老婆と男たちのあとについて行ったラインたちは小さな建物に招かれた。その建物の壁は塗装もろくにされておらず窓もない。かろうじて扉があったために建物に見えるが、そうでなければただの大きな瓦礫の塊のように見えただろう。
しかし建物の中に入ってみると、その外観とはまるで違っていた。
「うっわ…なんだこりゃ…。」
ティッツは思わず呟いた。扉一枚隔てた中は、真っ暗な闇の中に灯かりがともり、艶のある真っ白な床は彼らの姿を映している。宙に浮かぶ数々の装飾品がシンプルなその空間を飾っており、まるで宇宙のようだった。今まで見たこともない不思議な空間に、四人は周りを見渡しただただ呆然とするばかりだった。
きっとシンアンリンの城と同じように空間が歪められているのだろうとラインは思った。
「お掛け。」
老婆に促されるままに四人は席に着いた。自然とラインは老婆と向かい合うように座り、三人はその脇に座った。二人の男たちが立つ前でルメスは老婆の隣に居づらそうに座っている。
「改めて歓迎しよう。私はこの村の長老。名もあったけれど今は誰もその名じゃ呼びやしない。長とでも呼んでおくれ。カレンの息子…名は確かラインと言ったかね?」
しわがれた声で長という老婆は尋ねた。
「はい。…あの…この村はいったい?」
「驚いたかね?」
「…はい。」
長はわずかに微笑んだように見えた。ラインはいったい何百年生きたのかというような雰囲気のこの老婆の雰囲気に気圧されてうまく話せなかった。
「ここはレイス・プラーゼ。ご覧のとおり訳あって外の世界からは隠しているがね、お前の母親のカレンもここで生まれて育ったんだよ。お前がここまで来れたことが、お前がレイスの者の血を引く何よりの証だよ。」
「レイス……。」
ラインは呟いた。初めて聞く名だった。シエルドとは違ったのか。
様子を伺うようにルーニアはラインの顔を見た。応えてラインは目線で頷いた。
聞きたいことはたくさんあるのだ。若干緊張気味ながらも意を決してラインは長に向かった。
「あの、聞きたいことがあるんです。」
「なんだね?」
「ここに二十代後半から三十くらいの背が高くて髪の長い男の人はいませんか?俺や、ここの人たちと同じ黒い髪に白い肌だったのですが。」
長は顎の下で手を組み、遠くを見た。何かを思い出しているのだろうか。
「…その男がどうしたっていうんだい?」
ラインは少し考えると、ジャックと思しき黒髪の男のことを中心に今まであったことをかいつまんで話した。長は目を伏せたまま微動だにせず、本当に聞いているのだろうかとラインが心配になるほどだった。ラインの話を聞いてルメスは落ち着きなく何度も長の方を見た。何か思い当たる節があるようだ。ラインたちも身構えて長の反応を待った。
「……それはオスロかもしれないね。」
ようやく長が口を開いてルメスに視線を投げかけると、ルメスはうんうんと頷いた。
「オスロ?」
ラインはジャックじゃないのかと思い、聞き返した。
「レイスの人間はほとんどここの村から出ないんだよ。背が高くて髪の長い男ってのもあの子ぐらいしかいないしね。オスロはこの村で生まれたのではないが、もう十年以上前からこの村には時々来ているよ。ジャックというのは仮の名だろう。」
四人は顔を見合わせた。
「それじゃあ、そのオスロはいったいどこから来たんですか?」
長はラインの目を見たままじっと押し黙った。あまりオスロのことを話したくないようであった。それもそうかもしれない。目の前にいるのはカレンの息子であるといっても生まれてきてからずっとリグフトで暮らしてきたラインと、本来は受け入れることさえ許されないよそ者達なのだ。
ハイネが「席を外そうか」と小声で聞いてきたが、ラインは小さく首を横に振って「いい」とだけ言った。そして、続けて長に対して尋ねた。
