Request: とある小説に出てくるセリフ


夜明けのための会話



すべては一瞬だった。
殺気に気付いた時には遅かった。
銃声が響き渡り、目の前で自分ではない誰かの体が崩れ落ちていく。
現実ではないかのような時間の流れ。
スローモーションで画像を流しているようなゆるやかな静寂の後、どさっという鈍い音がする。
何故。
振り向きざま構えた銃で正確に相手の眉間を撃ち抜きながら、視界の端で広がる赤を見た。
何故彼が?
―――狙われたのは、自分だったはずなのに。


どこまでも白が続く廊下で、長椅子に座らされただ待つだけの時間が過ぎる。
独特の薬くさい空気と静寂。
時刻は深夜を回ろうというところに来ていて、それゆえ辺りにはほとんど人の気配も感じられない。
だが、例え通る人間がいたとしても俯けたその表情は長い前髪に隠されて伺うことは出来なかっただろう。その身から滲む気配に憔悴を感じることは出来たとしても。
戦争があった。
たくさんの命が失われた。
血に染まった手が拭えるとは思っていないし奪った命の多さも理解しているつもりだ。
何事もなかったかのように生きるよりはマシだからとプリベンターという組織に身を置くことを選択した。
死なないと誓った。
この世界で罪と共に生き抜いてゆく覚悟を決めた。
―――だが、あの時自分に隙があったのも事実で。
任務の最中だというのに相手を侮り一瞬とはいえ気を抜いた。素人同然の殺気に気づくこともなく、対応も反撃も致命的に遅れた。
そうしてそのミスはこの命をもって償うことになるはずだった。
いや、助かるかどうかは運次第だったかもしれない。だが少なくとも、他者を巻き込むことなどなかったはずだ。
―――彼を、巻き込むことは。
その一瞬を思い出すように考えて、ぞくりとした。俯けた額から汗がつたう。
人のことを庇う余裕があるのなら急所ぐらいはずせばいいのに、それすらも失敗したのかその生命はかなり危険な状態にある。
咄嗟に自分と銃弾との間に滑り込んだ後姿。
不自然にびくりと震えて倒れこんだシルエット。追うように視界を舞った長い髪。
ゆっくりと閉じられ、何度呼んでも開かなかった、瞳。
思い出すだけで制御できなくなるこの震えはなんだろうか。
心臓をしめつけられるような、視界の霞むような。背筋から上ってくるようなこの寒気はなんだろうか。
これを、恐怖と呼ぶのだろうか。
握り込んだ拳。皺の刻まれるズボン。途中までその体を抱えていたせいで血に染まったそれらは、どんなに力を篭めても不吉な予感を大きくする要因にしかならない。不安を誘いこそすれ少しも精神を安定させるようなことはなかった。
静寂。
自分の呼吸の音だけが辺りを包む。
堅く目を瞑ったままヒイロは空が白むまでその場を動かなかった。
目の前には数時間前に昏睡状態のデュオ・マックスウェルを飲み込んだ扉が、固く閉ざされていた。


