完全に動きを止められたマルスの前に、手刀を翳し立つジェイド。 手刀が一閃し、胸から腹部にかけ切り裂かれた傷から、鮮血が噴き出した。 「やったかっ!?」様子を見守っていたクリオネマンとデッドシグナルは身を乗り出す。マルスの大柄な身体が、ぐらりと前へ 倒れかかった。次の瞬間。 マルスの両腕が伸びて、ジェイドを捕らえる。彼の首筋を両手で掴み、自分の方へ引き寄せた。 「なっ・・・!」クリオネたちは驚愕した。 「動くな!」マルスは二人めがけて、鋭く声を放つ。「動くなよ。こいつの首が折れるぜ。」 「・・・そんな・・・何故だ・・・」呆然と呟くクリオネマン。「チイィッ!」デッドシグナルは咄嗟に、 必殺技『トラフィック交通サイン標識』を行う為のカードを取り出し翳そうとする。 「止めな! 何をするより、こいつに危害が及ぶ方が早いぜ!」片手でジェイドの首を抑えたまま、マルスは残る片手で、 額の仮面を引き降ろした。「マッドネスマスク、装着!」途端に、マルスの仮面と頭部が、北欧伝説の狂乱戦士『ベルセルカー』が 纏っていたという、熊の毛皮を彷彿とさせる剛毛に覆われる。 「大人しくしてなよ、お前ら。何なら仲間思いのお前らのために、とっときのショーを見せてやってもいいんだぜ。 こいつの首を・・・」ジェイドの首を捕らえた手に力が込められる。「・・・引き千切って、プレゼントしてやろうか? ええ?」 白い首筋が圧迫され、ジェイドの顔に苦悶の表情が浮かんだ。「ぐ、ぅ・・・」 「止めろぉ!!」クリオネマンが叫ぶ。 「俺は本気だぜ。お前ら、首が吹っ飛ぶ場面てのを見たことがあるか? どこにこれだけ 入ってんだかってほど血が噴き出すのさ・・・グフフ・・・」 「ジェイドぉ!」クリオネの顔に、悲痛な表情がありありと表れた。 マルスは手を緩めると、今度は腕をジェイドの首に回す。苦悶の時から解放され、ジェイドはマルスの腕の中で喘いだ。 「ジェイド・・・ 何故だ・・・何故自分から技を外したんだ・・・!」 クリオネが問う。ジェイドは彼の方へ顔を向けた。 「・・・・クリオネ・・・・レーラー師匠に伝えてくれ・・・・ 悲しまないでください、と・・・」 「!」クリオネは目を見開いた。 「・・・・お前達は、立派な正義超人になってくれ・・・俺の分まで・・・」ジェイドは僅かに微笑んだようだった。 マルスはニヤリと口を歪める。「あばよ。」次の瞬間、二人の姿は掻き消えた。マルスの巨体からは考えられないスピードだった。 「グッ・・・グギガ――――ッ!!」悔しさのあまり奇声を発するデッドシグナル。「おのれ・・・・おのれェ悪行超人が! もう一発 禁じ手が使えさえすれば!」「なんだと、デッド? ・・・それでは・・・」 クリオネが顔を向けると、デッドシグナルは答えた。「"進行停止"が禁じ手なのにはもう一つワケがある。あれはオレ様の パワー消費量が、他のカードを使った時と比較にならんほど多い、おかげで一回使えば当分『トラフィック交通サイン標識』は 使えなくなっちまうんだ・・・ さっきはうっかり忘れちまってたが・・・ エ〜イ、そんなこたぁどうでもいい!追うぞ! あの悪行超人、今度こそ八つ裂きにしてやる!」駆け出そうとするデッド。「止めろ、デッド!すぐに病院へ戻るぞ!」 「なっ、何だとクリオネ!?」振り向いたデッドは、クリオネの悲痛な表情を見て脚を止める。 「・・・ジェイドは・・・ ジェイドは死ぬつもりだ・・・」「な・・・なにィ!?」 「俺たちでは止められん・・・! ジェイドを止められるのは、あの人しかいない・・・!」 