ツカツカツカ…という規則正しい足音にスカーフェイスは立ち止まった。 こんな足音立てて歩くヤツは一人しかない…。 「何の用だね?ジェイドくん」 彼はわざと「くん」を強調してゆっくりと振り向いた。 緑色の彼は足を止めた。 「…分かりきっているだろうが…」 「は〜?ボクには何のことだかまるでわかりませんがね〜、教えてくださいよ、生徒会長さん」 わざと神経を逆撫でするような裏声と呼称で、彼は両手を広げて首をすくめてみせた。 ジェイドは、キッとスカーフェイスを睨みつけた。 「いや〜。ここまでくると、訓練もなかなかハードでね。先生方のご丁寧な講義もなかなか…」 ジェイドの右手がドスン、と壁をたたく。 「そんなことをオレはいいたいんじゃない…なら言ってやろう…あの三人のことだ…」 ハッ、そんなことかい…。つまらねぇ。 スカーフェイスは鼻で笑った。返って来た答えがあまりにも自分の予想の範囲内だったからだ。 …つばを吐いてしまいたいほど虫唾の走る感情をこらえ、スカーフェイスはゆっくりと腕組みをした。 「おや居眠りのことじゃないのか?じゃあなんだ?」 巨体…の一本の髪もない、だが、代わりにグロテスクな大きな傷のある異形の男にうえから睨まれてもジェイドはひるまない。 まっすぐに目をそらすこともなくスカーフェイスを見ていた。 しばらくの沈黙の後、口を開いたのはスカーフェイスだった。 「ああ、アイツらのことか…」 いよいよ明日がヘラクレスファクトリーの二期生の最終試験だった。 それを前にして最終選考に残る四人を決めるために…三日前に選抜が行われたが…スカーフェイスは…対戦した三人を見事に 『血祭り』にあげたのだ。 それまで彼のラフさはしばしば衆人の目を引き、歴戦の猛者である教官たちでさえ華白ませていたが… 三人連続で瀕死の重傷、そして脱落…。 最後の一人は…三分もたたないうちに…頭から大量の血を流してマットに横たわっていた。 おびえ、許しを乞うかのような眼差し…流血が目に入って自分のことはよく見えていないハズなのに…。 強者にへつらう目は健全だった。 「うらむなら自分の弱さをうらむんだな」 たかが一発のパンチでヤツは沈んだ…。 賞賛よりも…凍りついた空気…ヒソヒソとした話し声と…畏怖とも軽蔑ともつかない視線がまとわりついていた。 「アイツらが弱かっただけだ。ここで脱落したのは幸いじゃねえのか?あんな様子じゃ…」 「そんなことが問題じゃない。おまえのファイトが荒すぎるんだ。あのままでは…誰も…」 ハン…同情かい…それとオレを弁護してやるとでもいうのかコイツは…。 「じゃあ訊くがな?今ここでおれたちが訓練を受けている理由はなんだ?」 「地球で暴れる悪行超人から人間を守るためだ」 「では、その悪行超人と戦っているとする…その時あいつらみたいなよわっちぃヤツが怪我をした。おまえはそいつをかばう… その結果…」 スカーフェイスはのジェイドの喉元に手をやり、壁に押し付けた。 「おまえもこうして…そいつの手にかかる…」 「オ、オレは…そんなことにはな、ならない」 喉に掛かった手の力に抗おうとしたが、スカーはますます力を入れてくる。 「…それは超人同士の戦いだ。ヤツが人間を盾にとってきたらどうするんだ?おまえがそのヤワな連中をかばう… その間に悪行超人が子供を一人捕らえる…」 スカーフェイスはさらに力を加えた。 気道を圧迫され呼吸のできなくなったジェイドから苦痛のうめき声があがった。 苦しさにジェイドの手がスカーの手をはがそうと爪を立てた。 だが… 「…その結果…その子供の首はチョキーン、だ」 これでおまえの首は飛ぶんだ、とばかりにスカーフェイスの手にさらに力が加えられた。 グハァ、とジェイドの喉から悲鳴が搾り出され、スカーフェイスは手を離した。 「分かったか?これがあの伝説超人の先生方のありがたい講義の現実だよ。リングを離れたら一つも役にたちゃしねぇ」 ジェイドは咳き込むばかりで言葉が出てこない。いや…言葉を失わせているのはそれだけではない…。 なんなんだ……この男の底の知れなさは…。 力や物の考え方ではない…。何か違和感が…ある。すべてにおいて…。 混乱する思考と手に残る感触… 供給されなかった酸素を求めてあえぐジェイドは…自分の目の前に迫っている男の顔に気づかなかった。 おもしれぇ… 呼吸もろくにできずにあえいでいるというのに…コイツは…オレの…… ………結果。ヤツは只者ではない… ………コイツをこのままにしておくのは危険… 「現実とやらを教えてやるよ…ジェイド…」 両手を押さえつけられ再び壁に押さえつけられたジェイドの唇がふさがれた。 生暖かい感触……血の通う感触はある…。 ムリヤリにふさがれた唇から、それは貪る口付けへと変わっていく。 それがどういった目的からくるものかジェイドは考えつづけていた。 欲望や激情というよりも…制裁…そして封印…か?疑問を持つな、ということなのか…。 身動きしないのをあざけ笑うかのように、スカーフェイスの右手が荒々しくジェイドの上着を引きちぎった。 その瞬間…逡巡していた思考が途切れた。 ギリ… とっさにスカーフェイスはジェイドから身を離した。 彼は口を手の甲でぬぐった。 口の中まで切れていた。 「大概にしろ…」 ジェイドも自分の口の端にまでにじんでいる血を拭う。そして指先についたものを見た。 「オレはおまえの下劣な行為に付き合うヒマはない」 目深にかぶられた帽子の下の眼が一瞬異様な光をたたえた…ようなきがした。 だが、それさえも何かのフィルターを通して見ているようにしか思えない。 得体の知れない…… 「反則をしてでも守らないといけないものがある、ということが分かっているところは誉めてやるよ」 得たいの知れない底知れなさ……の正体は… あのまま様子を見ていれば間違いなく引きずり込まれてしまっただろう…深淵が彼の目の奥に見えた。 それは…甘美だが、どこまでも沈んでいってしまいそうな…暗闇…。 「オヤスミ、ボウヤ。明日はせいぜいがんばるんだな。よく眠れるようにママにキスしてもらいな」 立ち去る男の背中を見ながら…ジェイドは再び口を拭った。何度も何度も…。 まるで…そこに消えない烙印があるかのように…。 ENDE |