ビタ銭、一枚

 精霊、という存在が、その世界にはうようよいる。
 その存在理由、あるいは行動原則について……いかにして、何のために精霊が生まれてきたかについては、都でも田舎でも魔法学者どもが頭をぶっつけあっていることだが、実質それが「学ぶ」に値するものであるかどうかは、さだかでない。
 精霊は、通常は自然物、たとえば木や泉から、うろうろ這い出てにじみ出て、人間の前に姿を現す。見かけは半透明のおさな子の姿で、それぞれに固有の色彩で、濃く淡く光を放っている場合が多い。意志や思考はあり、魔法が使える程度の知性も持っている。だが知性があるからといって、別段人間にとって有益な存在ではない。むしろ害の方が大きい。
 たとえば、木の根っこにけつまずかせたり、ありもしない財宝の幻を見せたりして人間をからかい、けらけらと笑うやつがいる。あるいは木の精霊などは、宿主の木が切られそうになったりすると、なんとかやめさせようと脅かしにかかることもある。
 が、ほとんどの精霊は、ただ無邪気に人間に視線を向けるだけで、何をするでもなかった。命を救われたとかいう美談も聞かない。
 結局、一般庶民の間では、「精霊は役に立たない」という意見が大勢を占め、誰も彼もが精霊に出会っても無視を決め込み、あるいはしっしっと追い払っていた。とても崇拝の対象になるどころではない。それが超自然的であり、反物理的であり、理論上は決して存在しえないものであったとしても、どこにでもいるうえ、なんら腹の足しにならない彼らに、人々はほとんど注意を払わなかった。……どこに行っても、精霊はそんな、蹴っ飛ばされる石ころのような存在だった。
 だが、その町だけは違った。
 職人が集まって栄えるその町でだけは、不思議なことに、精霊は人工物に宿るのだ。たとえば仕立て屋のはさみに。陶芸家の窯に。八百屋のどんぶり前掛けに。持ち主が思い入れを込め、あるいは縁起を担ぎ、長く長く使い続け、使い古されたものにだけ、精霊は宿る。しかも、一年に一度、冬の盛りの、決まった一夜にしか姿を現さない。
 むろん精霊だから、何をするわけではない。現れてもにこにこと笑っているのがせいぜいだ。しかし、大切にしてもらっていることがわかるのだろう、怒ったり悲しんでいることはまずない。必ず笑ってくれる。
 存在は役に立たなくても、そんな笑顔を人々は崇めた。
 しかして年に一度の精霊が現れる夜、その町はお祭り騒ぎとなる。
 前日から、精霊が出てきそうな品を洗い、磨き、繕って、きらびやかに飾りつけ、ごちそうで囲む。「精霊をお迎えする」と表現されるそういった一連の行事が、多くの商家や工房で、親類縁者を集めて行われるのだ。つまりは人間の方が、精霊のごきげんな表情をさかなに、おおいに飲んで騒ぐという祭り。それが証拠に精霊は、ものに触ったり持ち上げたりすることはできるが、食事はしない。ごちそうをそなえたところで、収まる場所は人間の腹の中というわけだ。
 精霊は、夜が明けると、彼らが宿る「もの」の中に帰ってゆく。そうして精霊迎えの祭りは終わるが、人間は酔いつぶれていたり後始末したりと、翌日は何の仕事も手につかないのがふつうだ。年に一度の祭りはそうして、一夜のうちに、まるで夢野で遊ぶように終わってしまうのだ。


 ……だが、そんなことはどうだっていいのである。
 魔法学者が悩もうが向かいの鍛冶屋がどんな準備をしていようが、彼にとってはどうでもいいのである。
 祭りの夜、町の片隅の三文長屋。とある男が、毛布を一枚ひっかぶり、火の気のないかまどの前で、おきにあたっているつもりでがたがた震えながら、うーんとうなっていた。
 金がないのだ。
 彼の手元にはもう、ビタ銭が一枚しか残っていないのだ。
 こんなビタ銭一枚ではパンも買えやしない。薪も買えやしない。賭場に入っても追い出されてしまう。
 祭り明けの明日は、どこに行ったって仕事の口などない。それどころかほとんどの店が閉まっていて、恥を忍んで生ゴミをあさる最終手段さえ、できるかどうか怪しい。
