封神演義事典

《《 人物 こ 》》

黄飛虎 こうひこ

略歴

 商王朝に7代仕えた名門・黄家の当主。鎮国武成王(1)。
 一日に800里を走る五色神牛に乗り(8)、北海より手に入れた金眼の神鷹を使う(28)。東は海寇(倭寇のこと?)、南は蛮夷と戦い、三十回もの功績をあげた武官である(30)。

 中宮の姜氏が惨殺され、太子達にも死刑の命が下ると、ふたりは朝廷に逃げ込んだ。その時方弼・方相が太子を連れ去ったが、黄飛虎は知らぬ顔をして追わなかった。
 自身が追討の命を受けると五色神牛で追ったが、健気な太子を捕まえる気にならず、宝ケツを渡して見逃した。その後も追っ手にわざと老兵を与え、追撃を妨害した(8)。

 紂王が四大諸侯を殺そうとすると、諫言して姫昌の命を救った(11)。相次ぐ反乱に備えて訓練を行う(15・17)。また姫昌が釈放されると、一刻も早く西岐に帰るよう忠告し、銅符と令箭を渡した(20)。鹿台の宴の後、周紀に命じて軒轅廟を焼き討ちさせる(25)。姜文煥が野馬嶺を攻撃し、陳塘関を狙っているので、魯雄に兵十万を与えて守りを固めた(26)。聞仲が帰還すると朝廷の混乱を伝え、平霊王が反逆すると、再び朝歌の守りを受け持った(27)。

 牡丹亭の夜宴の途中、狐の妖怪が現れると、神鷹を放って撃退した。実はこの狐は妲己であり、傷をつけたことで黄飛虎は深く恨まれたのだった(28)。
 紂王21年の正月、妻の賈氏が入宮したが、妲己の策略によって摘星楼で自殺した。また妹の黄氏も、紂王に楼から投げ落とされた。黄飛虎は怒りに任せて紂王に一太刀浴びせると、朝歌を脱出して西岐に向かった(30)。

 朝歌と西岐の途中には「五関」とよばれる関門があったが、黄飛虎は様々な困難に遭いつつも五関を踏破する。その途中に父の黄滾、息子の黄天化と再会した。西岐に着くと、周に降って開国武成王に封ぜられた(34)。

 周と商の戦いがはじまると、晁雷を説得して降伏させ(35)、また定風珠を奪った方弼・方相を帰順させた(45)。殷洪・殷郊との戦いでは2回とも捕らえられるが、過去の恩義のおかげで釈放される(60・63)。
 金鶏嶺の戦いで黄天化が戦死すると、涙を流す。そして崇黒虎らを仲間に加え、息子の仇・高継能の首を取った(69・70)。

 10万の別働隊を率いて青竜関を攻め、陳奇を倒し、青竜関の攻略に成功する。だが、この戦いでも息子の黄天祥を失った(74)。穿雲関の戦いでは敵に捕らわれるが、城内から内応して徐芳を斬った(80)。
 メン池県の戦いでは五岳の面々で張奎を囲むが、高蘭英の太陽針に目をやられ、撫で切りにされてしまった(86)。

 姜子牙により、東岳泰山天斉仁聖大帝に封神された(99)。

注釈1

 黄飛虎は史書にはその名前が見えない。後世の創作上の人物である。『伐紂平話』『列国志伝』には商の武将として登場し、『封神』もこれを踏襲している。

注釈2

 黄飛虎が封ぜられた「東岳泰山天斉仁聖大帝(東岳大帝)」は、中国の五つの山を神格化した“五岳”の神のひとつである。東岳大帝は封禅などの舞台となった泰山が神格化されたもので、五岳の中では最も尊ばれていた。
 民間では人間の賞罰を司る神として知られ、東岳は人間の悪事を逐一観察しているとされた。そのため小説などにも、東岳が罪人を裁くシーンがしばしば登場している。
 いわば、中国における「えんま様」のような存在である。

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