夜も更けて皆が自室に入ったのを見計らうと、レヴィアは寝室の戸をそっと開け廊下に出た。食堂や各部屋の灯は消されているが、通路のランプは夜でもいくつかは常に灯を燈しているため足元は明るい。そんな中、そっと足音を忍ばせてレヴィアは客室の一つへと向かった。

 目的の部屋の前に来ると小さく二度戸を叩いた。

「誰だ?」
 低い声がすぐに返ってきた。まだ眠ってはいなかったようだ。レヴィアは少しだけ戸を開けて顔を覗かせた。

「おまえか。どうしたんだこんな夜に」

「ちょっとだけ話聞いてもらいたいんです」

 エッジはいくらか困った顔をしたが、手招きをして言った。
「とにかく、中に入って来いよ」

 レヴィアは頷いて部屋に入ると音をたてないように戸を閉めた。
 エッジは蝋燭に火を点け、床に敷布を敷いてレヴィアを座らせた。

「それで?」
 レヴィアの隣にどっかりと腰を下ろすとエッジは問いかけた。

「昨日、言わなかったことがあるんです」

 レヴィアは下を向いたまま言った。エッジはじっとレヴィアを見つめたままだった。何か思案しているのかもしれない。

「オグマたちにも言えないことなのか?」

「はい。できれば今はまだ」

「それをおれには話すのか」

「……協カしてほしいんです」

「おまえに戦う術を教えるということか?その件なら昨日できないと言っただろ」

 レヴィアはそれには応えなかった。冷静になってみると、その言葉がエッジの優しさだということがよくわかった。戦うことの苦しみを誰より知るからこそ、その道を歩ませまいという配慮だろうとレヴィアは感じた。しかし、それでももう決意は変わらない。

「ここを出て行こうと思ってます」

「……何故だ?」

「昨日も言ったことですけど、私も自分で妹を探したいんです。なんで私が追われて、両親が殺されなきゃいけなかったのか知りたい。両親を殺した犯人が使ってたのはここの誰も知らない言葉でした。ダリエ語でもミール語でもない。それが分かるのは私だけ。だから、私が直接調べた方がいいと思うんです」

「それならカレルが万全になったら一緒に動けばいいだろ」

 レヴィアは首を横に振った。
「カレルが襲われてから、全然よそに連れてってもらえない。それに、聞いちゃったんです。カレルを襲った人達が私を探してたって。だから、私と一緒に行動したらカレルやファルナールも危ない」

 エッジは溜息をついた。
「だからって、おまえを一人で外に出させるわけにはいかないだろ」

「それはわかります。私だってみすみす殺されに行くつもりはない。だから強くなりたいんです。せめて自分の身を守れるくらいには」

 レヴィアは真っ直ぐにエッジの眼を見た。エッジはしばらくそれを受け止めた後、目を伏せ視線を下に落とした。困っているのか、あるいは迷っているのか。

「私達家族はいつもいろんな町を転々としてました。今考えると、両親はずっと逃げまわってたんだと思う。……でも、結局は殺されてしまった。お母さんはすごい魔法が使えたし、お父さんだって剣術の達人だった。少なくともカレルやファルナールよりは力があったと思う。それでも、逃げきれなかった。きっとこうして隠れててもいつかは見つかってしまう。現にもう遠くない所でカレルが襲われてる。だから……なるべく早いうちにここを出た方がいいと思うんです」

 エッジは身じろぎ一つしなかった。部屋に一つだけ置かれた蝋燭がその苦渋の表情を紅く映し出していた。

「一つだけ聞かせてくれ」エッジはようやく口を開いた。「もし両親を殺した犯人を見つけたら……復讐をしたいと思ってるか?」

「復讐……」レヴィアは小さく反芻した。

 両親を殺した敵は勿論憎い。しかし復讐という言葉にレヴィアの心は反応しなかった。自分でもそのことを不思議に思ったが、今はまだ押しつぶされそうなほど大きな悲しみを胸の奥底にしまい込み、平常心でいることが精一杯だった。前向きな目標を立てて自分を鼓舞しないと、そのまま昏く深い海の底に沈んでいってしまいそうだった。

「分かりません。……考えてなかったです。今は、まず自分が生き残ることが第一だと思ってます」

「そうか」

「復讐を考えてたら教えない、ということでしたか?」

「いや、そういうわけじゃない。復讐したいと思って当然だろうと思ったから、ただそうなら正直に言ってほしかっただけだ。気にするな」

「そうですか。でも、本当に考えてなかったんです。まだそこまで頭が回らないというか……」

「ああ、いいんだ。それなら別に」
 エッジは早くこの話を切り上げたそうだった。

「ちょっと木刀持って表に来い。上着着てな」


 一日振り続いた雨のせいで修験堂の前の広場はぬかるんでいた。エッジは足場の悪いところを避け、森へと入って行った。レヴィアも後からついて行く。月明かりは樹々に隠され、辺りを照らすのはエッジが手元に持ったランプ一つだった。エッジはいつもカレルとファルナールと練習をしている場所に向かっているようだった。いったいどういうつもりなのだろうか。

