスするときはそのでかい目を閉じろ」 手の甲で唇を拭うジェイドのヘルメットに手がかけられ、あっという間に外され、夜目にもはっきりと分かる淡い金髪が 現れた。 取り戻そうと掴みかかってきたジェイドの動きをスカーフェイスは苦もなく制御し、自分の胸元に引き寄せる。 「『慰めて』くれるんだろう?」 腹を抱えて大笑いしたくなるくらい…可笑しかった。 抱きしめられ、もがく手の中の存在を、これほど壊してみたくなったことはなかった。 鬱陶しくなるくらいに……あまりにも純真で、逸らされることのない二つの眼差し。 逃げたかったのはこれからだったのかもしれない。 拒絶されるよりも受け入れられる方が辛い……。 「まさか頭を撫でてくれるつもりだったんじゃないだろな?」 できもしねぇことを言うんじゃねぇ、とスカーフェイスは突き飛ばすようにジェイドを解放した。 「オマエの言うことなすこと…所詮は偽善なんだよ」 「うるさい!」 スカーフェイスは一瞬噛みつかれたのかと錯覚してしまった。 ジェイドは唇をその太い首筋に押し付けながら、ベルトに手をかけた。 数瞬のためらいの後、熱を帯びた手が触れてきた。 スカーフェイスは暫くたどたどしい動きに身を任せていたが、突然ジェイドを引き剥がした。 「ボウヤでもちゃんと『慰める』ってイミを知っているとはね……だけどこれからどうするかは知らないんだろ?」 脱げよ!と荒々しく毟り取ろうとしたスカーフェイスを振り払い、ジェイドは叫んだ。 「自分でする!」 驚きを隠せないスカーフェイスの肩を押し、横たわらせた後、ジェイドは彼の上に馬乗りになった。 探り当てたとき、わずかなためらいがあった。 だが、スカーフェイスの手が腰にかかったとき、観念したように暗い虚空を見上げた。 これがオレの望んだことなのか? こみ上げてくる衝動を抑えきれず、本能に身を任せながらスカーフェイスは自問した。 ズタズタに引き裂いてやりたい……体だけでなく、その心も! 自分があの墓地でしていたことを見られたと知ったとき、今までに感じたことがないほど激しい憎悪を抱いた。 そして今、望んだままに傷つけているというのに…どうしてこの不安は拭いきれない? 自分たちはもう殆ど出口に近づいていたらしく、わずかに見えていた光は蒼白なジェイドの顔をはっきりと目の前に 浮かび上がらせるほどにまでなっていた。 横たわる力の抜けたジェイドの頬を叩くと、彼は薄っすらと目を明け、 「…これで気が済んだか?」 と言った。 体にのこる苦痛を堪えながらジェイドは起き上がった。 「ば…ばかやろ…う!!」 「バカで結構」 どうしてこいつはそんなふうにできるんだ……。 脱ぎ捨てていた服を拾い、ホコリを払うと、ジェイドはそれを身にまといはじめた。 「なんでそう平気でいられるんだ…?」 「平気じゃないぜ。まだ体中がギシギシ音を立ててる…」 ゆっくりと身なりを整えて行くジェイドの姿が次第にはっきりとしてきた。 「夜が明けた……」 光りの差し込む方向を、手をかざしながらジェイドは見つめた。 そして、振り向いたその顔に、汚され踏みにじられながらも変わらない双眸を見い出したとき…スカーフェイスは激しい 焦燥感にとらわれた。 どうして…オレはこんなに惨めなんだ………。 打ち消しても打ち消してもそれは消えない。 「出口はもうすぐ見たいだな…」 あの時、本当は自分から逃げたかったのかもしれない。 闇を退けた夜明けの光の中で、スカーフェイスは崖の淵に呆然と立ち尽くしていた。 『さあ、戻ろうぜ…』 なんのためらいもなく差し伸べられた手を払った時、勢いのせいなのか、体に力が入らなかったのか分からないが… バランスを崩したジェイドはあっという間に転落してしまった。 崖下から吹き上げてくる風はあっても、上ってくる気配はない。 「…バカヤロウが…………」 ジェイドをなぎ払った両手を日の中で見てみた。 何もついていないというのに…何度も何度も自分の体に手のひらをこすりつけた。 そして体のこすりつけた部分を見た彼は力なく笑い始めた。 「…今更何を悔やんでいるんだ、マルス…。オレの手の血はどんなに拭ってもおちやしねぇんだ……」 辺りに緑濃い世界が広がったとき、スカーフェイスは西の空を仰ぎ見た。 血塗られていた月は…力強く上ってきた太陽に照らされ、まるでその血を自分に降り注いだかのように、 山の端でひっそりと白くなっていた。 |