商の武官。殷成秀の父で、商容の門生。蘇護が紂王批判の詩を書いて朝歌を去った際、紂王に召集をかけられたのが初登場(2)。殷郊・殷洪兄弟が逃亡すると、雷開と三千人の騎兵を率い、捕らえるよう命じられた。黄飛虎宅で割符をもらおうとすると、明日五更に来るよう言われる。老兵や疾病者ばかり引き渡されたが、軍令に背くことはできず、南門を出て出発した。しかし進軍速度は三日で百里というありさまだった。
三岔路までたどりつくと、それぞれ五十人の精鋭を率い、二手に分かれて追うことにした(8)。東魯への道を二日ほど進み、商容の屋敷で殷郊を見つけると連れて帰った。午門で殷郊・殷洪の首をはねるよう命じられたが、趙啓に聖旨を破られるなど大混乱。更には砂風が吹いて二人が消えてしまい、やむなく紂王に報告した(9)。
姫昌が朝歌から逃げ出すと、神武大将軍として登場し、雷開とともに追撃する。騎兵三千人を率い、臨潼関二十里前で追いつめるが(21)、雷震子に阻まれた(22)。なお姜子牙が朝歌にいた頃、多少面識があったようだ(94)。
周軍がメン池にせまると、袁洪の征西軍の参軍として孟津に向かう(87)。袁洪に周の士気は高く油断は禁物と進言するが、容れられなかった(88)。高明・高覚が敗れた後は、敵を大破して強さを見せつけるべきだと主張。呉竜と常昊が妖怪の姿を見せて戦死すると、不吉な話だと諸将と言い合った(91)。朱子真や楊顕がやってくると、これも妖怪だろうと言ってため息をつく。戦況が悪化すると、袁洪・雷開と相談して援軍を求める上奏文を朝歌に送った(92)。袁洪が殺されると朝歌に戻り、紂王に情勢を報告した(93)。
丁策が敗れると、姜子牙に論戦を挑んで撤退させると紂王に上奏した。反乱は最悪の犯罪だと周を指弾するが、それに対し姜子牙は天下は一人のものではないと反論。論破された殷破敗は決死の覚悟で罵倒するが、怒った姜文煥に斬られた(94)。屍は姜子牙に、高い峠の上に礼儀に基づいて埋葬された(95)。姜子牙により、群星正神小耗星に封神された(99)。
商容宅から殷郊を連れて帰ろうとした時、商容に「手柄を貪り、君心の大義に傷をつければ、罪は死んでも償いきれなくなる」と言われるのは末路の暗示か。
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