近寄ってくる気配に閉じていた瞳を開く。
同時に感じた気配が知己の者である事に気付き攻撃に転じようとした体を押し留めた。
張り詰めた精神はいつも異常に過敏になっていて、いかに己に余裕がなくなっているかを知らしめるようでさらに気が重くなる。
軽い音と共に横に座り込む自分以外の誰か。見上げるように顔を向けた。
中和するように辺りの空気を鎮める落ち着いた存在感。
「どうした?」
「…………トロワ」
戦場から離れ、彼がサーカスに身をおいて1年余り。懐かしさのようなものを感じ、ふとその間一度も会っていなかったことに気が付いた。
「隙だらけだぞ。お前らしくもない」
穏やかな物腰。
変わることない微笑がその口許を彩っている。自分と似て感情がどこか稀薄なのに、彼が表現出来ないだけでそれを備えていることがよくわかる一瞬。
信用できる存在を前に、ヒイロは無意識のうちに張っていたらしい緊張を解いた。
そう。こんな風に包み込むよう他者を落ち付かせられるのがトロワの特技とも言える性質だった。
一つ息を吐いてから慎重に言葉を紡ぐ。
「……あいつの見舞いに来たのなら無駄だ。まだ…」
「聞いている。……だが平気だろう、死神がこんなことで命を落とす筈もない」
「ああ、そうだな…そうだった」
まるで根拠のない自分を慰めるためだけに発されただろうその言葉に、事実救われるように少し心が軽くなる自分がよけい憎かったが素直にヒイロは頷いた。
「例の件は五飛が押さえたそうだ。事後処理はあいつがやるだろう…カトルは今こちらへ向かっている」
「……」
「デュオは大丈夫だ、ヒイロ」
戦場において、死は常に隣合わせだった。
いつから自分はこんなにも甘くなってしまったんだろう。いつから、他者に気を許すようになったのか。いつから……後ろを任せる相手に依存し、気を抜くなんて過ちを犯すようになったのか。
悔やむ気持ちが消えない。
だが、どんなに悔やんだところで罪は消えない。あの瞬間、確かに自分はそこが戦場であることを忘れたのだ。
「俺は…」
乾いた瞳のまま呆然と俯いたヒイロを、トロワはそっと見つめた。
そう、どんな慰めも意味がないことは理解している。何を言おうと、今デュオが死にかけているのはヒイロのミス以外の何物でもない。
ヒイロのせいだ。庇ったデュオの勝手、と言ってしまえばそれまでだが。
考えてしまう。
ヒイロ・ユイの中のデュオ・マックスウェルの位置付け。
オペレーション・メテオの最中、ヒイロは彼を疎んじていた。始めは過度に、そしてそれは徐々に緩和されていき、やがては仲間として認識するに到った。
仲間という概念は自分たちにとって何よりも遠かった。
単独行動が基本。任務失敗は即死を意味し、自分が倒れればすべてが潰える。
共に戦うことも、自分が倒れても他の者が後を継ぐといった感覚もなかったのだ。
時間と戦局の変化の中、自分たちはそれを見つけるに到った。奇蹟にも近い偶然と必然によって手を取ることを選んだ。
ヒイロはそれに対し柔軟に状況に対応していった……任務の為に。
トロワにも、カトルにも、そして五飛にも彼は比較的穏やかに対していたが、始めの縁が悪かったせいか最後までデュオのことは苦手だったようだ。
デュオの方にそれを気にする様子は全くと言っていいほどなかった。何を言われても皮肉気な苦笑が口許に浮かぶのみ。
その目はいつも何かを探すように、探るようにヒイロを見ていた。
自分たちはヒイロにとって初めての「仲間」だった。初めて手にしたもの。
そして、終戦を迎えた時にそれぞれがそれぞれの道へと進んだ。別れ別れになった。
その時、デュオはヒイロの後をついていく道を選んだ。
それを意外に感じ何故、と問うたトロワに彼は内緒ごとを教えるように楽しそうに囁いた。
『だって。後少しだから』
何があと少しなのかは聞かなかった。
理解したわけではないが、それ以上は追求しても答えないだろうことだけはなんとなくわかったから。
その時はその不思議な言葉の意味は予想もつかなかった。
だが今なら。こんなことになって初めてわかる気もする。
仲間というものを得たのすら初めてだったヒイロ。他者との深い関わりに無縁で、自らの感情にすら無頓着だったヒイロ。
全てを一枚壁で隔てた場所に感じていた彼が唯一の苦手としたデュオという人間。
ヒイロにとって何よりもイレギュラーだった存在。
ヒイロにとってのデュオの存在。
ヒイロは……
「お前は…いや、お前にとってのデュオとは、なんだ?」
言おうとした言葉を別の言葉に置き換える。…この答えは彼自身が見つけるべきものだったから。
トロワの言葉に、はじかれたようにヒイロが顔を上げた。
当惑したようにトロワの顔を見つめるそれは、どこか途方に暮れて幼い子供のようだった。
デュオは、知っていた。
自分でも気付かなかったヒイロの心の動き。そのために何度追い払われてもずっとヒイロの傍にありつづけた。
彼の存在がヒイロの眠らされた感情を呼び起こしていく。
そう。
傍にいない、今ですらも。
デュオは知っていた。
ヒイロの中に眠らされた感情、向けられてけれど無意識に潰されたその心に。
だからきっと待っていた。ヒイロが変わるのを。

