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◆ 星の見えない夜に

 その日、9人の日本駐屯超人の1人ジャイロは、今期の最優秀防衛成績を修めたとして、超人委員会から表彰された。

 「凄いな、ジャイロ!」後ろからジャイロに追いついたナムルは、弾んだ調子で声をかける。
 「あ? 別に凄くもないだろ。」とジャイロ。
 「でも、現在日本に駐屯している俺たち一期生の中で、お前が最優秀と言うことは、最も悪行超人達を駆逐したということだろう?」
 「潜入しようとしてる奴を見つけてのして、超人警察に引き渡すだけのことだからな。詰まらねぇお役目だぜ。」
 「そんなこと言って! お前だって、この任務にやり甲斐を感じてるだろ?」
 ジャイロは立ち止まると、ナムルに顔を向ける。
 「決め付けんなよ、ナムル。世の中の奴全部が、お前みたいな生真面目な優等生ってわけじゃないんだ。」
 ふいと顔を反らし、ナムルに気を止める風でもなく再び歩き出しつつ、ジャイロは言った。
 「そりゃあ、日本防衛が重大な任務ってのはわかってるさ。超人1人がヘタな気起こして暴れたら、人間にとってはハタ迷惑なだけ
 だからな。飛行機が墜落したくらいの死人は軽く出るだろうし。」
 ナムルは小走りでジャイロに歩調を合わせる。
 「そうは言ってもよ。こうも何の刺激もないとな、やっぱたまにゃぁ、もうちっと歯ごたえのある事件でも起ってくれねぇかと
 思っちまうわけだよ。」
 「そうか。でも、何も起らないならそれに越した事はないと思う。」
 ジャイロはナムルを見た。
 「やっぱりそう言うかね。お前は。」
 「詰まらない、ってお前には言われそうだが。皆が平和に暮らしていて、でもその中でも毎日いろいろな問題が起きてる。俺たちで
 手助けできることなんて、ほんの一部分に過ぎないんだ。だから俺は、せめて俺にできるだけのことを精一杯やるしかないと思ってる。」
 ナムルは、ジャイロに笑いかけた。
 「でも、見事お前には負けてるけどな。」
 「可愛いこと言うじゃねぇか。ナムル。」さらりと言うジャイロに、仮面で隠されていない部分が仄かに赤くなる。

 数日後。大阪から西側の日本駐屯超人達は、沖縄で開催される国際サミットのスペシャル・セキュリティとして派遣された。日本に
 本部を置いた悪行超人組織・dMpは昨年壊滅したものの、悪行超人の全てが一掃されたわけではない。dMpは資金調達のルートを
 人間の世界に多く持っており、それらは未だ密かに息づいている。dMpの残党やその他の悪行超人達がその利益を守るために、
 非合法の手段で人間の政治にも手を出す・・・・つまり、この場合要人の誘拐・もしくは暗殺に出る可能性を考慮した上での、委員会の
 配慮だった。
 「お前・・・・背広似合わねぇなぁ、ナムル!」ジャイロはそう言って笑った。
 「わ・・・笑うなよ! お前だって似合ってないぞ、背広を着る時くらいメットを取れよ!」多少ムキになったナムルが言い返す。
 「取っちまったらただのSPと見分けつかねぇだろ。そういうお前も、この仮面が思いっきりミスマッチだぜ。」人差し指で、
 カツンと軽く仮面を弾く。
 「あぁ、取ってもミスマッチかね。可愛いツラしてるものな、お前。」そう言ったジャイロの目が笑っているのを、胸に温かい思いが
 満ちていくのを感じつつ、ナムルは見ていた。

 「今日でサミットは終了。要人たちの本国帰還の護衛は、それぞれ当地出身の超人達に引継ぎだ。ハイ、ご苦労さんでした!と。
 おい、ナムル。」腕を伸ばしてからナムルに語りかけるジャイロ。
 「ゴージャスマンが、防衛地に帰還する前に打ち上げしねぇかって言ってんだ。本場の泡盛呷って行こーぜ。」ぐいと肩に腕を回す。
 「打ち上げ・・・。酒が出るのか? 俺たち全員未成年なのにマズイじゃないか!」引き寄せられて、鼓動が高鳴るのを覚えながら
 ナムルは抗弁した。「程度を弁えりゃいいんだって。酒くらい、俺は10歳の頃から嗜んでたぜ。」 「ふっ・・・不良だったんだな、
 お前〜!」呆れ果てた、という口調のナムル。「不良で結構。大人の条件の一つは、酒が飲めることだからな。お前も今のうちから
 慣れときな。」ジャイロは、一層腕を引くと、ナムルの頬に顔を付けるように寄せる。
 一瞬、まるで心臓が破裂するかのように高鳴った。
 「潰れちゃヤバイから、ほどほどで止めときゃいいさ。その後二人っきりで、お楽しみの時間を持とうぜ。」

