BMWウイリアムズのできるだけ最新NEWSと
ベルガーの最新のNEWSなど、かなりかたよったNEWSを掲載予定しています。

2001 3月4月 2001OFF
2000 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2000 OFF 
1999 1998,1997

ベルガーはF1に帰ってくるか?
レッドブルレーシング誕生。

2004/12/5
ジャガーレーシングを買収したオーストリアのスポーツ飲料メーカー、レッドブルが来期の参戦に向けてニュースサイトは毎日賑わっている。

レッドブルレーシング誕生に伴いレッドブルとの関係が強いゲルハルトベルガーの去就も注目されている。

F1ドライバーを休止後はBMWのスポーティングディレクターに就任しベルガーのコネクションで成功を納めた実績も高く評価されており、レッドブルのオーナー、ディートリッヒ・マテシッツ氏とも交友が深く、F1ドライバー休止直後でBMWとの契約がない頃には98年始めのザウバーのラウンチにも出席し当時はレッドブルと関係の強いザウバーに加入するのではないか?との噂も出た。
来期スポンサーでなくチームとしてF1参戦するレッドブルとしてはベルガーのような人物は最も必要とされており、マテシッシ氏も熱いラブコールをベルガーに送っている。

しかしゲルハルトベルガーはBMWのスポーティングディレクターを退任後、「旅ばかりの仕事は疲れる、子供の成長を見て行きたい。」と家族を優先し、そして家業の運送業ベルガーロジスティックを再建にかかっているがその運送業も上向きになって来たところで、そろろF1の世界で活躍するベルガーが見てみたいものである。

またベルガーはFIAの役員にも迎え入れられるのではないか?との噂もあり、以前は若い女性に人気のベルガーも今はF1界のおじさまたちに人気が集まってきている。

スポンサーがF1チームを立ち上げるというのは、トールマンをスポンサードしていたベネトンが86年にチームごと買収し参戦し大成功を納めるという話があるのですが、もちろんそのときのドライバーは我らがゲルハルトベルガーである、ちなみにベルガーはこのベネトンでは初優勝と最後の優勝を飾ったりしています。

セナとラッツエンバーガーの事故から10年
ベルガー追悼のデモ走行

2004/4/23
1994年4月30日のサンマリノGP予選走行中オーストリアドライバーのローランド・ラッツエンバーガー(シムテック)がコンクリートブロックにぶつかり亡くなり、翌5月1日の決勝でアイルトン・セナ(ウイリアムズ)もミハエル・シューマッハ(ベネトン)、ベルガー(フェラーリ)の前を走るトップ走行中7周目にタンブレロのコンクリートウォールに300km/hから激突し帰らぬ人となった、あの悪夢の週末から10年経過した。

同郷のローランドの先輩であり、親友のアイルトンがいきなりいなくなってしまった週末、ベルガーは引退の2文字を考えたが、二人の為、自分の為と再びステアリングを握る決意を翌GPのモナコで発表した。

あれから10年、2004年4月25日今週末のサンマリノGPでベルガーがセナに敬意を表しセナが乗ったロータス98T(1986)を操り1周だけのデモ走行を決勝前に行うことが決まった、天国のセナやローランドも喜んでくれることだろう。

ルガー早くも復活か?
2003/10/18
ドイツ雑誌『Auto Motor und Sport オート・モーターアンドスポーツ』のインタビューでゲルハルド・ベルガーが想像していたよりも速くビジネスに復帰するかもしれない、と明らかにした。

