年の瀬になると街はたくさんの人の買い物でごった返して、意味もなく歩きにくくてざわついて、その雑多な雰囲気はあまり好きじゃない。
ざわざわと色々な人が話す声の隙間から聞こえるのはお決まりのクリスマスソングで、それらのヒットソングは毎年流れるから耳に慣れすぎて神経に障る。
―――全く、こっちは『お仕事』で疲れてるってのに。
街を歩く恋人達は、人の気も知らぬ気に楽しそうに周りを無視して歩いていて、そののろのろとした歩みにデュオは今日中に自室へ帰るのを諦めた。
ぎりぎりで間に合うかと思った最終の定期便はきっともう出発する頃だろう。
ならば、今夜の宿をどうしようか、と考えたところでデュオはもう一度辺りを見回し、僅かに眉を顰めた。この様子ではどのホテルも空いている部屋はなさそうだ。
―――平和なコトで。まあ、いいんだけどね。
そう、何せ今日はクリスマス・イブ。
コイビト達がここぞとばかりに街に繰り出す一大イベントだ。
別に部屋が埋まってるのはいい。自分なら一晩くらい野宿しても困ることはない。
そもそもとして、この様子だと街は寝静まる気配はなさそうだし…どこかの店に入って時間を潰していれば、定期便の始発が運行を始めるだろう。
小さく息を吐いて自分の中で諦めをつけ、デュオは繁華街へと向かう為に今来た道を戻り始めた。
『…テルのサービスは、お客様の快適さを追及し、気分をリラックスさせていただくことで………』
純粋に疲れて眠かったし、時間潰しに困っていただけだった。
だから、普段なら無視するようなそんな街頭テレビの売り文句を聞いて、ビジネスホテル系列なら部屋も空いてるかも、なんて。
そんなことを考えてしまっただけだった。
「いらっしゃいませ、バーチャルホテルへようこそ♪お客様は当ホテルのご利用は初めてでしょうか?」
「初めてでしょうかーっ?!」
「ああ…、うん」
デュオは中に入った途端かけられた案内係と思しき少女達の高い声とテンションに、早くもちょっと後悔した。
外観はシンプルでビジネスホテル風だったものの、中はなんだかどこぞのテーマパークのように明るく装飾も華やかだ。
デュオの返事に、少女達が心得顔で頷いた。
「当ホテルは独自システムによる仮想プライベートルーム構築をメインサービスとしております。お部屋に入りましたらベッドに横になり、備え付けのアイマスクをお付けになって横のパネルの赤いスイッチを押してください。お客様のイメージに基づき、お部屋の内装が変化します。お部屋を出られるときは内装のどこかに緑のスイッチがありますのでそちらを押してください。…何かご質問はありますか?」
「うーんと…特にないかな」
曖昧に頷いたデュオに、少女達が揃ってにこっと微笑む。
「お部屋は仮想空間とお繋ぎしますがあくまでも仮想のものです。何もお持ち帰りにはなれませんし、実際のお部屋の広さも変わりません。その点はご了承くださいましー」
「それでは、ごゆっくりお過ごしくださいませ」
「…どうも」
語尾が伸びる癖のある少女から部屋の鍵を受け取り、エレベーターへと進む。
―――そういや、この間ニュースで見たっけ。どっかの会社がバーチャルリアリティシステム作ったって…ゲームとかに使うのかと思ったけど、こういう使い方もありなんだな。
なんだか妙に派手な宣伝をうっていたから興味を引いたのだが、受付の少女の説明でようやく納得がいった。
だとしたら、この人気のなさも納得だ。
―――確かアレって全部個室だもんな。そりゃ今日来るカップルはいないか。
ふむ、と頷く。
疲れはあまりとれないかもしれないが、結構面白い一晩になるかもしれない。
実際自分が寝る部屋は狭いが、イメージの世界は広い。頭はフル稼働で休められないけど、色々な部屋を体験してみるのもいいかも。
リラックスするように自分の部屋をイメージしてもいいし、地球の景色を取り入れてもいいし、いっそのこと自分じゃ泊まらないようなゴージャスなスイートルームとか想像してみてもいい。
ちょっとわくわくしながら、デュオは到着したエレベーターへと乗り込んだ。
ドアが閉まるとき、微かに「いらっしゃいませー♪」と再び甲高い少女の声が聞こえた。
「うわー…狭っ!」
入った部屋の余りの狭さに、デュオは思わず呟いた。いくら気分が切り替わるからといって、これは場所を節約しすぎじゃないだろうか。