「・・・あの人・・・? ! そうか、毎日病院に来てたっけな・・・ おっ? 戻る必要はねぇみたいだぜ、クリオネ。」 デッドシグナルが指差す方向を振り向くクリオネ。木々の茂みから、コートを着込んだ二人の男が姿を見せた。 伝説超人ブロッケンJrと、ケビンマスクである。 Jrは二人の前までやって来る。そしてデッドシグナルにカードを差し出した。 頭を下げて、デッドはカードを受け取る。「デッド、それは・・・」尋ねようとするクリオネに、 「保険だ、保険! 事故はどこに転がってるかわからねぇからな。」そう答えると、デッドシグナルはまるで頭を掻くような 仕草をした。別なカードを取り出すと、Jrに渡す。 「こっちに、ジェイドの追跡用情報を入力しておきました。」 マルスは、腕に抱えたジェイドを降ろすと、木に凭せ掛けて休ませた。 「マッドネスマスク解除!」マスクを引き上げると、剛毛は掻き消える。 「しかし、お前も意外と頭の回転が早いのかねぇ。自分でああいうことを頼むってのは。」 ――― マルスの前に立った時。ジェイドは小声で彼に呟いた。 「・・・スカー。お前が動ける程度に技をかけるから、俺を人質にして逃げてくれ・・・ 二人には手を出すな。」そう言って、 『ベルリンの赤い雨』でマルスの薄皮一枚を裂いたのである。 「お前が人質にされれば、奴らが手出しできんと踏んだのなら、そのとおりだったワケだ。グフフ、その調子ならちょっと 訓練すれば、充分悪行超人としてやっていけるかもしれんぜ。」 喘ぎながらジェイドが言う。「・・・俺は、二人をお前と戦わせたくなかった・・・二人ともまだ回復しきっていないんだ・・・それに、 動けないお前を一方的に嬲り殺すこともしたくなかった・・・ お前を倒す時は正義超人と、して・・・」そこで、ジェイドは激しく 咳き込んだ。 マルスはジェイドの前に屈み込む。「ちっとやりすぎたか? ま、連中を脅すためには仕方が・・・」 咳き込むジェイドの首筋に、くっきりと残る赤い指の跡。 それを見たマルスの胸に、僅かに疼きが走った。 ( ? 何だ、今のは・・・・) ジェイドは、さらに激しく咳き込み、また幾度も喘いでいる。 (う・・・) マルスは戸惑った。またも胸を、先程よりも強くよぎっていく疼き。 (何だ、これは・・・) 身体が弱りきった状態のジェイドは、その分回復も遅い。超人にとって、普段なら大した事も無いダメージ が大きく応えている。 頭ではそうわかっていた。それだけのことの筈だった。 それなのに。今、一つの事実が、マルスに次第に大きく圧し掛かっていく。 自分が、ジェイドを傷つけた。 (バ、バカな・・・)マルスは動揺する。 俺は今、ジェイドを傷つけたことに不快感を感じている。 (こんな、バカなことが・・・・!) 今まで、数知れぬ超人と戦い、傷つけ、死に追いやってきた。 そのことについて、俺は何かを思ったことはない。特に何かを感じたこともない。 戦うのは超人の性。強い者が勝ち、弱い者は敗れるのみ。負傷も死も、必然的に付属しているというだけのこと。 誰が傷つこうとも死のうとも、何かを感じる必要など全く無い。 入れ替え戦も当然例外ではなかった。KOしたテリー・ザ・キッドにストンピングを連打したのも、キン肉バスターを破られ 一度はマットに沈んだキン肉万太郎に追い討ちをかけたことも、弱者に対し、強者が行使する当然の権利。 ジェイド。お前についてもそうだ。 俺は何も感じやしなかった。 お前の目を潰しても、お前の舌をひいても。お前の腕をもぎ取り投げ捨てた時も、何とも思わなかった。 