ベルガーは長く過ごしたF1界を退いた後、モナコにある自宅でリラックスした生活を楽しんでいる。しかし、ベルガーをよく知る人たちの話によると、そんなに長く刺激のない休暇に彼が耐えられるとは思えない、ということなのだ。ベルガーの才能、力量はまだまだ評価されており、それを使わない手はない。また彼自身もその才能を持て余すだろうと容易に想像されている。 インタビューの中でベルガーは、 「この秋の間に、まだ契約として少しだけ残されている仕事を終える必要がある。しかし、その後に待っている休暇を楽しみにしているよ。携帯電話も持たずにスキーを楽しむチャンスがある、というのはたまらないね。」 と復帰については多くを語らなかったベルガーだが、多くの仕事から充実感を得るタイプの人間である彼は、来年も多くの時間をデスクで過ごすのではないだろうか? 「休暇はあまり長くないんだ」 と認めるベルガー。 「それにそんなに長く居られるとも思わない。本音を言うと、ぶらつくことが好きなタイプの人間ではないんだ。それでも重要なのは、休暇を取りたいと決断した時にそれを出来たかどうか、ということだったんだ。」 ゲルハルド・ベルガーはプライベート・タイムと言うことについて、個人的見解をさらに言及している。 「恐らく1年は休むと思う。」 とベルガー。 「レーシング・ドライバーだったころ、私は挑戦することを楽しみとしてきたし、これからもそうなると思う。しかし、他のビジネスに興味がある訳でもないし、ゴールはやはりモーター・レーシングに戻ってくることになるだろう。」
BMWとの契約が終了の為
イタリアGPでベルガー最後のレース
日本のファンはあなたを待っています
2003/9/15

今月のにはBMWとの契約が切れるゲルハルトベルガーは、今シーズンの最初にも契約を延長する意志はないと報じていたが、その意志は堅かったようで、ベルガーは「とても難しい判断だった」「BMWとの仕事は最高だった、このレース界に25年も身を置いてこう思ったんだ"少し息抜きをしたいってね..”」

9/12より開催されるイタリアGPを最後にBMWモータースポーツディレクターの職を降り、25年間のモータースポーツとの終止符を打ったベルガーはこう語る。

「とても難しい決断だった、BMWとの仕事はとても素晴らしかったよ、でも25年もこの世界にいると思ったんだ、そろそろ一息いれようってね」

1997年を最後に14年210戦を経て一時ドライバーとしての活動を休止、ベルガーが休止後、とあるF1記者は「最後のグランプリドライバーがいなくなった時」と語った。

翌年BMWのモータースポーツディレクターに就任、マリオタイセン博士と二人三脚で歩み始める、翌99年にはセブリング12時間、ルマン24時間レースに挑戦見事BMW V12 LMを優勝に導く。

翌2000年BMWがF1に復帰、開幕戦にラルフシューマッハがいきなり3位表彰台を獲得、F3からの飛び級、期待の新人ジェンソンバトンも各レースで好成績を上げた。

2001年コロンビアの怪物ファンパブロモントーヤが加入、この年のサンマリノGPでラルフが優勝しBMWとしては86年のメキシコGPのベルガー以来の15年ぶりの優勝だった、ラルフ3勝モントーヤも1勝

2002年にはコンストラクターズランキング2位、そして2003年はドライバータイトル、コンストラクターズタイトルもチャンピオンを争う所までやってきた、数多くの素晴らしい成績と成功をベルガーはこう語る、

「これまで出してきた結果は、BMWが最強のチームを目指してたゆまぬ努力をし、コミットメントを果たしてきたことに裏打ちされている。私は2003年以降も引き続き、BMWブランドとBMWの全モータースポーツ・チームに敬意を払っていくつもりだよ。」

お別れのレースイタリアGPの金曜日夜、ベルガーの関係者、友人が集まり盛大なパーティが行われた。

そしてまもなく日本GPF1最終戦、ベルガーの最後の集大成はここにあると言っても過言ではないでしょう、BMWの両チャンピオン獲得、しかしそれを目にせず、F1から去って行くのはさみしすぎる、ベルガーには思い出の多い鈴鹿、日本のファンは待っています、あなたにお疲れ様とみんな言いたいのですから。

ベルガー44回目のバースデイ
まもなくBMWとの契約が切れますが...
2003/8/27

8月27日はゲルハルトベルガーの44回目のバースデイです、なんかもうお誕生日!という歳じゃなくなりましたが、ともかくおめでとう!


しかし9月末日をもってBMWとの契約が切れるベルガーですが、ここ最近色々な噂が上がりました、不調のホンダへ..なんてのもあったり、フォルクスワーゲンのF1参戦の手伝い云々など色々ありましたが、本人は「いやー次から次へいろんな話が上がるね、新聞雑誌をみて大笑いしているよ、よくもまぁこれだけデマがでるもんだ。」と一笑、このままF1界から去ってしまうのか?