 居酒屋での打ち上げの後、ゴージャスマンが滞在する超人センター沖縄支部に引き上げてから、ジャイロとナムルは外へ出た。
 雲の多い、星の見えない夜だった。
 「あんまりロマンチックなムードじゃないなぁ。」とナムル。 「こんな夜もあるさ。仕方ねぇだろ。」とジャイロ。
 近くは海だ。波の音が響いてくる。二人は小さな森を取り込んだ公園を散策した。
 「静かだな。」 「そりゃ、夜が大分更けてんだから当たり前だろ。」 「ムードのない言い方するなぁ、お前。」 
 「じゃ、どう言や気に入ったんだ?」ナムルを正面から見るジャイロ。
 「夜は俺たち二人のものだ、とかか?」ナムルは、ぽかんとジャイロを見つめ返した。
 「笑う所なんだけどな、今の・・・・。」ジャイロは目を反らすと、ポツリと言った。

 「もう少し歩くと、海が見えるな。」ナムルはジャイロに言う。
 「海もいいんだけどな。今はここの方が」ジャイロは肩に手を回し、ナムルを引き寄せた。
 「お前の好きな、ムードが満点じゃねぇか?」ナムルの、高く音を打つ心臓。 ジャイロ。お前といると、ほんのちょっとしたことでも
 ドキドキする。俺、こんなに落ち着きなかったか?って思えるくらいに。
 「そ・・・そりゃ、そうかもしれないけど・・・嫌だよ、ここ屋外じゃないか・・・・あんまり節操がない・・・。」
 「どうしろってんだお前は。宿舎だったらゴージャスに悪いって言うしよ。部屋は別なんだからわかりゃしないって。」 
 「だけど、泊めてもらってそれはあんまり・・・・」言い渋るナムルにジャイロは言った。
 「頻繁に会えるわけじゃなし。折角の機会なんだぜ。あんまりつれないと浮気しちまうかもよ、俺。」
 「ジャイロッ!!」縋りつくように真剣な瞳が潤んでいた。「・・・・冗談だ。冗談だよ!そんな真に受けんなよ。わかった、お前が
 嫌ならここじゃやらねぇから。確かに節操ねぇもんな。」
 「・・・・ごめんな、ジャイロ。・・・・嫌ってわけじゃないんだ。お前が言ったとおり、こんな機会滅多にないわけだし。浮気されたら
 すっごく嫌だし。」ナムルは、にこりと笑ってジャイロを見た。
 「・・・・あ〜っと、泡盛やり過ぎたせいかどうか、ちょっと喉渇いたな。ひとっ走り何か買って来いよ、ナムル。」くるりと背を向けて
 言うジャイロ。「戻ってくるまでに、どうするか決めとくんだな。」
 「・・・・わかった。何がいい?」 「そうだな、炭酸系にしてくれ。」 「OK。ちょっと待っててくれ。この辺あんまり自販機とか
 見かけなかったから、少し時間かかるかもしれないけど。」 「あんまり待たすなよ。」ナムルを見送り、ジャイロはふと空を見上げ、
 森を見渡す。
 (退屈だと思う時もあるが。あいつと同じ任務だと思や、日本防衛もそんなに悪くない。)
 ふと、海に続く石段の上に、人影が目についた。男の影らしいと見て取れた。

