アウシュビッツという事実

2000.10.14〜22

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移動と観光の記録
初日(成田→プラハ)
成田11:55発、コペンハーゲン経由プラハ行(SAS)でプラハに向かう。スカンジナビア航空は ちょっと小さめだが機内食も美味しくサービスもよい。隣りに座った女性が旅好き(というかか なり凄い人)で楽しく話ができた。今回は乗り継ぎも1時間弱とスムーズで、18:45プラハ空港に 到着。チェドックで宿を紹介してもらったら、一泊6000円のプライベートルーム。ちと高いなあ と思って行ったら、繁華街の近くで2部屋バストイレ付き、家具は新品というえらくいい部屋だっ た。移動で疲れたのですぐ寝た。

2日目(プラハ観光)
8時過ぎに宿を出て、Mustek駅近くのマックで朝食。次の日のクラクフ行きの列車のチケット を買うためにプラハ本駅まで歩き、鉄道インフォで調べてもらうと、予定外にもクラクフ行きは 1日3本もあるらしい。夜行のみだと思っていたのでちょっと悩んだ。とりあえず出発はプラハ・ホレ ショヴィツェ駅らしいのでメトロでホレショヴィツェへ。結局朝7:50発16:10クラクフ着の列車を 予約した。

その後市内観光へ向かう。まずはカレル橋を目指して歩く。橋では日曜日ということもあり観光客 でいっぱい。日本人も結構いた(わりと高年齢層だったが)。天気がとてもよく、はっきりいって 思っていたよりかなり暖かい。Tシャツでも大丈夫なくらいだ。途中おじいさんバンドの演奏を聴き ながら休憩しつつ、プラハ城まで到着。ここもすごい観光客の数だった。棒を掲げたお上りさんチー ムが各国入り乱れ、修学旅行や遠足の学生も含めて相当な人の数。城内の黄金小路はさながら夏休 みの原宿竹下通り状態だった。ちょっとうんざりしつつも正午の衛兵の交代式を見る。出窓の音楽 隊が鳴らすファンファーレがなかなか軽快で楽しかった。

2時頃城を出て次にどこに行こうか検討するも、以外と面白そうなところがないのに気づく。 とりあえずトラムでマラー・ストラナ地区へ向かい、登山電車で頂上へ。ちょっとのんびりして 今度は国立博物館へ。とにかく展示物の数が多い博物館だった。鉱物(鉱石)、剥製、化石、 etc。最後にビールを飲むためにビアホール"U Medvidku"へ。2種類ジョッキで飲んで夕食も済まし てプラハは終了。
どうも最近ヨーロッパの雰囲気に慣れてきてしまい、新鮮さがなくなってきたのか一人旅で満喫 しきれないのかも、と思ってしまった。

3日目(プラハ→クラクフ) >
早朝起床し、ホレショヴィツェ駅へ。しかしどうみても7:50発の列車がなさそうなので窓口 で聞いてみると、「Main Station.」と言われる。メインステーション?なにー!本駅の方なのか! 昨日駅で切符を買ったときはおっちゃんに「ここ発だよ」って確認されたのに、、、。慌ててメト ロで本駅に向かい、なんとか間にあった。しかしもう使わないチェココルナを再両替する時間がな く、1200コルナほど余ったまま。とりあえず急行でPrerovまで行きECに乗り換え。この駅で時間が あったので再両替を試みるも、英語が全く通じず5$手に入れるのがやっとだった。。
クラクフ行きのECでは、コンバートメントの同室におじいさん一人おばあさん二人でなんかちょっ と安心。道中ドイツ語及びポーランド語で何度か話しかけられるものの、目的地がクラクフだとか 日本人だとか、ありがとうをポーランド語で言ってみるとかしかできなかった。でも楽しかった。
16:30クラクフに到着するなり、ホームでおばちゃんから英語で話しかけられる。いわゆるプライ ベートルームの勧誘でよくあることだが、一泊20$に惹かれて決めてしまった。部屋はあまりキレ イでもないがまあそこそこな感じだった。ホントはホテルに泊まりたかったんだけれど。とりあえ ずもう暗くなってきていたし、まだ街の様子をつかんでいないので、中心地まで歩いて両替をしま たマックで軽く夕食を済ませて戻った。明日はのんびり散歩の予定。