 男の部屋に家具はない。もう全部売り払った。
 男の部屋に衣類はない。もう全部売り払った。今彼が着ているもの以外は。
 首が回らぬとはまさにこのことだ。どんなに首を縮めても、寒気が体中を駆け巡る。体を動かせば骨のきしむ音がする。
 むろん男はひげぼうぼう、肌は垢まみれでまっくろけ。目は落ち窪み、もし貧乏神の絵を描きたいと思ったら話は簡単、彼の似顔絵でばっちりという人相だ。にっちもさっちもどうにもやりくりききやしない。
 男はまたひとつ歯と喉をふるわせてうーんとうなり、今度は腕を組んだ。嘆いていても始まらぬ。目の前のビタ銭をどうにかして百倍、いや千倍にする算段はないもんだろうか。……腕を組んだだけで湧き出す知恵があるなら、かくのごとき貧乏をするわけがない。思いつくことといえば、こいつを庭に蒔いておいたら明日には芽が出てるんじゃないかとか、そういう根拠のないユメのような話だった。そして同時に、彼の頭の中には、たとえば偽金を作るような思いつきは、どうひっくり返しても出てこない。根は、気のいい男なのである。
 それにしても汚い銭である。男はビタ銭をしげしげと眺めた。手垢がこびりついて、まるで泥のかたまりだ。この国の女王の肖像があるはずだが、顔の輪郭しかわからない。
 この硬貨が、もし何らかの価値があるものだったとしても、こんな汚けりゃあ、古銭商だって相手にすまい。
 ……逆にいうと、きれいだったら古銭商が相手にしてくれるような珍奇な硬貨かもしれない。あさましいというかみみっちいというか、そんなせんない考えに思い至って、男は井戸に走り、誰かが捨てていった欠け椀に水を汲んでくると、ぼろっ切れを手にして、おもむろにビタ銭を磨きはじめた。
 手垢がこそげ落ち、少しは輝きを取り戻したが、やはり、どこにでも流通している何の変哲もない硬貨だった。むしろ傷や欠けが目立ってしまい、女王の顔もろくに判別できないほどすり減っているとあっては、古銭の価値は永久につきそうになかった。いったいこれまでに何人の手を経てきたのだろうか、どうやら、製造されたのは一〇数年は前と思われた。
 男は、ほぅと息をついた。やっぱり、こんなビタ銭一枚では、どうにもならない。明日は一日、何も食わず腹を空かしたまま部屋にこもって、鬱々としているしかない。むろん、そうしてみても、あさってに仕事が見つかるかどうか、なんのあてもありはしない。
 とほうにくれて、ビタ銭をかまどの前に放り出したままで、板むき出しの床にごろんと横になった。すきま風がすぅすぅと吹き込む中、唯一残った毛布にひっくるまり、寒さとひもじさに体を縮めながら、男は半ばむりやりに眠りについた。
 だが、夜中に目が覚めた。寒さだけではない。向かいの鍛冶屋で大歓声があがったからだ。今年もふいごや金槌から、精霊が現れたのだ。
 男は舌打ちして、また毛布を肩までたくし上げ、まぶたをかたく閉じた。朝は遠い。空腹をごまかすためにも、男はとにかく眠りたかった。だが眠れなかった。
 鍛冶屋でさっそく始まったどんちゃん騒ぎが、うるさいのだ。こぼれ出る光が、まぶしいのだ。頼むから眠らせてくれ。男は、歯噛みしながら耳をふさぎ、なおかたく目を閉じた。だが、玄関とは逆方向を向いているはずなのに、まぶたに刺さる眩しさはいやますばかり。こどもがくすくす笑う声まで塞いだ耳を通して聞こえてくる。
 男はしばらくぎりぎり奥歯をかみ締めていたが、すぐに我慢がきかなくなった。えぇい、くそったれ鍛冶屋め、文句を言ってやる。くわと目を開いてはね起きた。
 ……男が目を開くことができたのは一瞬だった。
 まぶしい光とくすくす笑いに満たされていたのは、男の部屋だったのである。鍛冶屋だけではなく。
