料理
cuisine[キュイジーヌ]

(英)cooking, cuisine (伊)cucina


日本では、もとになるもの「料」の筋道「理」という漢字で表し、うまく食べることができるように材料に手を加えることまたはそうした物のことであるが、フランス語のキュイジーヌ(「準備」から派生した語 appret と言うこともある)は「加熱して口に入るものにする」という意味のフランス語 cuire の名詞であり、英語やイタリア語も語源は同様である。つまり日本では刺し身のように材料を切るだけでも料理であるが、ヨーロッパ語では加熱することが前提となる。従って日本では料理というと包丁技術を思い、ヨーロッパでは「火」のコントロールを想起させる。しかしフランスでは日本のようにステーキやカレーといった具体的な一品に用いることはなく、フランス料理、地方料理、家庭料理、料理上手などのように抽象的な用法に使用する。一品ものについてはフランス語ではプラ plat を用いる。これは「平らな」を意味する plat から転じ、皿を表す語である。例えば「本日のお勧め料理」はプラ・デュ・ジュール plat du jour である。プラと同次元でメ mets という語もある。これは「(卓上に)運ばれた(もの)」の意味でありラテン語 missus が語源である。

▼フランス料理 cuisine française

フランス料理は「堅苦しい」「華やか」と日本人にいろいろイメージを与えている。単なる食べ物だけでなくそれを取り巻く環境、つまり食堂の内装、食事時の服装や仲間、什器備品、サーヴィス、料理の盛り付け、ワインなどの飲み物がフランス料理に概念を与えているが、これには実はキュイジーヌではなくガストロノミという別の語が必要となる。また日本での「フランス料理」は狭義の意味であり、「フランスの料理」ではない。20世紀初頭、キュルノンスキはフランス料理をグランド・キュイジーヌ(=高級料理)、ブルジョワ料理、地方料理、農民料理の4つに大別した。一方日本でのフランス料理に対する一般概念はグランド・キュイジーヌだけを示しているのに対し、イタリア料理と言う時それは地方料理を意味している。イタリアにはローマ帝国以降19世紀後半の国家統一まで、政治的にも文化的にも中央集権の要素がなかったために、フランス的な意味でのシステムとしての宮廷料理は存在しなかったのである。従ってフレンチとイタリアンの対比は次元が異なっており、比較することはできない。(⇒ガストロノミ)

▼フランス料理の分類

−中世の料理 cuisine médiévale:古代ローマ、ケルト、フランク族の料理の影響を強く残し、香草や香辛料を多用した料理。(⇒中世)

−グランド・キュイジーヌ grande cuisine:

@ルネサンス期イタリアの影響と新大陸からの食材によって生まれ、19世紀後半の産業革命と合理化によりほとんど消滅した宮廷料理、古典料理 cuisine classique。食材の価格を気にせずひたすら最高の味と環境で、しかも独自性を追求する。

Aフランス革命以降現代まで続く、プロの料理人が宴会用に作る大ブルジョワ家のハレの料理。専属の料理人がいない限り高級レストランかケータリングでのみ可能である。現代的な意味のグランド・キュイジーヌはこの定義である。

−ブルジョワ料理 cuisine bourgeoise:⇒ブルジョワ

−地方料理 cuisine régionale:一つの地方の食材と伝統的技術を用いて「ハレ」の席に供する料理。家庭で調理に費やす時間が減少するほどこの分野の料理もそれを特徴とするレストランで供することが多くなっている。農家などでの宴会を除くと家で作る機会が少なくなった。

−家庭料理 cuisine familiale:日常的に食べる家庭での料理。家庭はフランス語でファミーユ famille、英語ではファミリ family、イタリア語ではファミリア famiglia であり、語源はすべて「火」を意味するラテン語 focus である。いろりも含め火を囲んで集うグループが家族であり、その火で調理するのが家庭料理だが今日では地方的、階層的独自性が薄れつつあり、皆が同じようなものを食べる傾向にある。購入した食材で作る都市型家庭料理と自ら育てた野菜、卵、肉、獲った魚などを調理する農民(漁民)型家庭料理 cuisine paysanne (des pêcheurs) に細分できる。 調理済食品を食べる場合はもはや料理とは呼ばず単に生命維持のための食事 repas という方がよい。

▼ヌーヴェル・キュイジーヌ nouvelle cuisine

1972年に始まった新しい傾向の料理。「新料理」の意味。19世紀に完成したグランド・キュイジーヌまたはブルジョワ料理がマンネリ化し、料理界の活力が減退した1970年頃、料理批評家アンリ・ゴ Henri Gault とクリスティアン・ミヨ Christian Millau がポール・ボキューズ、ロジェ・ヴェルジェ、トロワグロ兄弟、レモン・テュイリエ、アラン・シャペル、ルイ・ウーティエ等若手料理人と共にそれまでの常識を破って軽い料理を求めた。食材の流通がよくなったため、より新鮮な食材を入手できるようになったことで、素材を活かし、ソースも小麦粉(ルウ)でつながずに仕上げ、一品あたりの量を減じると共に、盛り付けにも工夫を凝らした。熱いものを熱く、冷たいものを冷たく食べることを最優先し、客と厨房をできる限り直線で結ぼうとした。メディア能力の向上とあいまってゴとミヨのガイドブックは大好評となり、ヌーヴェル・キュイジーヌはフランスだけでなく世界に影響するようになった。それまでは付け合わせの野菜も柔らかく煮ることが重要であったが、歯ざわりと色彩を求めて煮る時間も短縮した。この傾向は、労務費を中心とする経費の増大と社会の大衆化に伴う客単価の定価にも対応できたため、20世紀後半にフランス料理の栄光を再び取り戻した。しかし、影響が増大するに連れ基本技術習得ができていない料理人が暴走を始め、グランド・キュイジーヌ界の低迷が始まる。現在ではヌーヴェル・キュイジーヌを発展させるのではなく、基本に戻り別の形態を模索する傾向にある。

▼フランス料理の歴史

火の使用から始まった料理はBC5世紀頃古代ギリシャでの肉のローストとパンの製造で時代を画すことができる。アジア民族などとの接触が増えると材料や技術が広がり、ローマ時代になると今日とさほど変わらないと言えるキッチンが作られるようになる。ローマとケルトの混合から始まったフランス料理はルネサンス期以降常に外国からの食材や技術に熱心であった。現代においてもその傾向は変わらない。中国の「蒸す」技術や日本の立体的な盛り付けと色彩の組み合わせはごく最近フランス料理に導入された。(⇒厨房) 時代別説明は各項目参照:省略

▼フランスの地方料理

リグリア人、ガリア人が住んでいたフランスはローマ支配の後、フランク王国として存在するが、現代に至るまで国境には絶えず変更がある。従ってアルザスやロレーヌの料理はドイツの影響が強く、サヴォワ、ニース、コルシカの料理はイタリア料理に似ている。為政者の命令や教育により比較的統制のきく言語と異なり、料理の独自性と類似性からアプローチすると文化的な境と政治国境の間にはさほどの関係はない。

地方料理の詳細については各項目参照:省略

※事典の記述とは多少異なります。








日仏料理協会レストラン リパイユ