 すらりとした、だが肉付きのよいシルエット。その目がチロリと、ジャイロを捕える。
 「暑いねぇ、今夜も・・・・。」男はそう言いながら、石段を降りて来た。真っ直ぐにジャイロに近付く。
 「火、貸してくれんかね?」火の付いていない葉巻を、男は口に咥えている。
 「・・・俺、煙草は吸わないんだ。お兄さん。」男を油断無く注視しながらジャイロは答えた。
 「そっか。じゃ、自分の使うよ。」彼はマッチを取り出して擦った。左手で炎を庇いながら着火する。その様子を見据えるジャイロの
 胸に広がる不信感。
 何者だ、この野郎は。
 異様な雰囲気の男だった。
 整った顔の中央・・・鼻を横断して一文字に走っている、大きな傷痕。その下の部分に、同じ傷痕のような唇が見える。浅黒い肌、
 左目は皮製のように思える眼帯に覆われていた。頭を覆う、どこか砂漠の民を思わせる形の黒いフードは、上胸部をも覆っている。
 魔術的なものを連想させる、ヘキサグラムと文字の刻まれた円盤が付いている左肩に。爬虫類・・・・恐竜と呼ばれる古代生物を思わせる
 一本の指が、寄り添うように置かれていた。胸、腰、腕、そして背中に、人骨のパーツを思わす飾り。全体的に黒が多い、男の
 服装とのコントラスト。 「お兄さん。」ジャイロは、ジリと僅かに後ずさり、身構える。「あんた、超人か。」
 「あー・・・。」どことなく気の無い様子で、男は葉巻を燻らせながら答える。
 「悪行超人か。」声を低めるジャイロ。
 「あんたらの範疇で言や、そういうことになるかもな・・・・何後ずさってんだ?」男はジャイロに目を向ける。背筋に冷たいものが
 走った。色の濃いガラスのような。まるで爬虫類のような、感情の感じられない目。 「あ〜、コレの匂い嫌だったかね? 
 そりゃ悪いね。」葉巻を指で摘む。
 「俺ぁ、紙巻は嫌いなもんでね。」男は指を離した。
 「別に、俺は煙草の匂いが嫌なわけじゃないけどよ・・・・」ジャイロは足を構え、拳を腹の前に構える。
 「あんたの匂いがどうも気に食わねぇなあ・・・・何が目的で沖縄に入り込んだんだい?」
 「知る必要ないだろ。」葉巻を指に挟むと口から離す。煙がふぅと口から立ち上った。
 「あんた、これから死ぬんだから。」

 ジャイロは男から跳び離れた。仕掛けてくるのを待つより、一気にカタをつけた方が得策だ、そう瞬時に判断し、男の懐に
 飛び込みながら右腕を突き出す。彼の右腕には、二枚の鋭利なカッターが取り付けられていた。
 その瞬間まで全く普通に立っていた男は、身体を反らすと同時に腕を動かした。ジャイロの右腕を挟み込む。鈍い音が響く。腕は、
 不自然に捻れていた。

 「う・・・・ごっ・・・・・!」折られて捻じれた腕の上部を押さえて、ジャイロは蹲る。葉巻を燻らせたままの男の表情は、まるで変わって
 いない。蹲るジャイロの前に立つ。腕の痛みを一瞬忘れ、ハッと男を見るジャイロ。膝に力を入れて立ち上がろうとした時、
 男の腕が伸びてきた。
 顔面に手が触れた、それを知覚した次の瞬間、ジャイロは絶叫した。

 彼は地面をのた打ち回った。押さえる左手を濡らし、間から止め処なく溢れ落ちる、血。
 男は、血に塗れた手を振った。何かが落ちていったのが僅かに見えた。
 (オ・・・・レの・・・・眼・・・・・)眼を抉り出された。眼球を失った右目と、頭とがズキズキと痛む。平然と近寄って来る男を、残された
 左目で捉えているジャイロの中に、恐怖が満ちていた。身体の底から、震えが立ち昇る。
 (何なんだ・・・・何なんだ、一体こいつは!!)這いずるように後退する他なかった。今まで戦った、日本に潜入しようとした
 悪行超人達の中にも、こんな奴はいなかった。ここまで平然と、急所ばかり狙ってくる奴は1人もいなかった!
 「じゃあ仕上げと行くか。」男は言った。天気の話でもしているかのような気軽さだった。