「兵器」から、「人間」に変わるその時を。

「………わからない」
数秒の沈黙の後、ヒイロがぽつりと呟いた。
「ただ…」
「ただ?」
「あいつを失うかと思った瞬間、心臓をえぐり出されるような痛みに呼吸が止まりそうになった」
「………」
「―――もう二度とごめんだ、あんな思いをするのは」
声に宿るのは、ただ悔いる響き。
何も考えられずに、ただ今は不安で息が詰まる。
そろそろライトが消えなくてはおかしい刻限だ。だがまだ『手術中』と刻まれた赤い光は辺りをぼんやり照らしている…だからまだ中では闘いが繰り広げられているのだろう。ここで弱音を吐いているわけにはいかないのに。

初めて得た「仲間」という存在。
初めてそれを喪うかもしれない恐怖。
…………自分の、せいで。

一番重いのは、はたしてどれだろうか。
それとも、それは対象が彼でなければまた違った重みをもつのだろうか。
「………わからないんだ、まだ」
「………そうか」
不安定さを拭えないヒイロのなにかを吹っ切るように、トロワがふいに笑みを浮かべた。
「なら、考えるんだな」
あっさりと洩らされた言葉にヒイロが訝しげにトロワを見た。
一体、今こんなときに何を言い出すんだという顔を前に、トロワは苦笑を洩らす。
「デュオは大丈夫だ。さっきもそう言っただろう?だから、お前はあいつが目を覚ました後のことを考えておけ。いいかげん、気付かないと今度は本当に死なれるぞ」
「何のことだ」
「答えはお前の中にあると言っているんだ」
「答え…?」
「あいつが、お前といる理由だ」
「………」
途惑うように。けれど何か思い当たる部分があるのか考えこむように瞳を細めたヒイロを認め、トロワは立ち上がった。
「そろそろカトルが着く頃だろうからな、表へ迎えに行って来る。またあとでここへも顔を出す」
「ああ」
「大丈夫だ。ヒイロ」
「……ああ」
確認するようにヒイロの顔を見つめた後、トロワは先程と同じように足音を感じさせない足取りでその場をゆっくりと去った。


何気なくその後姿を見送った後、先程よりかは幾分と軽い…けれどやはり胸の塞がるような苦しさで目の前のドアを見つめる。
「答え、か…」
無意識にも近い状態で、ぽつりと呟いた。
『それは、お前が見つけなきゃ』
同じ言葉を、かつてデュオが言った。
そう。
あのときは意味がわからなかったし、どうせいつもの気まぐれだろうからと考えることもしなかった。
何故、自分と一緒にいるのか。
パートナーを組もうと誘ったのか。
デュオに対する誘いは種別を問わず実に様々であったし、実際のところ彼の前にあった選択肢は自分よりも多かったくらいだ。
その中で自由に生きるために選べるものはごく少しではあったものの、デュオならば全てを選ばず己の力のみで生きるという道すらも選べたはずだ。
たくさんの選択肢の中から、ただ一つ。ヒイロ・ユイと同じ道を歩むと宣言した。
鬱陶しく感じるはずのその言葉を、何故か素直に受け入れた自分がいた。
デュオの微笑みはそのことを、ヒイロがデュオの存在を受け入れるということをわかっているかのようだった。
自分としては気が向いた、そのくらいの感情。
だから当然の疑問として理由を聞いた。
その返事が、その言葉だった。
時は違えど、同じことを言う二人。ならば、本当に答えは自分自身の中に存在しているのだろうか。
いや、違う。確かに存在しているのだ。
自分の感情だ、認識していないだけで確かに何かが存在している。理解出来ないそれがデュオを傍におかせ、そして今回の油断を招き。今こんなにも自分を恐れさせている。
感情のコントロールは、エージェントとしての訓練を受けた際最も重点をおかれた項目だ。
何故なら、自らの感情は時に冷静な判断力を狂わす。
兵器に感情は必要ない。己を分析し、理解し。自らコントロールする必要が兵士にはあった。
そんな風に生きてきたから…わからない。
自分の認知外にある未知の感情。
今まで知っているどの感情の枠にも収まらないこの思いの名前がわからない。
そんなものが、存在するとも思わなかった。
「誰が…完璧な兵士なんだか……」
自嘲が洩れる。
度々自身へと向けられた賛辞の、そして侮蔑の言葉。
感情のコントロール。
ただ一つその一点において完璧と呼ばれ、同じ一点において不完全な今の自分。
わからない。
どうしてもわからない。
失いたくないと思う、その根源たる感情。
まだ己の中で名前のつくことのない、その思いには果たして形があるのだろうか。そしてそれは自ら掴もうとして掴めるものなのか?
わからない……………ただ。
「死なせたくない。失いたくない。大切にしたい。護りたい…或いは、傍におきたい…?」
浮かぶ言葉を並べ立ててもどれも近くて遠いという感じだ。
単純に考えるなら「好き」という好意的感情だろう。
だがそれには当てはまらないような気が最初からしているから、こういった漠然とした、そしてある意味において具体的な言葉が浮かんでくる。
恋でもなく、愛でもなく。
かといってただ必要だと言うには言葉が足りない。
そう、敢えて言うなら
      まるで、半身のような。
「……それも、違う気がするがな」
必要だと思う。
喪うと思った瞬間心が凍った。
傍にいるのが当り前のような気がしていた。
何よりも近しいと思った。
そして、何よりも遠いと。
銃口を向けられた、気付かなかったあの一瞬何を考えた?
何故、彼が撃たれる瞬間すらも視線で追えるほど、自分はデュオのことを見ていた?
「……ああ…そうか」
………そう。すぐ隣にデュオの存在を感じたからだ。
実際に傍にいたわけじゃない。位置的には「隣」と呼べるほど近くはなかった。
そう。
あの瞬間言葉ではなく。ふいに、滑り込むように生じた意識の共有。
何よりも近しく、そして遠く。溶け合うほどに馴染んだその存在との距離を初めて理解した一瞬。
―――そうだ。
その一瞬に、全てを理解した。
名前のつかない感情。そのあまりにも深い、存在を。
理解して、思わず振り向いた。
戦場であることすらも忘れて。
それが、そのとき理解したそれが、デュオが共に生きると言った、トロワが考えろと言ったその問いの回答となるのならば。
こたえは、見つかっているのかもしれない。
『必要』だと云うにはそれはあまりに深すぎるもので。
『半身』だと云う言葉はあまりに遠すぎる。
恋でもなく愛でもなく、必要と言う言葉はあまりに軽すぎ半身とくくるには近づきすぎたその存在を、顕す言葉は多分存在しないのだろう。
既存の言葉で括ろうとする方がおかしいのかもしれない。
言葉に頼りすぎ、言葉にまかせすぎ、言葉自体に即して正確な表現を考え、それをして自らの感情に名前をつけようとしていたんだろうか?
なんて、無意味な。

