体調が思わしくないせいで体にあまり力が入らない。
普段から抵抗しても難なくやり込められてしまうけど、ここまで簡単に押さえ込まれるとそれはそれで屈辱だと、ベッドに押しつけられた体勢のままデュオはうめいた。
「な、だからやだってば、止めろって。なー、お願いヒイロさんっ」
「………」
予想通りと言おうか。返事は返らない。
「うーあーうー…ッだから嫌だっつってんだろこの野郎ーーーー」
「………」
怒鳴ってみてもそれもあっさり無視されて、うるさいとばかりに押さえられていた手に先程までよりも強く力がかかる。
ただでさえ馬鹿力の相手にのしかかられた上、そんなに強く掴まれたらデュオとしても身動きのとりようがない。がっちり拘束されて、それでもなおも足掻くデュオに拘束がどんどんきつくなっていく。
痛い痛いと目で訴えて、ようやくほんの少しだけ抜いてもらった力に、諦めるしかないのかとうんざりした気持ちのままデュオは目を閉じた。
「………卑怯者」
「なんとでも」
悔しそうな声がぽつりと洩れる。
人が具合悪くて動けないときを狙うなんて、と心底嫌そうに呟かれた言葉に、ヒイロは微かな笑みつきで答えを返した。
こんな時だけ答える辺りがまた小憎らしさに拍車をかける。
軽く口付けられて、ついごまかされそうになったのをデュオはいかんいかんと首を振ってからきつく睨みつけた。
ここでほだされたらどうなるかなんて、考えただけでも恐ろしい。
「心配しなくても、痛みはないはずだ」
「………」
文句をいおうと口を開こうとした瞬間、見越したように先制攻撃。
指先に口付けられて、デュオはあまりの光景に眩暈がしてきて沈黙した。
「……お前さ、どーしてそーいうことを恥ずかし気もなく…」
「文句はないな?」
「………」
無言で脱力したデュオに了承ととったのか、ようやくヒイロが上体を起こした。
それにもう好きにしてくれ、と小声で言ってから、デュオはぎゅうっと目を瞑った。
視覚の暴力に、もはや抵抗する気力も失せてきている。
「…そんなに嫌がることでもないだろう」
よっぽど悲愴感が漂っていたのかヒイロの声に苦笑が混じっていた。
それに心の中でだけうるせぇと罵って、意識からヒイロの手の感触を振り払う。
意識しないようにしていても、触れるヒイロのてのひらの温もりとか、手首をとられる感触とかが訴えてくる感覚はとてもリアルだ。
「感触が気持ち悪ぃんだよ」
「だからこちらもその点は配慮している」
「…ソレも別の感じでもっと気持ち悪ぃ…」
「………。
我慢しろ」
言葉と同時に、右手に固いものが当たる感触。
もう自分でやるから離せと言いたくなったが、今更そんなことを言っても受け入れられないだろうな、とデュオは渋々入りかけた力を抜いた。
「………大体、爪切り位でいちいち大騒ぎするな」
「だってさー…」
嫌いなんだよ、と小さく呟いて、ちらりと薄目を開く。
ヒイロが指先に当てるヤスリの感触に既に背筋が寒くなってしまいながら、思考を逸らすように視線を天井に逃がした。
もう遠くに感じるけど、それはまだたった1週間前のことだ。
デュオのギザギザの爪先を見たヒイロにお前は爪を切らないのかと問われ、「邪魔になるくらい伸びたら噛み切る」なんて正直に答えたときの彼の顔ったらなかった。
お前のがよっぽど非常識だろうとか、むしろ人外だろうがというツッコミはこの場合においては全く功を奏さなかったらしく、その日デュオは彼に強制爪切りを決行されかけ、危うい所で逃げ出したのだ。
その後3回位は逃走に成功したのだが、今日は間が悪いというか寝込みを襲われたというか…逃げ損ねてしまったわけだ。
この場合デュオの運が悪いと言うより、むしろ1週間もデュオの爪を切るためだけに奔走したヒイロの根性を称えるべきなのかもしれない。
ゴリゴリゴリゴリ。
「…気色悪ぃよ〜〜〜〜…」
ゴリゴリゴリゴリ。
「………」
ゴリゴリゴリゴリ。
視線を逸らしていても、指の先で何かが削れる感触はしっかり伝わってくる。
いや、何かって言うか爪なんだけど。
多少削っても全然問題ないんだけど。
と、内心納得していても、その背筋がぞわぞわするような感触はやはり「気色悪い」の一言だ。
「…な、やっぱ爪切りのがマシ…」
「今日は持ってきていない」
あの独特のプチンという感触も大嫌いだが、潔く終わる分これよりはマシなような気がして訴えてみる。デュオの声はもはや半泣きだ。
しかしそれも一言であっさり却下されてしまった。勿論、手の動きは止まらない。
「我慢しろ、すぐ終わらせる」
囁くヒイロの声は慰めるようなもので彼にしては珍しく穏やかだったけれど、それはデュオにとってはあくまでも地獄の宣告でしかなかった。
数分の後。
任務完了した右手を見て、デュオは溜息をつきたいような複雑な心境になった。
器用な奴って便利。
自分を慰める為に浮かぶ言葉なんてそれくらいだ。
「…なんかキレーでオレの手じゃないみてぇ」
「………」
しみじみとした呟きに、ヒイロからのコメントは特に無いらしい。
キレイに揃った指先を見て、これならいつもより射撃の命中率さらに上がるかもなーと、ぼんやりとデュオは明日の予定を検討した。
たかが爪切り。
されど爪切り。
これが伸びてきたらまたコイツに追っかけられるのかとうんざりしなくもないが、途中はともかく完成型はなかなか気分がいいということに気付く。
………「途中はともかく」。
うっかりあの微妙な感触を思い出してしまい、どっぷり落ち込みそうになったデュオは、気分を切り替えるようにお片付け中のヒイロを見た。
こんな瑣末なことにまで真面目な彼はなんだかどうにもマヌケな感じだが、作業中の真剣な眼差しはやってることはともかくとして手放しでいい男、という風情だった。
勿論オレ様程じゃないけど、とは内心付け足しておく。
間近で見ると惚れ惚れするというのはまあ知ってたから今更なんだけど、なんか改めて考えるとやっぱり新鮮だ。
ほんっと、掘り出しモンだよなぁ。
顔に免じて、爪切りくらいは妥協してやってもいいかもしれない。
うん。
他はあんまり取り立てていいところもないんだけど。
腕力にモノいわせるし、後先考えてないくせに偉そうだし。
かなりイっちゃった性格してるし。
総合評価はやっぱ「極悪」か?
いや「変人」かも。
そんなことをつらつらと考えながらじっと見つめるデュオの視線に気付いたのか、ヒイロがふいに視線を合わせてきた。
自分に対してよくない評価を下してることなぞ想像範囲内なのか、その視線は呆れたように冷たい。
何?と目線でたずねたデュオの耳元に、溜息をひとつ吐いた彼は口唇を寄せて囁いた。
「…言っておくが、今回の件は自業自得だからな」
「あ?」
その口元に、微かにいたずらっぽい笑みが浮かぶ。
デュオは嫌な予感がした。
「お前の爪がそんなだと、俺が痛いんだ」
「………」
一瞬遅れて意味に気付き、真っ赤になったデュオは「仕返しかコノヤロウ」と呟いた。
そっぽを向いて。でも言葉は続く。
「ああ、お前のそういうイイ性格も嫌いじゃないよ」
横目で睨みながら呟いた彼に、ヒイロは当然だ、と見せ付けるよう不敵に笑った。
end.
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