 言葉の意味する所はすぐに理解できた。ジャイロは地に腰を落としたままの姿勢から、スライディングの要領で男の足を払う。
 「うおっ!?」予期せぬ反撃に驚いたか、男は声をあげた。バランスを崩して倒れたが、すぐに起き上がる。
 「目をやられるとな・・・・」男は言った。「大抵の獲物は反撃する気を失くすもんだが。結構根性あるなぁ、あんた。」彼は葉巻を指で
 摘んだ。「流石つぅか、今期の最優秀成績を収めただけあるねぇ。ジャイロ。」
 「う・・・・」 「けど張り切り過ぎたね、あんた。おかげで12人の悪行超人に、賞金掛けられることになっちまった。」
 葉巻を燻らし続ける男の唇は、笑っている様にも見える歪み方をした。
 「だがな。別にあんたが悪いんじゃねぇよ。あんたの頑張りで利益を受ける奴も、不利益を蒙る奴もいるってだけのことだ。
 で、あんたを殺す事は俺の利益に繋がる。そういうことで諦めてくれ。」
 「・・・・誰が・・・・!」喘ぎながらジャイロは、声を絞り出す。「てめぇなんぞに命くれてやるかよ・・・・! 俺が命をやる相手は、
 生憎だがもう決まってんだ・・・!!」 「ほう。」気のなさげな返事。
 「あいつを悲しませたくねぇ。1人で残していきたくねぇ。あいつと一緒にこれから生きてくって決めたんだ・・・・まだそのこと、
 言っちゃいねえのに、てめぇなんぞに殺されるわけにゃいかねぇんだよっ!!」
 「そっか。そりゃお気の毒なこったな。」男はジャイロの前まで歩いてくる。再び動かそうとした足を、黒いブーツが踏み拉いた。
 「があっ!!」重い衝撃と痛み。ブーツの中にはどうやら、鉄が入っている。
 男はジャイロの頭を押さえつけた。右腕を振り上げる。「これで仕上げだ。」その声がジャイロの耳に届く。

 (ナムル)
 意識があるのは、そこまでだった。

 ナムルは、小走りに木立の中を駆け抜けた。待っているだろうな、ジャイロ。なるべく急いだつもりだったけれど、遅いぞって
 あいつは怒るかもしれない。走るたび、手にさげたビニール袋の中の飲料が揺れる。
 あ、いけないな。炭酸だからこのままじゃ、開けた途端に噴き出してしまう。ジャイロ、ホントに怒り出すかも。
 少し待ってもらわないと。俺のはウーロン茶だから、待つ間に飲んでもらえばいいかな。
 「ジャイロ!」彼といた場所まで戻って来た。木立の向こうにいるだろう彼に声をかける。
 「悪いな、待たせて」足が止まった。ビニール袋が落ちて、音を立てる。荷物のことなど、ナムルの頭からは吹き飛んだ。今、
 自分が見ているものが何なのか、頭に栓でも詰まったように理解できなかった。いや、理解はしたとしても。信じられなかった。
 夜の闇の中で、黒々と移る血溜まり。その中央に、ポツリと浮かんでいるような白いもの。ジャイロの顔。

 何だ。
 何だ、これは。
 俺は何を見ているんだ。
 あれは、ジャイロ?
 首から下が、ない?
 「あぁ、戻ってきたか。」突如聞こえた声。反射的に顔をあげる。石段の上に男が立っていた。右腕が、誰かの垂れ下がった左腕を
 掴んでいる。あれは。「返すぜ、ホラ。」その男は、右手に掴んだものを放り出した。石段を転げて、どさりと叩きつけられたもの。
 ジャイロが着ていた服を身に着けていた。衣服は血にべとりと染まっていた。首がない。
 「連れて帰って、弔ってやりな。」男は平坦な調子の声で言った。

 ジャイロ?
 目の前にジャイロの顔があった。血の中に浮かんでいた。右目のあった所が、黒々と血に彩られて。
 その向こうに首のない骸。壊れた身体。投げ出された右腕が、不自然に捻れているのが目に映る。
 まるで、操られているかのようにナムルは顔をあげ、石段を降りて来た男を見た。どんな風体かは目に入っても、全く理解できない。
 ただ、その爬虫類のように冷たく不気味な瞳と、あちこちに付着した返り血だけが理解できた。

