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◆ The taste of memories


……よく、眠っているな……
 横目でベッドの上のマルスの姿を確かめてから、俺は鉄仮面を外して髪をひとつに束ねた。
 ここは、マルスの部屋だ。
 いつもはマルスが俺の部屋に入り浸っているが――最近は俺の方がよくこの部屋にいる。
 思い出すまでもない。
 あの傷がマルスの背に刻まれた日からだ。
 傷――あの訓練のさなか、谷底へと落ちようとした俺を救うために刻まれた――傷。
 生きろと叫ぶようにのばされた腕にすがり、この世に繋がれた俺は、あの日から何かが自分の中で
 変わったような気さえする。
 まるで一度死んで、生まれ変わったかのように――世界そのものががらりと色を変えたように。
 色々と、これまでに見えなかったものが見えるようにさえ思えるのだ。
 そして、その代償に支払われたのがマルスの背の傷。
 このためにマルスは、ひどく発熱し、しばらく動けない状態となり――いかに回復力旺盛な超人といえども
 その生命が危ぶまれるところまで行った。
 そんな――いまここにいる、この俺を産むために傷ついたようなマルスのために、何ができるだろうと考えて――
 そして、俺はこの部屋にいる。
 包帯を換え、料理を作り、日常のさまざまな細かく煩雑なことを、マルスの代わりにやっている。
 実際もうマルスは背中の傷もだいぶ癒えて、自分で充分に動けるのだが、俺がそういう事をしているのに口は出さない。
 いくぶん回復しかけたある日――まだちょっと発熱したままの状態で、マルスは罪の意識にさいなまれる俺に
 囁くように告げたのだ。
 この傷をオマエにあずけてやる、と。
 だから好きなように――オマエの気が済むように手当てしてみろ、と。
 俺はぎこちない手つきで傷口を消毒し、包帯を換え――きっと拙いながらに痛いこともあったろうが、
 マルスは何も言わなかった。
 きっと人間なら致命傷にすらなって、次第に弱ってゆく姿に俺はなすすべもなかったのだろう。
 だが――マルスは超人で、その肉体も超人そのものとでもいうように頑強なものだった。
 マルスの傷は、痕跡さえ残るものの次第に塞がってゆくのが、手当てをしている俺にははっきりとわかった。
 食欲も――マルス自身は碌に動けない状態で肥ることを嫌って、それほど旺盛に食べはしないが――戻ってきた。
 そして次第に回復してゆくマルスの姿を日々感じることで、俺は――俺の罪の意識は、いくぶんやわらげられていたのだ。
 マルス自身がそれを解っていて、俺にすべてを任せたのかどうかはわからない。
 でも俺自身が、こうした日々の中にいるのは苦痛でなかったことも幸いした。
 和やかな――きっとこれが「日常」とでも言うのだろう。
 そんな穏やかな日々は、マルス以上に俺を癒してくれているのかもしれなかったのだから。
 ……マルス……
 もう一度ベッドの上のマルスを見て、目元だけで微笑み、俺はそばにかけてあったエプロンをつけた。

