もう9月だというのに、夏の暑さは一向におさまらない。日中のみならず、毎夜うだるような暑さが続いている。その日の夜も、 空気はじめじめと湿気を含み、耐え切れない不快さを伴っていた。 開け放たれたマンションの窓からは涼しい風は全く入ってこず、代わりに湿った空気が体にまとわりつく。 「あちー。」 フローリングの床の上にマルスは転がった。両手両足を広げて、床のひんやりとした感触を楽しむ。 しかし、床の冷たい感触は瞬く間に失われてしまう。すると、マルスはまだ冷たさを残す場所を求めて、寝転んだまま移動をする。 ごろごろ、ごろごろ。 先程から、マルスはそうやって床の上を転がり回っている。 「暑苦しい。」 ソファに腰掛けて本を読んでいた同居人が、不機嫌な声でぽつりと言った。 ケビンマスクであった。 新世代超人入替戦の後、なぜか、二人はこのマンションの一室で同居している。 「さっきから、何をやっているんだ?」 「暑いんだよ。こうでもしてなきゃ、暑さで気が狂いそうだ。」 「俺はそんなに暑いとも思わないぞ。」 マルスは上半身を起こした 「なあ、エアコンつけようぜ。このままじゃ、眠れないだろう?」 「俺はこのままでも平気だ。」 そう言うと、ケビンは中断していた読書を再開した。 そんなケビンを横目で睨みつけると、マルスは立ちあがり、ケビンの隣に腰を下ろした。 「おまえってば、エアコンが苦手だからなあ。だけどな、自分が苦手だからといって、俺にまでそれを押し付けることは ないだろう?大体、この間万太郎の奴と戦ったときの傷も治りきっていない、"怪我人"の俺が、夜も眠れないと訴えているんだ。 かわいそうとは思わないか?」 「気合でなんとかしろ。」 「気合で涼しくなるわけねーだろ。ばか。」 マルスはさらに訴える。 「そもそもお前、坊ちゃん育ちのくせに、なんでそんなにケチなんだよ。エアコンくらいつけたっていいじゃないか。」 「育ちと、俺がエアコンが嫌いなことは関係ないだろ。この程度の暑さが耐えられないなんて、お前の忍耐力が足りないんだ。」 ケビンは本から目を上げずに言った。 とりつくしまもない。マルスは憮然とした表情でケビンににじり寄った。 「言っとくけどな、ケビン、お前だって暑苦しいんだぜ。」 マルスはケビンの青紫色に光るマスクを指で弾いた。 「おい、なにするんだ!?」 「どうして、このくそ暑いのにマスクかぶってるんだよ。いまさら俺に素顔見せられないってわけじゃないだろう?」 「俺は好きでマスクをつけているんだ。お前に文句を言われる筋合いはない。」 「素顔をみせるのを恥ずかしがってるのか?なにをいまさら…。素顔どころか、俺にあーんな恥ずかしい姿だってみせてるじゃ ないか。」 「あーんなって…。」 ケビンは言葉をつまらせた。 この部屋で一緒に暮らすようになって、ケビンは幾度となくマルスに抱かれた。そのたびに、マルスは執拗な愛撫でケビンを 乱れさせる。 「その時」のマルスの指や唇の感触を思い出し、ケビンはマスクの下で密かに顔を紅くした。 言葉を失った相手をマルスは意地悪そうにみつめると、さらに続けた。 「この髪だって、うっとうしいだろう?ずっと、伸ばしっぱなしじゃねえか。」 マスクの下から伸びる、ケビンの長い髪を手に取った。 「切れよ。さっぱりするぜ。」 「いやだ。」 「そうだ、俺が切ってやるよ。もっといい男にしてやるから。」 まるで、新しいおもちゃをみつけた子供のように楽しげな調子で、マルスが誘う。 「いいって、自分で切るから…。」 「ハサミはどこだっけ?ああ、あった。バスルームで切るか?鏡、あるし…。」 ハサミを引っ張り出し、ケビンの腕をつかんで無理やり立たせる。そして、ぐいぐいとケビンをバスルームへ引きずっていく。 「マルス、いいから!」 マルスは、ケビンの抵抗の声は一切無視し、バスルームの扉を開けた。 (こいつってば、聞いちゃいないな…。) ケビンは、諦めのため息をついた。 (まあ、ちょっとくらいなら、切らせてもいいか…。髪の毛なんて、どうせすぐ伸びるんだし…。) そう、自分に言い聞かせる。 