ヘルメットに罅が入るほどの衝撃を頭に加えられ、苦しみのたうつお前を見ても。 俺は何も感じなかったが、強いて言えば、こう考えていた。 これは、お前に対する「教育」だ。 これでわかっただろ? 超人の戦いがどういうものか。 お前の考えが如何に甘っちょろいものだったか。 なあ、ジェイド。さぞや苦しいこったろう。もういつもの戯言を口にすることなんぞ出来ないだろう? お前が流した鮮血を浴び、全身ズタボロに傷ついてリングに横たわるお前を見ても、 いつものように、何を思うことも感じることもなかった。 あの時までは。 アルティメット・スカー・バスター。俺がスカーフェイスとして編み出した究極の技だ。 父親の猿真似しか能の無いテリー・ザ・キッドに対して初披露することになったわけだが、 着地の衝撃でリングは真中からひしゃげ、キッドは完全に戦闘不能となった。 ジェイド。お前に掛けた時、場所はコンクリートリングでさらに衝撃は大きかった筈だ。 だがお前は、よろけながらも身を起こした。流石に俺も驚いたが、その直後に思い直した。 (フン、手を抜いちまったかな。) あそこまで念入りに傷つけてやったんだから、もうお前への「教育」は充分だろう。 そんな気持ちがあったかもしれん。 片腕を失い、スカー・バスターの衝撃をまだ全身に残し、お前は壊れた人形のようにふらつきながら、残された左手で俺の手を 取った。 「ス・・・スカー・・・同じ二期生として、ぜ・・・是非、キン肉万太郎を破ってくれ・・・・」 片目は潰れ、解れた髪の間から見える顔面も血に塗れていた。そんな状態で、お前は微笑んでいた。 ・・・・ お前は! ・・・・ それだけ、お前のからだ器を壊してやったのに。 お前の心は、全く壊れてはいなかった。 「フン、当然のことだ!」 俺は声が僅かに震えたのを、どうすることも出来なかった。 ――― 壊れた人形のように、そのまま崩れ落ちたジェイド。マルスはその時、ジェイドが取っていた自分の手を、 呆然と見詰めていた。 「スカー・・・? どうした・・・?」 明らかに煩悶しているマルスを目の前にして、ジェイドは不思議そうに呟いた。 「お前の方が、苦しそうに見えるぞ・・・」僅かに微笑んで、マルスに顔を寄せる。 そのままジェイドは、マルスの口唇にそっと口付けた。「!・・・ ジェイド。」 すぐに身を離したジェイドを、マルスは両手で引き寄せ、抱き締めた。 「・・・お前は! ・・・お前は、離れるな・・・ 俺から離れるな、ジェイド!」 さらに強く抱き締められるジェイドの澄んだ瞳に、哀しみの色が浮かんだ。 「・・・スカー。俺は、お前と同じ道を歩むことはできない。」 マルスは、抱擁を緩めてジェイドの顔を見た。 「俺は、正義超人だ。その資格はもう失っているとしても。」 「・・・なら、何故俺と共に来た?」 「決着をつけるためだ。全ての人を裏切り、正義超人でなくなった俺と、悪行超人であり、これから人々に災いをなすだろう お前に。」 「・・・決着、だと?」 「お前は俺が倒す。」ジェイドは穏やかに、だが揺るがぬ決意を込めて告げた。 「そして俺も、死して罪を償う。・・・レーラー師匠を、育ててくれたおばさんとおじさんを、おかみさんと旦那さんを、 クリオネとデッドを、ファクトリーの先生方を、全ての人々を裏切った罪を。」 マルスは、ジェイドの身体から手を離した。 目を伏せ、嘲笑を浮かべる。 彼は笑い出した。「・・・グフフ・・・ グハハハ・・・・ハハハハハ!・・・つまり、何か? 