これまでの人生、誰かに出迎えられた経験はそう多くない。
自分の部屋に誰かがいることは皆無であり、用向きがあって自分が他人を部屋に残し出るということもしなかったからだ。それは危険な行為だ。言うまでもなく。
ふと思い出した。そういえば自分のそう長くはない人生の中、確かにそういったこともあったのだと。
同じ相手に、しかもニ度。それは多分例外中の例外だろうが。
ハッチを開けてゼロから離れ、降り立った時感じたのは確かに重力だった。
宇宙独特の低重力。だが、MO-2のそれは宇宙空間そのものとは明らかに違う安定感を持つ。着陸の瞬間の心許ない反動を受け流し、しっかりとそこに立ってヒイロは他の4機を見渡した。
アルトロンと五飛は問題ない。トロワは…ヘビーアームズのところにいないので少し驚いたが、なんのことはない怪我をしたらしいカトルを支えに隣の機体に乗り移っていた。デュオは、こちらに手を振っている。現金なものだ。
一通り安全を確認して、全員生き残ったのかと微妙な感慨と共に安堵する。
あれだけの戦いで全員無事というのは僥倖としか言い様がない。腕も確かにそうだが、あの戦場を生きて潜り抜けるにはより運が必要だった筈だ。彼らはそれを持っていた、それだけのことと言ってしまえばそれまでだが、それは奇跡に近い現実でもある。
ヒイロはアストロスーツの襟元を緩めゆっくりと息を吐いた。
胸のつかえがとれたような、まだ何か挟まったような曖昧な感覚が残っていた。
そこで初めて『終わったのか』、と思い目を閉じた。
「おっかえり、ヒイロ」
「………」
すぐ横から声が聞こえた。気配で降りて来ているのはわかったので、目を開けることで返事をする。
デュオはそんなヒイロに構わず話を続けた。
「今はハワードが人払いさせてるよ。でもハッチの外は色んな奴らがオレらを待ち構えてる。ありがたくないお客さんもいそうだし、脇から出るのが賢明かな」
おどけたように右手で銃を撃つ真似をして、デュオは荷物運搬用昇降機を指差した。一旦上に出て倉庫から迂回しろ、というのがハワードの指示らしい。それはもしかしたらノインかもしれないし、サリィかもしれない。
「んでもって、お前はその後サリィさんの検査な。あんな装備で大気圏入ったわけだし、多分待ち構えてるぞー」
どうやらサリィのようだ、と半ば予想していた状況にヒイロは素直に昇降機に向かって歩き出した。とりあえずもうここに用はない。
だが、そのヒイロの素直さに吃驚したらしくデュオがぽかんと口を開けた。
「…なんだ」
「いや、お前のことだからなんか言うこときかなさそうだなーと思ってたんだけど。いざとなったら引きずってこいってさっきサリィさんに言われたばっかだったし………お前、頭打った?」
はたと気付いたように心配そうにまじまじとヒイロを見たデュオに、ヒイロは溜息を吐いた。
「お前が俺をどう思ってるかはよくわかった。今は休むべきだと判断しただけだが、不服か?」
「いいえー、不服なんてとーんでもない」
ぱたた、と足取りも軽くデュオはヒイロの反対側に回りこんだ。左側から話しかけるのがどうも落ち着かなかったらしい。
「ただお前がオレの言うこと聞くのが珍しいと思っただけだって」
それから嬉しそうににっこり笑うと、デュオは歩き出したヒイロの少し後ろをにこにこしながらついていった。
それは戦争終結の日であり、その後半年ばかりは二人共プリベンターの臨時要員として忙しく日々を過ごすことになる。
そうして2月14日、時は聖バレンタイン。
その日本部から帰宅したヒイロは、何者かが自室に侵入していることに気付いた。ご丁寧に気配は消していない為、誰だかはすぐわかった。
「………勝手に入るなと何度言えばわかるんだ」
「おっかえりー」
ドアを開けた途端、待ち構えていたらしい不法侵入者に悪びれもなく声をかけられ、ヒイロは眉を寄せた。
だが次の瞬間、ふと掠めた思考に少し注意がそれる。
ヒイロのその変化を敏感に嗅ぎ取ったのかデュオがおやという顔をしたが、特に興味は引かれなかったのか彼はそれには突っ込まず、手に持った紙袋をずいと突き出した。
「ハッピーバレンタイーーーン♪ありがたくもこのデュオ様が、手ずからお前の分のチョコ持ってきてやったぜ。ちゃんと食えよー、女の子たちの真心なんだから」
にこにこ笑いながら紙袋をさらに突き出す。ヒイロがあからさまに嫌そうな顔をしたのが非常に彼を喜ばせたらしく、笑みは更に深まった。
「いらん」
「ダメだぜー、お前が受け取らないって色んな子に泣きつかれちゃったもん。どうせ義理なんだし、貰うだけ貰っとけって。ま、コレなんか本命ぽいけど」
ヒイロにも見覚えのある、昼間拒否した物体を突つきながらデュオがまたさらにそれを突き出した。
おそらくヒイロに受け取らせるよう方々から頼まれたのだろう、これだけの為に不法侵入して待機していたらしい。
諦めるどころか付け上がりそうな様子に、仕方なくヒイロは受け取るだけ受け取った。それで満足して帰るならその方が楽だとは、そろそろ経験上理解しつつある。
よし、とデュオの目が満足気にきらめいた。
「と、言うわけで愛のキューピッドデュオくんでした。また明日な」
「二度と来るな」
「怒るなよー、まー用事があったらまた来るということで。じゃ〜な〜」
用件を終わらせた途端、もう用はないとばかりにデュオが横を擦り抜けていく。
それを引き止めることはしないまま、ヒイロは後ろ手にドアを閉めた。
嵐のようだ。
侵入して、用件を済ませて、さっさと消える。デュオの訪問はいつもそのパターンだった。
デュオを早く帰す為にはその用件を済まさせてしまえばいいとは、別に洞察力云々の問題でなくすぐわかることだ。他人のテリトリーに用もなく長居することは、デュオの本能が許さないだろう。それはヒイロも同じだ。
ただ。
「……久しぶりに聞いたな」
侵入は何度目かでも、いつも第一声から用向きだった。
口元に自然と笑みが浮かぶ。懐かしい言葉だ、おそらく三度目。
C-102から連れ帰って、治療していた時に一度。その時はあまりにも違和感があったため特別記憶に残っている。だから二度目三度目も妙に気になるようになった、『おかえり』という一言。
自分を相手に待つ者はいないし、自分の領域に入る者はいないし、例えそういう状況になってもそんな言葉を紡ぐ者も他にいない。
迎えられる感覚。単純で何気ないくせに不思議とあたたかい一言。
「…相変わらず変な奴だ」
本人が耳にしたらお前には言われたくないと憤慨するだろう感想を述べ、ヒイロはつい立ち止まってしまっていたドアから身を離した。
四度目があれば、『ただいま』と返してやろうかと考えながら。
end.
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