「もしかして、シエルド…じゃないですか?」
長は少し驚いたような表情をし、そして溜息をついた。
「シエルドのことも知っているのか。じゃあもう隠し立てしても仕方がないね。いや、むしろ知るべきかもしれない。ほかの三人も聞けばいいさ。どうせ一人に言っても四人に言っても同じことだ。あの子のことを話すとなると、まずは、そうだね…もう二十年くらい前になるかね。発端となったある事件のことから話さなければならない。」
ラインは頷いて、そしてごくりと唾を飲み込んだ。
「…二十数年前のある日、この村にリグフトの人間達がやってきた。」
長は表情を殺して言葉を紡ぎ始めた。遠い昔の物語を語るように。
「この村は今も昔もずっと複雑な結界によって外界から遮断されていた。外の人間が来たことなどなかったから、誰もが驚き村中が騒然となった。だが、彼らは長い旅路のために疲弊しきっていた。私達は彼らを助けた。この刺激も何もない狭い村の中、物珍しさも手伝って我々は彼らを歓迎したのだ。彼らはリグフトのシンアンリンから来たと言った。当時シンアンリンとスターリンルエドはリグフト大陸の覇権を巡って争っていた。長い歴史の中、スターリンルエドとシンアンリンは何度となく争っていたが、この時はスターリンルエドが優勢だったそうだ。知ってるかね?」長はラインに問い掛けた。
「はい。」
ラインは学校で習ったリグフト大陸の歴史を思い出した。
長は続ける。
「シンアンリンはぎりぎりの状態だった。なにしろ本当かどうかもわからない昔の記録に頼ってこんなダルク大陸の外れの小さな村まで来るほど…。まさに藁にもすがる思いだったのだろう。私達は哀れに思って彼らにレイスの持つ、他に教えても差し支えない魔法のいくつかを彼らに教えてやった。彼らは喜び、レイスの民より根本となる魔力が圧倒的に低いにもかかわらず、必死で
魔法を会得して帰っていった。誠実であった彼らを私達は信頼した。そして、また困ったら来ればいいと言った。」
長はそこで一端言葉を途切れさせると、彼女が膝の上で組み合わせている手に視線を落とし、口をつぐんだ。しばらくの沈黙の後、彼女の不安がっているような、或いは何かを追うような瞳の光をラインが不審に思って声をかけかけた時、彼女は再び口を開いた。
「その時やってきた小隊の隊長がお前の父のカザフスだったのだよ。」
「父さんが……!?」
ラインは目を丸くした。
「そう、カレンと知り合ったのもその時だよ。その後も何度もカザフスは部下を連れてやってきた。いくらレイスで会得した魔法といっても、数人がそれを会得したくらいでは状況は変わらないほどに劣勢だったのだ。そして、私達は彼らにシエルドの存在を教えてしまったのだ。」
教えてしまった、という長の言い方がラインは気にかかった。彼女は変わらずしっかりと両手を組み合わせている。その胸にあるものを推し量ることはできなかったが、ただ、それが彼女の表情に重く暗い影を落としていることは分かった。
「レイスとシエルドの関係っていうのは?」
ハイネが長に問い掛けた。
「レイスはシエルドの分派のようなものだよ。ルーツは同じだ。大昔の私達の先祖はシエルドの島に住んでいた。ただ、今のレイスの先祖達がなんで本島を離れてこんな遠く移り住んだのかは、今はもう分からない。」
長はしばらく間を置いて、そして続けた。
「シンアンリンはすぐさまシエルドへ行くために、最新式の船を用意した。私達も喜んだよ。遠い故郷にあこがれていたものの、今の私達にはシエルドまで行く術を持たなかったから。続いてシンアンリンは使者を送った。私はもう年だから行かなかったけどね、この村のものも数人ついていった。シエルドの民もまたシンアンリンの使者達を歓迎した。そしてほどなく、シンアンリンはシエルドで交流のためという名目でパーティを開き、村人達を残らず招待した。」