俺はお前の 無理心中の相手に選ばれたってワケか! ハハハハ・・・・」 ピタリと笑い声が止んだ。「笑わせるな、ジェイド!!」 「!」 死を決意した故の平静さを持っている今のジェイドの心さえも、マルスのその怒号に一瞬震えた。 マルスの表情に、凄まじい怒りが浮かんでいる。出会って初めて見る、彼の激怒の表情だった。 「・・・大体てめぇの実力と今の体力で・・・この俺と刺し違えることなぞ、できるわけがねぇだろう!!」 マルスはジェイドを突き飛ばした。ジェイドの身体は木に激突する。「ぐっ」顔を歪めるジェイド。マルスの心にまたしても走る "痛み"。(ちっ、この程度のことで・・・!) 「片腕がもげた程度じゃ、まだ実力の違いがわからねぇのか・・・」瞳が再び、冷たい光を取り戻す。 「死ぬのはてめぇ一人だ。俺はお前を踏みつけにして生きていけるぜ。・・・大体、"皆を裏切った"ってのはどういう寝言だ? ・・・夕べおめおめと俺に犯されたことを言ってんのか? ま、お前にとっちゃ恥かもしれんが裏切りじゃねぇだろうが。」 「・・・あの時。お前が、悪行超人だと知った時。」ジェイドはポツリと言った。 「俺は、医者や看護婦の制止を聞かずに泣き叫んでいた。周りの誰の声も聞こえなかった。お前に裏切られたと・・・ お前が憎いと・・・ お前だけは必ず、俺が倒すと。ずっと心の中で叫んでいた。 だが、それだけじゃなかった。何故、あんなに 辛かったのか・・・ 苦しかったのか。俺はそれから目を背けて、考えないようにしていたんだ・・・ お前に抱かれるまでは。」 その次の言葉を口にすることは、ジェイドにとって勇気を必要とするようだった。 「・・・お前に、抱かれた時・・・ お前が俺の名を呼んだ時・・・ 俺は、嬉しかった。」 ジェイドは顔を伏せた。「お前は、悪行超人だ・・・ 倒さなければならない敵だ・・・ なのに、それなのに俺は、お前に抱かれて 喜びを感じていた・・・ お前が悪行超人である以上、もう二度と、お前と共に歩むことはできない。 俺はそのことが辛かったんだ。 ・・・だから俺には、もう正義超人の資格はない。ブロッケンJrの弟子でいる資格もない。俺は身体と共に心も自ら汚した。 そのことによって、俺を支えてくれた人達全てを裏切った。 死んで償わなくてはならないんだ・・・」 「・・・何故そこまで、"正義"なんぞに執着しやがる。」マルスは低い声で呟いた。 「そんな実体のないもののために死ぬなぞ、バカのすることだぜ。」 「俺たち超人は! 元から正義を守る為に生まれついている。人々を守るために生まれついているんだ!」 「俺たちだと!? 一緒くたにするんじゃねぇ。少なくとも俺は正義なんぞどうだっていい。人間共なんぞどうなったって かまやしねぇ。俺が戦うのは俺のためだけだ。そっちの方こそ本来超人のあるべき姿だ。正義だの人類だの・・・偽善のお題目のために、 何故お前は自分を捨てようとしやがる! 何故自分自身のために生きようとはしない!」 「スカー。お前の方こそ間違っているんだ・・・」「黙れ、ジェイド!」マルスはジェイドの肩を鷲掴みにした。「・・・もう一度聞くぜ。 てめぇは、俺と来る気はねぇんだな?」 ジェイドは、マルスの目を正面から見据える。「俺は、死ぬ時まで正義超人だ。もう一度言う。お前と同じ道は歩めない。」 「フ・・・だったら、てめぇの望みどおりにしてやるよ。」 マルスの背に流れている『スワロー・テイル』が、鋼鉄状に固まり、鎌首を擡げる蛇のように、ジェイドの胸に狙いを定めた。 「死ね。」 (これが、最初で最後のチャンスだ・・・)スワロー・テイルを見ながら、ジェイドは考えを巡らせる。 