 
現在BMWウイリアムズはコンストラクターズランキングトップ、モントーヤはドライバーズタイトル首位シューマッハに1ポイント差という今期はいままでにない好成績を残しつつあり、最終戦鈴鹿で決着は間違いないという状況、果たしてベルガーはBMWの契約が切れても鈴鹿にやってくるか、そして私的には是非とも鈴鹿だけでなく青山1丁目にも行ってもらいたい!


みなさんもうこりゃ願うしかないです!
ベルガー9月末にてBMWを離れることを発表
”家族と自分自身のためにゆっくりすごしていきたい”

2003/3/6
BMWモータースポーツディレクターのゲルハルトベルガーは開幕戦のオーストラリアメルボルンにて今年の9月30日でBMWとの契約が終了し現在のポストから離れると今日発表した。

97年に一時F1ドライバーを休止してから翌年の10月からBMWモータースポーツディレクターとして活動していたが非常に多忙な毎日を過ごしていた。

「この決定は私にとって簡単ではなかったよ、BMWモータースポーツディレクターとしての仕事は私にとってとても重要だったし、私との長く特別な関係もあったBMWは私をレシーングドライバーと同時に事業家として私を信頼してくれて、この機会を与えてくれたのだと思っている」

「BMWと私の関係はとても優れていて、僕と共に働いていたマリオタイセンとのコンビはよく機能しただけでなく、非常に成功したと思っている、僕たちの目標は強力なチームを構築することと、それをなんとか成し遂げてきた、しかしそのために時間と過酷な仕事をこなしてきた、1979年から今までモータースポーツに関わってきてそれは続いているよ、これからは家族とそして自分自身の為にゆっくりと過ごしてきたいね。」

「BMWからは僕のポストに替わりの人物はいないと言われました、10月からはマリオタイセンがBMWのモータースポーツディレクターとして活躍します。」

”ゲルハルトベルガーの経験と豊富なつながりは、そのポストを満たす理想の人物でした”
とBMW評議会メンバーのBurkhard Goeschelは語りました
”しかし彼はプライベートな時間を望んでいます、我々はその要望を受け入れるしかないでしょう、このポストはゲルハルトベルガー以外にはいないでしょう、BMWはモータースポーツにおける継続的な成功を楽しみました、ウイリアムズと共に耐え、そして再びF1にカンバックできました。」

ベルガーは付け加え
「僕は2003年以降はBMWブランド、そしてそのすべてのモータースポーツチームと今後とも関わりを持っていく。」
ベルガーin鈴鹿
2002/10/12

10/12PM9:00追記&現地より入電
大変申し訳ありません、今日のトークショーは間違いだったそーです今日はラルフのトークショーでした、でもちゃんと係の人に聞いたそうなですが、係りの人ラルフとベルガーの区別がつかないんでしょか(w、ちなみに今日のベルガーは絆創膏を額に"縦"に貼っていたそうです、何故に縦..

明日も確認でき次第ここに記載&掲示板に書き込みます。
ベルガー43回目のバースデイ
2002/8/27
本日8月27日はベルガーの43回目の誕生日です、30代ののんきなおっさんと思っておりましたが、いやはやもう43です、ちなみに80年代後半から90年前半の名ドライバーというとNマンセル1953年8月8日生まれの今年で49才!Nピケが1952年8月17日でなんと今年で50才!!です、そう考えるとまだ若いですはい。

ちなみに今日バースデイのF1ドライバーというと有名なとこでディレックワーイック('54イギリス)、70年代にアイソというコンストラクターで走っていたトムベルソ('42デンマーク)さらにさかのぼって50年代にタルボに1戦だけ乗っていたシャルルポジー(1909フランス)、そしてなんと現役ドライバーでベルガーと同じバースデイのドライバーが!!ミナルディで大活躍中のマークウエーバー('76オーストラリア)ちょっと彼応援したくなりました。
ベルガーの今後の就職先は...
2002/7/30
BMWのスポーティングディレクターをししているゲルハルトベルガーが、まもなくミュンヘンの巨人BMWとの契約更新が今期終了後にやってくる、自身の未来に対して熟考しているようだ。

