SCAR FACE SITE

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◆ 約束の場所・前編

 広いホテルの廊下をしばらく彷徨った後で、俺はその扉を見つけた。
 ヘラクレス・ファクトリー2期生スカーフェイスの部屋。
 ノブを取って確かめると――鍵はかかっていない。
 「……」
 一瞬の迷い。
 だがそれを振り払うように一度、目を閉じてから、俺はその扉を開いた。
 灯りをやや抑え気味にした室内。
 そしてその男は、ベッドの上に座ったまま俺を迎えて、言った。
 「テメェは絶対に来ると思ってたぜ――?」
 「マルス……」
 重苦しい響きに喉を詰まらせながら、俺はその名を呼んだ。
 見紛うはずはない。3年もの間――俺はこの男と一緒の時間を過ごしてきたのだから。
 だが、別れてからほんの数ヶ月。
 再び俺が目にしたマルスは名を変え、姿を変えて、ヘラクレス・ファクトリー2期生スカーフェイスと名乗っていた。
 マルスが何を考えているのか、俺にはわからなかった。
 だから迷い続けたのだ――対テリー・ザ・キッド戦で、マルスがあの特徴的な姿を衆目に晒してからも、ずっと――。
 沈黙した俺をどう思ったのだろうか。
 マルスは目を細めて、俺を上から下まで眺めまわした。
 「……少しばかり痩せたんじゃねぇのか? 抱き心地が悪いのは御免だぜ?」
 口元に浮かぶ冷たい笑み。
 その時になっても、俺はまだ、何から問いただすべきなのか考えていた。
 dMpアジト崩壊――ヘラクレス・ファクトリー第2期生スカーフェイスの名。
 そして自らの過去を隠して、マルスがいったい何をしようとしているというのか――……。
 dMpを捨て、正義超人として生きるという道を選ぶというのなら、それでも――いい。
 いや、おそらくは、そのほうがいいのだろう。
 その選択がマルスにとっても良い結果を導くだろうことは俺にも予想できる。
 しかしそれは同時に、まるで過去を消そうと――俺たちのともに過ごした時間までをも消そうとしているかのように
 思えて仕方ないのだ。
 怒り――そして恐怖。
 つまらない感情かもしれない。
 だが、あの別れの日に交わした約束を思いだすことで、俺は流浪の日々にも堪えてきた。
 アジト崩壊のときにも、マルスが死んだとは信じられなかった。
 再会をそれほど想い、待ち望んできたというのに――……
 マルスのこの行動は――裏切りとさえ、その時の俺には感じられた。
 「……」
 室内はごくほのかなクリーム色の光で満たされている。
 dMpの――半地下のdMpアジトの部屋を、どうしてもそれは俺に連想させる。
 あの頃に戻ったかのような――マルスの座っているのは俺のベッドで、そしてこれから起こることも決まりきっているかの
 ような感覚。
 それは――ただの願望だ。しかしそんな願望に、かすかに俺の目は眩んでいた。
 そんな俺の逡巡を見透かしたようにマルスははっきりと告げる。
 「ケビン。俺は――dMpをもういちどよみがえらせるぜ?」
 自分にも言い聞かせるかのように、繰り返す。
 「dMpを――この俺サマの手でな」
 ……ああ……
 安堵と――絶望。
 そんな感覚に俺は深く息を吸う。
 矛盾だ――とは解っているのに、その言葉に俺は同時に湧き起こるふたつの想いを胸に抱いていた。
 マルスはそのまま黙り込む。
 俺の反応を待っているようだった。
 何か言わねばならないとは思うものの、俺の喉には歓喜と不安の溜息が詰まっている。
 「……」
 そんなふうに俺たちの前に沈黙が落ちたとき、遙か遠くからさざなみにも似た人々の声がかすかに響いてきた。
 決勝戦前夜祭。
 重い口唇をなんとか動かして、俺は小さな声を出す。
 「……あのパーティーはどうした? まだ続いているようだが」
 そんなつまらない事を聞くのか、とでも言いたげに軽く鼻を鳴らし、マルスは答えた。