風景が切り替わっても、ベッドの傍からそう移動しない方が良さそうだった。
寝床の柔らかさには多少安心しながら、説明にあったアイマスクを探す。
「…アイマスク…?」
なんというかその単語から想像するよりもかなりメカニカルなゴーグルだ。
これ自体が接続用の端末を兼ねるのだからある程度はしょうがないだろうが、ちょっと一晩つけてたら首が疲れそうな気がした。
まあ、ここまで来たらしょうがないとそれに関しては諦めて、パネルの赤いスイッチに手を伸ばす。
…ヴィン…と鈍い電子音がした。
頭の中で吐き気がするような重みがかかり、視界がぼやけ、思わず目を瞑ったデュオが再び目を開けると………そこは想像した地球の景色ではなく、見知らぬどこかの部屋だった。
「あれ?」
驚いて、まばたきをする。ゴーグルの感触はないようだ。
そして、目の前の景色は変わらない。
望みのバーチャル空間に繋ぐという説明の割に、そこはデュオが見たことのない部屋だった。
いや、見たことはある、ような気はするが、全然思い出せない。
一言で言うと物が無い。
引越し直後で買い揃えてないような、そんな家具すらロクに揃ってない眠るためだけにあるような部屋。
小ざっぱりとしてて、きれいで、居心地はとてもいい。
でも行きたい場所として想像した場所では、全然、なかった。
「………。不良品にあたっちまったかな?」
部屋のどこかにあるという緑のスイッチを押して、一旦フロントに戻った方がいいだろうか。
そう思って部屋を見回したデュオは、次の瞬間目に映ったものに思考が止まった。
それは、ここにいるはずのない人物だ。
「…ヒイロ…?」
「………」
言葉もなく固まったデュオを前に、同じく驚いたように彼を見ていたヒイロが、ゆっくりと手を伸ばした。壁によりかかって何かを読んでいたらしい彼の手から資料らしい紙の束が滑り落ちる。
そのパサリという乾いた音を気にするそぶりもなく、確かめるようデュオの頬に触れた指が首筋のラインを辿って肩に届く。
呆然としたままのデュオは、そのまま押されるままにベッドに倒れこんだ。
「………ヒイロ、本当にヒイロなわけ…?」
「…デュオ」
吐息がかかる程近くで囁かれ、凍結していた思考能力が少しだけ戻る。
思い出した。この部屋は…。
押し付けるように口唇が重ねられる。
開くよう促す舌を感じて、ほぼ無意識のままデュオは口を薄く開いた。
ベッドに沈むように力を加えられ、深くなるそれに、デュオは閉じてしまっていた瞳を薄く開いた。
間近に見えるプルシアンブルー。それはデュオがもう忘れてしまっていた、かつて焦がれた色合いだ。
そう、この部屋は、一度だけ見たヒイロの部屋だ。
彼が地球圏統一国家にあてがわれた部屋。もう2年以上前に、通信のぼやけた映像で見たことしかない、偶然知っただけの部屋。
記憶の隅にあっただけの部屋。
記憶の奥底にいただけの彼。
会うことが許されなくなって、もう忘れていた。
忘れたと思っていた。触れる指の感触も、口唇の熱も。今それは現実となってデュオの目の前にあり、デュオに触れている。
―――そうか、バーチャルリアリティか…。
機械はなんて残酷なんだろう。
そう、確かに自分は望んでいた。もう一度ヒイロに会いたいと。
その無意識の結果がこれか。
会ってはいけないと言われた時、自分は二つ返事で了承した。それが当然の流れだと知っていたからだ。それはヒイロも、他のパイロット達も同じだっただろう。
直接会えなくても互いの無事は知っていたし、共通の知り合いから様子程度の話は聞けた。それで満足だった。
でも、本当は同時に寂しくもあった。
何も言わなかったけれど、自分にとって確かに彼は『特別』だった。
それは恋愛感情だったのかもしれないし、違うものだったのかもしれない。その区別はつかないが、特別なのだということは嫌という程理解していた。
彼にとってのデュオの位置づけというのはどうもわからないものの、嫌われてはいなかったのだと思う。そうでなければ自分に触れようとなどしなかっただろうから。
そう、初めてヒイロと寝たのは捕虜になっていたのを助けられた後だった。
