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◆ 真夜中過ぎに夢を見る

 気軽に「いいよ」と云うと思ったのに…
「だめ?」
「ダメ」
「どうしても?」
「ダメと言ったら、駄目」
「…だって、こんなに可愛いんだよ?」
「何度おなじことを云わせるんだ?ケビン」
 両手の中で、心細げに震えている子猫の体温を感じながら、俺はマルスを盗み見る。
「何でだめなんだよ。なぁ、いいだろ?」
 擦り切れたジーンズにTシャツという、実にラフな格好のまま、板張りの床に腹ばいになって、昨日買ってきた雑誌を
 眺めているマルスが、にべもなく返事する。
「だ、め」
「マルス…」
「居た場所に戻して来い。早く云ったとおりにしろよ」

 事の起こりは、俺が子猫を拾ってきたところから始まる。
 とりたてて「動物愛護」精神にあふれているわけではないけれど、道端でにゃあにゃあ云っていたら、つい、
 拾ってしまいたくなるのは、多分…
 捨てられた子猫が自分の姿と重なるからだ。
 一体全体、どんな親から生まれてきたものやら、白黒ぶちの地模様に、ところどころアメリカンショートヘア風の
 縞模様が混ざり合い、しかも、その色がぶち模様にはミスマッチな赤茶色をしている。
 一言でいえば「不細工」を形にしたような、みっともない子猫だった。
 それで余計に…
 この猫に情が移ってしまったのだろう。
 腹に手をやれば、浮いたあばらの数までわかるほどやせ細った猫が、見過ごしに出来ないほど、哀しかった。
 なのに…
 マルスは「捨てて来い」と云う。
「どうしてだめなんだよ」
「俺は生きもののたぐいは好きじゃねえ」
「…俺が面倒見るから」
「飼ったら死ぬまで責任もたないとなんないんだぜ?」
 ……。
「おまえ、生きものの命に責任を持つって、どういうことか、わかってるのか?」
「…マルス、悪行超人とは思えない発言だな」
「茶化してるんじゃねえよ。
 ったく、無責任なやつが無責任なコトするから、猫でも犬でもやたらと増えて、結局は捨てられてお役所シゴトに
 殺される羽目になる。可哀想だがな、その猫も、自分で生きていく力がないなら、死ぬよりほかに、道はないんだ」
「そんなの嫌だ」
 何だか、自分自身が否定されているようだった。
 それは、マルスに対する甘えだったのだろうか?
 「お願い」すれば、云うことを聞いてくれると、勝手に思いこんでいた俺に、マルスはずっと、背を向けたままだった。
「マルス…」
 子猫が、鳴いた。

 たった一匹、捨てられた子猫。
 誰にも助けてもらえずに、鳴いて哀れを誘う力もなくして。
 金色の瞳だけが、涙に濡れたように、冷たい世界を映していた。
 この小さく無力な生きものに…
 何故人間は、かくも過酷な運命を背負わせて恥じることがないのだろうか?
 瞬きもせず、俺を見上げた子猫の顔が、問いかけていた。
 
 わたしにいかばかりの罪があるのですか?

 不思議だね。
 暖かい血の通った生きものに、鉱物の色合いが宿っているなんて。
 鋭いほどの金の色が、光の当たる加減で翳りを帯びていく。
 助けてやりたいと、思った。
 自分自身を救うことだと、思った。
 この子猫は、俺自身だ…

 誰にも相手にされず、居場所さえなくて。

 だからわかって欲しかったのに…
 マルスにはそれが伝わらない。
「ひとでなし」
「…なんだって?」
 子猫を一瞥すらすることなしに、マルスは雑誌のページをめくっている。
「可哀想だろ、こんなに痩せて、お腹空かして、震えてるんだぜ、少しは同情してやったっていいだろう」
「その猫とおなじ境遇の猫が、一体どれくらいこの世にいると思ってるんだ?
 一匹一匹にそうやって情けを掛けてやれるのか?
 その猫だけが特別だって云うなら、おまえ」
 ゆるゆると身を起こして、それからこっちを振り返る。
「同情だなんて、言葉を使うな」
「マルス…ひどいよ…」