「ほら、ここに座れよ。」 促され、ケビンは空の浴槽の中に両足を入れ、淵に腰掛けた。 マルスはというと、その後ろに立ち、楽しげにハサミを鳴らしている。 「さてと、どんな風に切って欲しい?」 「お前に任せるよ。」 投げやりな口調で答える。 「あのなあ…、ケビン、お前…。」 「なんだ?早く切れよ。」 「マスク、取れ。切れないだろーが!!」 「ああ?取らなくてもいいだろう。マスクから出ている毛先だけ切ればいいじゃないか?」 「なにを、ガキみたいに意地になってるんだ?」 マルスは肩をすくめた。 「本当に、いいんだな?」 「だから、いいって言っているだろう?」 「マスクの端にあわせて一直線に切ってやるからな。脱いだら、おかっぱだぜ?」 「う…。」 ケビンは、マルスが本気でやりかねない人物であることを、経験上、よく知っていた。 しばし、無言で考える。 そして観念したのか、マスクに手をかけ、ゆっくりとそれを外した。 マスクの下から、淡い金色の髪の全体が現れた。 振り返り、マスクをマルスに預ける。 「ヘンな頭にしたら、承知しないからな。」 ライトの下に露になった、深紫の瞳でにらみつける。 「タレ目でにらんでも、全然恐くないぜ。」 「いいから、さっさと切れ!」 密かに気にしていることをからかわれ、ケビンはむすっとしながらそう言うと、マルスに背を向けた。 「まあ、任せなって。」 マルスはくくっ、と笑いながら、ケビンの髪の毛を幾束か掴んだ。 ゆるやかに波打つその髪は、柔らかで、心地よい感触であった。軽く指に巻きつけ、その感触を楽しむ。 「マルス、早くしろよ。」 ケビンがいらいらしていることなど全く意に介さずに、そのまま髪の毛を弄ぶ。 口では文句を言いつつも、こうやっておとなしく人の言うことに従い、座っているケビンが、マルスにはとても幼くみえた。 薄い金色の髪の毛の隙間から、男にしては白いうなじが見えた。 マルスの中に、不意に悪戯心が沸き起こった。 ハサミを傍らに置き、髪の毛をかきあげ、無防備なうなじにくちづける。 「……!!」 突然、うなじに唇の感触を感じ、ケビンは体を強張らせた。凄まじい勢いで振り返り、マルスの胸倉を掴んだ。 「な…、何をするんだっ!!髪切るんじゃなかったのか!?」 「気持ちいい?」 マルスの言葉に、ケビンは顔を朱に染めた。 「お前のわがままにつきあうのは、もうたくさんだ!俺はもう寝る!」 ケビンはマルスを押しのけ、バスルームを出ようとした。 「待てよ。怒ることないだろう?」 慌てて、マルスはケビンの腕をつかみ、バスルームの壁へその体を押し付けた。 ケビンは腕を振りほどこうとするが、強い力で押し付けられ、それもかなわない。 「離せってば!」 「せっかく、格好良くしてやろうとしているのに、なんだよ、その態度?」 「だから、どうして、今、キスするんだよ!?」 「あー?」 マルスは、にやりと笑った。 「かわいいから。」 ケビンは、とてつもない脱力感に襲われた。 「好きじゃなきゃ、キスなんかしねーよ。」 マルスは、ケビンの頬に手を添え、指でそっと唇に触れた。先程の笑みは消え、恐いほど真剣なまなざしをみせる。 そのまなざしの放つ光に、瞬間、ケビンは心を奪われた。 マルスとは異なり、ケビンは常日頃甘い科白どころか、自分の気持ちすら素直にいえない性質であるので、マルスのような人間を うらやましく感じる。こんなときに気の利いた科白ひとつ返せない自分を、彼ははがゆく思った。 「ケビン…。」 マルスは押し黙るケビンを壁に押し付けたまま、唇を重ねた。 片手を腰に伸ばしてシャツをたくしあげる。そして、露になった脇腹に手をはわせた。 くすぐったさと、手の平の熱さに、ケビンは思わず身をよじった。 「こ、ここでするのか…?」 ケビンの声には狼狽の色が現れていた。 「いいだろ?」 くすり、と、マルスは笑うと、更にケビンの下腹部へ手を伸ばした。そして、彼のジーンズのチャックに手をかけ、ゆっくりと それを引き下ろす。その音が、やけに大きくケビンには聞こえた。