 密集していた樹々が途切れ、動き回れるだけの空間がある場所に来るとエッジは立ち止まった。足元の枯葉は雨水を吸って湿っていたが状態はさほど悪くはない。一本の樹の根元にランプを置くと、エッジは後ろを振り返って言った。

「ファルナールに勝てるようになったそうだな。カレルとも互角にやれると」

「まだこの四半月のことです」

「そうか」

 エッジは数歩そこから歩くとレヴィアの方に向き直った。
「思いっきりかかって来い。こっちからは手は出さない」

「え、でも……防具もなしでですか?」

「そんな棒切れじゃ防具なんていらない。それに、当たらなきゃ必要ないだろ。おれは避けるだけだ。一発でも当ててみせろ。ほら、来いよ」

 エッジは両腕を下げたまま構えることもなかった。本当にいいのだろうか。レヴィアは困惑しながらも木刀を両手で持ち、その先をエッジにむけた。

 一見無防備に立っているように見えたがそうして向き合ってみると攻め入るのは容易ではなかった。間合いの取り方がうまいのだ。ぎりぎり一振りでは届かない距離だ。二歩踏み込めば届くがその間の構えでエッジは攻撃がどこから来るか分かるだろう。だが、向こうから攻撃を仕掛けてこない以上こちらから行くしかない。

 レヴィアは斜めにじりじりと動き、少しずつ間合いを詰めた。エッジはそれを目で追うだけで一歩も動こうとはしない。半歩ほど近づいたところでレヴィアは地面を蹴り、両手で持った木刀で突きを繰り出した。エッジはそれをわずかな動きで避けた。勿論最初から当たるなどとは思っていない。レヴィアはそのまま至近距離から攻撃を仕掛けた。突き、突き、払い。大振りでは当たらないと考え細かく素早い攻撃を繰り返したが、エッジはそれを全てかわしていく。腕で防ぐことも、かすることすらなかった。
どれくらいの時間続けていただろうか。実際にはほんの数分のことだったかもしれないが、レヴィアにはひどく長く感じられた。休むことなく攻撃の手を緩めなかったので、かなり息が上がって動きに切れがなくなってきた。

「もう終わりか?」

 なんとか木刀を構えてはいるものの、足を止め肩で息をするレヴィアとは対照的にエッジには呼吸の乱れはまるで見られなかった。

「まだです!」

 こんな状態で当たることがないことは分かってはいたものの、そう言われては諦めるわけにはいかず、レヴィアはもう一度力を込めて木刀を振るった。

 大人が子どもと戯れているようなものだった。いや、実際その通りではあったが、カレルやファルナールと対等に戦えるようになっていたレヴィアの自信はもはや崩れて微塵もなかった。
 エッジは軽くあしらうようにかわしていたが、急に足を止め、腕を引いたと思うと人差し指でトンとレヴィアの額を突いた。

「わっ……!」
 ふっと力が抜けてしまったレヴィアはそのまま後に尻もちをついてしまった。

「ふらふらじゃねえか」

「な、なんで……?」

 確かに身体は疲労でもう力が入らなかったが、それにしてもあんな指一本で小突かれた位で自分の身体が崩れたことがレヴィアは不思議でならなかった。

「まだまだだな。おまえの動きは単調すぎる。剣同士の闘いならそれなりかもしれないが、実戦ではそういうわけにはいかない」

 レヴィアはまだ呼吸が整わないまま下を向いてしょげた。確かにそうだ。敵がどのような形で襲ってくるのかは分からない。魔法の練習もしたにしても、今のままの剣の鍛錬を続けても意味がないかもしれない。

「あんまり座ってると染みてくるぞ」
 エッジは屈んでレヴィアの腕を掴むと引き上げて立ち上がらせた。

「カレルとファルナールはそれなりに戦えるとは言っても、本職は情報収集だ。いざって時に適当に応戦して逃げられる程度の力しか持ち合わせてない。王都にいてもほとんど危険な仕事はしないからそれ以上は必要ないからな。でも、本当に戦闘を仕事にしているようなやつらは違う。卑怯な手だって使うし私闘でもなければ一対一でやるなんてこともまずないだろう。でもきっとお前を追ってるのはそんな奴らなんだろ?」

「そうだと思います。それに、魔法も使えるかもしれない」

「ああ、そうだな。それならその魔法にも対抗する方法を考えなきゃならない。魔法を使える奴なんてのは王都の傭兵連中でもそうたくさんはいない。おれも武器相手ならそうそう負ける気はしないが魔法となると別だ。規模が小さいのならまだなんとかなるにしても……とんでもないのを使う奴も見たことがある。大爆発でも起こされたらどうにもならない」

