ダリエ歴五一二年 イナの月 前九日 ◆ 六番の街


 太陽は今にも大地の陰に隠れて消えそうだった。空全体が濃紺に染まっていく中、光の線が山の輪郭を描き出している。そこから仄かに滲みだす朱色もまもなく闇に飲み込まれていくだろう。

 日が入り始めてからは街道を行く商隊とすれ違うこともぐっと少なくなった。空気も徐々に冷たくなってくる。今は二頭の馬の足音だけが乾いた空気に響いていた。

「今日はそこの町で泊まる?」ダークは前方を指差して、後ろを振り返った。

「そうだね。そろそろ宿を取ろう。昼間は暑いけど、これからどんどん冷え込んでくる」レヴィアは言った。

 二人が到着したのは街道沿いの小さな街だった。エアドやカルースムのあるアナケイ山を越え、西に行った先は広大な平原になっている。平原の中には何本かの交通路が通っており、その途中にはぽつりぽつりといくつか町がある。これらは街道を通る商隊や旅人相手に商売をしようと考えた者たちがつくった
町で、古い順に一番、二番と名づけられている。その中でこの街は「六番」と呼ばれていた。

 遠目から見ても小さそうに見えたこの町は、中を歩いてみると町というよりは集落と言った方が良さそうだった。街道沿いに色々な店が軒を連ね、その中央辺りでもう一本の道が十字に交差し、そこにも同じようにまばらに店が並んでいる。それだけだった。

 二人は一軒の宿を見つけると、馬を外に着けて中に入った。入り口の戸を開けるとすぐ脇に番台があり、小太りの女性が乾燥させた豆をぼりぼりと食べながら二人の方に目を向けた。

「部屋、空いてますか?二人分」レヴィアが尋ねた。

「空いてるよ。一人部屋、二人部屋、四人部屋、大部屋」台の上の料金表を指差して女性は言った。

「私は一人部屋。ダークは?」

「……じゃあ僕も一人部屋で」
 ダークは二人部屋だったらどうしよう、などと一瞬考えてしまった自分が馬鹿らしくなった。

「三階の奥二つ。明日の昼までに出な」
 女性は退屈そうな目をしたまま無愛想に言うと、無造作に二部屋の鍵を台の上に置いた。


 三階に上がってそれぞれ部屋に入った。ダークは荷物を置くと靴を履いたまま半身をベッドに横たえた。馬に乗っていたとはいえ、昼に休憩しただけで朝からずっと移動していたからかなり体が疲れていた。仰向けのままぼんやりしていると、部屋の戸が軽く二度叩かれた。

 鍵をかけてなかった。レヴィアだろうと思い、あわててがばっと起き上がるとダークは広げていた荷物を適当にまとめてどうぞと返事をした。
 入ってきたのはやはりレヴィアだった。

 ダークがまだ荷物の整理をしているのを見ると、レヴィアは窓際に置かれた簡素な椅子に座り宵の空を眺めていた。ランプの灯りに照らされた物憂げなその横顔にダークは思わず見とれてしまった。視線を感じてかこちらを向いたレヴィアと目があって、はっと我に返ったダークはそそくさと荷物を片付けた。

