背中に感じた壁の感触で、もう逃げ場がないことが嫌と言うほど思い知らされる。
一体全体どうしてこんな状況になったんだろうか?
ただ普通に声をかけられて、それに返事をして。
その後他愛ない会話をしていただけだ。
変わらない戦況とか、休めと言われているのに素直に休めない互いの貧乏性とか、そんな本当に他愛のない会話。
ふとしたはずみで目が合って、その時にヒイロは妙に真剣な目をしていた。
普段からやたらと真面目ぶった無愛想な顔をしているんだけども、輪をかけて真面目な、真剣な瞳。
おや?と思った次の瞬間にはこの体勢だ。
顔の脇に腕をつかれたこの体勢。
妙に熱のこもった真剣な眼差し。
加えて、挟み込まれた脚にあたる熱なんて決定的なものまで揃ってればいくらなんでも何が起こっているのか疑う余地もない。さらに言えば、目論みに気付いたとはいえすでに逃げる隙はない。
デュオは頭から血の気が引いていくのを感じた。
この場合不幸なことに、ここは滅多に人が来ない。それが好きで時間があればここに入り浸ってゆっくりと寛いでいたのだ。
ここはよっぽどのこと……ガンダムが大破した、とかそんな大事にしか人が来ない場所だ。つまり、万が一にもヒイロの行動を止めてくれるような人物が現れることはない。
「始めっからこのつもりだったのかよ」
「………」
答えは言葉として返ることはなかったけれども、生じた空気の変化で肯定を示される。
「………変態」
この先の受け入れたくはないが確実に訪れるだろう自分の未来を悟って、デュオは低く押し殺した声で悪態をついた。
護身用に持っていたナイフはすでに反対の壁に吹っ飛ばされたし、ここまで近くにいては銃を抜くことも出来ない。
完全に彼の手の内に落ちたことを嫌というほど思い知らされる。
「変態、変態、変態、変態、……変態っ」
それで何が変わるわけでもないけれど、何もしないよりかはマシとばかりに口を動かす。
一番腹立たしいのは、相手がヒイロだからと油断した自分自身だ。
今となっては何故ヒイロに心を許していたのかも考えたくないような事項に位置してしまっている。
「褒め言葉だな」
余裕の態で不敵な笑みを浮かべる目の前の男を殴り飛ばしてやりたい。それが出来たらさぞかし気が晴れることだろうに。
逃げ場のない状態のまま黒衣の襟が弛められる。首筋にかかった息に、背中がぞわぞわした。
まだ諦め切れずに脱出のための隙を窺いながら、デュオはふと自分が殺意だけは抱いていないことに気がついた。
―――あれ?
確かに腹立たしいし殴ってやりたい。逃げられる隙を探している。でも、殺したいとか憎いとか…浮かんで当然の感情の方は皆無に等しかった。
あれ?あれ?あれ…?
なんで。
それともそういったモノは後になって浮かぶもんなんだろうか?
困惑が深まると共に嫌な予感が頭をもたげてくる。これからヒイロにされるだろう行為よりもよっぽどこっちのがタチが悪い気がしてくる。
そしてデュオは、気がついた時にはその内心の途惑いを不安気に口に出して呟いていた。
「……………なんで…?」
「……な…で…」
自身の呟きが頭の奥で響くような感覚に、デュオはぱっちりと目を開いた。
最初に目に映ったのは見慣れない天井で、現状がよくわからなくてぱちぱちと瞬きをする。とりあえず穏やかで落ち付いた空気は危険を伝えてくるようなものではなかったから、警戒で体に入りかけた力を息と共にゆっくりと抜いていった。
深く息を吐いたせいで、胸の辺りがズキズキと痛んだ。その痛みでようやく何があったのかを思い出す。
「あ……夢、かぁ」
そう。ここはL1のヒイロのアパートだ。ほんの数時間前にC-102コロニーからの奇跡の脱出劇を繰り広げてきたばかりである。
どこだかわからない船の倉庫じゃないし、戦況は変わらないどころか二転三転してるし、休めなんて言うような人物はいるわけもない。
ましてや、『あの』ヒイロに迫られているなどそんな事実はカケラもない。
―――かなりリアルだったなぁ。
なんとなくしみじみと思い出してしまい、複雑な気持ちになる。
絶対間違いなく100%の確率で殺されるだろうとか思ったのに、珍しくも仏心を出したらしいヒイロに助けられたりなんかしたから。さらに言えば1つしかないベッドを貸してくれたり、手当てまでしてもらっちゃったりしたから、妙な夢をみたのかもしれない。
自分の想像力はどうやらかなり逞しいようだ。
「正夢だったりしてー」
あはは、と軽い声で笑ったデュオは、何故だかわからないけれど自分の発したその言葉に妙な重みを感じてしまい口を閉じた。
…まさか、だよな。うん。
まさかだよな。
「………あ、あはははは…」
何故笑い飛ばすその表情が引き攣るのか。
声が乾いてしまうのか。
所詮夢は夢、と思いつつもデュオはなんとはなしに背中が寒くなるのを感じていたのだった。
さて、時は過ぎ、ピースミリオン。
デュオは自分のお気に入りの倉庫で一人惰眠を貪っていた。
誰も来ないここは、人間の気配の多い艦内でデュオが寛ぐことの出来る唯一とも言っていい場所だった。
そこがなんとなくいつぞや見た夢に出てきた場所に似ているとか、状況が似ているとか、そんなことが微妙に気になるものの今更来ないようにするのも辛い。
ここを発見した当初は艦内にはトロワとカトルしかいなかったから気にすることもなかったのだが……ヒイロが合流してしまったので、こう、なんというか意識してしまうのも本当だ。
まさかね。
胸の内で呟いてみるものの、生憎と勘だけは昔から異常に良かっただけに不安は拭えない。
まさかね。
と、その時に、ドアのスライドするシュッというような軽い空気音がした。
先程から近づいてきていた気配は警戒する人物ではない…ここに寄るとは思ってなかったけど。通り過ぎるかと思った。
「ヒイロ、オレになんかご用事?」
影が一歩踏み込むのと同時に明るい声で出迎える。
「ああ」
いつも通りの言葉少なな返答。
一瞬、かつての夢が頭を過った。
まさか、ね。
デュオは心の中でぽつりと呟いた。
end.
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