帝乙の次男で、微子啓の弟、紂王の兄。
孟津の戦いのさなか、箕子が紂王の暴虐を罵って殺されそうになった。そこで紂王に諫言し、箕子を救おうとした。いったんは説得に成功したのだが、結局、かえって箕子は奴隷にされてしまう。
天意が商を去ったことを悟ると、微子・微子啓とともに廟の商朝二十八代の神主像を奪い、朝歌より逃亡した(89)。
微子衍の典拠としては、『呂氏春秋』当務篇に、
「紂王には母を同じくする兄弟が三人いた。一番上を微子啓といい、その次を中衍といい、またその次を受徳という。受徳とは、紂王のことである。」という記述がある。
また、『列国志伝』には「微仲」という人物が登場する。
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