 白く赤く焼きついた目をこすりこすり、何度もしばたたいた。そうしてよくよく見れば、かまどの前に、一〇歳ほどとみえる、やせた髪の短い少女が、ひとり座っていた。その体は、身にまとう貫頭衣らしきものも含めて、淡く黄色い光を、こうこうと発していた。……つまりは、精霊だ。
 いちおうこの世界この町の住人だから、精霊は何度も見たことがある。男は驚いたりあせったりはしなかったが、かわりに首をひねった。……うちに精霊が出てくるようなもののあるはずがない。家具も服もないのだ。
 かまどか? 目が慣れてきた男は、四つんばいになって、少しだけ精霊ににじり寄った。……いや、かまどは、三年前怒りにまかせて蹴ったら壊れた。借家だから、男にしては大枚を支払って、弁償したのだ。およそ精霊が出てくるのは、作られてから少なくとも一〇年以上は経った物と決まっているので、かまどから精霊が出てくるとは考えにくい。
 じゃあ、脱ぎ捨てた靴か? 男はもう少し精霊ににじり寄った。いや、違う。ゴミ捨て場で拾ってきたものだから、いつ作られたかはわからないが、三年越しているとはとうてい思えない。だいいち大切にした記憶もない。かかとを踏みにじり、磨いたことも洗ったこともなくすえた臭いを発する靴に精霊が現れたとして、笑ってくれるとも思えぬ。
 もうひとつ近づいてみて、男にはやっとわかった。
 精霊は、放り出したままのビタ銭から、現れていたのだ。
 肌をときどきなでながら、幸せそうな笑みを見せる精霊の少女。そうか、きれいに磨いてやったから、うれしくなって現れたというわけか。その行為にいたった理由はさておき、男にはようやく合点がいった。
 今度は精霊の方が、男をまねて四つんばいになって近づいてきた。とても楽しげに、目を細めて、微笑みながら。そして男の鼻っ先まで顔を近づけ、男を指差してのたまわく、
 「ニンゲン!」
 男は鼻白んで、どっかとあぐらを組んで座り直した。
 「なに言ってやがる……俺がニンゲンなら、そんなら、てめぇなんかビタだ」
 「ビタ?」
 精霊は自分を指差した。……それから、バンザイした。
 「ビタ!」
 名前をつけてもらって、とってもうれしそうだ。
 男は、やれやれ、とひざに頬杖をついた。やっぱり精霊は役に立たないのだ。
 銭の精霊ビタは、あまり機嫌のよさそうでない男を不思議そうに見ながら、ぺたこんとお尻を落として座り込んだ。男は、もいちどしげしげと、頭の先から足の先まで眺めてみた。光る以外は、ただの女の子、にみえる。
 ふぅむ、と、男はうなった。精霊は役に立たない。そんなことはわかっている。だが、と、男は、相も変わらぬ貧乏人らしいけちくさい発想を、頭の中でぐるぐる回した。何せ銭から出てきた精霊なのだ。ちっとは、今の空っぽの腹とふところを埋めるたしにならんだろうか。
 男は、ビタに話しかけた。
 「ビタよぅ、おめぇ、なんかできるか」
 ビタはまんまるな瞳で男を見つめて、ふにょんと首を横にかしげた。質問の意味がよくわからない、というように。
 「飯をここに、ばぁんと出したり、できねぇかよぅ」
 「メシ?」
 問い返されて、男はうーむとうなった。「飯」がわからないのではどうにもならない。男は要求を変えた。
 「じゃあ、銭だ。銭をここに、たんまり出してくんねぇかなぁ」
 「ゼニ?」
 「銭だよ銭。かね。コイン。銅貨銀貨金貨」
 ビタはさっぱりわからない様子だった。
 「おめぇ、銭のくせに銭がわかんねぇのか。困った奴だ」
 当然といえば当然の話、銭自体は食事しないし買い物もしない。どっちも、するのは人間だけだ。しかし男にそういう考えはひとひらも思い浮かばず、このわからずやの精霊め、とあきれ果てていた。
 「いぃか、銭っていうのはなぁ、まるくってぴかぴかした金属の板で……」
 男はここで、またうーんとうなった。何せ貧乏人だから、貨幣についてそれ以上うまく説明ができないのだ。貧乏人でなくたって、普段なにげなく使うものの説明というのは、誰しもうまくはできないものだ。男はいらついて、思わず声を荒げた。