 男は、絶叫をあげて飛び掛ってきたナムルの両腕を押さえつけた。「落ち着けよ、コラ!」ナムルの叫びは止まることがなかった。
 腕を封じられてもがく。足で男を蹴り上げようとしたのを右足で止め、「しょうがねぇな、全く。」鳩尾を蹴り上げた。
 「ぐふっ!!」ナムルはその場に崩れ落ちた。
 「そりゃ、落ち着けっても無理な話かもしれんがね。無駄なことは止めとけよ。」崩れ落ちて呻くナムルを見ながら、男は二本目の
 葉巻に火を点ける。「な・・・ぜ、なぜ、あん・・・・な・・・・!」呻き声の間から漏れ落ちる声。「ジャイロが・・・・お前に・・・・何をした・・・・
 あんな・・・・あんなことをされるよう、な、お前に何をしたって・・・いう・・・んだ・・・・!」明らかに鳩尾への衝撃からでなく。
 そう言って見上げたナムルの両目からは、涙が溢れ続けていた。
 ふっ、と煙を吐き出す男。「別に、奴に個人的な恨みがあったわけじゃねぇよ。俺の仕事だからさ。」
 「しごと・・・・」うわ言のように繰り返したナムルに男は続けた。「俺の名前はボーン・コールド。正義超人専門の殺し屋を
 生業としてる。あんたのお友達については、日本潜入の一番の障害ってことで、始末して欲しいと依頼されたんでね。
 全部で12件あったな。」「依頼だ、と・・・・。」「あぁ。俺の標的は全部正義超人だから、依頼者は大抵、悪行超人とあんたらが
 呼んでる連中だ。それなり金回りのいい奴らもいるんでね。お友達の首も、結構な額になるんだよ。」その言葉を聞きながらナムルは、
 世界の全てが崩れ落ち、頭の上に落ちかかるような気分の中に沈みこんでいった。金を払って、ジャイロの抹殺を願った奴らがいた。
 この男がやって来て、人形を壊すように、ジャイロを引き裂いて殺した。
 俺が、俺がジャイロの傍から離れた、ほんの15分ほどの間に。
 「おれが、」ナムルは呻いた。「俺が、迂闊に側を離れたばっかりに・・・・!」頭を落としたナムルの上に降り掛かる、
 ボーン・コールドの声。「そりゃあ、とんだ勘違いだ。獲物が1人でいる時を狙うのは定石だが、例えあんたがいた所で、結果は
 変わらんかったぜ。あんたに俺は止められん。」
 キッと頭を上げるナムル。「強い弱いは置いといてな。決定的な違いがあるんだよ。俺は殺し屋だ。そしてあんたらは格闘技者だ。
 今まで超人を殺した事ぁないだろ?」ナムルは、ボーン・コールドを呆然と見た。
 「まぁ、ジャイロのことは運がなかったと思って諦めな。」ボーンは言った。ナムルは、必死で立ち上がる。
 「・・・・こ、ろ・・・して、やる・・・・!!」その瞳に怒りと殺意と、やりきれない哀しみとが、ない混ぜになって燃えていた。 
 「無駄なことは止めとけってのに。」葉巻を燻らせながら、言葉をかけるボーン・コールド。再び飛び掛ってきたナムルを往なすと、
 腰の後ろに下げていた、インドの武器・カタールに似た幅の広い刃物を取り出し、ナムルの右足に突き立てる。「ぎゃああっ!!」
 ナムルは悲鳴をあげて崩れ落ちた。血は、衣服と地面を染めて行く。
 刃を振って血を払ったボーン・コールドに、「く・・・・殺せ・・・っ」ナムルの声が届いた。「ジャイロにしたことを・・・・俺にもすれば
 いい・・・行きがけの駄賃に・・・・俺も殺せばいい!!」ボーンは彼を見下ろす。
 「俺は、金にならない殺しは一切しない主義でね。あんまヤケになるもんじゃねぇよ。あー、そうだ・・・お友達の最期の言葉を
 伝えとくか。 "誰がてめぇなんぞに命くれてやるかよ。俺が命をやる相手は、生憎だがもう決まってんだ。"」
 ナムルはボーン・コールドを見上げる。
 「"あいつを悲しませたくねぇ。1人で残していきたくねぇ。あいつと一緒にこれから生きてくって決めたんだ・・・・まだそのこと、
 言っちゃいねえのに、てめぇなんぞに殺されるわけにゃいかねぇんだよ"一言一句、このとおりだ。」爬虫類のような瞳が、チラリと
 ナムルを見た。「多分、お前さんのことだろうな。」
 その言葉は何よりも重たく。そして何よりも鋭く。ナムルの心を打ち砕いた。