 「トレーニングを始める、ってことにして抜けてきた。くだらねェ――馬鹿を徹底してるぶん、dMpでの乱痴気騒ぎの方が、
 まだマシだったぜ?」
 ……マルス……
 吐き捨てるような口調――それさえも、どこか懐かしく心が――安らぐ。
 「さっきテメェが酒をひっかけてくれたおかげで、抜け出すのも楽だったな。ついでに馬鹿女どもの匂いも消えて、
 せいせいしたもんだ」
 軽く肩をすくめるしぐさ。
 そして雄大な獣そのままの動きで立ちあがり――マルスは俺の前に立った。
 黄金の瞳が俺を射竦める。
 そう――かつてdMpで幾度も見た、凄みのある瞳。
 鉄仮面の下からじっと見つめ返す俺に顔を近づけて、マルスはそっと囁いた。
 「そんなに俺サマが女どもにひっつかれてるのが嫌だったのかよ。ケビン?」
 「マルス……!」
 「俺に何か言いに来たんだろ? 聞いてやるぜ?」
 戸惑った後、俺は迷いを振り切るように言った。
 マルスがそういう心づもりでいるというのなら、なんとしてもこれだけは認めさせなければならない。
 dMpをよみがえらせるという野望を抱いているというのなら――……
 「俺の言いたいことはたったひとつだけだ。さっき言ったとおりのこと――。マルス、おまえがまだdMpの悪行超人で
 あるつもりなら――自分の正体を公表して、明日の決勝戦を棄権するんだ!」
 「……」
 その表情からは何も窺えない。
 不思議な顔――硬く、こわばったようなマルスの顔。
 拒絶の言葉がその薄い口唇から放たれると考えていたが、そんな俺の予想とは裏腹に、マルスはあっさりと言う。
 「いいぜ?」
 やや拍子抜けして、だが俺は鉄仮面の下で顔をこわばらせた。
 こんな調子でマルスが俺の言うことを聞いたことなど、ただの一度もない。
 「……ただし――ちょっとした条件があるんだがな」
 ニッと口角をつり上げる、残酷な笑み。
 やはり――と、俺はそんな整った彫像のような顔を睨みつけた。
 「何だ?」
 「……テメェの体で俺を止めてみろ。腰がガクガクになるくらい俺を夢中にさせたら――明日、リングになんか立てねェだろ?」
 俺は強く眉をしかめ、口唇を噛みしめた。
 何かとんでもないことを言い出すだろうとは思っていたが――。
 マルスがそっと、鉄仮面に手をかける。
 軽い音をたてて、解放された俺の髪がひろがった。
 「……いいだろう……」
 きつくマルスを睨みつけ、眼には怒りをこめて――。
 だがそのとき既に、俺の体は快楽の記憶にひそやかに疼きはじめていた。

 幾度も交わした、馴れた愛撫――だがこの夜のマルスは、まったくといってもいいほど燃えなかった。
 マルスの前に膝をつき、軽く脚をひらいて立ったままのマルスの前に顔を埋める。
 直接――ここだけを刺激されるのが嫌いではなかったはずだ。
 口唇も舌も疲れ果てるほどに動かした頃――ようやくマルスは力強く兆しはじめた。
 俺の髪を撫でる手に、わずかに力がこめられる。
 喉の奥――俺の堪えきれなくなるすれすれの部分まで押し込みながら、マルスは俺を見下ろした。
 そして、告げた。
 「……オマエも見たよな。あの可愛い坊や」
 いきなり何を言い出すのかと思いながらも、俺は上目づかいにマルスと眼を合わせる。
 そして、肯定の印にいちど、はっきりと眼を閉じた。
 可愛い坊や――おそらくは準決勝でマルスがさんざんいたぶった、あの少年のことだ。
 ジェイド。
 確かそういう名だった。伝説超人ブロッケンJr.の愛弟子――。
 「……」
 思わず俺は眼を伏せた。
 血の海に倒れたジェイド――相手の弱点を、脆い部分をついて倒すのが大原則とはいえ、あの闘いはあまりにも残酷だった。
 ふとそのとき、嫌な予感に俺は口唇の動きを止めた。
 静かに俺を見下ろしながら語るマルスは――続けろと要求をしない。
 そして、楽しくてしかたがないとでも言いたげに、笑みさえ含んだ言葉が降りかかった。
 「俺、もうあいつに突っ込んだぜ?」
