ダリエ歴五一二年 フィムの月 ◆ 追手
穏やかな風が河の流れと同じ方向に吹いていた。船はゆるりと速度を落とし河岸に近づいている。河幅の広い下流のため渡し船の往来は殊に多い。数十人乗れる大きなものから船頭以外には二、三人しか乗れない小型のものまで色々な船がいた。
このオキ河沿いでは港町イガンに着くまででは最後の大きな街だった。河の両岸に街が広がっている。ここを過ぎればイガンまではもうわずか、小さな村がいくつかしかない。
船に揺られる旅は悪くない。それが、何事もなければ。
停泊する船に乗り込んでくる人々をレヴィアは後部甲板から眺めていた。新たな乗客は圧倒的に商人風の人間が多い。商隊を組み馬車で移動する人々とは性格が異なり、多くは単独で背に大きな荷物を担ぎ香辛料や宝石を売買して稼ぐ、より野心的な商人たちだった。
彼等にまぎれて幾人か毛色の違う者たちがこの船に乗り込んできている。レヴィアはそれを注意深く見分けていた。乗客がすべて乗り込み、最後に船員が渡しを船の方に引き込んで陸と繋いでいた綱を外した。出港だ。怪しい人物は三人。彼らは二階甲板にいるレヴィアの存在を気に掛けていた。一見普通の商人を装っているが、互いに離れているにも関わらず目で合図をしている様子も不自然だった。
レヴィアは階段を降り、エッジとダークのいる船の一階外側通路へ行った。二階甲板にいた監視役らしい男の存在は無視した。どうせ向こうもこちらが気づいていることはわかっているだろう。
「どう?」
エッジの隣に立つとレヴィアは声を掛けた。
「今乗ってきたのが三人、一階には一人だな」
「同じ。あと二階には二人」
「全部で六人か」
「あれ、レヴィア。いつの間にいたの?」
エッジの向こう側にいたダークが縁から身を乗り出して無邪気な声をあげた。
「ダーク、次で降りるから」
レヴィアが声を落とすと、ダークも彼なりに何か察したのか神妙な面持ちで言った。
「え、イガンまでいかないの?」
「ちょっとあまり嬉しくない歓迎をされそうなんでね」
「引きつけるか」エッジが言った。
「そうしよう。イガンで騒ぎを大きくしたくはない」
「じゃあ次で降りると船長に行ってくる。乗る人がいなければ泊まらないかもしれない」
「お願い」
エッジが立ち去ると、レヴィアはダークの方に一歩詰めた。通路の前方と後方に一人ずつ、背後の船室に一人、二階甲板に一人。通路の二人も距離があるので唇を読むことはできないだろうが、声が漏れないよう警戒するに越したことはない。レヴィアはダークと肩を寄せるようにすると小声で説明をした。
「こっちを見てるやつらがいる。追手だ。さっきの街で三人増えて今六人いる。イガンにおそらく仲間がいるはずだ。合流されると面倒だから、次で降りれば何人かはこっちについてくると思う。降りたら馬車を借りるから。一騒動あるかもしれないけど、馬車に乗ったら私かエッジがいいと言うまで外に出ないで」
「わ、わかった」
ダークはごくりと喉を鳴らすと、緊張した顔つきで頷いた。
この船の六人はおそらく連絡係だろう。オキ河を下る船に乗ったらイガンから航路で行くしか王都に向かう方法はない。確実に押さえたければイガンの港かダリエ側の到着する港で張ればいい。それを同じ船にこんなにも乗り込んでくるということは、末端の者が欲を出したのかもしれない。ただ王都に連絡をすればよかったものを、自分で捕らえた方が利益が得られると。
「言ってきたぞ。ばっちりあちらさんにも分かるようにな」
エッジが戻ってきた。これで次で降りれば何人かは着いて来ざるを得ないだろう。人の多いイガンに行ってしまえば思ったようには動けない。今のうちに足取りを分かりにくくすればイガンにいる手は分散させられるだろう。
「行こう、そろそろだ」
三人は荷物を持つと出口へと向かった。船は除々に速度を落としきている。船端に立つと少し先の岸辺に簡素な木の桟橋が見えた。降りる人は他にも数人いたが、ここから乗る人はいないようだ。桟橋の横には馬車と馬が繋がれて並んでいる。