ラインは背中がざわざわとするような、何か嫌な感覚を覚えた。何かが引っ掛かっている。これ以上聞きたくないと本能が拒絶するのをなんとか耐えるのに精一杯で、後頭部がずきずきした。少しの沈黙も、ラインには彼女が勿体つけているようにも感じられた。三人の仲間の様子を伺う余裕もなかった。
「そして、事件は起こったのだ。」
長はゆっくりと、低い声で言った。
「シエルドの民は全滅した。……一人を除いて。」
「嘘…!」
ルーニアは手で口元を覆った。信じられないという様子だった。
「いったい何で!?」
複雑な表情を見せてティッツも声をあげた。
「はっきりしたことは私にもわからないのだ。」
長は力なく首を横に振った。
「…その…一人というのが…。」
ラインは険しい表情で、下を向いたまま言った。
「…そう、オスロだ。シエルドの事件はみな彼から聞いた。オスロは一人パーティに出ていなくて、帰ってきてみたらパーティ会場となっていた彼の家のホールで村人みんなが、まるで時が止まったように固まっていたという。そして…シンアンリンの人間はいなくなっていたと。」
その場にいた全ての人間がうつむき、沈黙した。長もまた、次の言葉をさがしていたかもしれない。入ったときには暖かくも寒くもないと感じたはずのこの部屋の空気が今はひやりと刺すように感じられる。
「オスロが初めてこの村に来たのは今から十年…もう少し前だったかな。私たちはそれまで、シエルドでそのようなことがあったなど、全く…知らなかったのだ。」
眉根を寄せて、悔やむように彼女は言った。
「彼が…オスロがやってくるずっと前…十五、六年程前かな、カザフスが部下を二人ばかり連れただけでやってきて、シエルドへ行く船が難破して、国の金ももう余裕がないためしばらくはシエルドへ行くことはできないといってきた。思えばそれが、事件の直後だったのかもしれない。シンアンリンとしては我々にシエルドに行かれてしまっては困るからね。」
ラインは亡き父の面影を思い浮かべた。彼はいったい何を考えていたのか、シンアンリンはなぜシエルドを全滅させたりしたのだろうか。いたたまれない気持ちになり、ラインは自らの体を押さえつけるように腕をしっかりと組んだ。
ルメスは心配そうにラインの方を見ている。
「…我々が故郷の同胞を殺したも同然だ。不用意によそ者にシエルドのことを教えるなど…!」
「それは違う!長、悪いのは…悪いのは…。」
ラインはそこまで言いかけたものの、最後まで言うことができなかった。憎まれて、追われた故郷だというのに、どうしてもシンアンリンが悪いと言うことができなかった。かつての"ジャック"の笑顔が胸をよぎる。彼から見れば…彼の故郷を売ったレイスである母、滅ぼしたシンアンリンの将軍である父をもちながら、日々平穏に暮らしていた自分を快く思っていなかったのか、とラインは心の中で問い掛けた。心の中心を射抜かれたような、それでいてどこかで飲み込みきれない思いが交錯する。
そんなラインに長はそっと声をかけた。
「お前や、お前の両親が悪いんじゃない。お前を苦しませるためにこの話をしたわけでもない。それに、オスロはこんな私達を許したのだ。シエルドを売ってしまった私達を、それでも同胞だと…。」
ルーニアが心配そうにラインの背中に手を当て、小さく名前を呼んだ。それを見た長が口を開いた。
「今日はもう休むかね。」
「いえ、大丈夫…大丈夫です。もし何かまだ彼について知っていることがあれば教えてください。」
ラインは大きく息をついて心を落ち着かせながら言った。
「そう…じゃあ、あともう一つだけ言っておかなければならないことがある。つい最近のことだ。」
「長!まさかあのことを言う気じゃ…。」
最近、という言葉を聞くとルメスはとっさに口を挟んだ。