 「……!」
 「そう、テメェが今、しゃぶってるモノを、さ」
 かるく頭を押さえている手を払いのけ、俺はそこから口唇を離した。
 ガクガクと全身が震える。
 手の甲を口唇にあて、片手は床につき、俺は眼を見開いたまま動けなくなった。
「……どうした? 俺サマの腰が使いものにならなくなるまで、夢中にさせてくれるんじゃなかったのか?」
 残酷なほど――優しい声だった。
 俺は夢中で首を振っていた。 
 言葉の内容にショックを受けたわけではない。
 dMpにいた頃にも――それなりにあったことだった。
 だが、そのときのマルスの声音に、俺ははっきりとした恐怖を感じた。
 狂気にすら、それは似ていた。
 「……やめてくれ、マルス……」
 俺は小さな声で、注意深く目をそらしつつ、告げる。
 そんな俺の腕を引いて立たせると、マルスは投げるようにベッドの上に投げだし、そして――覆いかぶさってきた。
 「他の奴に突っ込んだようなモノじゃ嫌なのか?」
 ためらいのない冷たい接吻。
 堪えられなかった。
 マルスが何を考えているのか、まったくわからなかった。
 その体をおしのけるように、俺はマルスの胸に手を突っ張らせた。
 そんな抵抗に逆らうこともなく、マルスは体を起こし、ベッドの上に座る。
 そして――その上に跨らせるように、俺を抱き寄せた。
 「なんだ――妬いてるのかよ? え?」
 面白がるように尋ねながらも、たくましい指はすでにその先だけ、くすぐるように俺の中に出入りを繰り返している。
 「答えろよ――なァ? 俺が欲しいんだろ?」
 欲しかった。
 俺の馴らされた体は、すでにマルスを欲しがっていた。
 だが――こんな状態で抱かれることには堪えられそうになかった。
 涙を浮かばせ、口唇を噛みしめて嗚咽を殺しながら、俺は首をはっきりと横に振った。
 黄金の瞳が物騒な光を湛える。
 「――そうかよ」
 ギリ……とマルスが苛立って口唇を噛んだのがわかった。
 左手の指は変わらず俺をいたぶり、そしてその右腕は、いま、何かを探るように動いている。
 何をしようとしているのか――ふと流した視線。
 マルスの右手には、ベッドの脇に置いてあった、携帯用の冷却スプレーの細い缶が握られていた。
 「……ッ!?」
 何をしようとしているのかを察し、思わず逃れようとした俺に、マルスの叱責が飛ぶ。
 「動くな!」
 その声だけで――動けなくなる俺の体。
 マルスの左手の2本の指がグッと俺をおしひらき、そして冷たい金属の感触があったと思うと、一息にそれは押し込まれた。
 喉からひきつった呻きが漏れる。
 「うあ……あ……」
 「動くなよ――でねェと、どうなっても知らねぇぞ……?」
 いくらマルスのものより小さいといっても、肉体の楔と金属とでは、体へのなじみかたが違う。
 俺の体は自然に、それを拒むように固くなっていった――らしかった。
 激痛。
 ゆっくりと動かされるうちに、濡れたような音が混じる。
 「――……ッ……」
 残酷な痛みに気を失いかけている俺に、かすかなマルスの声が届く。
 うすく眼を開くと――マルスは俺から缶を引き抜き、驚いたように自分の右手を見つめている――ようだった。
 「……マルス?」
 ふと不安になり、俺はマルスに声をかけた。
 「――……」
 マルスは無言で俺の体を解放した。
 そっと気遣うようなしぐさで、自分の上からベッドに下ろす。
 「――悪ぃ……やりすぎたな、俺……」
 その右手は、鮮やかな血でべっとりと濡れていた。
 赤い色をじっと見つめる瞳。
 わけがわからないとでも言うような表情。
 少年じみた顔。
 ……逃がしてはいけない――……
 不意に俺はそう思った。
 ……これは、マルスだ。俺の知る――マルスなのだ……
 この顔。
 どこか不安の影を宿した、少年――いや、もっと幼い子供の表情。
 俺は両腕をのばして、マルスの頭を自分のもとへと抱き寄せた。