「ごめんね。こんな変な宿しかなくて。安くもないし。この町にはここしかないんだ」

 変な宿か、とダークは笑った。
「気にしないで。寒い中で野宿よりはいい」

 二人にあてがわれた部屋は狭苦しい屋根裏部屋で、簡単な造りのテーブルと椅子が一組と、あまり大きくはないベッドが一つあるだけだった。

「それより、気になってたことがあるんだけど」
 レヴィアと二人だとまだなんとなく緊張してしまうダークは気を紛らわすように話を変えて訊いた。

「何?」

「王都の方ではミディールは実在する国っていうことがよく知られてるのに、こっちの方では伝説ということになってしまってるのは何でなの?」

「それに関してはこっちも訊きたいことがあったんだ。ダークが知ってるミディールの伝承っていうのはどんな話だった?」

 ミディールの伝承はダークの頭の中に一字一句間違えず刻み込まれている。レヴィアは何を知りたいのだろう。

「僕が知ってるのはこんなのだよ」ダークはそう言って詩を詠み始めた。

  赤い悪魔がやってきた
  豊かなる我らの土地に
  この世でないどこからか
  実りの大地に破滅をもたらす
  美しき魔物はやってきた

  地は震え、風は叫ぶ
  海は泣き、太陽は隠れた
  闇に飲まれた空に大地に
  我らは嘆きの歌をうたう

  幾千の暗い夜の果て
  天の涙も干上がる頃
  大地は最後の種を蒔いた
  我らを救う奇跡の種

  八十八の冬のあと
  虹の花咲く春とともに
  英雄たちは現れた

  光の種は大地へ散って
  深き闇を照らしだす
  赤い悪魔はおののいて
  暗き彼の地へ帰っていった

  地はおどり、風はうたう
  我らとともに英雄の歌を
  再び生まれた新しき地に
  誉れ高き英雄の国を
  我らの新しい国ミディール

「……これで全部だよ。僕の村ではみんなよく知ってる」
 昔何度も祖母にせがんでは寝しなに聞かせてもらっていた。祖母の解説付きで語られた物語は幼いダークの心の中鮮やかに色づけられた。この詩を詠んでそんなことを思い出し、ダークは懐かしさでいっぱいになった。

「そう……こっちではそんな話になってるんだ」レヴィアは口元に手を当て、考え込むように言った。

「何、違うの?」

「ダリエの方ではもっと長い話なんだ。おそらく人から人へ伝えられていくうちに変わってしまったんだろう」

「じゃあ本当はどういう話だったの?」ダークは尋ねた。

「本当は、ギーエンスと呼ばれた土地に、その土地の人とは違う美しい人たちが現れた、と物語は始まる。ギーエンスの人々は彼らを歓迎しようとした。しかしザイスと呼ばれた彼らはギーエンス人の見たこともない、及びもつかない不思議な力でギーエンス人を殺し、土地を侵略した」

「侵略された話が、僕の知ってる話の前半部分だよね。ギーエンスやザイスというのは聞いたことがなかったけど」

「たぶんそれは誤訳だ」レヴィアは首を横に振った。「そのあとダリエに伝わる話では、多くのギーエンス人が彼らの土地を離れてザイスに侵略されていなかった土地に逃げた。その中の一部が、ある村を治めていたダリエ公に助けを求めた。哀れに思ったダリエ公は逃げてきたたくさんのギーエンス人を保護し、
彼らと元々領地に住んでいた人たちを率いて頑丈な城と城壁を作った。そして自ら王となりそこをダリエ=レーク王国として統治した。レークっていうのは移民という意味なんだ。ダリエの建国記でもあるから、ダリエの人たちはみんなこの話を知ってる」

「じゃあ、この伝承は実際にあった出来事が元になってるの?」

「そう、約五百年前のことだ。ザイスがギーエンスを侵略し、そこから逃げた者たちの国ダリエ=レーク王国ができる。一方ギーエンスの土地に残った者たちは長く苦しい時代を過ごすけれど、そこに『奇跡の種』が蒔かれ英雄たちが現れる。ザイスは退けられ、英雄たちの国ミディールが建てられる。最後の部
分はだいたい同じだけど、そっちの話で語られていないのは、この英雄たちはザイスにとても似ていたということ」

「えっ、どういうこと?ザイスと英雄が似ていたって」

「これは私の考えだけど、たぶん英雄たちはギーエンスとザイスの混血だったんだと思う。ミディールというのはザイスの言葉で『混じった人たち』という意味がある。ギーエンスで育った混血の子たちはザイスではなくギーエンス側についた。そんなところじゃないかと思う」

 ダークは腕組みをして考え込んだ。赤い悪魔、あるいは美しき魔物と言われたザイス。侵略されたギーエンス。移民たちの国ダリエ。混血の英雄たちとギーエンスの勝利、ミディールの建国。

 あまりに多くの知らなかった事実が一気に明かされ、ダークはそれらを頭の中で整理するのでいっぱいで、だんだん眩暈がしてきた。

 その時、ぐうっと間の抜けた音が静かになった部屋の中に響いた。

「あ……」ダークは腹を手で押さえて、ちらっとレヴィアの方を見た。

 レヴィアはくすくす笑いだすと言った。
「今日はこれくらいにしておこうか。おなかも空いたみたいだし」

「うん……そうします」
 ダークはあまりの恥ずかしさで顔が上げられなかった。顔が熱くて火が出そうだ。

 食堂へ行こうと言ってランプの灯を消したレヴィアについて、ダークはすごすごと部屋をあとにした。

 「六番」の町には食堂がいくつかあった。レヴィアは何度かここの町に来たことがあるらしい。入ったことがある中で一番ましだったところにしようと言った。

 レヴィアが案内したのは、街の一番外れにある小さな店だった。客は独り者ばかりで、それも片手で数えられるだけしかおらず、店の中は静かだった。隅の席に座ると、ここの主人らしい老人が近づいてきた。

