君にもできる?日本縦断自転車旅行(8)
                               旅の終わり

 早朝、鹿児島から大阪に向かうフェリーの2等船室で目覚めて、一番に風呂に入りに行った。風呂場には誰もおらず、一人で大きな湯船につかった。窓の外には大阪湾が見えている。裸で海を眺めながら、ああ、旅ももう終わりだなあ、と思った。事故さえなければ、今日の夕方には自宅に着くだろう。いつものことだが、旅の終わりというのは寂しいものだ。今回のような長い旅の場合はなおさらだ。

 しかし、体力もない、根性もない、金もない私が、よくこんなところまで走ってきたもんだ。8月に自転車を買って、9月に日本縦断に出発。たいした準備もせず、はっきり言って見切り発車だった。毎日少しずつ少しずつ、ゆっくり走り続け北海道、東北、北陸、近畿、四国、九州と、約3800kmを80日間で走った。そして今、九州から大阪へ帰るフェリーの船上にいるわけだ。

 行程のほとんどは道路沿いの退屈な風景をずっと眺めていたように思う。どうして日本はどこに行っても同じ風景ばかりなんだろう、と少し恨めしく思うこともあった。

 それでも、怠け者の私が、この3ヶ月間ほとんど休むことなく毎日自転車をこいできたのはいったいなぜなのだろう。いったい何が自分の推進力になったのだろう。

 一つは、美しい風景との出会いだろう。
 確かに退屈な風景が多い日本の道路ではあるが、なんということのない景色がちょっとした光の具合で突然美しい風景に転じる、そんな経験を何度もした。

 もう一つは、いろいろな人との出会い。
 旅の間、実にたくさんの人たちと話をした。一日誰ともしゃべらない日というのは、一人旅であったにもかかわらず、一度もなかった。海岸で休憩していたら、「ちょっとおいで」といっておすしをごちそうしてくれたおばさん。「パンク修理代だ」と言いつつ500円玉2枚をくれたおじさん・・・。様々な風景の中で、様々な人たちと、様々な話をした。中でも印象に残ったのは、自分と同じ世代で、目標を持って地方でがんばっている人たちだった。自分の夢を実現して小さなケーキ屋を始めた女性。国道沿いの何もない場所で、有機栽培の小麦粉を使ったパン屋を始めた男性。これといった観光資源もない土地で、ユースホステルを始めた若い夫婦・・・。みんな、決して自分の努力をひけらかさない、静かでそして力強い人たちだった。自分もあんな風になりたい、そう思ったものだ。
 たくさんの旅人にも出会った。
 ママチャリを鉄パイプで補強して日本一周に挑む60台の男性。台湾まで行って、その先は考えていません、と言って西に向けて走っていった若者・・・。旅人同士の会話は、情報交換の場であり、また旅を続けていくための重要なカンフル剤であった。

 そういった、時折出会う素晴らしい風景や楽しい人々への期待が、あそこまで走ってみよう、あの坂道を越えてみよう、という力の原動力になったように思う。

 そして、もう一つ。それは、今の今になって気がついたことなのだが、もしかすると自転車をこぐことは楽しいことなのではないだろうか、ということだ。
 怠け者の私が、毎朝まめに荷物を自転車にくくりつけ、陽の低いうちに次の目的地を目指していたのは、自転車をこぐことそれ自体のおもしろさがあったからではないだろうか。サドルの上で、流れていく景色を眺めながら歌を歌ったり、つまらないことを考えたりすることが。もともと私は、歩きながら考え事をする習性があるのだが、その生理が自転車という乗り物にフィットしたのかもしれない。

 もうすぐ大阪港だ。
 次の旅はいったいいつのことになるのだろうか。5年後か、10年後か、はたまたこれが最後か・・・。

 ただ、次の旅の前に私はやらなければならないことがある。旅先で出会った、静かで力強い人たちのように、自分の場所で自分のやるべき仕事を探し、作り上げていくことが。
 ひょっとすると、それもこれから始まる旅の一部なのかもしれない、と今はそんな風に思える。

 さて、そろそろ荷物をまとめて船を下りるとするか・・・。

    (おわり)

←メニューへ

←前のページへ