現役時代に10勝をあげ、99年からBMW復活の任務を受けて、ルマンでBMWチームを優勝に導き、200年より参戦、スポーティングディレクターだけでなく、BMWとウイリアムズの橋渡し的存在、そして若いドライバーが多いウイリアムズチームの良き兄貴分であった、

ベルガーの仕事はF1カレンダーと同じように毎戦各地を回り、タブロイド誌のインタビューにこう答えている、。

「モータースポーツディレクターが私の残りの人生の仕事だとは思わない、もしBMWが契約を延長を提示してくることがあり承諾するかも知れないし、また断るかもしれない、冬には答えを出せるだろう、ただ他のチームで仕事をするということは、はっきりと想像はできないね。」
ベルガー日本GPでトークショー
2001/10/21
2001年日本GPが行われた鈴鹿サーキットで決勝日の10月14日の正午に鈴鹿サーキットBMW特設ブースにて我らがゲルハルトベルガーのトークショーが行われました。

正午スタートの予定から10分ほど遅れたベルガーが登場、会場も多いに盛り上がり日本でのベルガーの人気はまだまだ健在です。
トークショーの最中はどうもブース前にある遊園地の乗り物に興味があるようで、ずーっと気にしていたそうです、これは前日にラルフシューマッハートークショーも開催されたのですがやはり前の乗り物が気になってしょうがない様子だったそうです。
何件か質問が行われたが今回の情報提供者のTINK☆28さんとまるこさんが覚えていたインタビュー内容は下記の通り

Q:モントーヤー、ラルフと、性格やドライヴィングのちがう二人をどのように、采配していますか?
Berger::違うタイプの2人のよいところを引き出せることが、よりよい結果に結びついている。

Q:コンストラクターズ2位争いにまでこれたのは?
Berger:皆の努力で、チーム全体がまとまって、結果想像以上の成績を挙げる事が出来た。

そして重大発言、今回は忘れてきたしまったようだが..
Berger:来年も、ここに集まってくれた方には、ウイリアムズのキャップをプレゼント?!
よっ本当に太っ腹!(失礼)来年は是非BMWブースでベルガーにおねだりしましょう。




TINK☆28さん、まるこさんご提供
各サムネイルをクリックすると大きな写真が見れます
ちょっと重いかもしれません(1024x768)

こんなベルガーを今回の鈴鹿で見たよ!と言う方はBBSまたは管理人までどうぞ。
情報お待ちしています。

ベルガーの記録は破られてしまうのか?
2001/10/5

まもなく開催されるF1日本グランプリ、10年もの長きに渡り(現在開催され続けているサーキットでは最古?)、予選レコードラップが更新されていないコースでもあるが、現在のコースレコードはもちろん我らがベルガーの1分34秒700(91年マクラーレンホンダ)が長き間君臨してきたが、今年に入って一部ハイテクデバイスの解禁、そして鈴鹿サーキットS字コーナーの改修により一段と更新に期待がかかる、フォーミュラーニッポンでもS字コーナー改修だけで2秒ほどラップタイムがダウンした、ましてや昨年の予選ポールタイムがフェラーリのミハエルシューマッハは1分35秒825とぐんぐんと近づいてきている、はたして私たちベルガーファンの自慢の種、鈴鹿コースレコードは破られてしまうのか、今年ほど予選時に雨が降ってくれればと思うのはわたくし管理人だけでしょうか?!

今年の鈴鹿へ行かれるベルガーファンはコースレコード保守のために、是非雨具を持って祈願を!そして雨男は鈴鹿へGo!(すいません肝心なとこで私いけません)

ベルギーGPに向けてのコメント
2001/8/29

現在コンストラクターズポイント59ポイント3位と2位マクラーレンに12ポイント差に詰め寄り、ドライバーズもラルフシューマッハ44ポイントがで4位と今期3勝し躍進を続けるBMWウイリアムズ、ハンガロリンクでは精彩を欠いたBMWウイリアムズだが、高速スパフランコルシャンは得意なコース、そこでベルガーがこうコメント。
「スパフランコルシャンは最後のナチュラルなサーキットで走ることはすばらしい挑戦である、私たちはスパフランコルシャンでのレースをとても期待している、ハンガロリンクよりも私たちのパッケージに適するはずで、特にオールージュの長い登り坂ではBMWエンジンのパワーはきっと成功するだろう。」
久々更新!Happy Birthday Berger!
スパに向けてのコメント