「私が、もっと魔法がうまくなれば……」

 どうして両親が教えてくれた時にもっと一生懸命やらなかったのだろう。レヴィアは悔やんだ。結界、空中浮遊、飛行、それに空間転移。両親が特に積極的に教えた魔法の数々はオグマに言わせると、それに使う力の量も制御の難易度も最上級のものだった。難易度の軽いものから順にではなく最初から難しいものをやらせていたのは両親、特に母が最初から何の徒労もなくそれらを使いこなせたからなのか。あるいは敵から逃げるのに有効なそれらの魔法を早く仕込むために焦っていたのか。
同じ姉妹でも妹はあまり労せず、赤子が大きくなれば立ち上がるように自然にそれらができるようになっていた。自分はなぜなかなかうまくなれないのだろうか。しかし、後悔したところで先に進めるわけではない。

「普通の武器を持った奴が襲ってきた時に死なないようにする術はおれが教えてやる」
 エッジは漆黒の双眸でレヴィアを見据えると言った。

「本当ですか!?」

「ああ、おまえの覚悟は分かった。おれにも……おまえ自身が強くなる以外におまえを確実に守りきる方法が見つからない。……聞いちまったからな。仕方ない」

「ありがとうございます!」レヴィアは深く頭を下げた。

「そんなかしこまるなよ。本当はそんな偉そうなこと言える立場じゃねんだ」
エッジはレヴィアの頭にぽんと大きな手を載せると表情を崩した。レヴィアは顔を上げると髪を掻き揚げて首をかしげた。

「おれの故郷に行くか。ここはちょっと狭いしな。あそこならよそ者に対して警戒が強いし、戦える人間ばかりだから追手が来たとしてもそう簡単には入り込めやしない」

「そうしてもらえるとありがたいです。ここはもう、ちょっと不安だし」

「ああ。どうせなら早いうちに出よう、数日後には。しかしそうすると魔法はどうする?オグマに習ってたんだろ?」

「一人でも練習します。基本的なことは教えてもらったから、あとは出発までにもう少し聞いて。広い場所があるなら親に習ってた魔法も思い出しながらやれるし」

「魔法と武術と両方か。言っておくが、おれは教えるからには子どもだからって生半可なことはしないぞ。できるのか、お前に?」

「やります」
レヴィアはまっすぐにエッジの眼を見た。胸の奥からふつふつと湧き上がるものがあった。何者ともわからない者たちの手にかかって死ぬのは嫌だ。脅えているだけではだめなのだ。あの時殺されなかったのだから、妹もきっと生きているはずだ。もう、誰も死なせたくはない。もう迷いはなかった。
エッジはレヴィアの意志を確認するようにその眼差しを受け止めると、少し笑った。

「言ったな。覚悟しとけよ。おれも物心ついた頃から武術を叩き込まれた。お前が行くのはそういう場所だ」

「望むところです」レヴィアは頷いた。「でも、いいんですか?私が行っても。よそ者なのに」

「ああ……たぶんな」エッジは幾分言葉を濁した。

「たぶん?」

「実はおれ、勘当されててな。というか十五の時に家おん出て以来帰ってないからどれくらい怒られっか……」

「え、大丈夫……なんですか?」

「どっちみちこの後一度帰ろうと思ってたからな。その、結婚したからよ。嫁も連れて報告に行こうと思ってさ」

それに一緒に行くのは悪いような気がしたが、エッジがやっと承諾してくれたのだから甘えていいのだろうか。レヴィアが困って黙っていると、エッジは照れ隠しのようにレヴィアの背を叩くと言った。

「おら、そんなことはもういいから。早く帰ろうぜ。もう夜も遅い」

ふざけて追いかけてくるエッジから逃げながらレヴィアは山道を駆け下りた。

地下に入ってからは皆を起こさないように二人でそっと足音を忍ばせて歩いたが、廊下の角を曲がると食堂の方から灯りが漏れていた。

「あれ、ファルナール。起きてたの?」

「あんたたちが出て行くのに気づいたのよ。こんな遅くにどこ行ってたの?」

レヴィアはエッジと顔を見合わせた。
「ちょっと、な」
「うん」

「なによ、二人して秘密にして」

「いやいや、明日話すからよ。みんなにも」

そういえば、ここを離れたらファルナールとももうしばらく会えないのだ。いや、下手するともうずっと会えないかもしれない。

「もう遅いから早く寝なさい」

「ねえファルナール、一緒に寝てもいい?」

「なあに、どうしたの?珍しいわね。もちろんいいけれど」

「エッジさんに怖い話聞かされた」

ファルナールはレヴィアを守るように横からぎゅっと抱くと、エッジを睨みつけた。
「エッジ〜」

「勘弁勘弁!おやすみ!」
エッジは慌てて逃げるように自分の部屋へ戻った。

「まったくもう!」

そんな二人のやりとりを見てレヴィアはくすりと笑った。

「さ、私たちももう寝ましょ。眠いわ」

「うん」

レヴィアはファルナールと手を繋ぐと部屋に向かった。亡くなった母親ともよくそうして一緒のベッドで寝ていたことを思い出しながら。


next


  現在地: HOME>Library>双刻>[宵]◇8-2