「サルでもシカでもなんでも。
 人間の都合で絶滅に追いやったくせに、保護だなんだと大騒ぎして増やしてみりゃ、今度は人間サマの迷惑だからって
 駆除だ捕獲だって簡単に殺しちまう。だったらいっそ、滅びるものは放っておけばいい。犬や猫もおなじだぜ。
 可愛がるのは最初だけ。要らなくなったら生ゴミみたいに適当に捨てちまう。身勝手なんだよ」

 俺も…
 俺もそうやって、捨てられるのかな。

「マルス…何処へ?」
 戸口に立っていた俺の横をすり抜けて、マルスが踵をつぶしたスニーカーをつっかけて外へ出て行く。
「なんか、無性に腹が立つから、風にあたってくる」
「俺も一緒に…」
「付いて来るな」
 手の中で、もう一度。
 子猫が、鳴いた。
 マルスの背中が、遠ざかる。

 それから一昼夜。
 マルスは戻ってこなかった。

 何処へいった?
 マルス。
 おまえは、強いよ。
 ひとの痛みになど、気が付かないほどに、おまえは靭い。
 だけど。
 その苛烈さは、いつの日にか諸刃の剣となっておまえの心を傷つけはしないだろうか…?
 
 納得は出来ないけれど。
 マルスのいうことにも、一理ある。
 それに本当は…

 マルスは生きものが好きなんじゃないかな。
 きっと、そうだ。
 生きていく力がないものは、淘汰されても仕方ない…そう云いながら、マルスの批判の矛先は、いつも。
 無責任な人間に向けられていた。
 可哀想で見ていられないから、マルスは子猫を見ようともしなかったんだ…
 見たら、抱き寄せてしまいそうになる自分を知っていたから、わざと冷たく突き放した。
 すべてを救ってやることの出来ない無力さが、マルスを苛立たせたんだ…
 それは、マルスの負うべき責任ではないのに。
 素直じゃないものの云い方は、マルスお得意の照れ隠しだと、思い当たる。
 泣きたいほど哀しいときも、強がって、憎まれ口のひとつも利いてしまうほど、感情表現の不得手なヤツだ…
 マルスは。

 ヒトデナシは、俺のほうだ…

 過ぎゆく時の中で、マルスのことだけ、考えていた。

 マルスの居ない、二度目の夜が闇の深さを増していた。
 月もなく、星もない、真夜中。
 ここに子猫はもう居ない。
「マルス?」
 鍵を掛けていないドアが、密やかに開く。
 矩形に切り取られた内と外の境目。
 特徴のあるマルスの姿が、廊下を薄暗く照らし出している常夜灯の明かりを背にして、くっきりと影絵のように
 浮かび上がった。
「よぉ。寝ないで待ってたのか」
 怪しい呂律と、わずかにふらついた足許で、酔っていることがわかる。
「おまえ、酔ってる?」
「水くれよ、水」
「いままで何処で何してたんだよ?俺は心配して…」
 思わず駆け寄った俺を、マルスは有無を云わさず抱きすくめた。

 このぬくもりが無ければ…
 俺はもう、独りでは眠れない。

 どちらからともなく触れ合わせた唇が、ひどく懐かしかった。
「あ…マルス…」
 いつもと違う味のKISSに、甘い戦慄が背筋を疾り抜けた。
 膝から力が抜けてしまう。
 預けた体のすべてを、マルスは無言で受けとめてくれた。
 後ろ手に、ドアを閉め、もう片方の手は、俺の素肌の上を滑り…