船が桟橋に着けると、レヴィアたちは真っ先に船を降りた。馬貸しをしている男は一人だけだった。近寄ってきた男に金を払い、馬車を借りるとすばやく乗り込んだ。後ろで追手達が慌てている。六人中四人が船から降りたようだった。
「行くぞ!」
エッジが馬を走らせ、馬車は森の中へと入って行った。一人ずつ馬に乗ったとすれば向こうの方が早い。四人も降りたということは本気で追いかけてくる気なのだろう。そのうち追いつかれるだろうが、この辺りの集落から引き離すためエッジはできる限り馬を飛ばしていた。
「イガンに着く前に覆被布を着けた方がいいと思うけど、ダークにはどうする?」
レヴィアは前から身を乗り出してエッジに向かって叫んだ。
「ダークも着けておいた方がいいだろう。顔が割れない方が」
エッジは少しだけ振り返ると応えた。
「そうだね。じゃあもう今のうちに着けさせるよ」
「ヴェンナって何?」ダークが尋ねた。
「頭に布を巻くんだ。顔と髪を隠すように。こんな風にね」
レヴィアは荷物の中から覆被布を取り出すとざっと髪をまとめて巻いて見せた。
「ダリエ=レークでは自分の住む町や村から出るときにはこれを巻くんだ。ダークはとりあえず私のを貸しておくから、取らないでね」
「わかった」
揺れる馬車の中、レヴィアはもう一枚覆被布を出すとそれをダークに被せた。自分のは一度外してまた荷物の中にしまった。
「レ、レヴィアはいいの?」
「あとで。今はまだちょっと邪魔だから」
その時だった。馬車の後ろの幌に矢が当たり、幌が大きくこちら側に振れた。
「ほら来た」
「な、何!?」
「敵さんようやくおいでなすったな!」エッジが振りかえって叫んだ。
「エッジ、馬車はこのまま先へ。私が片付ける。少ししたら戻ってきて!」
「おう、気をつけろよ」
「わかってる」
レヴィアは剣を取り、鞘は馬車の中に置いて、幌のついていない前側の天柱に手を掛けた。
「ダーク、また矢が飛んでくるかもしれないからできるだけ前へ。しっかり掴まって」
「わ、わかった!」
エッジが馬車の速度を少し落とした。レヴィアが天柱の上に登ると敵はもうすぐ後ろに迫ってきていた。目前まで来ているのは二人だ。あとの二人はもうしばらく後ろにいる。目の前の二人はレヴィアが姿を現すと、矢の狙いを馬車からレヴィアに変えてきた。
レヴィアは中腰の姿勢のまま向かってくる矢を剣で叩き落とした。そして後方に向かって飛ぶと、左右から囲もうとしてきていた二人のうち右側の一人の顔面に蹴り入れた。男は馬から振り落とされ、地面に叩きつけられた。レヴィアは着地したが、エッジとダークの乗った馬車はそのまま前へ進んでいく。
すぐ後ろを追いかけてきたもう一人は、エッジとダークの乗った馬車は追わず方向を変えてレヴィアの方へと剣を構えて向かってきた。レヴィアは振り返りながらその剣を避け、剣の峰を馬の後足に打ち当てた。たまらず体勢を崩した馬に男はしがみついたが、そのせいで余計に馬はその身体を支えきれなくなり、男は馬もろとも地面に倒れこんだ。
後続の二人も追いついてきて、レヴィアに向かって矢を射る。だが、直線的な動きで正確さにおいて劣る馬上からの攻撃をかわすことは問題ではなかった。一旦レヴィアを追い抜いた彼らもやはり先に行ったエッジたちの乗る馬車には目もくれず、再びレヴィアだけを狙って戻ってくる。予想通りだった。
最初に落馬した二人も立ちあがって向かってくる。四人程度なら同時に相手をすることは問題ではなかったが、少なくとも一人は話を聞きだすために生かしたい。レヴィアは騎馬の二人を先に倒すため、走ってくる残りの二人から離れるように左方向に走った。
間合いに入った騎馬の一人を仕止めようと跳んだ瞬間だった。突然視界の外である後方に四人の敵以外の新たな気配を感じ、目の前の敵に剣を振るったその勢いのまま中空を蹴り、その気配の方に飛んだ。
レヴィアの瞳に紫色の髪をした男の姿が映ったのと、三発の銃声が森に響いたのは同時だった。
―――――ザイス……!!