4日目(アウシュビッツ)
早朝起床し洗濯。実はまだ微妙に時差に対応しきれておらず、朝4時頃目が覚めたりする。 しかし水道の閉まりの悪いこと悪いこと。一度お湯を出すと相当力一杯蛇口を閉めないと水が ポタポタ落ちている。う〜ん。シャワーも立つと頭まで蛇口が届かなかったりと、最初は気が 付かないことが、、、。やっぱりホテルにすればよかったかな、とちょっと後悔。
で早起きしたので予定を変えてアウシュビッツに行くことにした。9時のバスに乗りオシフィエンチム (ポーランド語でアウシュビッツの地名)に向かう。到着し日本人っぽい人に話しかけたら香港人 だった・・・。とりあえず英語のガイドツアーを申し込み、まずは記録フィルムを見る。これだ けでへこんだ・・・。何でこんな映像を残しているのだろう(>ナチスドイツ)。彼らのしたこ とは到底人間のすることではない。信じられない程に残酷な仕打ち、それを記録する映像。どう しても正気の沙汰とは思えなかった。

終了後英語のガイドさんについてアウシュビッツ見学。入口ゲートに始まり夥しい数のスーツ ケースの山、女性の髪の毛の山とそれで作った敷物、子供達の衣服、囚人と呼ばれた人たちの 顔写真・・・。どれも目頭を熱くさせるものばかりで圧倒された。地下の独房、ガス毒殺部屋等、 人間の犯した数々の過ちが証拠として残されていた。第二次大戦中、このナチスドイツと同盟を 組んでいたというだけでも、それだけで日本人として恥ずかしくも思えた。

アウシュビッツ博物館を一通り見た後、さらに広大な収容所ビルケナウに向かう。プライバシー のかけらもないトイレ、狭くて暗い寝床、そして線路の最終駅にあるガス毒殺炉の跡。全て痛々 しく考えさせられるものだった。

今回の旅の目的であるアウシュビッツを終え、精神的にも肉体的にもずしんと疲れてクラクフ に戻る。日本までのエアメール用の切手とテレカを買い、やっとなおちゃんへ電話した。中央 広場でケバブを買って夕食代わり、これが結構ボリュームたっぷりなのだ。最後に部屋の近くの 小さな商店でウォッカとチーズとオレンジジュースを買って宿に戻る。しかし適当に買ったウォッカ はいまいちだった、、、。割るために買ったオレンジジュースとチーズを夜食にした。

5日目(クラクフ観光)

前日買ったチーズの残りとヨーグルトを食べトラムで中央広場の方へ。そこから歩いてヴァヴェル城 へ向かう。朝早いのにもかかわらず、ツアーの日本人や外国人の集団、子供達の集団がいくつもいた。 というかクラクフは街中に遠足やら修学旅行といった子供達や学生が溢れていた。ヨーロッパではや はりアウシュビッツ見学も兼ねてクラクフに行くことが多いのだろうか?とにかくヴァヴェル城を午 前中に見学し、龍の洞窟を抜けて川の側まで出る。そこには火を吐く近代的な龍の像があった。。。

その後街の中心まで歩いて戻り昼食。広場の中央にある織物会館内でしばしおみやげを物色するも、 いまいちピンとくるものがない。ポーランド(グダンスク)は琥珀が有名らしく、たくさんおみや げもあったのだがなかなか程良いものが見つからないんだなあ。この日あたりからちょっと寒く なってきたのだが、やはりヨーロッパではというイメージ先行からオープンテラスでビールを飲み ながら絵ハガキを書いた。街中にポストを見かけなかったので郵便局までいってハガキを投函し、 また広場に戻る。
さてやることがなくなったなあとボーっと座っていると、隣りに座った若者に時間を聞かれたの で時計を見せた。その後「どこから来たの?」と聞いてきたので「日本だ。」と答えると、どうも 父親が仕事で何度か日本へ行き来しているらしく興味を持ってきた。語彙数はさほどではないにし ろ、かなり流暢な発音で日本語を使えるのに驚き、いろいろ話した。彼はパトリックといい、22歳 の学生。おいしいウォッカを教えてくれといったら、今から飲みに行こう!ということになり、 4時前から近くのBARに入る。ポーランドでの正しいウォッカの飲み方、ショットグラスいっぱい のウォッカを一気に飲み干し、チェイサーのジュースを軽く補充、という流れで飲みまくる。なん だか話は妙に盛り上がり、都合7、8杯〜10杯、よく覚えていないほど飲んだ。。。さらに明日ヴィ エリチカに行くつもりなんだと話していたら、車で送ってくれるとまで言う。いい奴だなと思い 住所と電話番号をもらって店を出た。二人ともべろんべろんで公園で少し休憩しつつ19時過ぎに 部屋に戻る。しかしよく一人で部屋に戻れたものだ、というくらい酔っていた・・・。どのあたり でトラムに乗ったのかあまりよく覚えていない・・・。目が覚めたら朝2時だった。特に何かとら れたりしたわけではなく、彼は本当にいい人だったみたいだ。でもまだ頭が痛い、、、。