スカーが言ったように、今の状態で、正面から挑んで彼を倒すことはできない。だがスワロー・テイルがジェイドを貫いた その瞬間だけは、スカーもジェイドに密着した状態となる。 胸を刺し貫かれても、息絶えるまでに少々の間がある筈。その時に、我がレーラー師匠・ブロッケンJrに授かった技・ 『ベルリンの赤い雨』でスカーを貫く。 これで全てが終わる・・・ 正義超人の資格を失った俺も、悪行超人であるお前も、共にこの世から消え去る。 (レーラー師匠。)幼き日から、厳しき師であり、同時に慈愛深き父であり、尊敬すべき伝説超人であり、俺の誇りであった人。 (俺は、貴方の期待に添うことができませんでした。ごめんなさい、レーラー師匠。 貴方と出会えて、俺は幸せでした・・・) 死を目前にしながら、ジェイドの表情は穏やかだった。スワロー・テイルを構えたマルスの中で、彼自身に警告する声がある。 (俺が、壊れる・・・) 俺は、もう以前のマルスではない。 (今ジェイドを壊せば、同時に俺も壊れる。)こいつは、俺を変えてしまった。このマルスを。 (だが、壊さなければ、)今までに経験したことのない胸の動悸。 (お前は俺のものにはならない。)スワロー・テイルが動いた。 (ジェイド!) ひゅうっ!! 鋭く過る風。いや、それは衝撃波、と呼ぶに相応しいものだった。スワロー・テイルが切断され、宙に舞う。 同時に、ジェイドの首を捕らえていたマルスの腕の皮膚も裂ける。 「な、なにっ!?」 マルスは後ずさった。次の瞬間、マルスの腹部に強烈な衝撃が走る。 「がっ!?」一人の男が、マルスの腹部に拳を打ち込んでいた。よろめいたマルスの顔面に、さらに軍靴の蹴りが叩き込まれる。 マルスは後ろに吹き飛ばされ、木に身体を打ちつけた。 「ぐぅ・・・」なんとか身を起こすマルスの目に映ったのは、 伝説超人、ブロッケンJrだった。 「この、ジジィ・・・!」マルスの目に、みるみる膨れ上がる憎悪。 流石は伝説超人、とブロッケンJrを見ていたケビンは、マルスの目を見て違和感を覚える。 (・・・? 奴があんな目をするとは・・・) ブロッケンJrはそのまま、マルスには目もくれずジェイドの側に歩み寄った。 「レー・・・ ラァ・・・」呆然とジェイドは呟く。 「だ・・・駄目です、レーラー師匠! 来ないでください・・・!」Jrは歩みを止める。 「俺は、もう・・・ 貴方と顔を合わせる資格はないんです・・・」ジェイドは、Jrから顔を背けた。 「俺は穢れました・・・貴方を裏切りました・・・ 俺は・・・俺は・・・!」数々の想いが、ジェイドの中で渦を巻き、爆発しようとしている。 Jrはジェイドの目前まで歩むと、その両肩をガッチリと押さえつけた。だが、まだ包帯が巻かれた右腕に対しては、力は加減されていた。 「私を見ろ! ジェイド!」 ジェイドの両肩が震える。「お前はスカーフェイスに敗北してから、一度も私と目を合わせようと しなかった。もう逃げるのはよせ!」 ジェイドは、ゆっくりと、非常な努力をして師の顔を見る。両の目は、涙に濡れていた。 「・・・・何があったのか、話してみろ。」 ジェイドは首をふる。「言うんだ、ジェイド。」穏やかだが、力強くJrは語りかけた。 ジェイドは目を伏せる。 「・・・俺は、・・・夕べ、スカーに・・・ 抱かれました。」 一瞬、Jrの身体に緊張が走る。 