 機械的に、ナムルは振り向いた。闇の黒い血溜まりの中の、ジャイロの残骸。立ち上がろうとして崩折れる。手を使って、血溜まりの
 中を這って行く。ぽつりと浮かんで、落ちているジャイロの首。
 「ジャイロ」声が漏れ出る。「ジャイロ」返って来る声はない。
 何で、返事してくれないんだ。ジャイロ。
 お前の声が聞きたいのに。
 ほんの20分くらい前に。今は、地球が生まれた時間ほども長く過去に感じられる時間に、「あんまり待たすなよ」って、お前は俺に
 言ったのに。
 あの声が。お前の声が。もう二度と聞けないなんて。
 ほんの20分くらい前のことだったのに。
 お前の声が聞きたい。お前の声で、一緒に、これから生きていくって、聞かせて欲しい。
 俺も、言いたいのに。一緒にいよう。これからずっと。二人で生きていこうなって、お前に言いたかったのに。
 まだ言ってもいないのに。
 お前が、聞いても答えてもくれないなんて。
 嘘だろ。
 嘘だろう、ジャイロ。
 なあ。返事してくれよ。ジャイロ。
 二度ともの言わぬ頭を、ジャイロの命から切り離された残骸を、ナムルは両手で抱え上げる。
 心を引き裂くあまりに大きな哀しみは、涙さえも奪うのだと知った。

 血溜まりの中を這い、落ちていた首を抱え上げたナムルは、断続的にジャイロの名前を呼んでいた。
 ナムルの、長い黒髪しか見えない向きでは、当然今の彼の表情はわからない。多分、おいおい泣いているわけじゃないだろうと
 ボーン・コールドは思った。(生と死に引き裂かれた恋人たち、ってわけか。)ちらりと思ったが、彼には関係のないことだった。
 ジャイロと同時に、ナムルの心も殺した事実を感じていたが、別にどうでもいいことだった。まぁよくある話だ。誰か死ねば誰かが
 悲しむ。だからっていちいち同情してちゃ、この仕事はやってられん。俺にとって標的の超人を殺すのは、牛や豚を屠殺するのと
 同じだ。これで生活してんだからな。
 「じゃあな。」まず聞いてはいないだろうが、一応ナムルに声をかけてから、ボーンは石段を登る。反対側を降りてから、波打ち際に
 出た。燃え尽きかけた葉巻を砂浜で揉み消し、3本目の葉巻に火を点ける。煙を吐き出しながら、(思わぬ時間を食っちまったな。
 残りの仕事は明日でいいか。)海を見やる。
 (あいつ、これからどうするかね。)ふと、先程見たナムルの姿が過った。
 (後追い自殺でもするか、それとも仇討ちでも狙うか。ま、そりゃあいつの決めることだな。)
 仕事の後の一服。ボーン・コールドは、ふうっと長めに煙を吐き出した。

 四国・香川県の屋島。早朝。その悪行超人は、海岸で水を蹴立てながら、何とか追手から逃れようとしていた。息が乱れている。
 彼の身体には、刀で傷つけられた個所が幾つかあった。
 (奴は、本当に正義超人なのか。)
 ふと顔をあげると、彼は目の前にいた。先回りされたのだ。迎え撃とうという意志は、その悪行超人には残っていなかった。
 とにかく相手から逃れようと背を向ける。首筋に衝撃を感じ、彼は海水の中に倒れた。身を起こした喉元に、突きつけられる刃。
 「ヒッ!」死を突きつけられて喉から漏れる悲鳴。
 「貴様は、ボーン・コールドに殺しの依頼をしたか。」冷たい、全く抑揚のない声だった。「ボーン・・・・?」
 問い返す間もなく、彼の首は刃に落とされ、宙を舞い海に落ちた。
 噴き出す血飛沫を、ナムルは冷たく見据えてから踵を返した。

 おはよう。ジャイロ。
 朝目が覚めて、部屋の天井や窓からの四角い空を見る度に、
 ここは、お前のいない世界なんだと。そのことを、まず思い出す。
 まだ信じられないよ。でも本当のことなんだな。
 この世界でお前に会えることは、もう絶対にないんだ。
 悲しい事に、超人も人間も、胸を引き裂かれるほどの哀しみだけでは死ねない。
 だから俺は自殺も考えた。お前のいない世界で生き続ける意味はないから。でも、ただ自分で死ぬだけなら、それは負けることだと
 思った。お前を殺した男、ボーン・コールドに。そして奴にお前を殺す様、金で依頼した悪行超人どもに。
 そう考えると、俺には生きる意味はもうなくても、やるべきことがあるんだと思えてきた。
 俺はまだ、お前のいない世界で生きてるよ。
 そのうちお前の所に行くことになると思うけれど。ジャイロ。お前は俺にとって酸素みたいなもので、つまり普段はあって当たり前の
 ものだけど、なくなったら生きていけないっていう。
 酸素が実際に無くなった時のように、即効では死なないのがもどかしいけど。
 でも、あとどのくらい耐えられるのかな。

