エスコフィエ
Auguste Escoffier

現代フランス料理の祖オーギュスト・エスコフィエ(1846〜1935)。ニース近郊ヴィルヌーヴ・ルーベで生まれ、叔父の経営するニースのレストランで修行の後、パリの「プティ・ムーラン・ルージュ Petit Moulin Rouge」で料理人としてのスタートを切った。高級食品店シュヴェなどで働いた後、モンテカルロのグラントテル le Grand Hotel で 料理長となりリッツと会う。総支配人リッツ、料理長エスコフィエのコンビは1890年にロンドンでサヴォイ、 1899年にカールトン、パリでは1898年ヴァンドーム広場のオテル・リッツと次々に成功する。料理の簡素化と合理化を行い、価格設定のあるコース料理を導入した。また料理人の質及び社会的立場の向上を目指して数々の改革も行なった。
ピーチ・メルバや妖精オロール風など多くの創作料理もあるが、ジルベール、エミール・フェテュ Emile Fetu との共著1903年刊「ル・ギード・キュリネール le Guide culinaire(=料理の手引き)」において5000種以上のルセットと基本技術をまとめ古典料理、地方料理の集大成を行った。ちなみに同書はユルバン・デュボワとエミール・ベルナールの意見も大いに採用している。この本は今でも「フランス料理のバイブル」と言われているが、時代による変化で料理は変わってゆくものとしてとらえ、あくまでもこの時代の参考書であると本人も述べている。他にも1912年「メニューの本 le Livre des menus」、1934年「私の料理 Ma cuisine」など著作は数多い。
⇒いちじくRいちじく、カールトン風、ウェリントン風、オーロラ風、かえる、ジャネット風、シュゼット、ジルベール、ゾラ、ドディーヌ、バヴァロワ、マントン風、メルバ風、リッツ。

▼ エスコフィエ協会 Association des Disciples et de Amis d'Auguste Escoffier
フランスをはじめ日本、スイス、イギリス、アメリカ、香港、シンガポールなど世界各国にある料理人やフランス料理愛好家の会。「オーギュスト・エスコフィエの弟子と友の協会」の意味。エスコフィエの料理哲学と基本技術を尊重し、現代におけるフランス料理の振興を目的とする。
(日本エスコフィエ協会)

▼ エスコフィエ財団 Fondation Auguste Escoffier
数多いエスコフィエの弟子の1人ジョゼフ・ドノン Joseph Donnon がアメリカで成功し蓄えた富をもとにヴィルヌーヴ・ルーベにあるエスコフィエの生家を買い取り、19世紀のプロヴァンス地方の厨房を再現したり料理機材や資料を陳列している博物館を運営する財団を創立した。財団はエスコフィエ料理を基礎とする現代フランス料理の普及にも尽力している。


※事典の記述とは多少異なります。








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