「無理矢理、だったのに・・・ 逃れようとしたのに・・・ 俺は、あいつに名を呼ばれた瞬間、あいつを受け入れていました・・・ 俺は・・・悪行超人のあいつを、好きになっていたんです・・・ 奴に何をされたか、忘れたわけじゃないのに・・・ それなのに・・・」 ポツリ、ポツリと語るうちに、ジェイドの感情は昂ぶっていくようだった。 「・・・ 俺は、有罪です! 正義超人でありながら、悪行超人のスカーフェイスに、抱いてはいけない感情を持ってしまった! 貴方を裏切りました。俺を支えてくれた人達全てを裏切りました。俺は、もう生きていてはいけない! スカーと共に消えなければ ならない・・・ ごめんなさい・・・! レーラー師匠、ごめんなさい・・・ 貴方の期待に添えず無様に敗北したばかりか、こんな・・・ 死なせてください・・・せめて正義超人として、俺を死なせてくだ・・・」 「ジェイド!」力強いJrの呼び声。そこには怒りの色は全く感じられなかった。ジェイドはピタリと言葉を切る。 Jrは、 弟子を優しく抱擁した。 「・・・お前は、私を置いてゆくのか?」 「・・・・!」ジェイドはJrの腕の中で、目を大きく見開く。 「お前と出会う前の闇の中に、私を一人残してゆくのか?」 「あ・・・ レーラー師匠・・・」ジェイドの身体は震えだした。 「ジェイド・・・ お前は今、お前が思っている"罪"よりも、もっと大きな罪を犯そうとしているんだぞ・・・私だけではない・・・ お前を愛し、お前を気遣う全ての人が、お前の死によって一生消えない哀しみを背負うことになる・・・ 愛したことは罪ではない。 それを見据えもせず、逃げようとするな。」 ジェイドの全身が、心の中の大きな波にさらされて戦慄いている。 「・・・私達を悲しませるな・・・ ジェイド。」 「あ・・・・ あぁ・・・・」 ジェイドは。自分を抱くレーラー師匠の背に両手を回した。昂ぶった感情が、先程の混乱とは違う感情が、 一気に堰を切って溢れ出す。 「わあああああぁぁ!!」 まるで生まれたばかりの赤ん坊のように、ジェイドは師の腕の中で号泣していた。 ただひたすら号泣するジェイドを、優しく抱き締めているJrは、背後に気配を感じジェイドを庇うようにして振り向く。 マルスが立っていた。Jrを見据えて言う。 「何もしやしねぇよ。」 しゃくりあげながら、ジェイドはマルスを見た。 マルスはジェイドに視線を移す。 「てめぇにゃ失望したぜ、ジェイド。」 マルスは、くるりと二人に背を向けた。 「せいぜい弱者同士傷を舐めあってな。 ケッ、つきあっちゃいられねぇぜ・・・ てめぇが乳離れできたら、また遊んでやる。」 彼は首だけで振り向く。 「あばよ、ジェイド。」 マルスは一足飛びに、姿を消した。 「ボウヤ・・・ ボウヤ!」 Jrに付き添われ病院に戻ったジェイドの元に、ヘルガ夫妻が駆け寄ってきた。 「おかみさ・・・」 「バカぁっ!! こんなに心配させて!!」ヘルガはジェイドを抱き締めて、激しく泣き出した。 「おかみさん。」ヘルガの夫が、ジェイドの肩に手をかける。頷く彼の目にも、涙が浮かんでいた。 暖かい。自分を抱き締めて泣くヘルガの背に、母を知らぬジェイドはそっと手を回す。 (おばさん。) 「まっすぐに生きなさい。」と言い残して逝った人の優しい面影が、ヘルガとだぶった。 「・・・・ ごめんなさい、ムター母さん。」 「ジェイド・・・。」クリオネマンが、彼の側にやって来る。デッドシグナルも一緒だった。 「クリオネ、」言いかけたジェイドの手を、クリオネは握り締める。 「ジェイド! 頼むから、二度とあんなことは言うな!」 「クリオネ・・・」 「お前達は、俺の分まで立派な正義超人になってくれ、だなんて・・・ 私は、お前と共に正義超人でありたいんだ・・・・!」 