 差し入れられた舌先にあやなされ、言葉は夢心地に溶けた。
「ま…マルス…」
「明かり…つけろよ」
「こんなことしてるのに…明るくなんて…」 できない…
 器用な指先が俺の体の輪郭をなぞるたび、震えにも似た快楽が皮膚の上でさざめいた。
「おまえのイイ顔をしてるところが見たいんだ」
「ば…莫迦…」
 囁きとともに吹き込まれた吐息が耳朶をくすぐる。
 肩をすくめてしまいそうになる悪戯が、その先の悦楽を呼び醒ます。
 やんわりと包みこまれ、手のひらでそそられる俺の中枢。
 ゆるやかに締めつける指に翻弄されて、乱れてしまう心臓の動き。
「もう…帰ってこないかと思った…」
 俺の声が、情けないほどせつなく響いたものか、ほんの一瞬、マルスの動きが止まり、笑いを含んだ声が返ってきた。
「ここは俺の家だぜ」

 気がつくと、身につけていたものは、すべて…
 足許に散らばっていた。
 酔いの冷めやらぬマルスの愛撫はいつになく執拗なもので、いつ果てるとも知れない快楽の波は、俺の羞恥を麻痺させて、
 けだものじみた淫らな姿勢さえも自在に取らせてしまう。
 
 真夜中は、蜜のように濃厚だった。

「もっとおまえ、熱くなれよ」
「え…」
 流し台のふちに手をついて、背中から抱かれておのれを貫く痛苦に耐えている…
 前に廻された左手は、胸の尖りを触れるとも触れないともつかない微妙さで嬲っている。
 右手は…
 叫び出したくなるような緩慢さで、俺を弄い続けている。
 注意深い指の動きは、巧みに快楽そのものを避けて蠢き、求めて与えられない刺激への渇望が、身体でマルスを誘うという、
 恥知らずな行動へと直截につながる。
「熱くなると、背中のタトゥが鮮やかに浮かび上がるんだろ?」
 唇を噛みしめて、愉悦に上げる声を殺す。
「なにもかも…おまえのすべてを…見てみたい」
「…ん…」
  
 真夜中過ぎに見た夢は…
 琥珀の輝き。

 こらえきれずに上げた声に、満足したかのように、マルスもまた、おのれの欲望を解き放った。

 寄せ合う肌が心地いい…

「ケビン」
 いつの間にシーツにくるまっていたものか、呼ばれてうとうとと眠っていたことに気が付く。
「土産だ」
「…え…?」
 目の前に放り出された、赤いブレスレットのようなものを手にとって仰向けに横になったまま仔細に眺める。
「これ、なんだ…?」
「首輪だよ。猫の」
 …猫…ネコ…こねこ。
「俺も、あのときは意地になっておまえに突っかかって、悪かったなと…まぁ、反省したから…」
 知らず。
 目の前が、おぼろに曇って…
 赤い首輪を握り締めたまま、泣いた。
「ケビン…?おい、何か、気に触ったか?それより、猫はどうしたんだよ?」
 俺が傍目も構わず泣き出したので、慌てたマルスが宥めるように、髪を撫でつけてくれた。
「マルスが居たところに戻して来いって云うから…」
「戻してきたのか?」
 返事の代わりに肯く。
「そしたら…あの猫を欲しいって人が通りかかって…」
「わかった。わかったから、もう、泣くな」
 マルスが云うけど。
 いちど歯止めのきかなくなった涙は、止めようにも止めようがなく…
 困ったような表情で、マルスはいつまでも頬を撫でていてくれた。

 マルスが傍に居てくれる。
 それだけで、安心しきった俺は、艶めいたけだるさの残る身体を赤ん坊のように丸めて深い眠りに落ちていった。

 夢さえ見ずに。

 目が醒めて、右の手首に違和感があった。
「マルス?」
「…ん…?」
 子猫のための首輪が、何故だか俺の右手首にはまっている。
「何の冗談だ…これ…」
「おまえのことはな…」
 寝返りをうち、俺に背を向けながら、なかばまだ夢の世界に遊んでいるマルスが云う。
「俺が飼ってやるよ。責任もって」
「三食昼寝付なら、飼われてやるよ」
「贅沢云うなよな」

 どうやって生きていくのが幸せなのだろう?
 ひとも、けものも、命あるものは、みんな…

 That's all over.