あの時自分はなにかわからないものに絶望していて、なにもかもがどうでもいいような気がしていた。なにも持っていなかったんだから本当の意味でなくしたものは無かった筈なのに、なにもかもを失ったような気がしていた。
でも、卑屈になって八つ当たりしてわめき散らしたデュオに、ヒイロは何も言わなかった。ただそこにいた。それだけが酷く重要で大事なことだった。
そこに誰かがいる。一人じゃないのだと。
だんだんと気持ちは落ち着いてきて、頬を一筋涙が流れた。理由はわからないけれど、そのときからヒイロはデュオの特別になった。
それだけは確かなことだった。
本当のところそれまでのヒイロに対する認識といえば、デュオの中で相当酷いものだったのだけど。本当は口に出さずに顔にも出さずにいただけで相当馬鹿にしていたのだけど。
ストンと、あるべき場所に納まるようにヒイロはデュオの特別になった。
声に出さず静かに泣いていたデュオに、ヒイロはそっと指を伸ばした。
口づけられても、服を脱がされても、肌を辿る指にもデュオは何も言わなかった。
ただ彼のシャツを掴んで、皺ができるほどきつくしがみついて泣いていた。
デュオが怪我を治す間、衣食を共にした間、その行為は何度も行われた。あれは戦争も世界も関係ない二人だけの時間だった。
そして、その事に関してずっとデュオは何も言わなかったし、ヒイロも何も言わなかった。
それはとても自然な行いで、デュオにとっては当然の出来事のように思えた。そしてヒイロの瞳はいつも真摯で、まっすぐで、それだけは信じることができた。
何も信じられなかったとき。世界の全てが、生活の基準までもがヒイロに合わされていた時間が確かにあった。
その部屋を出てからも、あの戦争の最中、時間を見つけては何度かヒイロは手を伸ばしてきた。デュオは拒まなかった。
別離が決まったときに拒まなかったのと同じくらいの素直さで。
それは、デュオにとってはどちらも当然の成り行きだったのだ。
そう。全てを納得していた、つもりだった。
なのに機械は無慈悲にそれを暴き立てる。
望みはこれなのだろうと、会いたかったのだろうと、閉じていた筈の蓋をこじ開ける。
「…ん……ぅ」
熱い舌の感触も、一つずつボタンを外す指の動きも覚えている。キスの仕方は性急で奪うような彼なのに、触れる指はいつだってじれったくなるほど優しかった。
「ふ…っ」
首筋に噛み付くときの感触も、噛み付いた後同じ場所を必ず舐める癖も忘れていない。
触れるヒイロは確かに現実だ。この身体が覚えている現実、それは真実とイコールではない。
それでも、デュオは機械の見せる夢でも良くなってきていた。
どうせ本物とはもう会えない。
二度と会えないなら、一度くらいの逢瀬を断ち切ることはない。たとえそれが偽者だったとしても。
「……デュオ」
耳元で囁いて、歯の当たる硬質な感触。吹き込まれる吐息に背筋言いようの無い感覚が走った。
触れられてすらいない腰が重くなる。
自分の身体が熱いことをデュオは自覚していた。
「ヒイロ…っん…」
自分から口付けて、強請るように足を絡ませる。目元を細めたヒイロが、指を伸ばした。
ぴくん、と震えたデュオにヒイロの笑みが深くなった。
「………っ…」
噛み合わせる瞬間だけ吐息の間に声が混じる。口付けで声を殺すデュオには逆らわず、ヒイロの指はデュオの身体を丹念に辿る。
「…あっ………ッ!…」
「…あいかわらず感じやすいな」
呆気なく追い上げられたデュオの解放を遮って、ヒイロが敢えてデュオと視線を合わせて微笑む。
からかうようなそれに悔しくて睨み付けたデュオは、苦しくて荒く押さえつけたようになる息を我慢しながら膝でヒイロの腰を小突いた。
「その感じやすい男相手にサカっちゃってるのはどこの誰ですかね…?」
「確かにな」
ヒイロの息も先程より上がっている。
指摘に頷いて、ヒイロがデュオに口付けた。
それは先程までよりも優しい、体温を伝え合うようなもので、デュオも睨むのは止めて腕を回す。
催促して微かに腰を揺らしてやると、重ねられたヒイロの口元が少しだけ笑んだのがリアルな感触で伝わった。
ヒイロの指がそっと自分に絡む。
―――バーチャル、なんだろうけど。
なんだかこのヒイロの触れ方は覚えているよりも優しくて、そのゆっくりした行為に切なさがこみ上げてくる。
もしかしたら、自分はこんなヒイロを望んでいたんだろうか?