 「えぇい、とにかくよぉ、おまえが出てきたあれだよ。銭ってのはな、おまえのことなんだよっ」
 ……そこで、はたと思い当たってぽんと手を叩いた。
 そして言った。
 「おまえ、増えろ。おまえが一万人、いやもっとだ、百万人に増えればいいんだ」
 この言葉は、ビタにも理解できたようだった。ビタは、ぱあっと顔を輝かせた。拾われた捨て犬のように。
 「おちゃのこ!」
 ビタは、そう元気よく叫ぶと、……言われたとおり、その場で百万人に増えた。
 分身、分身、また分身。またたく間に男の部屋はビタでいっぱいになった。
 何しろ精霊は触われる存在なので、当然男はあっという間にビタの大群に壁に押しつけられ、首の筋をぐきりといわせて、それっきりのびてしまった。
 それでもビタは増えるのをやめない。長屋の中に入りきらなくなり、扉と窓のかんぬきが耐えきれずにへし折れ、ばん、と大きく開いた。そこから、分身したビタは、次々に長屋の外へ飛び出してゆく。蜘蛛の子よりももっとハデに勢いよく、高く跳ねたり、空を飛んだり、道を走ったり、光り輝く百万人の精霊ビタは、町中に散っていった。
 ……そして、町は大混乱に陥った。


 百万に増えても、ビタはビタだった。分身したビタは、それぞれに意志を持っており、町中で集まったり離れたりして、次々と何やかやをしでかした。
 およそ精霊迎えの祭りをしていた家は、どこもかしこもめちゃくちゃになった。ビタは何しろ数がいる分、どんな酔っ払いよりもたちが悪かった。
 向かいの鍛冶屋などさんざんだった。ふいごの精霊とダンスを始めた、なんてのはいいほうで……次男坊がずっと隠していたカツラをひんむいたり、家宝の名刀を振り回してビタ同士で追いかけっこをしたり、あるいは、台所のタマネギを全部みじん切りにしたりした。
 商店街に行けば、どこでも固く閉ざした店の戸を、ビタ数十人がかりでどんがらどんがら叩きまくった。慌てて飛び出してきた店の者に、光を浴びせ、泥を浴びせ、きれいなお姉さんだったら、既婚未婚に関わらず、ライスシャワーを浴びせた。
 何もかも片づけてあったレストランでは、押しかけたビタの大群が、テーブルを並べ、椅子を並べ、テーブルクロスも花瓶も準備した。そして同じ顔を並べてすべての席に座り込み、てんでにナイフとフォークを持って、料理はまだかとテーブルを叩き続けた。
 魚屋の氷にひんやりと頬を寄せ、駄菓子屋のくじをみんな破いて実は全部はずれだったのを暴いた。服屋のショーウィンドーの前に立って、真っ赤なドレスをぼぉっと見つめているビタもいた。
 ビタはいたずらっ子だった。いいこともしたし悪いこともしたし、空気のように気づかれないこともした。もちろんそういう場合、目立つのは悪いことだった。誰もがビタを追い払った。ホウキで打ちつけ、ノラ猫ごと蹴り飛ばした。そうして追い払えば、ひとりのビタは、ほとばしる光となって消えてしまうのだが、何しろ総数が総数である、次から次に別のビタが現れてきりがなかった。水をぶっかけてやろうとして、井戸からつるべを引き上げたら、そこにビタが五六人鈴なりになっていて、逆に盛大に水をかけられる、という光景もあった。
 精霊祭りを楽しんでいたはずの町民が総出になって、ビタを追い払いにかかったが、その数は、なかなか減っていかなかった。
 あきらめて、あるいはこれもよい余興とて、祭りを再開した者もいた。なにせ精霊である。精霊迎えの祭りに精霊がいて何が悪い。ともに楽しめばよいではないか、と考えたのだ。
 そうでなければ。どうせ精霊である。朝になったら消えるのだ、と。


 さて。町の西の外れのそこそこ大きな屋敷に、そこそこの飯を食い、そこそこの服を着て、そこそこに上品なひげをたくわえ、それにしてはそこそこでなくでっぷりと太っている、ひとりの金貸しが住んでいた。
 金貸しとしては良心的に利子も低く、けして悪人ではない。長屋のあの男も、彼から多く金を借りている。