 それでもまだ、マルスはじっと血にまみれた右手を見つめている。
 そのまま、マルスはぼんやりと呟いた。
 「わからねェ。俺――何やってんだ……?」
 「マルス」
 「dMpを――もういちど復活させなきゃならねェんだよな。この俺の手で……」
 「マルス……?」
 宥めるようにそのマスクをそっと撫でながら、俺は繰り返し名前を呼んでやる。
 だが、マルスはじっとそのまま黙り込み――眼を閉じた。
 俺は目を細めて、沈黙したマルスの顔を見つめていた。
 マルスは――まだ解放されることができない。
 ものごころついた時から、そこしか知らないと言っていた、自身の唯一の故郷とでもいうような懐かしみをこめて――。
 マルスはまだ、dMpを想っている。
 dMpはもう――ないというのに。
 ……どうすればそれを、おまえに教えてやれる……?……
 もう、自由でいられるのに――あんな悪行超人ばかりの巣から出る、いい機会でさえありえるのに。
 俺はそっと尋ねてみた。
 混乱し、暴れ、疲れ果ててしまった子供を刺激しないような声音で、そっと――。
 「……dMpが、懐かしいのか……?」
 「……」
 マルスは無言のままだ。
 何故――? と俺は続けて聞こうとしたが、不意に口を開いたマルスにそれをさえぎられた。
 「鉄仮面――オマエは外してないよな? 他の野郎に泣かされたり――……してねェよな……?」
 「……ああ」
 眼を閉じての戸惑うような問いに、俺は頷いた。
 だがさらにマルスの口唇から零れたのは、不思議な言葉だった。
 「……俺――オマエのこと、何回も泣かせたよな」
 「……?」
 「オマエとの約束のひとつくらい、守ってやりてェから……」
 俺はまだ、マルスが何を言おうとしているのか気づかなかった。
 だから、次にマルスが呟いた言葉に、俺は思わず大きく眼を見開いていた。
 「dMpがなくなっちまったら――あの場所が消えちまったら、オマエ、どこで俺に会うつもりなんだよ――?」
 「……」
 喉が空気の塊にふさがれたような気がして、声が出せなかった。
 約束――約束を交わした、あの思い出の場所。
 理想郷を見いだした時、きっともういちどマルスに会いに来ると――俺が約束した場所。
 俺の胸の鼓動が高まってゆくのがわかる。
 激しく、熱く、強く脈動しはじめる。
 ……約束を――俺との約束を守るために――ただそれだけの、ために……?……
 俺はぐっと上を向いて、何か不思議なたかまりをこらえながら、言った。
 「……明日――試合だろう?」
 「……ああ」
 「勝たなければな――? マルス、おまえは強いんだ。きっと勝つから――な。
 もう、ゆっくり……今は眠るんだ」
 「……」
 もうマルスは何も言わなかった。
 その頭を枕の上にのせ、右手のもうかたまりかけている血を拭ってから、俺はそっと毛布をかけた。
 規則正しい、健康な寝息がかすかに聞こえる。
 音をたててその眠りを妨げないように、俺は静かに服を着た。
 そして、もういちどマルスの少年じみた寝顔を見つめ、そして――部屋を出て、誰にも見咎められないうちに、外へと向かった。

 誰かが――教えてやらねばならなかった。
 dMpはもうないのだ――dMpだけに捕らわれて生きる必要は、もうないのだと――。
 そしていま、それが可能なのは俺だけだった。
 俺は自分の感情を殺してでも、マルスに言わなければならなかった。
 dMpを、もう忘れろと――。
 だが、この胸にこみ上げてくる想いの熱さが、俺の喉をしずかに塞いでいた。
 ……俺との――約束を守るために……
 それは、痛みにさえ似て深く、熱く――俺を焦がしていた。
 dMpを忘れ、このまま2期生スカーフェイスとして生きる道もあるのだと言ってやることが――俺にはできなかった。
 切ない感動――マルスがdMp再興にかける想い。
 その正体を知ってしまった今、俺は迷いを抱きながらも、沈黙することしかできなかった。
 
TO BE CONTINUED