アントルメ
entremets[アントルメ]

(英) entremets (伊) piattodi mezzo, entremet


「料理 mets の間 entre」 の意味を表すこの語は、中世では料理と料理の間の余興を意味する。しかし現代では甘味デザートを示す。
古代ローマでは長く続く宴の間に各種の芸や音楽を楽しんだが、これをまねて中世のフランスでも、各食事サーヴィスの間に音楽、軽業、踊りなどを見せ、次の料理を待つ退屈さを紛らわせた。大掛かりなアントルメとして1448年シャルル7世の娘とボヘミヤ・ハンガリー王ラディスラス6世の婚礼披露宴を催したガストン伯爵の例が挙げられる。彼は、第3アントルメとして大きな山を会場に運び入れた。山からはバラとじゃ香の香りのする噴水が2本吹き出し、生きたうさぎ2匹と多くの山鳥が飛び出した。その後ムーア人の踊りを踊りながら子供が4人出てきた。ちなみにこのような大掛かりな仕掛けや劇が多くなり、次第に劇がアントルメから独立し、ついにはモリエールを代表とする劇作家の作品が劇場で演じられるようになったのである。これらの演じ物と同時に、中は調理はしてあるが上手にむいた羽根付きの皮をかぶせ生きているように作った鶴の料理や甘味の物、ゼリー寄せなどを供した。
14世紀にタイユヴァンが用意したアントルメ料理は牡蠣のシヴェ、ライスプディング、魚のゼリー寄せ、肥鶏の詰め物、野菜料理など、色々であった。この甘味、塩味の料理を同時に供する方法は19世紀まで続いた。
19世紀半ばのレストラン、ヴェリのメニューには野菜の温製料理や卵料理、パスタ料理、パイ料理が見出せるし、甘味アントルメとしてフルーツのフリッターやジャムなどを詰めたオムレツなどがある。ただしこれらはロ(ロースト料理)の後で供し、アントルメの後はフルーツをデザートとして用意した。 現代の大レストランの厨房にアントルメティエというポストがあるが、これは19世紀のアントルメの名残りで、温野菜や卵料理を作る係であり、「アントルメ=甘味デザート」という現代の定義とは異なっている。

⇒アントルメティエ、宴会、サーヴィス、第三共和制とベル・エポック、第二帝政、中世、デザート、ラ・ヴァレーヌ、ルイ・フィリップ。

:米、デュシェス。

▼デザートのワゴンサーヴィス [デセール・オ・シャリオ] dessert au chariot
一品または複数の甘味料理を皿に盛って供するデザートに対し、2〜3層のワゴンにケーキ、ムース、フルーツ、アイスクリームやシャーベットをのせて客席へ運び、客が見て選択できる方式。

※事典の記述とは多少異なります。







日仏料理協会レストラン リパイユ