 だが彼は、ひとつ、人にはあまり好まれない習癖を持っていた。というのは、彼はひたすらに金持ちだったのである。世の中は金がすべて。金を持つ者すなわち正しく優れた者。そんな信念の持ち主だった。
 彼が一代でどれだけの財をなしたかというと、人生を三回ばかりやり直してもまだ釣りがくるくらいにはなるのだが、彼はまだまだ稼ぐのをやめなかった。さらには、ふつうの金持ちなら、稼いだ金を高級で豪華で贅沢な何やかやに散財するものだが、彼はそれすらもしなかったので、屋敷の金庫はふくらむいっぽうだった。彼にとっては、それこそが無上の喜びであり、夜ともなれば、悦に入って貯めた金を数えるのが常だった。
 祭りの夜であろうと、その日課は変わらなかった。彼の家に精霊が出るような品はなかったので、彼に精霊迎えは無縁だった。しかし、祭りの準備のために多くの者が金を借りに来た。その利息の計算をして、そろばんを弾いて、頬を緩める。計算を終えたら、今日生じた儲けも勘定に入れて、金庫の中身はさていったいいくらになるのか、これはさっそく数えてみなくてはなるまい。それが、金貸しの祭りだった。
 そんな金貸しの屋敷に、ビタが一〇人ばかり押しかけた。あるビタがてんてんと窓を叩き、金貸しの使用人が不思議に思って開けると、辺りにいたビタがみないっせいに屋内に飛び込んだ。ビタは金貸しの家中を走り回り飛び回り、気の向くまま行動した。居間に一枚だけ飾られていた風景画を裏っ返しにし、厨房にあったクッキー生地に自分の顔を描き込んだ。
 やがてビタのひとりが、金貸しの私室を見つけた。鍵はかかっていなかった。そのビタが、むろんノックなどなしに扉を開くと、室内で金貨の数を数えていた金貸しは、びくりと背筋を伸ばしてしゃっちょこばった。そして、太った体からは想像もつかないような速さで、そばの棚に飾ってあった剣をひっつかむと、抜いて構えて切っ先をビタに向けた。
 「ドロボウめ神妙にしろ!」
 部屋に入り込んだビタは、目をぱちぱちさせた。何を言われたのか、またその手のうちにある細長い道具が何なのか、やっぱりよくわからなかったらしかった。ただ、おっかない顔のでっかいおじさんがいる、とだけ、理解したようだった。ビタは、そのおっかない視線から逃れるために、顔を背けて、金貸しの真正面からどいた。どいた場所には、大きな金庫があった。……その巨大な金属の箱を、ビタは不思議そうに眺めた。自分に関わりのあるものだと、感じたのかもしれない。
 金貸しの方も、そこにいるのが精霊だと、すぐに気づいた。だから、いったん構えを下げた。だが金貸しには、ビタが何の精霊かはわかっていなかった。おそらく、祭りで現れたどこかのやんちゃな精霊が、いたずらでもしに来たのだろうと思っていた。それはそれで事実だったのだが、むろん彼には、ビタが銭の精霊だなんて思いも寄らないことだった。
 そして、ビタが図らずも金庫の方に移動したのを見て、かっと頭に血を上らせた。儲けようと努力しない者が、こんなにも儲けようとしてきた自分の金に触れることは、金貸しにとって屈辱以外のなにものでもなかったのだ。
 「わしの金にさわるなぁ! 精霊だろうがなんだろうが、わしの稼ぎに手を出す者は許さん!」
 金貸しの怒りなどどこ吹く風で、ビタの興味はすっかり金庫に向いていた。プレゼントを前にした子供のように、中身が何か知ろうとして撫でたり叩いたりしていた。
 そんなしぐさひとつひとつが、金貸しの気に障った。剣を、構え直した。
 「うぁりゃあぁぁぅぅっ!」
 彼は、喉の奥から叫びのようなものを絞り出し、目をくわっと見開くと、ビタの背中を袈裟がけにばっさりと斬りつけた。
 精霊が苦痛を感じるはずはないのだが、斬られたビタは、なぜか一瞬だけ苦悶の表情を見せた。痛みに耐えて歯を食いしばり、声は出さなかった。次の瞬間、他の追い払われていったビタ同様に、ぱぁっと光になって消えてしまった。