「夕食か?」

「そうです。二人分、飲み物も付けて」レヴィアは慣れた様子で答えた。

 老人は黙って頷くと厨房の方に入っていった。

「一種類しかないんだ。飲み物も。何かの茶と酒が一種類ずつだけ」レヴィアは肩をすくめて言った。「味はどこも大して変わらずあまりおいしくはないけど、酔っ払いにからまれたりはしないだけここの店はまし」

「なんだか変わった街だね」

「商売だけの街だからね。黙ってても近くに街もないから客は集まるし」

 そんな話をしていると、まもなく料理は出てきた。焼いた肉と付け合わせに芋と人参、それに薄い黄色の茶がついてきた。黙々と食べるレヴィアは心なしか不機嫌そうな顔をしている気がする。どれも焼きすぎたり茹ですぎたりで、不慣れな香料も相まって確かにあまりおいしくない。何か凝ったことをしているわけでもないのにどうしてこんな風になってしまうのか不思議だ。

「今度どこかで機会があったら、僕がもっとおいしい料理を作るよ」店の主人に聞こえないようにダークは小声で言った。

「料理、できるの?」レヴィアは少し驚いたように言った。

「小さい頃からずっとばあちゃんのやってた宿で手伝いしてたんだ。だから結構自信あるよ」

「それは楽しみだね」レヴィアは微笑んで言った。

 店内の客は二人減って一人増えていた。店主はまた無愛想に同じ料理を出している。

「ところで、エアドには一晩しか泊まらなくてよかったの?オグマさんももっとゆっくりしていけばいいのにって言ってたけど」

「エアドが気に入った?」

「それはもちろん。また行きたいと思うよ。だけど、今訊いたのは僕がじゃなくてレヴィアがだよ。ダリエまでは結構かかるんでしょ?しばらくは帰って来られないんだろうからさ」

 エアドを出るときにレヴィアが見せた表情がダークは気になっていた。最後にオグマや何人かの人たちと抱擁を交わし「行ってくるから」とレヴィアはエアドを出た。その時の彼らを見るレヴィアの眼差しは最後の別れを名残惜しむかのようで、もう二度とここへは帰れない、少なくともレヴィアはそのような覚悟をしているかのようにダークには思えたのだった。

「あそこは居心地がいいから、長居すると出ていくのが嫌になる気がするから」
 どこか遠くを見るようにレヴィアは言った。

「レヴィアでもそんなことあるんだ」
 ダークにはレヴィアはかなり世慣れしているように見えたので、少し意外な気がした。

「あるよ」レヴィアは苦笑して言った。「あそこは外の世界とは隔てられた穏やかな場所だけど、外に出れば嫌なこともある。この辺なんかはまだいいけど、ダリエの王都に近づくほど色々とあるから。それを思うと、エアドにずっといられたらと思ってしまうもの」

 それでも行かなければならない理由とはなんなのだろうか。ダークは思った。自分も王都に行く用があるからと昨晩レヴィアは同行を申し出た。だが、それが何なのかという立ち入ったことは訊けなかった。

「……あ、ごめん。これから行くところなのに印象を悪くしたかもしれない」

「あはは、そんなことないよ。初めて行くところならどんなとこでも楽しみだ
し、大変なことも嫌なこともあるかもしれないけど、嬉しいことや楽しいこともきっとたくさんあるよ」

 ダークの話にレヴィアはどこか哀しみを含んだような微笑を浮かべた。何かおかしなことでも言っただろうかとダークは少し不安になった。

「王都までの道のりは長い。ダリエ語を少しでも覚えていくといい。教えるから。あと私の師匠と合流したら護身術も。万が一またこの間みたいに誘拐されたりしたら大変だから」

 まったく面目がなくてダークは苦笑いをした。
「覚えることがたくさんだね。ミディールについてもまだ聞いてないことがあるし」

「そうね。でも別に焦る必要はないよ。あなたには時間があるんだから」


next


  現在地: HOME>Library>双刻>[宵]◇5