―――違う。
本当は、もっと激しい方がいい。意地悪くてもいいから、何も考えられないくらいの方がいい。こんな状況なら、何も考えないでいられた方が幸せだ。
目の前にいるのは確かにヒイロだ。体臭も、触れ方も間違いなくヒイロ。余計な雑念さえ消えれば本物だと信じられるのに。
まるで、このヒイロの手の動きはデュオの存在を確かめるようで、切なさがこみ上げる。
「………んっ…!」
考えに耽った瞬間、思わず洩れた声にデュオはしまったと思った。油断した。
要領を得たのか、ヒイロの手の動きが早くなる。
それから先は、デュオの望み通りだんだんと何も考えられなくなって、その夜は更けていった。
意識の落ちる前、最後の記憶は、指先に口付ける彼の口唇の感触だった。
目が覚めたら、消えていると思った。
朝日のまぶしさに目を開けて、横で眠るヒイロの姿を見てデュオは驚いた。まだ夢は続いていたらしい。
起こさないように気をつけながら顔だけ上げて、きょろきょろと辺りを見回す。
あった。
緑のスイッチ。夢の消えるスイッチ。
「………」
ぱふん、とベッドに頭を戻す。
まだあれは押したくない。
「………」
現実のヒイロは今どこにいるのかわからない。調べることは許されていないし、連絡をとることも許されていない。
偶然会うことが出来たらいいと思ったこともある。でもこの広い宇宙で、どこにいるのかもわからない人間とすれ違う可能性なんて一体何万分の一の可能性なんだろう。
「…いい夢見ちゃったかも」
会いたい気持ちを自覚させられたから、本当は胸がとても痛い。痛くてたまらないけれど、それでも自分は明日からも生きていける。『普通』で、『問題なく』。
これは本当ではない。夢だということを忘れそうになるけれど、あくまでも夢だ。
それでも、夢でも久しぶりに会えたことがこんなにも嬉しい。
―――オレも本当にアホだね。
くすりと笑って、ヒイロの髪に手を伸ばす。起きるか心配だったけれど、そういったこともなくそれはデュオの指に収まる。
見た目よりさらに固くて、少しクセのある黒髪。光に透かすと茶色に光るその髪が、デュオは意外と好きだった。
「…好きだよ、ヒイロ」
眠るヒイロの偽者に、起こさないよう気をつけながらデュオはそっと耳元で囁いた。
彼が目覚めたときに夢が終わることを知っているから、だからこそ逆に、デュオはこれからも生きていけると思った。
「きゃーっ!どうしましょうーっ」
「え、どうしたの?何かあったの」
いきなり悲鳴を上げた同僚に、少女はビックリして問いかけた。
振り向いた少女の方は半泣きだ。
「417号室のお客様と510号室のお客様の回線、間違って同じ機械に繋がれちゃってるの…」
「えっ?!ちょ、ちょっとそれじゃ部屋繋がっちゃうじゃない、苦情は出てないの?なんで連絡きてないの??」
「わ、わかんないーっ」
おろおろする少女を前に、先輩格の少女は一旦深呼吸して内線に手をかけた。これは客室に連絡をしなければ…と思ったのだが、受話器を上げる途中でその手を止める。
「こんな早朝じゃ、きっとまだお休みだわ。あと数時間してからにしないと…ああ、何時なら失礼にならないかしら」
「ご、ごめんなさい…」
「謝罪はお客様方にしなさい。それよりなんで連絡がなかったのかしら…同じ部屋に他の人がいて、気付かないなんてことないでしょうに」
少女は首を傾げた。
朝一番の仕事は、昨晩遅くに来た客達への謝罪になりそうだ。
三つ編みと、黒髪の、続けてやってきたお客様達。
本当に、同じ部屋に人間がいて気付かない筈ないのに。一体どういうことなのかと、改めて考えて少女は溜息を吐いた。
クリスマスの一日はまだ始まったばかりだった。
end.
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