6日目(クラクフ⇔ヴィエリチカ)
サイアクだった・・・。今回の旅で一番寒い日だったのに、朝シャワーを浴びていたらボイラー の調子が悪くお湯がちゃんと出ない。。。我慢して頭を洗い出発するも本当に寒い日だ。4枚も着込 んでいるのにまだ寒いと思うくらい。前日のウォッカのせいか頭もちょっと痛い。食欲もイマイチ。 それでもだらだらと午前中を過ごしてパトリックと約束した12時に駅の前へ。立って待っているだけ で相当寒かった彼を待つこと約50分。結局現れなかった・・・。彼もかなり酔っていたので忘れたの か、最初から来る気がなかったのか、待ち合わせの場所でうまく会えなかっただけなのか、どうなの かはわからないのだがなんだかとても残念でブルーになった。昨日は本当に楽しかったし、何かとら れたりしたわけでもなく騙されたわけでもないけれど、ちょっと人間不信になった。
仕方なく駅前から出ているミニバスでヴィエリチカへ向かう。でも連れていってもらうつもりだった のであまりよく調べておらず、しかも体調不良。バスの到着した場所もどうも地球の歩き方に書いて あるのと違い、迷う。はっきり言ってそんなに大きな街じゃないのに迷う。あるはずの列車の駅は見 つからず、採掘場に行く気もおきず、結局ぐるぐる回っただけで何度か道を尋ねてクラクフに戻るバ スに乗る。う〜ん、何しにいったんだろう。
クラクフに戻ってもまだ胃の調子が悪く、ケバブも半分しか食べれず、カフェで頼んだパンケーキ も甘くて全部食べられずに残してしまった。温かい紅茶だけがホッとさせてくれた。なかなか体調 が回復しないので明日のワルシャワ行きの切符を買い宿に戻って風邪薬を飲んで寝た。最後に印象 の悪くなってしまったのが残念だ。パトリック、お前のせいだー。

7日目(クラクフ→ワルシャワ)
朝7:55ワルシャワ行きの列車に乗るために宿を出る。駅でホットドッグを食べながら列車を待つ が時間になっても列車が来ない。アナウンスは何を言っているのかわからないので不安になりつつも 待っていると8分遅れくらいでやっと到着した。
11時頃ワルシャワに到着し目星をつけていた駅近くのホテルを2軒あたるが空いておらず、仕方なく 街の中心部の方まで歩きながら探すことにした。ワルシャワの印象はいわゆる都会。さしずめ 東京・大手町というところか。地下道や駅前には人がいっぱいで、バスやトラム、車も頻繁に走って いた。
インフォメーションを探しながら途中であたったホテル(GROMADA)が一泊約8000円くらいでとれたの でチェックインし、ひとまず休憩。今回の旅行でやっとホテルに泊まった。でとりあえず外に出て 日本大使館を目指すことにした。去年の3月プダペストでお世話になったたけださんを訪れるためだ。 30分くらい歩いてやっと見つけたのだが、もう働いていないようだった。日本に戻ったのかな。 残念。仕方なく今度は旧市街まで歩く。やっと静かなそれらしい街並みに出たが、クラクフなんか に比べるとちょっとさびれている。小さなおみやげ屋やアンティークショップでおみやげを物色し て、旧市街を後にした。中心部に戻りショッピングセンターなど適当にぶらぶらして、ケンタッキー で夕食を買い込んでホテルに戻る。この旅ずっとプライベートルームだったので、キレイなホテル で寛ぐことをしたかったのだ。最後の夜はのんびりした。

最終日(ワルシャワ→成田)
朝8:30頃チェックアウト。晴れているから今日は暖かそうだなあと思って外に出ると甘かった。 凍てつくような寒さとはまさにこのこと、本場の冷たい空気を体感した。。空港まではタクシーも 考えたが、時間も十分あるのでバスで行くことにする。駅近くのバス停から175番のバスで2,30分 で空港に到着。最後のおみやげを空港ないのお店で買って飛行機に乗り込んだ。プラハより近いた めかコペンハーゲンまであっという間の1時間強。トランジットチェックインを済まし最後の成田 行きの飛行機に乗り換える。今回は隣がスペインツアー帰りのおばさん二人組だったが、まあいろ いろお話をして、デジカメの写真を見せてあげたりした。
今回さすがにヨーロッパの同じ様な雰囲気に飽きがきたというのが正直な感想。次回は砂漠か、 アジアか、南半球か、ちょっと違うところに行こうと思う。

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