「クリオネ・・・・ すまない・・・」 「こらこら!ナニ感じ悪く二人の世界作ってんだ?」デッドシグナルが割って入った。 「一ヶ所訂正しろ、クリオネ! "私は"じゃなくて"私たちは"だろーが!」 「デッド・・・」「同じ二期生だろうがよ、俺たちは!」 Jrと共に、新たな病室に戻ったジェイド。 (同じ二期生だろうがよ、俺たちは!) ・・・ヘラクレスファクトリーを卒業した時、俺たちは4人だった。 認識番号94、スカーフェイス。 ――― 奴はもう、どこにもいない。 俺たち4人が二期生だった時間は、もう戻らない。 (スカー。)去っていった彼の姿を、ジェイドは思い出す。 (てめぇにゃ失望したぜ。せいぜい弱者同士、傷を舐めあってな。) あの時の奴の瞳。 (俺から離れるな、ジェイド!)そう言って俺を抱き締めた奴の声。 ・・・スカー。俺は、お前に敗北した。そして日本駐屯の権利は、再び一期生のものとなった。 だが俺は、俺を愛してくれる沢山の人たちに囲まれている。もう一度、やり直そうと思うことができる。 ・・・・お前は。・・・・今、お前には何があるのだろう。 古巣であるdMp再興の思いか。そのために足場にしようとしていた、仮初めの正義超人としての姿も失い、お前は今、 孤独の中にいるのか。 目的を失い、根無し草のようになっていた、俺と出会う前のレーラー師匠のように。 おばさんとおじさんが亡くなり、一人彷徨っていた、レーラー師匠と出会う前の俺のように。 お前は、どこに救いを見出すのだろう。 「―― 今夜はゆっくりと休め、ジェイド。」 「はい、レーラー師匠。」 窓の外を眺めていたジェイドは、レーラー師匠ブロッケンJrに答える。 「レーラー師匠・・・ 俺が体を治してドイツに帰った時、また鍛えてくださるでしょうか。」ジェイドは問うた。 「ん? お前がそう望むのならな。」 「世の仲には、色んな強さを持った奴がいるんですね・・・ 今回の戦いで、少しわかったような気がします。俺は、まだ未熟でした。 貴方の元で、もう一度鍛えたいと思います。 そしてもし、奴がいつか・・・ "悪行超人マルス"として人々の前に現れた時は、 必ず奴を食い止めてみせます。」 「目標を持つのはいいが、あまり焦るなジェイド。とにかく今は体調を整えることだ。超人にとって、何より大事なことだからな。」 「はい、レーラー師匠。」 (奴にも・・・スカーフェイスにも、そう言われたんです、レーラー師匠。) ジェイドの瞳に、輝きが戻り始めていた。 「・・・! セイウチン先輩。」デッドシグナルと病室に戻ろうとしていたクリオネマンは足を止める。 「良かったな、ジェイドが戻ってきて。」 クリオネマンは、一歩セイウチンの前に進み出ると、 「ありがとうございました、先輩。」と頭を下げた。驚きを隠せないセイウチンとデッドシグナル。 「・・・貴方が伝説超人ブロッケンJrにすぐ知らせてくれていなければ、・・・間に合わなかったかもしれません。」 「い・・・いやぁ、そっただこと気にするな。・・・あのな、クリオネマン。こういうこと言っちゃ卑怯かもしれんけど・・・ 兄貴たちのこと、見逃してやってくんねぇか・・・?」 僅かに顔を顰めるクリオネ。「交換条件にしよう、というわけですか? ・・・フン、いいでしょう。あの連中のためにわざわざ 動くなど、バカらしくなりました。私が手を下さなくても、いずれ誰かに思い知らされることになるでしょうよ。 親の七光りやまぐれで勝ち抜いていけるほど、超人界は甘くないということをね。」 