 料理は――別に得意なわけじゃない。
 でも比較的シンプルなものを好むマルスの嗜好に助けられて、それなりに食べてもらえている、という感じだ。
 自分の肉体は自分で管理する――それは闘う者の大原則だから、栄養的には問題ないと思うが――
 味については保証の限りではない。
 そんな感じで、今日も俺は野菜を前に、これをどう形づけるべきか考え込んだ。
 その時、だった。
 「ケビン」
 音もないまま背後に近づいていたマルスが声をかけるのと同時に、俺の両肩を抑えた。
 「う……わっ!」
 「……なァに驚いてやがるんだよ」
 寝ているとばかり思っていたのに――と、俺はマルスの方を向いた。
 やはりまず眼が行くのは腹にぐるりと巻かれた包帯だが――今日はそこから俺は微妙に眼を逸らすことになった。
 「どうして――何も着てないんだ!」
 全裸。
 全裸のたくましい肉体の腹に包帯を巻いただけの姿で、マルスはそこに立っていた。
 しかも――。
 「……その状態……怪我人のくせに――まだ陽も高いのに……」
 憎らしいほど堂々と晒したその部分は、すでに鋭い角度を示していた。
 ククク……と喉でマルスは笑う。
 「いいだろ? 体力の使いどころもねェしな。溜まってしょうがねェんだよ」
 「腕には問題ないんだから――自分で抜けよ」
 「オマエの姿に感じたんだぜ? なァんかケナゲな新妻って感じだしな」
 「……」
 無言で俺は自分の姿を見た。
 髪をまとめてエプロン姿になった――そんな俺が悪いとでも言うのだろうか、と、あらためて俺はマルスを見る。
 そんな俺を軽く抱きしめ、頬に接吻して、マルスは囁くように続けた。
 「それに――どれくらい俺サマが回復したか、オマエだって知りたいだろ?」
 その間にも、手はエプロンの下に潜り込み――俺のベルトを抜こうとしている。
 明らかに欲情している状態の舌が口唇へと滑り、拒みきれない俺が受け入れてしばし口を塞がれている間に、
 たやすく前がひらかれていた。
 俺の肉体を充分に知りつくしているマルスの、手慣れた愛撫。
 くすぐるように触れたあとで、いきなり強く――力のこもる指。
 どこに触れられるのがいちばん好きなのか、それを知っていて焦らすやり方。
 すべてがいつも、俺を蕩かすように、ベッドで交わされるような――……。
 その時、俺ははっと我に返ってマルスを睨みつけた。
 「こんな――……こんなところでやるつもりなのか!?」
 「どこでだって構わねェだろうが。誰が見てるわけでもねェし」
 「……だからって……!」
 絶句して、一瞬俺の体の力が抜けたのを、マルスは見逃さなかった。
 さっきとはまったく違う強さで俺を抱きしめて――強烈な接吻。
 じわりと――頭の芯にぼんやりと熱が湧いて、痺れて溶けるような感覚。
 口唇を離して、もう抵抗も碌にできない俺の姿にマルスは笑う。
 そして――指を一本立てて、軽く俺の頬を叩き、宥めるように囁いた。
 「立ったままの方が――腰使ったときも傷に障らねェような気がするしな」
 「……」
 ここでもう、嘘だろ……と言い切れないのは俺の弱さかもしれない。
 マルスはそんな俺にくるりと反対側を向かせ、背から――そっと抱きしめた。
 「そんなにキツい真似はしねェよ。俺サマも怪我人だし――なァ?」
 このシチュエーションを心から楽しむような声音。
 同時に――俺が履いていたものを容易く引き下ろす、手。
 すでにもうマルスは興奮しきっていたのか、開いてやおら挑もうとして――俺の苦痛の呻きに、その動きを止めた。
 いかに俺が蕩けていても、いきなり――は無理だ。
 構わずそのまま続けようとすることもあるが、さすがに自分の言葉の手前、そんな真似もできないと思ったのだろう。
 指が触れ、そっと確かめるようにまさぐってくる。
 「……悪ィ。痛かったか?」
 「……あたりまえだ……!」
 答えながらも、その指の感触には喘ぎが零れる。
 そのままマルスの指がぐっと突き立てられそうになって――止まった。
 「……?」
 「……やっぱり何か使った方がいいだろ?」
 いぶかしむような俺の視線に構わず、マルスは手をのばし――オリーブオイルの瓶を取った。
 「なんだか――嫌だぞ……料理に使うのに……」
 顔をしかめた俺を、マルスは笑う。
 「いいじゃねェか。俺サマがオマエを料理してやるんだしな?」
 「……勝手にしろ」
 顔をさっと赤らめた俺に構わず、たっぷりとオイルが垂らされ、愛撫は再開され――
 俺はマルスの回復ぶりをさんざん体で示された。

 久しぶりのことでもあって――乱れた呼吸を整えるのに、俺はしばらくぐったりと床に膝をつかなければならなかった。
 そんな俺を見つつ、マルスは満足げに囁く。
 「体力ねェなァ? 怪我人の俺サマにかかってそんな状態じゃ――……おい、大丈夫かよ?」
 「……疲れた」
 ようよう答えて、俺はなんとか体を起こす。
 そんな俺に手を貸しながら、マルスはさらに接吻してくる。
 「今日は俺が何か作ってやろうか?」
 上機嫌な言葉。
 「いいよ、俺がやる……でも、もう簡単な料理でいいな?」 
 疲れ果てたまま言う俺の髪を撫でて、もう一度軽く接吻してからマルスは言う。
 「ああ、何でもいいぜ」
 「じゃ……もうベッドに戻っていろよ」
 最後は俺の方から宥めるように接吻して、俺はマルスに眼で向こうの部屋を指した。
 「すぐに作るから」
 俺の疲れ果てた様子を見つつも、言葉どおりにマルスは戻ってゆく。
 「……卵だけのオムレツと、あとは――野菜でスープ、ってところか……」
 軽く首を振って快楽の記憶を振り払い、俺は再び料理に取り掛かった。
 