 だがそのときには、別のビタが部屋に入り込んでいた。机に散らばる、さっきまで金貸しが数えていた金貨を、椅子に飛び乗ってしゃがみ込み、不思議そうに眺めていた。やはり、自分に関わりのあるもののように感じたからだろう。
 金貸しは喉で息をひゅうひゅういわせて、ただちに机の方に向き直り、汗ばむ手で剣を握り直した。そして、また訳の分からない大声をあげて突進すると、ペン立てだの椅子の背だのもまとめて、真一文字にビタを薙ぎ払った。ビタはやはり、顔をひきつらせ、光になって消えた。
 しかしその間にも新たなビタが、五〜六人ばかりまとめて、部屋に入り込んでいた。このビタたちは、また金庫の方にいて、扉の前にしゃがみこんでいた。
 金庫は最新式で、丸いダイヤルを回して数字を合わせて、さらに差し込み式の鍵を使わないと、開かない品だった。扉は分厚く、頑丈な合金でできており、持ち込んだ業者は、大砲の弾をぶち込んでも絶対壊れないと、胸を張って言っていた。だが、ビタのひとりがそっと手を当てると、その光る手は、そこになにものもないかのように、黒光りする扉の中に吸い込まれて消えた。そして、そのまま、中にあった金貨をつかみ出した。
 じゃらじゃらと、音を立てて床にまき散らす。ビタたちは、そこにできた小さな金色の山を取り囲んだ。あるビタはひざをつき、あるビタは頬杖をつき、あるビタは床にお尻をついて、灯火を映すそのきらめきを、目を細めて見つめていた。
 ビタの輪の外に、金貸しがぬっと立った。剣を大上段に振り上げ、竹割りに振り下ろした。振り下ろしたと思えば手首を返して、別のビタを斬り上げた。さながら火事場の炎のように、金貸しは部屋中を飛び回り、きちがいじみた叫びをあげ、口の端からは泡を吹きながら、次から次へすべてのビタに斬りつけた。
 「わしの金だみんなわしの金だっ! さわるな出ていけ、今すぐ出ていけ! 精霊なんか、いなくなっちまえ! いなくなっちまえ! いなくなっちまえ!」
 金貸しのその激昂、剣を振り回すごとに、ビタはひとりまたひとり、苦悶の表情をわずかに見せながら消えていった。
 不思議なことに、これとまったくときを同じくして、町中でも、あんなに大量にいたはずのビタが、急速に減っていた。鍛冶屋からも、レストランからも、井戸の中からも、ビタは光となって消えていった。
 金貸しの館の中から、ビタがひとりもいなくなる頃、町からも、ビタはいなくなった。百万人いたビタは、いつしかまた、もとどおりひとりになっていた。
 ……ひとりになったビタは、どこか寂しそうな顔をしていた。みな追い払ったと安堵して、どこでも再開された祭りの喧騒をよそに、寂しそうな顔で、大通りをとぼとぼと歩いていった。


 夜明け近くに町を吹き抜けた山おろしは、たった一枚の毛布にもくるまる余裕なくぶっ倒れていた、三文長屋の貧乏男の目を覚ますには、十分すぎる冷たさだった。
 ぶるんと体を震わせて、男は起き上がった。目の前に転がっているビタ銭を見て、男はすぐ、自分が銭の精霊に百万に増えろと言ったことを思い出した。結局、増えたのは精霊だけで、元のビタ銭は一枚のままだった。
 ちぇっ、百万枚にはならないのか、と舌打ちしたあとで、男は狭い自分の部屋を見回した。当のビタは、どこにもいなかった。男は開け放たれた窓に歩み寄って、外を見た。空はまだ暗く、精霊が去る時間には、まだ早い。……ボロボロの靴を履き、ビタ銭を持って、男は外に出た。向かいの鍛冶屋を覗き込んでみると、ビタの大群のせいでさんざんな荒らされようだったが、ふいごから出てきたちぢれっ毛の少年精霊はまだその場にいて、酔って眠る鍛冶屋のヒゲを引っ張って、けらけらと笑っていた。……だったら、ビタもまだどこかにいるはずだ。
 「おぅい。ビタやぁい……」
 寒さとひもじさで、つぶやき声しか出なかったが、男は冷たい風に吹かれて震えながら、ビタを探して町を歩き回った。