2001/8/29

8月27日に42歳の誕生日を迎えたベルガー、当HP管理人はこの一大イベントをすっかり忘れており大変反省しております、申し訳ありません、なんにせよおめでとうベルガー、あなたの活躍を願うファンはまだ日本にもたくさんいますよ。
アレジの噂にベルガーも
カナダGPにて
 2001/6/8
モナコから好調の続くアレジがBMWウイリアムズのパドックでベルガーと密談が行われていた、アレジが引退も近い所から最後のシーズンはウイリアムズで?!と噂があがったが、ベルガーはこの噂を否定しこう一言

「アレジの移籍の可能性よりもオレが復帰するほうが可能性が高いよ」
サンマリノGP 決勝後コメント
2001/4/15
予選3位のラルフシューマッハが好スタートを切り1コーナーを2台のマクラーレンを抑えて首位に立つ、モントーヤは中盤クラッチトラブルでリタイア、その後ラルフは2位クルサードに徐々に差を開けながら危なげなくそのままトップを守りゴール、ラルフシューマッハは70戦目での初優勝、そしてウイリアムズは97年の9月以来の優勝、ミシュランは復帰4戦目と84年以来の優勝、BMWエンジンは86年のメキシコでのゲルハルトベルガー以来の優勝となった、歓喜のグランプリにベルガーがこうコメントした。
「ラルフは最初から最後まですばらしいレースをした、そしてチームが認めていた彼の実力を証明できた、今日は夢のような1日だよ、すべては計画通りだった、今の私にはチーム全体を祝うだけだよ、BMWエンジンは復帰21戦目で勝利エンジンとなって、ミシュランの勝利は私はこんなにもい早いものだとは思わなかったよ、フランクとパトリックのチームは今までもそしてこれからも常に勝利チームなんだ。」
マレーシアGP 決勝後インタビュー
2001/3/18
ラルフが予選3位モントーヤが6位と好順位からの決勝スタートだったが2回のスタート順延でスタート前にモントーヤのエンジンも止まってしまうハプニングが起きてしまった、そしてスタート直後の1コーナーで2位につけたラルフがバリチェロと絡んでコースアウト最下位まで順位を落としてしまう、しかし恵みの雨か9周目付近でスコールがあり、コース上は大混乱、そんな天候の中でラルフはTOPより2秒以上速いペースの鬼神もような追い上げで3位のクルサードまでもう少しというところで3回目のタイヤ交換をしいられ、タイヤ交換後にアンダーに苦しみながらもハッキネンとの接近戦にも耐え5位フィニッシュ、ようやくBMWウイリアムズが今期初完走&2ポイントGETできた、ベルガーはこうインタビューに答えた。

「今日のレースで私たちのエンジンがレースディスタンスを走りきれると証明された、可能性は持っていたが先のメルボルンでは信頼性を示すことができなかったからね。レースは幸運以外をのぞいて完璧だった、最初のコーナーでラルフがスピンしてしまい、メルボルンでもそうだったが2番手という順位も失ってしまったし長いピットストップもしてしまった、レースの後半のマクラーレンのハッキネンとのバトルは心底楽しかったよ、マクラーレンと接近して戦えるなんてね、でもまだやるべき仕事はたくさんある、スタート前のファンパブロのエンジンストップも理由がまだ解らないからね。」
マレーシアGP予選後インタビュー
2001/3/17
マレーシアGP予選にてポールをシューマッハ兄弟が争う形となり、ベルガーも現役時代を思い出すかのようにタイミングモニターを見つめラルフとBMWウイリアムズの走りを熱く見守った、惜しくも予選結果は3位になってしまったが、ベルガーは激しい予選争いにベルガーがこう語った。

「ポール争いでシューマッハ兄弟が争うというのはおもしろかったね、これはチーム全体の完璧なパフォーマンスだった、この結果はすべてのファクターがよくいい仕事をした結果だね、メルボルンとここで私たちはトップスピードを達成した、しかしいくつかの問題と戦う必要があるが、開幕前の目標はほぼ達成することができた、今期は予選一列目に僕らがいることも可能だろうね。」