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21


 事件から二ヶ月くらい経った、緑濃くなったある夏の日のことだ。
 きゅぃぃぃぃぃ。
 学校から帰る途中の下り坂、道沿いのけやきの木の上から、聞き覚えのある鳴き声がした。見上げると、枝に一羽の鷲が留まっていた。その真の姿を、太陽の下で見るのは初めてだったけれど、僕にはひと目でわかった。アーイーだ。
 「ガソくん、ひさしぶり!」
 白いスカート茶色の長い髪の人間の姿にぱっと変身し、横に長く伸びた枝にすとんと腰掛けて、高みから僕を見下ろす。孤高というか不敵というか、つんと勝ち気にすました様子は、学校にいた頃と何も変わっていなかった。
 「アーイー! ……今まで、どうしてたのさ?」
 「ちょっとね、鷲の魔法学会に」なんだそりゃ。いなくなった理由って、もしかしてそれだけ?「記録更新を申し立ててきたのよ。ちゃんと受理されたから、これで鷲の変身チャンピオンはあたし。ま、でもたかだか二ヶ月チョイじゃ、いずれ誰かに追い抜かれちゃうから、早いとこ自己記録更新しないとね」
 そういうものなのか、と思いつつ、僕は枝の上のアーイーに尋ねた。「まさか、また転校してくる気じゃないよね?」
 アーイーは首を横に振った。
 「学会で集まるときだけは、よそのなわばりを自由に通行する許可が出るのよ。いい機会だったから、『町の中学』っていうのちょっと見てきた。今度はあそこでやってみてもいいかな、って思ってる」
 ずいぶん簡単に言う。なわばりって、絶対的なもののはずじゃなかったのか。「……そんなにほいほいできるものなの? 町の辺りをなわばりにしてる別のヤツがいるってことなんだろ?」
 すると、返事はこうだった。
 「そりゃあ、まずヤツらをぶち殺してなわばりをぶんどるのよ。こっちからケンカ売るんだから、命懸けで抵抗されるのは覚悟しなくちゃね。旦那をもう少し鍛え上げないと厳しいかもしんない」
 彼女の鷲の本能は未だ健在だ。そらまぁ、本能だもんな。どうしようもないよな。
 ていうか、アーイーの旦那さんて、留守は守らされるわなわばり争いには先陣切らされるわ、いいようにこき使われているだけなんじゃないだろうか。もしかして、先生たちみたいに魔法でだまくらかされてるんじゃないだろうか。僕は、憐憫の思いを禁じえなかった。
 そんな心理状態だったところへ、「それでね、今日はちょっとガソくんにお願いがあってぇ」───アーイーの口調が、なんだかちょっと甘ったれたものに急に変わったのを聞いて、悪い予感が頭の中を駆け巡ったのは、人間がまだ捨てていない野生の本能の一部分だったろうか。
 いいとも悪いとも答えないうちに、アーイーはさっさとそのお願い事を話し出した。
 「狼の魔法学会でも似たような話が持ち上がってるらしいんだけど、ガソくん、彼が暮らせそうなところ、探してあげてくれないかなぁ?」
 狼? 彼?
 するとけやきの太い幹の影から、毛皮の服を着て毛皮の帽子を目深にかぶった、精悍な顔立ちの色黒の青年がひとり、のそりと姿を見せた。しばらく口を開け、舌を出したまま、はっ、はっ、はっ、と荒い息をしていたが、ゆっくりと、その口を注意深く閉じた。それから毛皮の帽子を取ると、僕の方に向き直り、顔に似合わぬつぶらな瞳で僕を見据えて言った。「拙者ワーホゥと申す。以後お世話になり申す」
 僕は、動物の動物たる短絡な思考パターンに頭がくらくらしてきた。冗談だろ?
 「……帰っていい?」愛想笑いを顔に貼り付けて、アーイーに尋ねてみた。
 「無事に帰れたらねっ」アーイーは枝の上で足をぶらぶらさせながら答えた。
 あぁ。
 彼らに、複雑な人間社会のご都合というものを教えてさし上げるのは、僕の思ったよりずっとずっと困難なことのようだ。
 僕はまだまだ、勉強が足りない。
 「もしも世話してくれぬと申されるなら」狼の魔法使いワーホゥは、しごくまじめな顔で、実直きわまる口調で、こう言った。「首根っこ噛みちぎってくれるぞっ」

[ 終 ]

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