 なぜ探そうという気になったのか、男にもよく解らなかった。別に、ビタが心配になった、というわけではない。ただ、祭りの夜、へんてこな力を持った精霊がせっかく自分の前にも現れたのだ。濡れ手に粟とはいかなかったが、福とか富とか、そういうものに縁のない自分に、ひさかたぶりにやってきた、ツキ、のようなもの。もう少し、見ていたかった。野次馬根性に近いものだった。
 そこかしこから、再開された祭りの賑やかな声が聞こえてくる。だが、夜明けがゆるゆると近づいていた。音を吸い込んでいくかのように厳粛に、町並みは、白々と浮かび上がっていった。そんな中で、男が、町の中央を流れる川にかかるアーチ橋にさしかかると、その真ん中に、精霊ビタは、顔を膝にうずめて、うずくまっていた。
 ビタが放つ光は、朝が近くなったせいか、少し弱まっていた。
 「ビタよぉ」
 男が呼びかけると、ビタは顔を上げた。ビタの顔は、虹色の涙に濡れていた。だが、男の姿を見て、笑顔を作り、白く光る東の空を背にして立ち上がった。精霊の輝きは、淡い空に、溶けていきそうだった。
 「なんか、あったのか」
 男の問いかけに、ビタは、うぅん、と首を横に振った。
 何かを答えるかわりに、ビタは、小さな声で、けれどはっきりと、つぶやいた。
 「ここにいて、いいんだよね」
 男は、ビタの頭に、ぽんと手を置いた。ぎゅ、とその小さな頭を握り、ぐるぐるぐる、と、光る髪の毛をかき回した。
 「いてもらわにゃ困る。おめぇは今、俺の全財産なんだからよぅ」
 そして、もう片方の手を、握り拳にして、ビタの前に突き出した。拳を開くと、その手の上には、一枚のビタ銭がのっかっていた。
 「ありがと……」
 ビタは、目を細めて微笑んだ。今度は、こころからにじむ幸せな笑みだった。……同時に、朝日がきらりと東の尾根に顔を出した。
 男の手の下で、強まる旭光に、溶けていくかのように、薄れていく精霊の光。そうして、ビタは、微笑み顔のまま、音も立てずに消え去った。彼女の本来在るべき銭の中へと、戻っていったのである。


 男が長屋に戻るとすぐ、向かいの鍛冶屋のおかみさんが、扉をノックした。おかみさんのいわく、
 「どうせ暇なんだろ、賃金は払うから、掃除を手伝っておくれよ」
 鍛冶屋は、ビタの大群の影響を最もハデに被って、さんざんに散らかってしまったのだ。でもって、飲みつぶれた男衆は、ビタを追い回した疲れも込みで、高いびきで寝るばかり。女衆だけでは手が足りないのよ、と、男がビタを呼び込んだとはつゆも知らぬおかみさんは、かこち顔で言った。
 ビタのおかげで、男はひとつ仕事を手にしたことになったわけだが、「ビタのおかげ」は、結局それだけだった。当然のことながら、あの金貸しが没落したとか、借用証を散逸したとかいう話も聞かない。ただ、とてつもなく巨大で頑丈な金庫を新しくしつらえたので、貯めた金は少しばかり減ってしまったらしい。精霊とは、そんなものなのだ。
 日がな掃除をして、鍛冶屋のおかみさんから日銭をありがたく受け取った後、男はパン屋に向かった。ふつうなら祭りの翌日は誰も店を開けないところだが、そのパン屋だけは、昼過ぎには毎年開店するからだ。
 あちこちでつけを返しつつ、パン屋にたどり着き、ようよう空腹を満たすべく、残った銭でパンと牛乳を買おうとしたら、銭一枚分足りなかった。
 男が困って、ポケットを探ると、昨夜ビタが現れた、あの磨いたビタ銭が出てきた。
 「ま、えっか」
 値切るのも面倒だった男は、ためらいもなくその銭をパン屋に渡した。
 金は天下の回りもの。遣ってこそのものだ。運がよければ、めぐりめぐってまた来年会えるだろう。
 それより、今夜は、ビタ銭一枚すらない。世を嘆きながら、明日の仕事の算段を、毛布にくるまりながら思い巡らせるしかない。まったく、魔法学者がどう頭をぶっつけあっていようと、男にはどうでもいいことだったのである。



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