マルスの指はそのまま服の下へすべりこみ、本人の意思とは 無関係に熱くなり始めたケビンの欲望に触れた。 背筋を何かが走り抜けるような感触に、ケビンは瞼をきつく閉じた。 「ちょっと、待て…!」 「待てない。」 制止の声もきかず、マルスは手の平全体でケビン自身を包み込み、淫らに愛撫を始めた。 ケビンは懸命にマルスを押しのけようとしたが、体の中に沸き起こる熱のせいで、力が入らない。耳に感じるマルスの荒い息遣いが、 彼を快楽の渦の中に誘う。 力の抜けた腕を下ろすと、何か、金属に触れた。 シャワーのバルブであった。 ケビンはとっさにそれをひねった。 「うわっ…!」 二人の頭上に、暖かな湯が雨のように降りかかった。瞬く間に、二人は頭からずぶ濡れとなり、バスルームの中は白い湯気で 満たされた。 「ケビン…、お前…。」 頭から水滴を滴らせながら、マルスが、静かな声でつぶやいた。 「だって、マルスが俺の言うことを聞かないから…。」 「まさか、お前にこんな目にあわされるとは思っていなかったぜ。」 「マ、マルス…。」 暖かい湯を浴びながらも、ケビンはぞくりと冷たいものをかんじた。 シャワーの水音は、絶え間なくバスルーム中に鳴り響いている。 「怒ったのか…?」 「怒らねーよ。ただし、…。」 マルスは、言葉をきった。 「お前が詫び入れてくれるのならな。」 突然、マルスが凄まじい力でケビンを濡れた壁に押し付けた。 ケビンを立たせたまま、大きく開いた襟ぐりからのぞく鎖骨に、噛みつくように荒々しく唇をはわせた。濡れて、肌にはりついた 薄手のシャツの上から、胸に激しいキスを繰り返す。 ケビンは薄手の布越しに、唇の感触を、熱っぽさを、はっきりと感じた。 マルスが、シャツの上から硬くとがった胸の突起をさぐりあて、その部分にひときわ強くキスをした。 「あ……。」 ケビンの口から、とろけるような声が漏れた。 頭上から降り注ぐ水飛沫が、紅潮した彼の頬を伝って流れ落ちていく。 その様子が、マルスをますます昂ぶらせる。 マルスは、ケビンの片手を掴むと、自らの下腹部へ誘った。ケビンの手に、何の刺激もあたえていないのに既に硬く強張っている、 それが触れた。驚き、とっさに手を納めようとしたが、マルスは許さなかった。 「もう、こんなになってるんだぜ…?」 ぞくりとするような声で囁く。 そして、水分を含んでまとわりつくケビンのジーンズを、強引に引きずり下ろすと、その太ももの付け根に指をすべらせた。 びくん、と、ケビンは大きく体を震わせた。 無理な姿勢のまま、熱く脈打つ自分自身に手を添え、マルスは一気に挿入した。 「んん、あっ…!!」 我が身を貫く衝撃に、無我夢中で、ケビンはマルスにしがみついた。 その足は、がくがくと震え、今にも力を失いそうである。 崩れ落ちそうなケビンをしっかりと抱きかかえ、マルスは腰を打ち付けるように動かした。 体を動かすたびに、水飛沫が飛び散っていく。 「ん…、マルス…。」 二人の体を飲みこむように、シャワーが降り注ぐ。熱い湯は、密着した二人の肌の上を、幾筋もの流れをつくって流れ落ちていった。 痛みか快楽か、全く区別のつかないような朦朧とした感覚がケビンを支配しつつあった。その感覚を振り払おうとでもしているのか、 ケビンは頭を振った。彼が頭を振る度に金色の髪の先から、水滴が滴り落ちる。 マルスはケビンの頭をかき抱いた。水滴が滴る髪の毛に指をからませると、しっとりと水分を含んだ感触が、驚くほど心地よかった。 その心地よさを楽しむように、マルスは何度も髪の毛に触れた。 「ケビン、やっぱ、髪の毛切るなよ…。」 ケビンの舌を吸い、熱っぽい声で、マルスは言った。 「…、さっき、切れって言った…、じゃない…か…。」 「っていうか、俺以外の誰にも触らせるんじゃねーよ。俺、この髪スキだから…。」 「髪の毛、だけ…?」 「ん、なんだ…?」 「だから、…その……。」 激しい攻めに崩れ落ちそうになる体を必死で支えながら、ケビンはマルスの瞳を覗き込んだ。 ケビンは、自分の全部を、スキと言って欲しかった。 だが、どんなに強く思っても、はっきりとした言葉にするのをためらう自分がもどかしい。