「兄貴たちは、弛んでるみたいに見えるかもしれんけど・・・やるときゃやってくれる。きっと日本を悪行超人たちから守ってくれるよ。」 「そうですか。まぁ期待しないで見ていましょう。」クリオネマンは、肩をすくめてみせた。 マルスは、眼下の街の明かりを見下ろしていた。 彼の後ろで、がさり、と草木が音を立てる。 「・・・チッ。 どこにでもあらわれやがるな・・・てめぇ、俺のグルーピーかよ? ええ鉄仮面。」 マルスの後ろに立ったケビンマスクは言う。「・・・マルス。俺は格闘者として、お前の群を抜いた格闘センスは評価している。 だから、お前に一つ忠告しておく。これ以上執着を持つのはよせ。・・・dMpにも、ジェイドにも。」 「ハッ!」マルスは笑った。 「ふざけるな。俺は執着なぞ持っちゃいねぇ。特に、あの乳離れしてねぇボーヤにはな! dMp再興にちったぁ使えるかと思って たが、俺もヤキが回ったもんだぜ。なんのことはねぇ、ただの幼児退行した超人だ、何の役にもたちゃしねぇ。」 ケビンは、マルスの言葉を意に介さず続ける。「何かに執着する心は、格闘の勘を鈍らせる。・・・まして、お前達は互いに、 正義超人であること、悪行超人であることと言う枠に囚われすぎているんだ。共に道を歩むことはできず、互いに潰しあうことしか できない。」 マルスは押し黙っていた。ケビンは言う。「マルス。dMpのことは忘れろ。 そしてジェイドのことも。お前も俺のように、 一人で自分の道を探すんだ。」 マルスはせせら笑った。「ケッ。誰も彼もが、てめぇみたいに何でもあっさり捨てて平気な冷血漢だと思ってんじゃねぇよ。 ・・・執着を持つなだと? てめぇを棚にあげてよくほざけたもんだぜ。パーティー会場で、俺に伝家の宝刀タワーブリッジとやらを 仕掛けてきたのはどこのどいつだ、ええ? 未練たらたらに執着してんのはてめぇの方じゃねえか。 だが・・・」 マルスは、ふっと息をついた。 「お前の言うことにも一理あるな。枠に囚われすぎてるってのは確かだ。だから奴は、俺が解放してやる。あいつは根が単純だからな、 そう難しいことじゃねぇだろう。 グフフ・・・」 「お前に彼を変えることはできない。」ケビンに言われて、マルスは振り向く。「お前もそう思ったから、彼から離れたんだろう。 あの時彼の心を救うことは、ブロッケンJrにしか出来なかった。」 「思い詰めすぎだ、あのバカは。"正義"と師匠にギチギチに縛り付けられていやがる・・・ どっちも必ず忘れさせてやるさ、 この俺がな。」 「マルス・・・」 「・・・何でも、かつて一部の先人たちの間で"改心ごっこ"が流行って問題になったそうだが、なら正義超人を 悪行超人に逆改心させる前例を作るのも、おもしれぇだろうよ。」マルスは再びケビンを見る。「おい、鉄仮面。てめぇは 命の恩人の俺をあっさり見捨てて万太郎に売り渡しやがったが、そういうことのできなさそうなバカも、世の中にゃたまにいるって ことを教えといてやる。奴は・・・ジェイドは俺の弱点を知っていたのに、一度もそれをつこうとしなかったぜ。戦いの時も・・・」 マルスは、にやりと笑った。「あの最中にも、な。」 「・・・・」 「ま、てめぇはてめぇで勝手にするがいい。俺は俺で勝手にやる。できればてめぇとは二度と会いたくないもんだがな。 あばよ。」マルスはケビンの前から姿を消した。 一人残ったケビンは、夜空を見上げて呟いた。「我々が超人といっても、執着する心からは逃れられないのかもな・・・。」 夜空には、星が瞬いていた。 End |