しまった、とレヴィアは心の中で呟いた。だが、身体はそれより先に目の前のザイスの首筋に、先程斬りつけた敵の血の残る剣を突きつけていた。
レヴィアの本能が四人の追っ手よりもこの一人の若いザイスを危険だと判断したのだ。とっさのこととはいえ『奥の手』を使ってしまった。常人ではありえない速さで懐に飛び込んだレヴィアに男は反応することができなかった。しかし、誤った判断だったかもしれない。
四人の追っ手の気配は全て消えていた。男は銃を持ったその手を上げたままじっとこちらを見ている。だが、銃口はレヴィアの方を向いてはいない。敵意も殺気も全く感じられない。
「銃を捨てろ」
レヴィアはダリエ語で言った。男がダリエ風の服を来ていたからだ。しかし男は応えない。こちらがその気になれば一瞬で命を取られる状況にあるのに、臆する様子もなければ反撃しようとする意志も感じられない。だがどうせ本気で斬る気はないだろうと高をくくっているわけでもなさそうだ。ただその灰色の双眸をこちらに向けたまま動かさなかった。
「聞こえないか。武器を捨てるんだ」
レヴィアは顎で銃を指し、男の首筋に刃を当てるともう一度言った。
男はようやく銃を手放すと、今気づいたとでもいうように突きつけられた刃に視線を落とし、ふっと薄く笑みを浮かべた。
その顔に、レヴィアは得も言えない不快感を覚えて思わず口を開いた。
「なぜ笑う?」
男は微笑したまま降参、と言うように両手を挙げると肩をすくめて言った。
「助けた、つもりだったんだけど」
レヴィアはじっと男の様子を伺った。なぜか一瞬、目の前の男が『あの男』の存在と重なったのだ。まさかという思いがよぎったが、それはすぐに打ち消された。
いつもわけの分からない行動ばかりの男ではあったが、この状況で正体を明かさない理由はない。それに、雰囲気が違う気がした。
その時、遠くから馬の駆けて来る音が聞こえてきた。エッジだ。男もちらと目線を音の来る方向に動かした。
刃を首筋から離し、レヴィアは一歩二歩と下がると剣の先端を喉元に向けた。
「行け」
男は数秒こちらを見たまま動かなかったが、やがてじりじりと数歩後ろに下がると向きを変えて去っていった。レヴィアはその後ろ姿をすっきりしない気分で見ていた。馬蹄の音はもうすぐそこだ。エッジも男の姿を見ているだろう。
剣に付いた血を拭い、男の落としていった銃が視界に入るとレヴィアはますます違和感を大きくした。
「おい、大丈夫か?」
エッジが馬車を停めて声を掛けてきた。ダークも馬車を降りようとしている。
「見ての通り。私は何でもない」
「ねえ、あの紫の髪の人、知り合い?」
「ああ、なぜこんな所にザイスがいる?」
近づいてきたダークとエッジが続けざまに尋ねた。
「知り合いじゃないよ、わからない。それよりエッジ、これ……見たことある?」
レヴィアは鈍色に光る銃を拾い上げるとエッジに渡した。手に取ると存外に重い。
エッジはそれを四方からよく眺めると言った。
「ないな。これは弾が六発入るのか?」
「そうみたい。私が見たことがあるのは二連式までだ」
「おれも同じだ。あの男のものか?」
「うん」
レヴィアは男の倒した三人の追手を見に行った。ついてきたダークが息を飲むのがわかって気まずさを感じたが、ダークは何も言わない。リュブリューで話したことでこういう事態にも覚悟はできていたのだろう。
倒れている男達は皆頭を撃ち抜かれ即死だったようだ。
「できるな」エッジか横から言った。
「ああ」
「それに、ああいう感じの色は珍しいな」
「そうね。一言しか話さなかったから確実じゃないけど、王都の辺りの発音だと思う。でも知ってる限りではそれらしい評判は聞いた覚えがない」
「おれも最近の事情は聞いてないからな。王都に行ったらカレルとかに聞いてみるか。もっとも覆被布を付けちまってればわからないが」
「……そうだね」
そう応えながらもレヴィアはそれよりも別のことが気になっていた。男に一瞬感じた不快感。それになぜ今更『あの男』のことなど思い浮かんだりしたのか。
レヴィアは銃を荷物にしまいながら男の相貌を思い出して溜め息を飲み込んだ。紅みを帯びた紫色の髪。そう、あのアムルネスタの花の色。