デュオがどんな答えを持っているかなど知らない。
トロワが何を気付き、思ったかなど知らない。
だが。
自分の答えは、決めた。見つかった。
例え彼らの意図したものと違ったとしても迷うことはない。


言えるだろうか。
次にデュオに会ったとき、その瞳を前にしたときに自分は言えるだろうか。
見つけたこのこたえを。
そして、自ら手を伸ばすことが出来るだろうか…今度こそ、自分から。
必要なのだと。
言葉に出来る、たった一つのその事実を。
少なくとも二度とあんなミスは犯さない。
どくどくと脈打つ心臓の音が痛かった。
けれど、先ほどのような不安に押しつぶされる気持ちではなく、ヒイロは顔を上げて未だ消えないランプを見つめた。
"煽ったのはおまえなんだ"
理解することを強制したのは。
睨みつけるよう、眼差しに力を篭める。
"ならば、生き残ってみせろ"
責任は、きっちりとらせてやる。そして、とってやる。
遠くから近づいてくる、複数の気配があった。
トロワと、カトルと…もしかしたら五飛もかもしれない。
だんだんと近づいてくるそれを意識の端で捕らえながら、逸らすことなく見つめつづけた視線の先で。


赤いランプが、静かに消えた。

                                          end.




COMMENT;

和砂さんの10212HITリクです。
お題は『あいつを失うかと思った瞬間、心臓をえぐり出されるような痛みに呼吸が止まりそうになった。もう二度とごめんだ、あんな思いをするのは』というセリフでした。
某小説の中に出てくるセリフなんですが…都合上デュオに死にかけてもらわねばならず、最初どうしようと思いました(^^;
お題クリアまではすぐ出来たんですが、その後収拾がつかなくなり2ヶ月…終わりが来ないかとドキドキしました(爆)
やっぱり戦争関係が絡むと難しいです。そういうの書ける人、尊敬します。でもなんとなく薄っぺらい気がするものの、うさぎの精一杯は詰め込みました。
カズサさん、どうぞお納めください<(_ _)>


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