 病院で目を覚ました時、アポロンとゴージャスがいた。一晩帰らなかった俺とお前を、あの森の中で見つけたのはゴージャスだった。
 その後大騒ぎになって、超人警察と委員の何名かは、俺が殺人犯だと疑ったらしい。俺も大怪我をしていたのにと、アポロンは
 憤慨してたよ。
 でも、俺も馬鹿だったよな。一晩お前の首を抱えて蹲って、お前を殺したのはボーン・コールドという殺し屋だと、ちゃんと
 報告しなかったんだから。
 目を覚ました時には、お前の葬儀は終っていた。俺は怪我が治ってから、委員長に遅れながらの報告と頼みごとをしに行った。
 ヘラクレスファクトリーか、第二期卒業生たちのどちらかの正式な後任補充が決まるまで、お前の守っていた中国地方、その防衛を、
 俺に兼任させてくださいと。
 それは聞き入れてもらえた。俺はその日から、二つの地方全9県を防衛している。
 お前がいなくなったことでいい気になったのかどうか、それから2週間ほどで結構いたな。潜入しようとしていた悪行超人たちは。
 昨日殺した奴で12人だ。
 お前の殺害を依頼した奴らと、同じ数になったよ。
 その12人は片っ端から殺した。中にはお前の殺害を依頼した奴がいたかもしれないし、いなかったかもしれない。確かめずに
 殺した。奴らの死ぬべき理由は、悪行超人だから。ただその一点だ。
 委員会は憤慨している。3回ほど呼び出されて警告を受けた。仲間たちも。それは正義超人に相応しい行いではないと。アポロンは
 こう言った。そんなことをして、死んだジャイロが喜ぶと思うのか、って。
 アポロンの言うことは正しいかもしれない。お前は、今の俺を見て怒るかもしれない。呆れるかもしれない。でも、俺は奴らを
 許せないんだ。お前をこの世界から葬り去った奴らを、絶対に許しておけないんだ。
 何故お前が。あんな惨い死に方をしなければならなかったんだ?
 そのうちに委員会は、俺をファクトリーに更迭するかもしれない。今度は一週間じゃ済まないだろうな。それどころか、悪くすれば
 超人監獄に、殺人者として収監されるかもしれない。どちらが早いだろうか。
 奴が、俺を殺しに来るのと。
 俺は、それを待ちながら生き長らえている。

 悪行超人たちを、問答無用に殺している理由の一つはお前の報復。そして、奴らが俺を恐れ警戒し、邪魔だと判断してあの男に・・・・
 ボーン・コールドに俺の殺害を依頼してくれることへの期待がもう一つの理由。
 正義超人専門の殺し屋というのは、奴だけではないかもしれない。できれば、奴が来てくれることを祈るよ。返り討ちにしようなんて
 思っちゃいない。一月足らずの間に12人殺したからと言って、付け焼刃に過ぎないことはわかってる。自分で言ってたように、
 あいつは殺しの専門家だから。
 それに万が一返り討ちにできた所で、俺には何も残らない。
 要するに、回りくどい自殺をしようとしているんだ。俺は。
 お前を殺した事を何とも思っていない男の手にかかって、お前と同じ様に死ぬ事。
 それだけが、俺にとってもう一度お前に会える、唯一の方法なんだ。
 ジャイロ。
 間違っているかなぁ。俺は。
 でも俺は、この世だろうとあの世だろうと、
 お前といられればそれでいい。
 待っててくれるか。ジャイロ。

 早朝。見回りのためにナムルは埠頭に出た。波の音を聞き、潮風に髪を嬲られながら前方を見る。
 磯の匂いに混じる、葉巻の香り。
 潮風に靡く黒いターバン。傷痕のように割れた唇が、微笑ともつかずに歪められた。
 「よお。」

 ああ、良かった。
 ジャイロ。お前を殺した男・・・・ボーン・コールドの方が。委員会より早かったよ。
 また、お前に会えるな。
 ナムルは、12人の悪行超人の血を吸った愛刀を手に、ボーン・コールドに向って踏み出した。

 終劇