「ありがとう、叔父さん。でも、大丈夫。ここまで聞けばもう何が出てきても同じようだ。今聞きたい。」
そう言ってラインが向けた眼差しがあまりに姉のカレンに似ていて、ルメスはどきっとした。姉のカレンもこんな風に時折頑固な一面を見せたと思い出し、やはり息子なんだと改めて実感していた。こうなったらてこでも動かない、とルメスは諦め目をそらした。
「いいかな?」
長は確認するようにラインに声をかけた。ラインはそれに対して無言で頷いて返した。
「実はこの間オスロが来たとき、ルムソップやチタのルーンを盗んできたということを言ってきたのだ。お前達が言ったジャックという男がオスロだと確実に言えたのはこの一件があったからでもあったのだ。そして…彼はこれからシンアンリンへの復讐を始めるというということも言った。」
「なんだって!?」
即座にティッツが反応した。それとは反対に、ラインは憂鬱な面持ちで溜め息をついた。
「むしろ当然だ…シエルドの事件が本当なら…。」
「そんな…ルムソップのルーンを奪って、これ以上いったい何をしようというの…!?」
ルーニアの声は細く悲鳴のようだった。
「でも、変だろ。その事件から二十年近くもたって、なんで今更復讐しようなんて。」
ハイネはむっつりとした表情でそう言った。
「そう、それが私たちも不思議だった。でも何か考えがあったに違いない。あの子は賢いし、単なる思いつきで今になってそんなことを言い出すとは到底思えない。」
「……僕らレイスにも協力してほしいと言ってきたんだ。」
口を挟んだルメスの顔を、ライン達四人はぎょっとした様子で一斉に見た。驚いて困惑したルメスの代わりに、長が言葉をつないだ。
「断ったよ、もちろん。確かにあの子のことは不憫に思うし、気持ちもよく分かる。私達だって、故郷の民を滅亡させたシンアンリンに少なからず恨みを抱いているけど、事件の原因は我々自身にもあるし、協力すれば直接関係のない人々まで犠牲にしてしまうだろう。…復讐なんてやめてくれと説得したんだ。でも…微笑んだだけで何も答えなかった。きっと、諦めてない。」
ライン達は目をふせた。
長はそれから少しだけ話を続けるとライン達の旅の疲れを気遣い、とりあえず話を中断した。彼女はルメスにライン達を休ませるように言うと自分の家へと向かっていき、ルメスはライン達を歓迎して精一杯もてなしてくれた。彼の家は普段、彼一人で住んでいるものだからそう大きくはない。それにこの村以外の人間が来ることはないのだから、もちろん寝具も食糧もそう余分にはない。
しかし、今ラインたちの目の前には様々な種類の食料が集まっていた。彼らのために村中からかき集めてきたのかもしれない。ラインたちは彼のそんな温かい思いを感じつつ、それぞれ言葉も交わさずにベッドに転がっていた。眠っているのか考え事をしているのか、お互いに分からない。
ラインは眠れなかった。長はなぜ全てを包み隠さず語ったのか。ラインにはそれが不思議だった。善意からだったのか、何か意図があって話したのか。シンアンリンが…父がここへ来たときも今日のように彼らは歓迎し、教えたのだろうか。誰をどう信じればいいのか、そして自分は何をすればいいのか、ラインは分からなくなってきていた。
ただ、長が最後に言った言葉が頭から離れない。
『オスロは強い。私たちレイスの村の誰よりも、はるかに強いのだ。』
頭まですっぽり毛布を被り、何も見えない真っ暗な中でラインはうずくまった。
そんなことを教えて長は自分にどうしろというのだ。責め立てられているような焦燥感もあった。しかし、ラインもきっと魔法が使えるといったルーニアとハイネの言葉も胸の奥からそっと顔を見せる。
オスロに会ってどうしようというのか。戦うのか、それとも話でもしようというのか。それさえ考えられないままであったのに、ラインの中ではその二つの言葉が駆け巡っていた。