 しばらくの間をおいて、俺がベッドに運んだのは、オムレツと野菜のスープ。それからビスケットとミルク。
 そんな感じの、いかにも軽くとるだけの食事だった。
 「上等。だな」
 笑って受け取り、マルスはまずスープに眼をとめた。 
 そういえば――これまでマルスにこのスープを出したことはなかった。
 ちょっと不思議そうに眺めてから、スプーンを取る。
 口に運んだマルスは、感心したようにちょっと頷いた。
 「旨いか?」
 マルスの様子にちょっと戸惑って、思わず問いかけてしまう。
 「ああ――なかなかのモンだぜ? オマエが作ったものの中じゃ、いちばん旨いような気がする」
 スープを口に運びながら、マルスが答えた。
 香辛料を少な目にして――柔らかな味になるように調えた、野菜のスープ。
 俺の様子をどう思ったのか、マルスが軽く笑ってからかうように言う。
 「母親にでも料理を習ったのか?」
 どうも――母の話を持ち出されるのは苦手だ。
 俺が捨て去ったあの家でも、母はやはり懐かしく、慕わしい思い出の中にいるのだから――かもしれない。
 それを知っていて、あえてその言葉を出すマルスの顔を見て、俺はちょっと黙ってから答えた。
 「いや――それはダディに作ってもらったんだ」
 「……」
 ぴたりと手を止め、しげしげとスープの深皿を眺めてから、マルスは何か言いたげに俺を見た。
 「信じられないだろう?」
 その様子があまりにも予想どおりで、なんだか笑いさえこみ上げてくる。
 「でも、本当なんだ」
 「あの伝説超人の――だよなァ……?」
 名前は――出す必要もないことを、マルスは知っている。
 母、という言葉を出すことは躊躇わなかったくせに――と思いつつ、俺は密かな感謝さえこめてマルスを見た。
 伝説超人ロビンマスク。
 俺の記憶の最も深いところに刻まれた、名。
 その名前を出すことで、俺がどれほど――母という言葉を出される以上に――
 心を揺さぶられるのか、マルスは知っているのだ。
 「ずっと昔――まだ俺がほんの子供だった頃に作ってもらったんだ」
 「ふ……ん……」
 もう一度じっくりと皿を見つめて、マルスはふたたび手と口を動かしはじめた。
 「それ以外、後にも先にも、ダディが俺に料理を作ってくれたことなんてなかったし……
 なんとなく思い出して作ってみるうちに、このスープだけ妙に上手に作れるようになって……」
 ふと言葉が途切れる。
 記憶の回帰。
 甘やかな既視感が不意に俺の中へと入り込み――思考を支配した。

 ベッドの上に半身を起こしたマルスは、腹部にぐるりと包帯を巻いている。
 下肢を覆うようにかけられた薄手の毛布の上に、俺はまるで甘えるようなしぐさで身をもたせかけた。
 「ケビン?」
 いぶかしむようなマルスの声に応えず、俺はそのまま毛布の上に顔を伏せる。
 膝――誰かの膝というのは、どうしてこんなにも安らぐことのできる場所でありえるのだろう。
 その姿のまま、俺は毛布でくぐもった呟きを漏らした。
 「俺も――子供の頃、こうして訓練かなにかで寝ついて――そんな時に作ってもらったんだ……」
 「……」
 「すっかり忘れてた――あのひとが料理を、なんてことに驚いて、そればかり覚えてたから……」
 少しだけ――何を思ったのか、俺は涙を流したのかもしれない。
 だがその微かな涙はすぐに暖かな毛布に消えていった。
 だから――その涙は、なかったことだ。
 記憶――なぜ今頃になってそんな記憶がよみがえるのだろう。
 マルスはそんな俺の髪を、そっと撫でた。
 「……ケビン」
 しばらく沈黙したあとで、マルスが囁くように告げた。
 「今度――このスープの作り方、教えろよ」
 「……」
 あまりにも意外な言葉。
 俺は思わず顔をあげて、マルスの眼を見つめた。
 そんな俺から微妙に眼を逸らしながら、マルスは続ける。
 「なかなか旨かった。それに――」
 似合いもせぬことを――と自分でも思うのか、かすかに口元だけに笑みが浮かぶ。
 「……今度テメェが怪我でもしたときには、俺がコレ、作ってやるよ」
 照れくさげに、でもそのかすかな笑みは暖かかった。
 毛布に――毛布の下のマルスの体に頬を擦り寄せて、俺はその暖かさに甘えた。
 「……怪我するのは嫌だけど――楽しみにさせてもらうよ」
 マルスが髪を撫でるままに、俺はもう一度そっとそこに顔を伏せた。
 今度は――はっきりと俺は自分の涙を感じた。
 甘やかな記憶の涙ではないけれど――それは、どこまでも優しく柔らかく、暖かかった。