言葉を濁らせ、うつむいてしまう。 「なんだよ?」 ケビンの顔を上向かせ、その瞼にマルスはキスをした。 彼には、ケビンの欲しがっている言葉の見当がついていた。 でも、その「言葉」を言ってやる気はなかった。 (もっと、もっと、俺を欲しがれ。) 彼は、ケビンに自分を求めて欲しかった。自分以外の事など、考えさせたくはなかった。子供地味た独占欲だと解っていても、 そう望まずにはいられなかった。 「ん、なんだ?」 わざと、意地悪い表情をつくって問いかけるが、ケビンは答えない。 身体を動かすたび、濡れた布地が身体にまとわりつく。うっとうしいような、けれど、心地よいような布の感触が、 二人の興奮の火を大きくする。 息も絶え絶えとなりつつあるケビンの耳たぶを軽く噛むと、マルスは力強く彼を突き上げた。 「ほら、言ってみろよ。」 「あっ…。マルス…。」 ためらうケビンの姿にいらいらとしつつも、どうしようもない愛しさもおぼえ、マルスはその肩にまわした腕に力をこめた。 「ケビン、ケビン…。」 「んっ、マルス…、好きだ、全部…。」 せつなげな息の間から聞こえる言葉に、マルスは満足そうな表情を浮かべた。 二人の呼吸が一層早さを増していった。 「はあっ…。マルス…、マルス…。」 シャワーの音にかき消されそうなほど、か細い声でケビンが喘いだとき、二人は同時に果てた。 バスルーム中に、水音が鳴り響いていた。 それまで出しっぱなしになっていたシャワーを止め、マルスはタオルを取りにバスルームを出ていった。 一人残されたケビンは、はっきりしない頭を抱え、水浸しの床に腰を下ろしていた。 体がやけに重く感じるのは、身につけている布地が水を含んでいるせいだけではないように思う。それまで全身で感じていた マルスの重みが、まだ消え去っていないのだ。 ふと、視線を横にやると、傍らに置きっぱなしになっていたハサミが目に付いた。 (そういえば、最初のはなしでは、髪をきってもらうんじゃなかったっけ…?) そのことに思い当たると、湿ってまとわりつく髪の毛が急にうっとうしくなってきた。 立ちあがり、ハサミを手に取る。そして、鏡を覗き、自分の髪を幾束か掴み取った。 (ついでだから、このまま、切ってしまおうか?) 今まで、特に理由があって髪の毛を伸ばしてきたのではない。今日、マルスに髪を切れと言われて反抗したのは彼のいいなりに なるのが嫌だったからであって、もともと、髪を伸ばすことに執着などしていなかった。 ふと、ケビンの脳裏を、先程聞いたマルスの言葉がよぎった。 『ケビン、やっぱ、髪の毛切るなよ…。』 『っていうか、俺以外の誰にも触らせるんじゃねーよ。俺、この髪スキだから…。』 低く、濡れた声音が鮮やかに蘇る。 その言葉のひとつひとつを心の中で反芻しながら、じっと、鏡をみつめる。 「ケビン、ほら、タオルとってきたぜ。はやく拭けよ、風邪ひくぞ。」 タオルを抱え、マルスがバスルームに戻ってきた。 「あっ!!お前、髪切るのか!?」 「別に、切ろうとしていたわけじゃないけど…。」 マルスは、ケビンからハサミを取り上げた。心なしか慌てふためいているようなマルスの様子が、ケビンにはとてもおかしく感じた。 「俺、髪切らないから。」 「ふーん、そうか…。俺が、切るな、って言ったからだろ?」 ケビンのまだ湿った髪に手を触れながら、にやりとマルスが笑った。 「ばか。これは俺の自由な意思だ。お前は一切関係ない。」 ケビンは厳しい声音でぴしゃりと告げたが、その目は穏やかであった。 「…、そういうことにしといてやるよ。そうだ、髪が伸びたら俺が結ってやるよ。俺、結構手先が器用なんだぜ。」 「それは…。遠慮しとく。」 バスルームに、開け放たれた窓から深夜の風が入ってきた。今夜も熱帯夜であろうと思われていたが、珍しいことに、その風は ずぶ濡れになった体を震えさせるほどひんやりとしていた。ケビンが体を震わせると、マルスが彼にタオルを渡した。 「さっさと、拭けよ。」 ぶっきらぼうに言うマルスに、ケビンは鮮やかに微笑んでみせた。 END |